三三蔵祈雨事
書下し
三三蔵祈雨事
[1]夫れ木をうへ候には、大風ふき候へども、つよきすけ(扶介)をかひぬればたうれず。本より生て候木なれども、根の弱きはたうれぬ。甲斐無き者なれども、たすくる者強ければたうれず。すこし健の者も独なれば悪しきみちにはたうれぬ。
[2]又、三千大千世界のなかには舎利弗・迦葉尊者をのぞいては、仏よ(世)にいで給はずば、一人もなく三悪道に堕つべかりしが、仏をたのみまいらせし強縁によりて、一切衆生はをほく仏になりしなり。まして阿闍世王・あうくつまら(鴦崛摩羅)なんど申せし悪人どもは、いかにもかなうまじくて必ず阿鼻地獄に堕つべかりしかども、教主釈尊と申す大人にゆきあはせ給いてこそ、仏にはならせ給いしか。
[3]されば仏になるみちは善知識にはすぎず。わが智慧なににかせん。ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば、善知識たいせちなり。
[4]而るに善知識に値う事が第一のかたき事なり。されば仏は善知識に値う事をば一眼のかめの浮木に入り、梵天よりいとを下て大地のはりのめに入るにたとへ給へり。
[5]而るに末代悪世には悪知識は大地微塵よりもをほく、善知識は爪上の土よりもすくなし。補陀落山の観世音菩薩は善財童子の善知識、別円二教ををしへていまだ純円ならず。常啼菩薩は身をう(売)て善知識をもとめしに、曇無竭菩薩にあへり。通別円の三教をならひて、法華経ををしへず。舎利弗は金師が善知識、九十日と申せしかば闡提の人となしたりき。ふるな(富楼那)は一夏の説法に大乗の機を小乗の人となす。大聖すら法華経をゆるされず、証果のらかん(羅漢)機をしらず。
[6]末代悪世の学者等をば此をもつてすひしぬべし。天を地といゐ、東を西といゐ、火を水とをしへ、星は月にすぐれたり、ありづかは須弥山にこへたり、なんど申す人々を信じて候はん人々はならわざらん(不習)悪人にははるかをとりてあしかりぬべし。
[7]日蓮仏法をこころみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず。
[8]而るに去る文永五年の比、東には俘囚をこり、西には蒙古よりせめつかひ(責使)つきぬ。日蓮案じて云く、仏法を信ぜざればなり。定めて調伏をこなわれんずらん。調伏は又真言宗にてぞあらんずらん。月支・漢土・日本三箇国の間に且く月支はをく。漢土・日本の二国は真言宗にやぶらるべし。
[9]善無畏三蔵、漢土に亘りてありし時は、唐の玄宗の時なり。大旱魃ありしに祈雨の法ををほせつけられて候いしに、大雨ふらせて上一人より下万民にいたるまで大に悦びし程に、須臾ありて大風吹き来りて国土をふきやぶりしかば、けを(興)さめてありしなり。
[10]又、其世に金剛智三蔵わたる。又雨の御いのりありしかば、七日が内に大雨下り、上のごとく悦んでありし程に、前代未聞の大風吹きしかば、真言宗はをそろしき悪法なりとて月支へをわ(追)れしが、とかうしてとどまりぬ。
[11]又、同じ御世に不空三蔵雨をいのりし程に、三日が内に大雨下る。悦ぶことさきのごとし。又大風吹きてさき二度よりもをびただし、数十日とどまらず。不可思議の事にてありしなり。
[12]此は日本国の智者愚者一人もしらぬ事なり。しらんとをもわば、日蓮が生てある時くはしくたづねならへ。
[13]日本国には天長元年二月に大旱魃あり。弘法大師は神泉苑にして祈雨あるべきにてありし程に、守敏と申せし人すゝんで云く、弘法は下臈なり我は上臈なり。まづをほせをかほるべしと申す。こう(請)に随いて守敏をこなう。七日と申すには大雨下る。しかれども京中計りにて田舎にふらず。弘法にをほせつけられてありしかば、七日にふらず。二七日にふらず、三七日にふらざりしかば、天子我といのりて雨をふらせ給いき、而るを東寺の門人等我が師の雨とがうす。
[14]くはしくは日記をひいて習うべし。天下第一のわうわく(誑惑)のあるなり。これより外に弘仁九年の春のえきれい、又三古(鈷)なげたる事に不可思議の誑惑あり、口伝すべし。
