三三蔵祈雨事(報大内氏書)
183 三三蔵祈雨事
夫木をうへ候には、大風ふき候へども、つよきすけ(扶介)をかひぬればたうれず。本より生て候木なれども、根の弱きはたうれぬ。甲斐無き者なれども、たすくる者強ければたうれず。すこし健者も独なれば悪きみちにはたうれぬ。
又、三千大千世界のなかには舎利弗・迦葉尊者をのぞいては、仏よ(世)にいで給はずば、一人もなく三悪道に堕べかりしが、仏をたのみまいらせし強縁によりて、一切衆生はをほく仏になりしなり。まして阿闍世王・あうくつまら(鴦堀摩羅)なんど申せし悪人どもは、いかにもかなうまじくて必阿鼻地獄に堕べかりしかども、教主釈尊と申大人にゆきあはせ給てこそ、仏にはならせ給しか。されば仏になるみちは善知識にはすぎず。わが智慧なににかせん。ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば、善知識たいせちなり。
而に善知識に値事が第一のかたき事なり。されば仏は善知識に値事をば一眼のかめの浮木に入、梵天よりいとを下て大地のはりのめに入にたとへ給へり。
而末代悪世には悪知識は大地微塵よりもをほく、善知識は爪上の土よりもすくなし。補陀落山の観世音菩薩は善財童子の善知識、別円二教ををしへていまだ純円ならず。常啼菩薩は身をう(売)て善知識をもとめしに、曇無竭菩薩にあへり。通別円の三教をならひて、法華経ををしへず。舎利弗は金師が善知識、九十日と申せしかば闡提人となしたりき。ふるな(富楼那)は一夏の説法に大乗の機を小乗人となす。大聖すら法華経をゆるされず、証果らかん(羅漢)機をしらず。末代悪世の学者等をば此をもつてすひしぬべし。天を地といゐ、東を西といゐ、火を水とをしへ、星は月にすぐれたり、ありづかは須弥山にこへたり、なんど申人々を信て候はん人々はならわざらん(不習)悪人にははるかをとりてあしかりぬべし。
日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず。
而に去文永五年の比、東には俘囚をこり、西には蒙古よりせめつかひ(責使)つきぬ。日蓮案云、仏法不信なり。定て調伏をこなわれんずらん。調伏は又真言宗にてぞあらんずらん。月支・漢土・日本三箇国の間に且月支はをく。漢土・日本の二国は真言宗にやぶらるべし。
善無畏三蔵、漢土に亘てありし時は、唐の玄宗の時なり。大旱魃ありしに祈雨の法ををほせつけられて候しに、大雨ふらせて上一人より下万民にいたるまで大に悦し程に、須臾ありて大風吹来国土をふきやぶりしかば、けを(興)さめてありしなり。又、其世に金剛智三蔵わたる。又雨の御いのりありしかば、七日が内に大雨下、上のごとく悦でありし程に、前代未聞の大風吹しかば、真言宗はをそろしき悪法なりとて月支へをわ(追)れしが、とかうしてとどまりぬ。又、同御世に不空三蔵雨をいのりし程、三日が内に大雨下。悦さきのごとし。又大風吹てさき二度よりもをびただし、数十日とどまらず。不可思議の事にてありしなり。此は日本国の智者愚者一人もしらぬ事なり。しらんとをもわば、日蓮が生てある時くはしくたづねならへ。
日本国には天長元年二月大旱魃あり。弘法大師は神泉苑にして祈雨あるべきにてありし程に、守敏と申せし人すゝんで云、弘法は下臈なり我は上臈なり。まづをほせをかほるべしと申。こう(請)に随て守敏をこなう。七日と申には大雨下。しかれども京中計にて田舎にふらず。弘法にをほせつけられてありしかば、七日にふらず、二七日にふらず、三七日にふらざりしかば、天子我といのりて雨をふらせ給き。而を東寺の門人等、我が師の雨とがうす。くはしくは日記をひいて習べし。天下第一のわうわく(誑惑)のあるなり。これより外に弘仁九年の春のえきれい、又三古(鈷)なげたる事に不可思議の誑惑あり、口伝すべし。
天台大師は陳の世に大旱魃あり、法華経をよみて須臾に雨下、王臣かうべをかたぶけ、万民たなごころをあはせたり。しかも大雨にもあらず、風もふかず、甘雨にてありしかば、陳王大師の御前にをはしまして、内裏へかへらんことをわすれ給き。此時、三度の礼拝はありしなり。去弘仁九年の春大旱魃ありき。嵯峨の天王、真綱と申臣下をもつて冬嗣のとり申されしかば、法華経・金光明経・仁王経をもつて伝教大師祈雨ありき。三日と申せし日、ほそきくも(細雲)、ほそきあめ(微雨)しづしづと下しかば、天子あまりによろこばせ給て、日本第一のかたこと(難事)たりし大乗戒壇はゆるされしなり。伝教大師の御師、護命と申せし聖人は南都第一の僧なり。四十人の御弟子あひぐして仁王経をもつて祈雨ありしが、五日と申せしに雨下ぬ。五日はいみじき事なれども、三日にはをとりて而雨あらかりしかば、まけにならせ給ぬ。此をもつて弘法の雨をばすひせさせ給べし。
