妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

国府尼御前御書

第二巻 定本番号 20182 建治1(1275) 分類: 真蹟現存(完存orほぼ完存)

祖寿: 54 著作地: 身延 真蹟: 佐渡 妙宣寺 

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    182   国府尼御前御書
阿仏御房の尼ごぜんよりぜに三百文。同心なれば此文を二人して人によませてきこしめせ。
単衣一領、佐渡国より甲斐国波木井郷の内の深山まで送給候了。
法華経第四法師品云、有人求仏道 而於一劫中 合掌在我前 以無数偈讃 由是讃仏故 得無量功徳 歎美持経者 其福復過彼等[云云]。文の心は、釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間ねんごろに供養し奉よりも、末代悪世の世に法華経の行者を供養せん功徳はすぐれたりととかれて候。まことしからぬ事にては候へども、仏の金言にて候へば疑べきにあらず。其上妙楽大師と申人、此の経文を重てやわらげて云、若毀謗者 頭破七分 若供養者 福過十号等[云云]。釈の心は、末代の法華経の行者を供養するは十号具足しまします如来を供養したてまつるにも其功徳すぎたり。又濁世に法華経の行者のあらんを留難をなさん人々は頭七分にわるべしと[云云]。
夫日蓮は日本第一のゑせ(僻)者なり。其故は天神七代はさてをきぬ、地神五代又はかりがたし。人王始て神武より当今まで九十代、欽明より七百余年が間、世間につけ仏法によせても日蓮ほどあまねく人にあだまれたる者候はず。守屋が寺塔をやきし、清盛入道が東大寺・興福寺を失し、彼等が一類は彼がにくまず。将門貞たうが朝敵となりし、伝教大師の七寺にあだまれし、彼等もいまだ日本一州の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆にはにくまれず。日蓮は父母・兄弟・師匠・同法(朋)・上一人・下万民一人ももれず、父母のかたきのごとく、謀反強盗にもすぐれて、人ごとにあだをなすなり。
されば或時は数百人にのられ、或時は数千人にとりこめられて刀杖の大難にあう。所ををわれ国を出さる。結句は国主より御勘気二度、一度は伊豆国、今度は佐渡の嶋なり。されば身命をつぐべきかつて(糧)もなし。形体を隠べき藤の衣ももたず。北海の嶋にはなたれしかば、彼国の道俗は相州の男女よりもあだをなしき。野中にすてられて、雪にはだへをまじえ、くさをつみ(摘)て命をさゝえたりき。彼の蘇夫胡国に十九年、雪を食て世をわたりし、李呂(陵)が北海六ヶ年、がんくつにせめられし、我は身にてしられぬ。これはひとえに、我が身には失なし。日本国をたすけんとをもひしゆへなり。
しかるに尼ごぜん並に入道殿は彼の国に有時は人めををそれて夜中に食ををくり、或時は国のせめをもはばからず、身にもかわらんとせし人々なり。さればつらかりし国なれども、そりたるかみ(髪)をうしろへひかれ、すゝむあし(足)もかへりしぞかし。いかなる過去のえん(縁)にてやありけんと、をぼつかなかりしに、又いつしかこれまでさしも大事なるわが夫を御つかい(使)にてつかわされて候。ゆめか、まぼろしか、尼ごせんの御すがたをばみまいらせ候はねども、心をばこれにとこそをぼへ候へ。日蓮こい(恋)しくをはせば、常に出る日、ゆうべにいづる月ををがませ給。いつとなく日月にかげをうかぶる身なり。又後生には霊山浄土にまいりあひまいらせん。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。   六月十六日   日蓮  [花押]   さどの国のこうの尼御前