妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

善無畏鈔

全集 第4巻 2段 定本: #46(定本の該当ページへ)

書下し

善無畏鈔ぜんむいしよう


[1]善無畏三蔵ぜんむいさんぞう月氏がつし烏萇奈*うちような国の仏種王ぶつしゆおうの太子なり、七歳にして〔くらいき〕、十三にして国をこのかみに譲り、出家世し、五天竺ごてんじくを修行して、五乗*ごじようの道を極め、三学を兼ね給ひき。達摩掬多*だるまきくたと申す聖人にひ奉りて、真言のしよ印契*いんげい一時に頓受とんじゆし、即日に御灌頂*かんじようなし、人天の師と定まり給ひき。
[2]足山けいそくさんいりては葉尊者かしようそんじやの髪をそり、〔王城において雨を祈り〕たまいしかば、観音かんのん日輪のうちよりいでて〔水瓶すいびようを以て水をそそぎ〕、北天竺の金粟王*こんぞくおうの塔のもとにして仏法を祈請きせいせしかば、文殊師利菩大日経の胎蔵たいぞう曼荼羅まんだらあらわして授け給ふ。その後開元のちかいげん四年丙辛ひのえかのとに漢土に渡る。玄宗げんそう皇帝〔これを尊むこと日月のごとし〕。また大旱魃だいかんばつあり。皇帝勅宣ちよくせんくだす。三蔵一鉢いつぱつに水を入れしばら加持かじし給ひしに、水の中に指ばかりの物あり、変じて竜と成る。そのいろ赤色なり。白気はくき立ち昇り、鉢より竜でて虚空に昇り、たちまちに雨をふらす。
[3]〔かくのごとく〕いみじき人なれども、一時あるときに頓死してありき。蘇生よみがえりて語て云く、我しにつる時、獄卒来りて鉄の縄七符ななすじ付け、てつのつえを以て散散さんざんにさいなみ、閻魔宮えんまぐうに到りにき。八万聖教一字一句も〔覚えず〕、ただ法華経の題名ばかり〔忘れず〕。題名を思ひしに鉄の縄少しきゆりぬ。息続いきつい高声こうしように唱へて云く、「今此三界皆是我有こんしさんがいぜがう其中衆生悉是吾子ごちゆうしゆうじようしつぜごし而今此処多諸患難にこんししようたしよげんなん唯我一人能為救護ゆいがいちにんのういくご」等云云。七つの鉄の縄切れ砕け十方に散ず。閻魔かんむりを傾けて南庭にくだり向ひ給き。今度はいのち〔尽きず〕とて帰されたるなりと語り給き。
[4]いま日蓮不審して云く、善無畏三蔵は先生せんしよう十善じゆうぜん戒力かいりきあり。五百の仏陀につかへたり。今生には捨かたき王位をつばき(唾)をすつるかことくこれをすて、幼少十三にして御出家ならせ給て、月支国をめくりて諸宗を習いきわめ、天のかんこうふり、化道けどうの心深くして震旦しんたん国に渡りて、真言の大法を弘めたり。一印一真言いちいんいちしんごんを結びじゆすれば、過去現在の無量の罪めつしぬらんなんとがよつて閻魔のせめをば蒙り給ひけるや覧。不審〔極りなし〕。善無畏三蔵真言の力を以て閻魔の責を〔脱れずば〕、天竺・震旦・日本等の諸国の真言師、地獄の苦を脱るべきや。
[5]委細にこの事をかんがへたるに、この三蔵は世間の軽罪きようざいは身に〔おわせず〕。諸宗並びに真言の力にて滅しぬ覧。この責はベつの故なし。法華経謗誹ぼうひの罪なり。大日経の義釈ぎしやくを見るに、〔「この経はこれ法王の秘宝、みだりに卑賤ひせんの人に示さず。釈出世の四十余年に舎利弗しやりほつおんごん三請さんしようによって、まさにために略して妙法蓮華の義を説くがごとし。今この本地ほんじの身またこれ妙法蓮華最深秘処さいしんぴのところなり」〕。故に寿量品に云く〔「つね霊鷲山及*りようじゆせんおよび余の諸の住処にあり、乃至ないしわが浄土はやぶれざるにしかも衆は焼き尽くと見る」。すなわちこの宗瑜伽しゆうゆがこころなるのみ。「また補処ふしようの菩の慇懃の三請によって、まさにためにこれを説く」〕等云云。