[15]天台大師は陳の世に大旱魃あり、法華経をよみて須臾に雨下り、王臣かうべをかたぶけ、万民たなごころをあはせたり。しかも大雨にもあらず、風もふかず、甘雨にてありしかば、陳王大師の御前にをはしまして、内裏へかへらんことをわすれ給いき。此時、三度の礼拝ありしなり。
[16]去る弘仁九年の春大旱魃ありき。嵯峨の天王、真綱と申す臣下をもつて冬嗣のとり申されしかば、法華経・金光明経・仁王経をもつて伝教大師祈雨ありき。三日と申せし日、ほそきくも(細雲)、ほそきあめ(微雨)しづしづと下しかば、天子あまりによろこばせ給いて、日本第一のかたこと(難事)たりし大乗の戒壇はゆるされしなり。
[17]伝教大師の御師、護命と申せし聖人は南都第一の僧なり。四十人の御弟子あひぐして仁王経をもつて祈雨ありしが、五日と申せしに雨下りぬ。五日はいみじき事なれども、三日にはをとりて而も雨あらかりしかば、まけにならせ給いぬ。此をもつて弘法の雨をばすひせさせ給うべし。
[18]かく法華経はめでたく、真言はをろかに候に、日本のほろぶべきにや、一向真言にてあるなり。隠岐の法王の事をもつてをもうに、真言をもつて蒙古とえぞ(俘囚)とをでうぶく(調伏)せば、日本国やまけんずらんとすひせしゆへに、此事いのちをすてていゐてみんとをもひしなり。いゐし時はでしら(弟子等)せい(制)せしかども、いまはあひ(合)ぬれば心よかるべきにや。漢土・日本の智者五百余年の間、一人もしらぬ事をかんがへて候なり。
[19]善無畏・金剛智・不空等の祈雨に雨は下りて而も大風のそひ候は、いかにか心へさせ給うべき。外道の法なれども、いうにかひなき道士の法にも雨下る事あり。まして仏法は小乗なりとも、法のごとく行うならば、いかでか雨下らざるべき。いわうや大日経は華厳・般若にこそをよばねども、阿含にはすこしまさりて候ぞかし。いかでかいのらんに雨下らざるべき。されば雨は下りて候へども、大風のそいぬるは大なる僻事のかの法の中にまじわれるなるべし。
[20]弘法大師の三七日に雨下らずして候を、天子の雨を我が雨と申すは、又善無畏等よりも大にまさる失のあるなり。第一の大妄語には弘法大師の自筆に云く、弘仁九年の春、疫れいをいのりてありしかば、夜中に日いでたりと云云。かゝるそらごとをいう人なり。
[21]此事は日蓮が門家第一の秘事なり。本文をとりつめ(取詰)ていうべし。仏法はさてをきぬ。上にかきぬる事天下第一の大事なり。つで(伝)にをほせあるべからず。御心ざしのいたりて候へばをどろかしまいらせ候。
[22]日蓮をばいかんがあるべかるらんとをぼつかなしとをぼしめすべきゆへにかゝる事ども候。むこり(蒙古)国だにもつよくせめ候わば、今生にもひろまる事も候なん。あまりにはげしくあたりし人々は、くゆるへんもやあらんずらん。
[23]外道と申すは仏前八百年よりはじまりて、はじめは二天三仙にてありしが、やうやくわかれて九十五種なり。其中に多くの智者神通のものありしかども、一人も生死をはなれず。又帰依せし人々も善につけ悪につけ皆三悪道に堕ち候しを、仏出世せさせ給いてありしかば、九十五種の外道、十六大国の王臣諸民をかたらひて、或はのり、或はうち、或は弟子或はだんな等無量無辺ころせしかども、仏たゆむ心なし。我此法門を諸人にをどされていゐやむほどならば、一切衆生地獄に堕つべしとつよくなげかせ給いしゆへに退する心なし。この外道と申すは先仏の経々を見てよみそこなひて候しより事をこれり。
[24]今も又かくのごとし。日本の法門多しといへども源は八宗九宗十宗よりをこれり。十宗のなかに華厳等の宗々はさてをきぬ。真言と天台との勝劣に、弘法・慈覚・智証のまどひしによりて、日本国の人々、今生には他国にもせめられ、後生にも悪道に堕つるなり。漢土のほろび、又悪道に堕つる事も、善無畏・金剛智・不空のあやまりよりはじまれり。
[25]又、天台宗の人々も慈覚・智証より後は、かの人々の智慧にせか(塞)れて天台宗のごとくならず。
