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曾谷入道殿御書

全集 第3巻 2段 定本: #154(定本の該当ページへ)

書下し

谷入道殿御書そやにゆうどうどのごしよ


[1]自界じかいほんぎやくなん他方侵たほうしんぴつの難すでにあひ候ひおわんぬ。これをもつてをもうに、「多く他方の怨賊おんぞく有つて国内を侵掠しんりようし人民もろもろの苦悩を受く、土地に所楽しよらくところ有ること無からん」と申す経文合ひぬと覚へ候。当時壱岐いき対馬つしまの土民の如くになり候はんずる也。是れひとへに仏法の邪見じやけんなるによる。
[2]仏法の邪見と申すは真言宗と法華宗との違目いもく也。禅宗と念仏宗とを責め候しは此の事を申しあらわさんりよう也。
[3]漢土かんどには善無畏ぜんむい金剛智こんごうち不空三蔵ふくうさんぞう誑惑おうわくの心、天台法華宗を真言の大日経に盗み入れて、かえつて法華経の肝心かんじんと天台大師の徳とを隠せし故に漢土滅する也。日本国は慈覚大師が大日経だいにちきよう金剛頂経こんごうちようきよう蘇悉地経そしつちきよう鎮護国家ちんごこつかの三部と取つて、伝教大師の鎮護国家を破せしより、叡山えいざん悪義あくぎ出来してつい王法おうぼう尽きにき。此の悪義、鎌倉に下つて又日本国を〔亡ぼすべし〕。
[4]弘法大師の邪義は中中顕然なかなかけんねんなれば、人もたぼらかされぬ者もあり。慈覚大師の法華経・大日経の理同事勝*りどうじしようの釈は智人ちにん既に許しぬ。愚者争ぐしやいかでか信ぜざるべき。慈覚大師は法華経と大日経との勝劣を祈請きせいせしに、〔をもつて日をる〕と見しは此の事なるべし。是れは慈覚大師の心中に修羅しゆらの入つて法華経の大日輪を射るにあらずや。
[5]此の法門は当世とうせ叡山其の外日本国の人〔用ふべき〕哉。し此の事実事ならば日蓮豈須弥山あにしゆみせんなぐる者にあらずや。我が弟子は〔用ゆべき〕哉如何いかん。最後なれば申す也。うらみ給ふべからず。恐恐謹言きようきようきんげん
[6]<日>十一月二十日
[7]<人>日 蓮 <花押>花押
[8]<先>谷入道殿
現代語訳

谷入道殿御書


文永一一年(一二七四)一一月二〇日、五三歳、於身延、谷入道宛、和文、定八三八—八三九頁。

国難の的中と原因


[1]自界逆の難(国内に反乱が起こる難)と他方侵の難(他国から侵略される難)の二つの難は、すでに文応ぶんのう元年(<暦>一二六〇)に立正安国論に予言したとおり現実のものとなった。このことから推察するに、「多くの他国の怨賊が攻めてきて国内を侵略し、人民はいろいろな苦しみを受け、いずれの土地も安楽な所はない」(金光明経)と説く経文と合致している。やがて日本国は今の壱岐・対馬の人びとのように苦しむことになるであろう。これはひとえに仏法を誤って信仰していることによる。

亡国の真言宗


[2]仏法の誤った信仰というのは、真言宗と法華宗との勝劣についての誤った見解をいう。禅宗と念仏宗とを責めたのはこのことを言い顕わすためである。
[3]中国では、善無畏・金剛智・不空三蔵の迷いの心から天台法華宗の教理を真言の大日経に盗み入れ、法華経の肝心の法門と天台大師の徳とを隠してしまったので、中国は滅亡したのである。日本国は、慈覚大師が大日経・金剛頂経・蘇悉地経を鎮護国家の三部経と定めて、伝教大師が法華経ほけきよう金光明経こんこうみようきよう仁王経にんのうぎようを鎮護国家の三部経としていたのを破ってしまってから、比叡山に真言の悪義が起こり、ついに王法(国王による治世ちせの法)が亡びたのである。この悪義はさらに鎌倉にまで弘まり、やがて日本国を亡ぼすであろう。

弘法大師と慈覚大師の邪義


[4]弘法大師の邪義はたいへん明瞭であるので、人によりまどわされない者もいる。慈覚大師の法華経と大日経とを比較した理同事勝(理においては同じであるが事においては大日経が勝れる)の解釈は智者でさえすでに容認している。智恵のない者がどうして信じないでいようか。慈覚大師が法華経と大日経との勝劣を定めるために祈請きしようした時、をもって日輪(太陽)を射た、との夢を見たのはこの事(大日経が法華経より勝れる、とは仏の本意にかなったものである、と信じる)である。これは慈覚大師の心の中に阿修羅が入って法華経の大日輪を射たものではないか。
[5]この法門を今の世の比叡山の僧徒やそのほかの日本国の人たちが用いるであろうか。もし日蓮の言うことが真実であるなら、日蓮は須弥山を投げるほどの者ではないか。日蓮の弟子はこのことを信じるか。最後であるから言う。日蓮の言うことを信じないで法門を誤り、国難に苦しむことがあっても日蓮を恨んではなりません。恐々謹言。
[6]<日>十一月二十日
[7]<人>日 蓮 <花押>花押
[8]<先>谷入道殿