[6]この釈の心は大日経に本迹二門ほんじやくにもん開三顕一かいさんけんいつ開近顕遠かいごんけんのんの法門あり。法華経の本迹二門のごとし。この法門は法華経に同じけれども、この大日経に印と真言と相加あいくわわりて三密相応そうおうせり。法華経はただ意密許いみつばかりにて身口しんくの二密かけたれば、法華経をば略説と云ひ、大日経をば広説と〔申すべきなり〕と書かれたり。この法門第一のあやまり、謗法の根本なり。
[7]この文に二つのあやまりあり。また義釈に云く〔「この経横に一切の仏教を統ぶ」〕等云云。大日経は当分随他意とうぶんずいたいの経なるをりて、随自意跨節の経と思えり。かたがたりたるを実義じつぎ思食おぼしめしせし故に、閻魔えんませめをば蒙りたりしか。
[8]智者にて御座おわせし故に、この謗法をかえして法華経にひるがえりし故に、この責をまぬかるゝか。天台大師釈して云く、〔「法華は衆経を総括す、乃至、軽慢止きようまんやまざればした口中にただる」〕等云云。妙楽大師云く、〔「已今当いこんとうみようここにおいてかたく迷へり。舌ただれてまざるは、なお華報となす。謗法の罪苦ざいく長劫ちようこうに流る」〕等云云。天台妙楽の心は、法華経に勝れたる経ありと云はむ人は、無間地獄むげんじごくつべしと書かれたり。
[9]善無畏三蔵は〔法華経と大日経と〕は理はおなじけれども、いん真言は勝れたりと書れたり。しかるに二人の中に一人は必ず悪道に〔堕つべし〕とをぼふる処に、天台の釈は経文に分明なり。善無畏の釈は経文にその証拠〔見えず〕。その上閻魔王えんまおうせめの時、わが内証の肝心とをほしめす大日経等の三部経の内の文をじゆせず。法華経の文を誦してこの責をまぬかれぬ。疑ひなく法華経に真言まさりとをもうりをひるかへしたるなり。
[10]その上善無畏三蔵の御弟子不空ふくう三蔵の法華経の儀軌ぎきには、大日経・金剛頂経こんごうちようきよう両部りようぶの大日をば左右に立て、法華経多宝仏をば不二ふにの大日と定て、両部の大日をば左右の臣下のごとくせり。伝教大師は延暦二十三年の御入唐、霊感寺れいがんじ順暁*じゆんぎよう和尚に真言三部の秘法をつたわり、仏瀧寺ぶつろうじ行満座*ぎようまん主に天台の宝珠をうけとり、顕密二道の奥旨をきわめ給ひたる人。華厳・三論・法相・律宗の人人の自宗我慢の辺執を倒して、天台大師に帰入せるよしをかゝせ給ひて候。依憑集えびようしゆう・守護章・秀句なむど申す書の中に、善無畏・金剛智*こんごうち不空*ふくう等は天台宗に帰入して智者大師を本師と仰ぐ由のせられたり。
[11]各各おのおの思えらく、宗を立つる法は自宗をほめて他宗を嫌ふは常のならいなりと思えり。法然なむどは、またこの例を引て、曇鸞*どんらんの難易・綽の聖道浄土・善導*ぜんどうが正雑二行の名目みようもくを引きて天台・真言等の大法を念仏の方便とせり。これ等は牛跡ごせきに大海を入れ、けんがくしゆうに打つ者なり。世間の法には下剋上げこくじよう背上向下はいじようこうげは国土亡乱ぼうらんの因縁なり。仏法には権小の経経をもととして実経をあなづる、大謗法の因縁なり。〔恐るべし恐るべし〕。
[12]嘉祥寺かじようじ吉蔵*きちぞう大師は三論宗の元祖、ある時は一代聖教を五時に分け、或時は二蔵と判ぜり。しかりといえども竜樹菩造の百論・中論・十二門論・大論をとうとびて、般若経を依憑えびようと定め給ひ、天台大師を辺執へんしゆうして過ぎ給ひし程に、智者大師の梵網等の疏を見て少し心とけ、やうやう近つきて法門を聴聞せし程に、結句けつくは一百余人の弟子を捨て、般若経並に法華経をも〔講せず〕、七年にいたりて天台大師に仕えさせ給ひき。高僧伝には衆を散じ身を肉橋にくきようと成すと書れたり。天台大師高坐に登り給えば、よりて肩を足に備え、みちを行き給えば負奉おいたてまつり給て堀を越え給き。吉蔵大師程の人だにも、謗法ををそれてかくこそつかえ給ひしか。
[13]しかるを真言・三論・法相等の宗宗の人々、今すえに成りて辺執せさせ給うは自業自得なるべし。今の世に浄土宗・禅宗なんど申す宗宗は、天台宗にをとされし真言・華厳等に〔及ぶべからず〕。
[14]依経すで