[26]さればさのみやわあるべき。いわうや日蓮はかれにすぐべきとわが弟子等をぼせども、仏の記文にはたがはず、末法に入つて仏法をはう(謗)じ、無間地獄に堕つべきものは大地微塵よりも多く、正法をへたらん人は爪上の土よりもすくなしと、涅槃経にはとかれ、法華経には設い須弥山をなぐるものはありとも、我末法に法華経を経のごとくにとく者ありがたしと、記しをかせ給へり。大集経・金光明経・仁王経・守護経・はちなひをん(般泥洹)経・最勝王経等に、末法に入つて正法を行ぜん人出来せば、邪法のもの王臣等にうた(訴)へてあらんほどに、彼の王臣等、他人がことばにつひて一人の正法のものを、或はのり、或はせめ、或はながし、或はころさば、梵王帝釈無量の諸天、天神地神等、りんごく(隣国)の賢王の身に入りかわりて、その国をほろぼすべしと記し給へり。今の世は似て候者哉。
[27]抑各々はいかなる宿善にて日蓮をば訪はせ給へるぞ。能々過去を御尋ね有らば、なにと無くとも此度生死は離れさせ給うべし。すりはむどく(須梨槃特)は三箇年に十四字を暗にせざりしかども、仏に成りぬ。提婆は六万蔵を暗にして無間に堕ちぬ。是偏に末代の今の世を表する也。敢て人の上と〔思食すべからず〕。
[28]事繁ければ止め置き候い了んぬ。抑当時の忽々に御志申す計り候はねば、大事の事あらあらをどろかしまひらせ候。ささげ・青大豆給び候ぬ。
[29]<日>六月二十二日日>
[30]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[31]<先>西山殿御返事先>
現代語訳
三三蔵祈雨事
建治元年(一二七五)六月二二日、五四歳、於身延、西山氏宛、和文、定一〇六五—一〇七二頁。
仏道と善知識
[1]木の植えたあとに大風が吹いても、強い支えをしておけば倒れることはない。自然に生い繁った木でも、根が弱いと倒れてしまう。同じように、弱々しい者でも、助ける人が強ければ倒れることはない。健康な者でもただ一人であると悪い道では倒れてしまう。
[2]また、この宇宙世界において、舎利弗尊者と迦葉尊者以外の者は、もし仏が世に出現し教えを説かれなかったら、一人残らず地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちてしまうところであったが、仏を信じた強い良縁によって、人びとの多くは仏になることができたのである。まして、父を殺し釈尊に敵対した阿闍世王や民衆を殺害した鴦崛摩羅のような悪人たちは、どのようなことがあってもかならず無間地獄に堕ちるべき人びとであるが、教主釈尊という偉大な方に出会うことができたおかげで成仏することができたのである。
[3]したがって、仏に成る道は善知識(よい指導者)を得ることがもっとも大切である。自分の浅薄な智恵など何の役に立とうか。ただ、熱いとか冷たいとかを知るていどの智恵があれば、善知識を得ることの大切さくらいは理解されよう。
善知識には会いがたい
[4]ところが、その善知識に会うことが第一に難しい。したがって仏は、善知識に会うことを、一つしか眼のない亀が大海に浮いている栴檀の木を見つけてその木の穴に入ることや、梵天から糸を下げて、大地にある針の穴に通すことに譬えられている。
[5]しかも、末代の悪世(仏の教えに違背する悪逆者の住する世の中)においては、悪知識(人びとを悪道に導く人)は大地を砕いて塵にした数よりも多いが、善知識は爪の上の土よりも少ない。補陀落山(観世音菩薩が住む霊地、光明山)の観世音菩薩は善財童子(善知識を求めて旅をした。華厳経所説)の善知識であるが、別教(菩薩の教え)と円教(円満な教え)の二教を教えて純円の教え(純粋な円教、法華経)については教えなかった。常啼菩薩(求法に身命をかけたゆえに「常に啼く」と名づける。大品般若経所説)は身を売って善知識を求め、曇無竭菩薩に会い、通教(三乗に通じる教え、大乗の初歩)・別教・円教の三教を習ったが、純円の法華経については教えを受けなかった。舎利弗は鍛冶屋の善知識となって九十日間も教えたが、機根を弁えずに、数息観を教えるべきところを不浄観を教えてしまい、鍛冶屋をかえって不信者にしてしまった。富楼那は仏弟子のなかでも説法第一と称讃された人であるが、一夏(雨期の九十日間。雨安居)の間、大乗の教えを受け容れるほどの能力をもった人に小乗の教えを説き、大乗の機根をかえって小乗の人にしてしまった。このように、観世音菩薩や曇無竭菩薩のような大乗の聖人ですら、法華経を説くことが許されていず、舎利弗や富楼那のような小乗の証果(悟り)を得た阿羅漢(修行を完成した聖者)でさえ人びとの機根を知らない。
