上野殿御返事(与南條氏書)
153 上野殿御返事
聖人二管、柑子一篭、菎若十枚、薯蕷一篭、牛房一束、種々物送給候。得勝・無勝の二童子は仏に沙の餅を供養したてまつりて、閻浮提三分一の主となる。所謂阿育大王これなり。儒童菩薩は錠光仏に五茎の蓮華を供養したてまつりて仏となる。今の教主釈尊これなり。
法華経の第四云、有人求仏道而於一劫中合掌在我前以無数偈讃。由彼讃仏故得無量功徳。歎美持経者其福復過彼等[云云]。文の心は、仏を一劫が間供養したてまつるより、末代悪世の中に人のあながちににくむ法華経の行者を供養する功徳はすぐれたりととかせ給。たれの人のかゝるひが(僻)事をばおほせらるるぞ、と疑おもひ候へば、教主釈尊の我とおほせられて候也。疑はんとも、信ぜんとも、御心にまかせまいらする。仏の御舌は或は面に覆ひ、或は三千大千世界に覆ひ、或は色究竟天までも付給。過去遠遠劫よりこのかた、一言も妄語のましまさざるゆへ也。されば或経云、須弥山はくづるとも、大地をばうちかへすとも、仏には妄語なしととかれたり。日は西よりいづとも、大海の潮はみちひずとも、仏の御言はあやまりなしとかや。其上、此法華経は他経にもすぐれさせ給へば、多宝仏も証明し、諸仏も舌を梵天につけ給。一字一点も妄語は候まじきにや。
其上、殿はをさな(幼少)くをはしき。故親父は武士なりしかども、あながちに法華経を尊給しかば、臨終正念なりけるよしうけ給き。其親の跡をつがせ給て、又此経を御信用あれば、故聖霊いかに草のかげにても喜びおぼすらん。あわれいき(活)てをはさば、いかにうれしかるべき。此経を持人々は他人なれども同霊山へまいりあはせ給也。いかにいはんや故聖霊も殿も同法華経を信させ給へば、同ところに生させ給べし。いかなれば他人は五六十までも、親と同しらがなる人もあり。我わかき身に、親にはやくをくれ(後)て、教訓をもうけ給はらざるらんと、御心のうちをしはかるこそなみだもとまり候はね。
抑日蓮は日本国をたすけんとふかくおもへども、日本国の上下万人一同に、国のほろぶべきゆへにや、用られざる上、度々あだをなさるれば、力をよばず山林にまじはり候ぬ。大蒙古国よりよせて候と申せば、申せし事を御用あらばいかになんどあはれなり。皆人の当時のゆき(壱岐)つしま(対馬)のようにならせ給はん事、おもひやり候へばなみだもとまらず。念仏宗と申は亡国の悪法也。このいくさには、大体人々の自害をし候はんずる也。善導と申愚癡の法師がひろめはじめて自害をして候ゆへに、念仏をよくよく申せば自害心出来し候ぞ。禅宗と申当時の持斉法師等は天魔の所為也。教外別伝と申て、神も仏もなしなんど申ものくるはしき悪法也。
真言宗と申宗は本は下劣経にて候しを、誑惑して法華経にも勝なんど申て、多の人々大師・僧正なんどになりて、日本国に大体充満して上一人より頭をかたぶけたり。これが第一の邪事に候を、昔より今にいたるまで知人なし。但伝教大師と申せし人こそしりて候しかども、くはしくもおほせられず。さては日蓮ほゞこの事をしれり。後白河の法皇の太政の入道にせめられ給し、隠岐法王のかまくらにまけさせ給し事、みな真言悪法のゆへなり。漢土にこの法わたりて玄宗皇帝ほろびさせ給。この悪法かまくらに下て、当時かまくらにはやる僧正・法印等は是也。これらの人々このいくさを調伏せば、百日たゝかふべきは十日につづ(縮)まり、十日のいくさは一日にせめらるべし。今始て申にあらず、二十余年が間音もをしまずよばはり候ぬるなり。あなかしこあなかしこ。この御文は大事の事どもかきて候。よくよく人によませてきこしめせ。人もそしり候へ。ものともおもはぬ法師等なり。恐恐謹言。 十一月十一日 日蓮[花押] 南條七郎次郎殿御返事