かく法華経はめでたく、真言はをろかに候に、日本のほろぶべきにや、一向真言にてあるなり。隠岐の法王の事をもつてをもうに、真言をもつて蒙古とえぞ(俘囚)とをでうぶく(調伏)せば、日本国やまけんずらんとすひせしゆへに、此事いのちをすてていゐてみんとをもひしなり。いゐし時はでしら(弟子等)せい(制)せしかども、いまはあひ(合)ぬれば心よかるべきにや。漢土・日本の智者五百余年が間、一人もしらぬ事をかんがへて候なり。
善無畏・金剛智・不空等の祈雨に雨は下て而も大風のそひ候は、いかにか心へさせ給べき。外道の法なれども、いうにかひなき道士の法にも雨下事あり。まして仏法は小乗なりとも、法のごとく行ならば、いかでか雨下ざるべき。いわうや大日経は華厳・般若にこそをよばねども、阿含にはすこしまさりて候ぞかし。いかでかいのらんに雨下ざるべき。されば雨は下て候へども、大風のそいぬるは大なる僻事のかの法の中にまじわれるなるべし。
弘法大師の三七日に雨下ずして候を、天子の雨を我が雨と申は、又善無畏等よりも大にまさる失のあるなり。第一の大妄語には弘法大師の自筆に云、弘仁九年の春、疫れいをいのりてありしかば、夜中に日いでたりと[云云]。かゝるそらごとをいう人なり。此事は日蓮が門家第一の秘事なり。本文をとりつめ(取詰)ていうべし。仏法はさてをきぬ。上にかきぬる事天下第一の大事なり。つで(伝)にをほせあるべからず。御心ざしのいたりて候へばをどろかしまいらせ候。
日蓮をばいかんがあるべかるらんとをぼつかなしとをぼしめすべきゆへにかゝる事ども候。むこり(蒙古)国だにもつよくせめ候わば、今生にもひろまる事も候なん。あまりにはげしくあたりし人々は、くゆるへんもやあらんずらん。
外道と申は仏前八百年よりはじまりて、はじめは二天三仙にてありしが、やうやくわかれて九十五種なり。其中に多くの智者神通のものありしかども、一人も生死をはなれず。又帰依せし人々も、善につけ悪につけて皆三悪道に堕候しを、仏出世せさせ給てありしかば、九十五種の外道、十六大国の王臣諸民をかたらひて、或はのり、或はうち、或は弟子或はだんな等無量無辺ころせしかども、仏たゆむ心なし。我此法門を諸人にをどされていゐやむほどならば、一切衆生地獄に堕べしとつよくなげかせ給しゆへに退する心なし。この外道と申は先仏の経々を見てよみそこなひて候しより事をこれり。
今も又かくのごとし。日本の法門多といへとも源は八宗九宗十宗よりをこれり。十宗のなかに華厳等の宗々はさてをきぬ。真言と天台との勝劣に、弘法・慈覚・智証のまどひしによりて、日本国の人々、今生他国にもせめられ、後生にも悪道に堕なり。漢土のほろび、又悪道に堕事も、善無畏・金剛智・不空のあやまりよりはじまれり。
又、天台宗の人々も慈覚智証より後は、かの人々の智慧にせか(塞)れて天台宗のごとくならず。さればさのみやわあるべき。いわうや日蓮はかれにすぐべきとわが弟子等をぼせども、仏の記文にはたがはず、末法に入て仏法をはう(謗)じ、無間地獄に堕べきものは大地微塵よりも多、正法をへたらん人は爪上の土よりもすくなしと、涅槃経にはとかれ、法華経には設須弥山をなぐるものはありとも、我末法に法華経を経のごとくにとく者ありがたしと、記をかせ給り。大集経・金光明経・仁王経・守護経・はちなひをん(般泥洹)経・最勝王経等に、末法に入て正法を行ぜん人出来せば、邪法のもの王臣等にうた(訴)へてあらんほどに、彼王臣等、他人がことばにつひて一人の正法のものを、或はのり、或はせめ、或はながし、或はころさば、梵王帝釈無量の諸天、天神地神等、りんごく(隣国)の賢王の身に入かわりて、その国をほろぼすべしと記し給へり。今の世は似て候者哉。
抑各々はいかなる宿善にて日蓮をば訪はせ給へるぞ。能々過去を御尋有らば、なにと無くとも此度生死は離させ給べし。すりはむどく(須梨槃特)は三箇年に十四字を暗にせざりしかども、仏に成りぬ。提婆は六万蔵を暗にして無間に堕ぬ。是偏に末代の今の世を表する也。敢て人の上と不可思食。事繁ければ止置候了。抑当時の忽々に御志申計候はねば、大事の事あらあらおどろかしまひらせ候。さゝげ・青大豆給候ぬ。 六月廿二日 日蓮 [花押] 西山殿御返事