[6]末代の悪世に生まれた学者らは、このような経説や先例をもって推測すべきである。天を地と教え、東を西と教え、火を水と教え、星は月よりも光り輝いていると教え、蟻塚は須弥山(宇宙の中心にあるとされる大山)よりも高いと教えたりする人びとを信じて、善知識と頼む人たちは、かえって、仏法を習おうとさえしない悪人よりもはるかに劣悪である。
仏法と現証
[7]日蓮が仏の教えを受けとめ体験したところによると、仏法の正邪や勝劣を弁えるには、道理(真理にかなっている)と証文(確かな教えの文)が大切である。さらにまた、道理と証文だけではなく、その上に何よりも現証(現実の出来事による証明)が大切である。
[8]その理由として次のような事例がある。去る文永五年(<暦>一二六八暦>)のころ、日本の東の地方では蝦夷の乱が起こり、海外の西の国である蒙古からは侵略を意図した使いがやって来た。その時、日蓮は次のように考えた、「このような事件が起きるのは日本国の人びとが正しい仏法を信じていないからである。かならず、災難を鎮める祈禱が行われるであろう。その調伏の祈禱はまたしても真言宗が行うにちがいない」と。インド・中国・日本の三箇国のなかで、インドのことはさておいて、中国と日本の両国は、真言宗のために亡ぼされるように思われる。
三三蔵の祈雨
[9]善無畏三蔵が中国に渡ったのは唐の玄宗皇帝の御代である。その時、国に大旱魃が起こり、皇帝から雨を降らせる祈禱を命ぜられ、大雨を降らせて、皇帝から民衆にいたるすべての人びとを大いに喜ばした。ところが、しばらくすると大風が吹き荒れ、国中を破壊してしまったので、最初は喜んでいた人びとも興ざめをしてしまった。
[10]また、同じ頃、金剛智三蔵が中国に渡ってきた。同じように雨を降らす祈禱をしたところ、七日のうちに大雨が降り、人びとは前のように喜んでいたが、そのうち、いまだかつてなかったほどの大風が吹き荒れたので、真言宗は恐ろしい悪法であると言われて、インドへ追い返されかけたが、とかく言いつくろって中国に留まったのである。
[11]また、同じ時代に、不空三蔵が雨を降らす祈禱をしたところ、三日のうちに大雨が降った。人びとの喜びは以前と同じであった。ところがまたしても大風が吹き荒れ、前の二度よりもいっそう激しくて数十日の間とどまることがなかった。これらはいずれも奇怪な出来事であった。
[12]このことについては、日本国の智者も愚者も一人として知っている者はいない。知ろうと思うならば、日蓮が生きている間に詳しく尋ね習いなさい。
弘法大師の祈雨
[13]日本国では、天長元年(<暦>八二四暦>)二月に大旱魃があった。その時、弘法大師(空海)も神泉苑(桓武天皇が創設。天皇遊覧の御苑)で祈雨するはずであったが、南都の僧守敏と言う人が自ら申し出て「弘法は法臈(僧侶としての修学の年月)が浅く身分が低く、自分の方が法臈が長く身分が高い。したがって、まず私に仰せ付け下さい」と申し上げた。申し出が聞きいれられ守敏が祈禱を行った。すると、七日のうちに大雨が降ったが、京都ばかりで田舎の方には降らなかった。その後、天皇は弘法大師に祈雨を命じられたが、雨は七日たっても降らず、二七日(十四日間)たっても降らず、三七日(二十一日間)たっても降らなかったので、ついに天子(天皇)は、自ら祈って雨を降らされた。ところが、東寺の門人(弘法大師の弟子)たちは、自分たちの師が降らせた雨であると主張した。
[14]詳細については当時の記録を探し見ると解るはずである。天下第一の誑惑(いつわり)がある。このほかに、弘仁九年(<暦>八一八暦>)の春、疫病が流行した折に祈禱をしたところ、夜中に太陽が現われたとか、また、中国から帰朝の折、船中から三鈷(三股の形をした金剛杵、密教の法具)を投げたところ、高野山に飛来したとかという、想像もつかない誑惑がある。これらのことについては、直接、言葉で話して伝えなければならない。
天台大師の祈雨