伽経りようがきよう
・観経等なり。これ等の経経は仏の出世の本意にもあらず、一時一会の小経なり。一代聖教を判するに〔及ばず〕。
[15]しかもかの経経を依経として一代の聖教を聖道浄土・難行易行・雑行正行に分け、教外別伝なむどのゝしる。譬えば民が王をしえたげ、小河の大海を納むるがごとし。加加留かかる謗法の人師共を信じて後生を願ふ人人は無間地獄〔のがるべきや〕。
[16]しかれば当世の愚者は、仏には釈牟尼仏を本尊と定めぬれば、自然に不孝の罪脱がれ、法華経を信じぬれば不慮に謗法のとがのがれたり。そのうえ女人は五障三従ごしようさんじゆうと申して、世間出世に嫌はれ一代の聖教に〔捨てられおわんぬ〕。ただ法華経計りに古曾こそ女が〔仏に成り〕、諸の尼のきべつはさづけられて候ぬれば、一切の女人はこの経を捨てさせ給ひては、いずれの経をか持たせ給ふべき。
[17]天台大師は震旦しんたん国の人、仏滅後一千五百余年に仏の御使として世に出でさせ給き。法華経に三十巻の文を注し給ひ、文句と申すふみの第七巻には〔「他経にはただ男にして女に記せず」〕等云云。男子も余経にては仏に〔成らざれ〕ども、しばらく与へてそれをば許してむ。〔「女人においては、一向いつこう諸経においては叶うべからずと書かれて〕候」。縦令たとい千万の経経に〔女人成るべし〕と〔許されたりといえども〕、法華経に嫌はれなば何のたのみか〔あるべきや〕。
[18]教主釈尊、我が諸経四十余年の経経を未顕真実と悔返くいかえし、涅槃経等をば当説と嫌らひ給ひ、無量義経むりようぎきようをば今説と定めをき、三説にひてたる法華経に〔「正直に方便を捨てただ無上道を説く、世尊の法はひさしくして後かならずまさに真実を説くべし」〕と釈尊べ給しかは、宝上世界の多宝仏は大地より出てさせ給ひて真実なる由の証明をくわえ、十方分身の諸仏は広長舌を梵天に付け給ふ。十方世界微塵数みじんじゆの諸仏の御舌は不妄語戒の力にむくひて、八葉の赤蓮華にをいいでさせ給き。一仏二仏三仏乃至ないし十仏百仏千万億仏の、四百万億那由他なゆたの世界に充満さりし仏の御舌をもんて、定めをき給える女人成仏の義なり。
[19]謗法なくしてこの経を持つ女人は、十方虚空に充満せる慳貪けんどん嫉妬しつと瞋恚しんに・十悪・五逆なりとも、草木の露の大風にあえるなるべし。三冬の冰の夏の日に滅するがごとし。ただ〔滅しがたき者〕は法華経謗法の罪なり。譬ば三千大千世界の草木のたきぎとなすとも、須弥山は一分も〔損じがたし〕。縦令たとい七つの日出でて百千日照すとも、大海の中をばかわかしがたし。
[20]たとひ八万聖教を読み、大地微塵みじんの塔婆を立て、大小乗の戒行を尽し、十方世界の衆生を一子のごとくになすとも、法華経謗法ほうぼうの罪はきゆべからず。我等われら過去現在未来の三世さんぜの間に仏に〔成らずして〕、道の苦を受るはひとえに法華経誹謗の罪なるべし。女人と生れて百悪身ひやくあくに備ふるも、根本この経誹謗の罪より起れり。
[21]然者さればこの経に値ひ奉らむ女人は、皮をはいで紙となし、血を切りてすみとし、骨を折りて筆とし、血のなんだをすずりの水としてかきたてまつるとも、あくごあるべからず。いかにいはんや衣服・金銀・牛馬・田畠等の布施を以て供養せむは、もののかずにてかずならず。
現代語訳

