妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

曽谷入道殿御書

第一巻 定本番号 154 文永11(1274) 分類: 真蹟断片現存

祖寿: 53 著作地: 身延 真蹟: 京都 本国寺断片 

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    154   曽谷入道殿御書
自界叛逆難・他方侵逼難すでにあひ候了。これをもつてをもうに、多有他方怨賊侵掠国内人民受諸苦悩 土地無有所楽之処と申す経文合ぬと覚候。当時壱岐・対馬の土民の如くに成候はんずる也。是偏に仏法の邪見なるによる。
仏法の邪見と申は真言宗と法華宗との違目也。禅宗と念仏宗とを責候しは此事を申顕さん料也。漢土には善無畏・金剛智・不空三蔵の誑惑の心、天台法華宗を真言大日経に盜み入て、還て法華経の肝心と天台大師の徳とを隠せし故に漢土滅する也。日本国は慈覚大師大日経・金剛頂経・蘇悉地経を鎮護国家の三部と取て、伝教大師の鎮護国家を破せしより、叡山に悪義出来して終に王法尽にき。此悪義鎌倉に下て又日本国を可亡。
弘法大師の邪義は中中顕然なれば、人もたぼらかされぬ者もあり。慈覚大師の法華経・大日経等の理同事勝の釈は智人既に許しぬ。愚者争か信ぜざるべき。慈覚大師は法華経と大日経との勝劣を祈請せしに、以箭射日見しは此事なるべし。是は慈覚大師の心中に修羅の入て法華経の大日輪を射るにあらずや。此法門は当世叡山其外日本国の人可用哉。若此事実事ならば日蓮豈須弥山を投る者にあらずや。我弟子は可用哉如何。最後なれば申也。恨給べからず。恐々謹言。  十一月二十日   日蓮[花押]   曽谷入道殿