[15]天台大師は、陳の時代に大旱魃があったさい、法華経を読誦してたちまちのうちに雨を降らせた。そのため、国王も臣下も天台大師に頭をさげ、すべての人びとは手を合わせて感謝し尊敬した。ことに、大雨でもなく風も吹かず、慈みの雨であったので、陳王は喜びのあまり天台大師の前におられたままで、宮中へ帰ることさえお忘れになった。この時、国王が天台大師を三度にわたって礼拝されたことは、世に広く知られている。
伝教大師の祈雨
[16]去る弘仁九年(<暦>八一八暦>)の春、大旱魃があった。嵯峨天皇は藤原冬嗣に命じて和気真綱という臣下を使いとして伝教大師のもとに派遣し、祈雨を仰せ下された。伝教大師は法華経・金光明経・仁王経の三経を読誦して雨が降るように祈られた。すると、三日目にこまかな雲がたなびき、小雨がしずしずと降ったので、天皇は大変お喜びになり、日本で第一に困難であった大乗円頓戒壇の建立をお許しになったのである。
[17]伝教大師の師匠である護命という聖人は南都第一の僧である。四十人の御弟子を従えて仁王経を読誦し祈雨されたところ、五日のうちに雨が降った。五日のうちに雨を降らすことは尊いことであるけれども、伝教大師の三日に比べると劣るし、しかも、その時の雨は激しいものであったので、護命は伝教大師に負けられたのである。このことをもって、弘法大師の祈雨の件は推測して下さい。
真言の祈禱と亡国
[18]このように、法華経は勝れ真言は劣っているにもかかわらず、もっぱら真言ばかりを用いているのは、日本国の亡ぶ前兆であろうか。かの承久の乱のおり、後鳥羽上皇が関東の武士に敗れ隠岐島へ流されたのは真言の祈禱にたよられたからで、このことをもってみても、真言の祈禱を用いて蒙古と蝦夷とを調伏しようとするなら、日本国は負けるであろうと推察したので、真言が邪法であることを身命をも捨てて言おうと思ったのである。言い出した時は弟子たちも制止したけれども、今はそのことが的中したので納得しているであろう。真言が亡国の邪法であることは、中国や日本の智者が、五百余年の間、一人も知らなかったことであり、日蓮が始めて考えたことなのである。
真言の僻事
[19]善無畏・金剛智・不空などの祈雨により雨は降ったが、しかも加えて大風が吹き荒れたのはどのようにお考えになるか。仏教以外の教えの例でも、とるに足らない道士(老荘の教えを奉ずる者)の法でさえ雨を降らすことがある。まして仏法においては、たとい小乗であっても教えのとおりに行じるならば、どうして雨の降らないことがあろうか。いわんや、大日経は華厳経や般若経には及ばないにしても小乗の阿含経よりはいくぶんか勝れている。どうして祈りによって雨の降らないことがあろうか。したがって、善無畏・金剛智・不空の祈雨によって雨は降ったけれども、大風が加わったのは、大きな僻事(誤り)が真言の法の中に混じっているからである。
[20]弘法大師の祈雨のおり、三七日間たっても雨が降らなかったので、天子がお降らしになった雨を、自分の降らした雨だと言ったのは、善無畏たちよりももっと大きな罪である。第一の大妄語としては、弘法大師が自ら筆をとられた書に「弘仁九年(<暦>八一八暦>)の春、疫病を除く祈禱をしたところ、夜中に太陽が出た」(般若心経秘鍵)と書かれていることである。弘法大師はこのような妄語を言う人である。
[21]この事は日蓮の門家にとって第一の秘事である。証拠となる文章とその意味をよく究明してから言わねばならない。仏法における道理や証文のことはさておく。以上述べてきた祈雨の現証の問題は天下第一の重大事である。したがって話のついでなどでみだりに人に語ってはならない。貴方の御志(信仰)が厚いので大切なことを申し上げたのである。
日蓮に対する迫害と国難の興起
[22]幕府などが、日蓮の諫言(諫めの言葉、忠告)を、何の事もないと軽視し信じようとしないから、このような災難が起こったのである。蒙古国などが強く攻めて来たならば、日蓮の主張が証明され、かつ、法華経の霊験などが表われて、今の世に法華経が弘まることもあろう。もしそのようなことになれば、いままで激しく日蓮を迫害した人びとのなかには、後悔する者もあるだろう。
外道の悪逆