善無畏鈔


文永三年(一二六六)一説には建治元年(一二七五)、四五歳、和文、定四〇八—四一四頁。

一 善無畏三蔵の略歴


[1]善無畏三蔵はインドにあった烏萇奈という国の仏種王の太子であった。わずか七歳で王位についたが、十三歳のとき兄に王位をゆずり、出家して世をのがれ、インドの五州を修行して廻り、五乗の道を極め、かいじようの三学を兼ね修められた人であった。達摩掬多という聖人にあって真言のいろいろな印契を一時に習得し、その日のうちに灌頂を受け、人天の師となられた。
[2]摩竭陀国まかだこくにある鶏足山の登ったときは、すでに入定にゆうじようされている葉尊者の頭髪を剃り、また王舎城おうしやじようで雨乞いをしたときは、観音菩が太陽の中から現われて、水瓶みずがめを取り出し、水をそそいだといわれている。さらに北インドの金粟王が建立した塔のもとで仏法を祈り求めたときは、文殊師利菩が大日経の胎蔵界たいぞうかいの曼荼羅を現わして、授けられたともいう。その後、唐の玄宗皇帝の開元四年丙辰ひのえたつに中国にわたった。皇帝は彼を尊敬することが日や月のごとくであった。また大旱魃(日照り)があったとき、皇帝は勅宣を下して雨乞いを命じた。三蔵は一つの鉢に水を入れてしばらくのあいだ加持をされると、水の中に指の大きさほどのものがあり、変化して竜となり、その色は赤色であった。白気が立ち昇り、鉢から竜が飛び出して天空に昇り、たちまちのうちに雨を降らせたという。
[3]このように立派な人物であったが、ある時ふとしたことでにわかに死んでしまった。やがて蘇生すると人々に次のように語って聞かせた。「私が死んだ時に、地獄の使いが来て鉄の縄で七筋もしばり、鉄のでさんざんに打ちすえ、閻魔王の宮廷に引き出されるに至った。どうしたわけか、それまで覚えていた八万といわれる仏教の全経典の経文を、一字一句に至るまですべて忘れてしまって、ただ法華経の題名だけは忘れずに覚えていた。その題名を思い出したときに、鉄の縄が少しばかりゆるんできた。そこでひと息つくと、続いて声高く次のように唱えたのである。『今この三界はみなこれわが所有するところのものである。その中の衆生は、ことごとくこれわが子である。しかも今このところはいろいろな患難が多いけれども、ただわれ(仏)一人のみが、よくこれらの衆生を救い護ることができるのである』と方便品ほうべんほんの一節を唱えたのである。すると七つの鉄の縄が切れ砕け十方に散った。閻魔王はこの様子を見て、冠をぬぐと自ら庭におり、『このたびの死は、まだ寿命が尽きていない』といって、この世にもどされたのである』と語られたのであった。