[23]外道(仏教以外の教え。ここではインドの婆羅門の教えをさす)というのは、仏が世に出現される以前の八百年ごろから始まり、最初は二天三仙(魔醯首羅天・毘紐天、迦毗羅仙・漚楼僧佉仙・勒娑婆仙)であったが、しだいに分派して九十五種になった。その中には多くの智者や神通力を得た者もいたけれど、一人として生死の迷いを離れた者はいない。また、外道に帰衣(心を寄せる。信仰する)した人たちも善きにつけ悪しきにつけすべて三悪道(地獄・餓鬼・畜生)に堕ちてしまった。仏が世に出現された時、九十五種の外道は十六の大国の王や臣下や民衆を煽動して、仏を罵ったり打ったり、あるいは仏の弟子や信者たちを数限りなく殺害したけれども、仏は少しも退転の心を持たれなかった。仏は、自分がこの大事な法門を外道の人びとに迫害されて捨ててしまい説法しないと、すべての人びとは地獄に堕ちてしまうと、大変深く悲しまれたために、退転する心を起こされなかったのである。これらの外道というのは、過去の仏の教えを見ながら、読み誤ったために外道となり、仏教を迫害したのである。
日本の真言
[24]今の日本もまたそれと同じである。日本国に多くの法門があるけれども、その源は倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗・天台宗・真言宗の八宗、あるいは禅宗を加えて九宗、さらに浄土宗を加えて十宗から始まっている。十宗のなかで華厳宗などの諸宗はさておく。真言宗と天台宗との二宗の勝劣について、弘法大師・慈覚大師・智証大師の三人が迷ったために、日本国の人びとは、生きている間には他国に攻められ、死んだ後にも悪道に堕ちることになったのである。中国の国が亡び、人びとが悪道に堕ちたのも、善無畏・金剛智・不空の三人が迷ったことによる。
[25]また、天台宗の人びとも、慈覚大師と智証大師より後は、二人の誤った智恵に迷わされて、かつての天台宗のようではなくなってしまった。
[26]そこで、そのようなことであるから、「慈覚・智証より後に生まれた日蓮はそれ以上に誤っているのではないか」と、日蓮の弟子たちまでが疑問を持つけれども、日蓮の主張は仏の記された経文と少しも違わないのである。「末法時に入ってからは、仏法を謗り、無間地獄に堕ちる者は大地を塵にした数よりも多く、正しい教えを得る者は爪の上の土よりも少ない」と涅槃経には説かれ、法華経には「たとい須弥山をなげるほどの者はあっても、仏の入滅後の末法時に、法華経の仏の教えのとおりに説く者はそれほどいない」と説かれている。大集経・金光明経・仁王経・守護経・般泥洹経・最勝王経などには「末法に入って正しい教えを修行する人が現われると、邪悪の教えを信ずる者が王臣などに訴えるために、その王臣たちは訴えた邪信者の言葉を信じ、一人の正しい教えを信ずる修行者を、罵ったり、責めたり、流罪にしたり、殺したりする。そのような時には、梵王・帝釈天、そのほかの数限りない諸天、天神・地神などは、隣りの国の賢王の身に入り代わり、その国を攻め亡ぼすであろう」と説かれている。今の世の中はこれらの経文の説くところとまったくよく似ているではないか。
信仰の教示と供養の謝辞
[27]そもそも、あなたがたはどのような過去世の善功徳によって、現世に日蓮をお訪ね下さるのであろう。よくよく過去世のことをお考えになれば、善功徳を積んでせっかく法華経の行者にめぐり会ったのであるから、なんとしてでも、このたびは生死の迷いから離れるようにして下さい。仏弟子のなかでももっとも愚鈍と言われた須梨槃特は、三箇年の間にわずかに十四字さえも暗誦することができなかったけれども、仏に成ることができた。提婆達多は六万もの仏法を暗誦することができたけれども、無間地獄に堕ちた。このことは、ひとえに末代の今の世を表わしたものである。けっして他人の事と思ってはなりません。
[28]申し上げたいことは数多くあるけれどもこれで筆を止めておきます。さて、今の世のあわただしいなかにもかかわらず、わざわざ供養を寄せていただき、御志のほど、お礼の申し上げようもありません。大切な法門のことについていろいろと申し上げました。御供養の大角豆や青大豆など、確かに拝受いたしました。
[29]<日>六月二十二日日>
[30]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[31]<先>西山殿御返事先>