二 善無畏三蔵の誤りを指摘す


[4]いま日蓮が疑わしく思うことは、善無畏三蔵は前の世において十善戒を修し、五百もの仏陀に仕えたが、その功徳によって今生には国王の子として生まれた。しかしその捨てがたい王位を、唾をはくごとく簡単に捨て去り、幼少の身十三歳でご出家なされ、インドの国中をめぐって諸宗の教えを習い極め、天の感応かんのうを受けて、衆生を教化する心も深く、中国に渡って、真言の大法を弘められたのである。その真言の教えによれば、一印を手に結び、一真言を口に誦したのみで、過去・現在の無量の罪が消滅するという。それなのにこの人はなんの罪科によって、このような閻魔の責め苦を受けなければならなかったのだろうか。まったく不思議なことである。善無畏三蔵ほどの人でも、真言の力をもって閻魔の責め苦をのがれることができなかったとしたら、インドや中国や日本等の諸国の真言の人師らは、はたして地獄の苦しみをのがれることができるであろうか。
[5]くわしくこの事について日蓮が考えてみるのに、この三蔵は世間一般の軽い罪でさえも身にはつけておられない。それらはみな諸宗や真言の力で消滅されたことであろう。それなのにこの責め苦を受けたのは、これはひとえに法華経を誹謗ひぼうした罪によるものである。三蔵の解釈した大日経の義釈を見ると、「この経は法王たる大日如来の秘宝であって、みだりに一般の人には説き示さない。例えば釈が世に出られて悟りを開いてから四十余年の後で、舎利弗がていねいに三度にわたってお願いしたあと、初めて妙法蓮華経の真義を略して説かれたごとくである。今この大日如来の本地の身は、また妙法蓮華経の最も奥深いところに秘蔵されているのである。ゆえに法華経の如来寿量品には、『仏は常に霊鷲山およびその他のいろいろな住所にある。(乃至)わが浄土は安穏であるにもかかわらず、衆生は焼き尽きてしまうと見る』と説示されている。これはすなわち真言宗に相応したものである。また大日経についても、仏の跡を継ぐ弥勒菩が、大日如来に三度まで丁寧にお願いしたあとで、ようやく説かれた経典である」と記されている。
[6]この義釈の文のこころは、大日経には本門ほんもん迹門しやくもんの二門があって、開三顕一や開近顕遠といった重要な法門が説かれている。これは法華経の本迹二門で説かれていることと同じである。大日経の法門は法華経と全く同一であるが、この大日経のほうには、そのうえに印相と真言とが加わっており、さらに身・口・意の三密が備わっている。だが法華経はただ意密が一つあるだけで、身と口の二密が欠けているので、法華経のことを略説と称し、大日経のほうを広説ということができると書かれているのである。しかしこの法門はまず第一の誤りであり、謗法の根本である。
[7]この義釈の文中には元来、誤りが二点ある。その一つは今述べた通りであるが、二つ目は、この義釈の中に「大日経は横に一切の仏教を統一した」といっている。だが大日経は、当時の衆生の程度に応じて説き示された随他意ずいたい方便の経である。それなのに三蔵はこの経を、仏が真実を説いた随自意ずいじい本懐の経とまちがえてしまったのである。こうした誤りを知らずに実義だと思いこんでしまったから、前記のような閻魔王の責め苦を受ける結果となってしまったのである。
[8]だが三蔵は智者であったので、この謗法に気がつき、罪を悔悟かいごしてただちに法華経に改信したので、鉄の縄も切れ地獄の責め苦から免れることができたのである。天台大師は「法華経はすべての経々を総括する経典である。(乃至)法華経を軽視したりあなどることをやめないならば、その人の舌や口の中は焼けただれてしまう」と述べている。妙楽大師も、「過去・現在・未来の三世にわたって勝れた妙法に、かたくなに迷いを生じ、これを誹謗すれば、その人の舌はただれてしまうばかりでなく、謗法の罪によって未来に長く責め苦を受けることになる」ともいっている。この天台と妙楽の両大師の説は、法華経よりも優れた経があるという人は無間地獄に落ち込んでしまう、と書かれたのである。
[9]善無畏三蔵は、法華経と大日経とは理は同一であるが、事相じそう印相いんそうと真言とは大日経のほうが優れていると書かれている。もしそうだとしたら天台・妙楽と善無畏との二者の中で、その中のどちらかが誤っているので、必ずどちらかが悪道に落ちることになると思う。ところが天台の解釈は経文の中に明らかに依り所があるのに、善無畏の解釈には経文にその依り所となる証拠がない。そのうえ、善無畏が閻魔王から責め苦を受けたときに、自分が日頃悟りの肝心と思っていた大日経等の三部経の文を唱えないで、法華経の文を唱えてこの責め苦をまぬがれることができたが、これは疑いなく法華経よりも真言のほうがまさっていると思っていた誤りに気付き、悔い改めたものであるといえる。

三 善無畏三蔵の天台帰入


[10]そのうえさらに、善無畏三蔵のお弟子である不空三蔵の著作した法華経に関する観智儀軌かんちぎきの中には、大日経と金剛頂経の両部の大日如来を法華経の多宝仏の左右に臣下のごとく立たせ、多宝仏と大日如来は一体のものであると定めている。また伝教大師は延暦二十三年(八〇四)に唐の国へ渡り、霊感寺の順暁和尚から真言の三部の秘法を伝授し、仏滝寺の行満座主からは天台の宝珠ともいえる奥義を受け取り、顕教と密教の本旨を学び極められた人である。その著作たる依憑集えびようしゆう・守護国界章・法華秀句等の中には、華厳けごん三論さんろん法相ほつそうりつ等の各宗の僧らが、それぞれ自分の宗にこだわって、自宗のみが優れていると思いこんでしまっている我執がしゆうを打破して、天台大師の教えに帰入せしめたことが記されている。さらに善無畏・金剛智・不空の真言の三人は、ともに天台宗に帰入して天台智者大師を本師と仰ぐようになったことも書かれている。
[11]一般的に宗派を立てようとする場合、自分の宗をほめて他の宗派を嫌うのは、当り前のことだと思える。浄土宗を立てた法然などはまたこの例にもれず、曇鸞の主張した難行道なんぎようどう易行道いぎようどうや道綽の唱えた聖道門しようどうもんと浄土門、それに善導の正行しようぎよう雑行ぞうぎようの名目を引用して、天台・真言等の大法を念仏の方便であるとしている。これらはちょうど牛の足跡に大海の水を入れようとするものであり、小さな県の額を大きな州に掲げるようなものである。一般世間で例えれば、下位の者が上位の者を攻め立てたり、目上の人にそむいて下の者と手を組むのと同じで、ともに国土が滅亡する因縁となるものである。仏法についていえば、権教や小乗の経典を本として真実経の法華経を軽視することは、大謗法の因縁であって、まことに恐るべきことである。
[12]嘉祥寺の吉蔵大師は三論宗の元祖で、ある時は仏一代の聖教を五時に分け、またある時は二蔵に分けている。しかし、竜樹菩の著作した百論・中論・十二門論・大智度論等を尊び、般若経を依り所と定められた。そして天台大師を嫌い自分の説にこだわっていたが、天台大師の梵網経ぼんもうきようの註釈書を読んでからは、少しかたよった心がとけて、次第に天台に接近して法門も聴くようになったので、結局は百余人もの弟子たちをすてて、般若経や法華経の講義もすべて中止してしまった。その後は七年間にわたって天台大師に仕えられるに至ったのである。中国の高僧伝によると、その仕え方が、「衆僧を解散させて、わが身を肉橋として仕えた」と記されているほどであった。天台大師が高座に登ろうとすると、すぐにそばへ寄って自分の肩を踏み台の代わりにし、また大師が道を歩くときは、自分の背に負って堀を越えるという仕え方であった。吉蔵大師ほどの人でさえも、謗法を恐れてこのように天台大師に仕えられたのである。
[13]それなのに、真言・三論・法相等の諸宗の人々が、いま末流に至って自分たちのかたよった自説にこだわり、謗法を犯すことは自業自得であるといえる。今の世に浄土宗・禅宗などの各宗は、天台宗によって破折はしゃくされた真言宗や華厳宗などにも及ばない宗派である。
[14]これらの宗はその依り所としている経典が、禅宗の場合は

伽経であり、浄土宗は観経等である。これらの経典は、仏の出世の本意とする経典ではなく、時に応じ場所に応じての方便の小経である。こうした小経で仏一代の聖教を判釈はんじやくするなどということは及びもつかないことである。
[15]しかも、かの経々を依り所として、仏一代の聖教を聖道門や浄土門、あるいは難行・易行、または雑行・正行に分類して、さらに禅宗では「仏の悟りの本旨は経文よりも別に伝える所のものである」などといって、法華経をののしっている。このことは例えてみると、民が王をしいたげ、小河が大海をその中に納めようとするのと同じで、しょせんは無理なことである。このような謗法の人師たちのいうことを信じて、後生を願う人々は無間地獄を脱れることが不可能である。

四 女人の真の成仏


[16]こうした理由から、現代の人々は、ひたすら釈牟尼仏を本尊と定めて、信仰を進めて行けば、自然に仏にたいする不幸の罪ものがれ、さらに法華経を信じていたならば、知らずしらずの内に謗法の罪科からものがれることができるのである。そのうえ、女人は仏教では五障、世間では三従といって嫌われ、仏一代の聖教でも捨てられてしまっている。そうした扱いの中でただ法華経だけが竜女の成仏を始めとして、多数の尼が将来成仏できるといわれている。したがってすべての女人はこの法華経を捨てるようなことになれば、他のいかなる経をたもてばよいというのであろうか。そのような経は他にはありえないことである。
[17]天台大師は中国の人であり、仏の滅後一千五百余年に仏のお使いとして世に出られた方である。大師は法華経の註釈書を三十巻も著作されたが、その中で法華文句という著書の第七巻によると、「法華経以外の諸経典では、ただ男の成仏について記し、女の成仏については記載されていない」とある。しかし男も諸経では仏になれないのだけれども、ここでは一応ゆずってそれを許したとしても、女人にたいしては一向に諸経では成仏が叶えられぬと書かれている。かりに千万もの経々に女人が仏になると許されたとしても、法華経に嫌われたとしたら、何をたのみとしたらよいであろうか。
[18]教主釈尊は、わが一代の諸経の中で、始めから四十余年間にわたって説かれた経々にはいまだ真実をあらわしていないと、くり返し述ベられている。また涅槃経等はまさにこれからあとで説く教えであると嫌い、無量義経を今まさに説く教えであると定められ、すでに説かれた教えと、今説く教えと、さらにこれから説こうとしている教えの中で、最も優れた経は法華経であることが示されている。すなわち、「正直に方便を捨て、ただ無上の道を説く」と述べられ、さらに「世尊の法は久しくしてのちに必ずまさに真実を説く」とも述べられている。これにたいし宝浄世界の多宝仏は大地から湧出ゆじゆつなされて、法華経はまさに真実の教えであると証明され、十方分身の諸仏はみな長く広い舌を梵天につけられた。これは真実であることを証明するためのものである。またさらに十方世界の微塵数の諸仏の舌は、うそをいわないという戒律を守った功徳の力で、八葉の赤い蓮華の上に出生されるに至った。一仏や二仏ではなく、三仏や十仏、さらには百仏千万億仏といった数多くの仏、四百万億那由他の世界に充満しているすべての仏のお舌によって定められた女人成仏の法門である。
[19]謗法の罪を犯さずに法華経を受持する女人は、十方の虚空に充満するくらいに数多くの、物惜しみ・嫉妬・怒りといった十悪や五逆の罪をつくっていても、ちょうど草木に付いた露の玉が、大風にあってみな散っていくように消えてしまうであろう。また冬の間中に凍てついた厚い氷も、真夏の太陽に照らされて、たちまちとけてしまうようなものである。ただどうしても消滅しがたいのは、法華経を誹謗した罪である。たとえば三千大千世界の草木のすべてを薪としても、彼の須弥山は一分たりとも焼けることがないのと同じである。たとえ七つもの日が出て、百千日の間照りつけたとしても、大海の水を乾かし尽くすことはできないのと同様である。
[20]また八万もの聖教を読み、大地微塵の数ほどの塔婆を立て、大小乗の戒律を修行し、十方世界の衆生を一人の子供のごとく愛したとしても、法華経を誹謗した罪は消すことができない。われらが過去・現在・未来の三世の間に、仏に成ることができず、六道の苦しみを受けることは、ひとえに法華経誹謗の罪によるものである。女人と生まれて百悪が身に備わっているのも、この根本は法華経を誹謗した罪に起因するものである。
[21]したがって法華経にあうことのできた女人は、自分の身の皮をはいで紙となし、流れ出る血を墨とし、骨を折って筆とし、血の涙を硯の水として、経文を書き奉っても、きるようなことがあってはならない。ましてや、衣服・金銀・牛馬・田畠等の布施をもって、供養することなどはとうてい数の内に入らないであろう。