曾谷入道殿許御書
書下し
曾谷入道殿許御書
[1]それおもんみれば重病を療治するには良薬を構索し、逆謗を救助するには要法にはしかず。
[2]いわゆる時を論ずれば正像末。教を論ずれば小大・偏円・権実・顕密。国を論ずれば中辺の両国。機を論ずれば已逆と未逆と、已謗と未謗と。師を論ずれば凡師と聖師と、二乗と菩薩と、他方と此土と、迹化と本化となり。ゆえに四依の菩薩等滅後に出現し、仏の付属に随つて妄りには経法を演説したまわず。
[3]しよせん無智の者いまだ大法を謗ぜざるにはたちまちに大法を与えず。悪人たる上すでに実大を謗ずる者にはしいてこれを説くべし。
[4]法華経第二の巻に仏舎利弗に対して云く「無智の人の中にしてこの経を説くことなかれ」。また第四の巻に薬王菩薩等の八万の大士に告げたまわく「この経はこれ諸仏秘要の蔵なり。分布して妄りに人に授与すべからず」等云云。文の心は無智の者のしかもいまだ正法を謗らざるには、左右なくこの経を説くことなかれ。
[5]法華経第七の巻不軽品に云く「乃至遠く四衆を見てもまたことさらに往いて」等云云。又云く「四衆の中に瞋恚を生じ心不浄なる者有り。悪口罵詈して言く、この無智の比丘いずれの所より来りて」等云云。又云く「あるいは杖木瓦石をもつてこれを打擲す」等云云。第二第四の巻の経文と第七の巻の経文と天地水火せり。
[6]問うて曰く一経二説いずれの義についてこの経を弘通すべき。答えて云く私に会通すべからず。霊山の聴衆たる天台大師ならびに妙楽大師等処々に多くの釈有り。まず一両の文を出さん。
[7]文句の十に云く「問うて曰く釈迦は出世して踟躕して説かず。今はこれいずれの意ぞ。造次にして説くは何ぞや。答えて曰く本已に善有るには釈迦小をもつてこれを将護し、もといまだ善有らざるには不軽大をもつてこれを強毒す」等云云。
[8]釈の心は寂滅・鹿野・大宝・白鷺等の前四味の小大・権実の諸経・四教八教の所被の機縁、彼等の過去を尋ね見れば久遠大通の時において純円の種を下せしかども諸衆一乗経を謗ぜしかば三五の塵点を経歴す。しかりといえども下せしところの下種純熟のゆえに時至つて自ら繋珠を顕す。ただ四十余年の間過去すでに結縁の者もなお謗の義有るべきのゆえに、しばらく権小の諸経を演説して根機を練らしむ。
[9]問うて曰く華厳の時別円の大菩薩乃至観経等の諸の凡夫の得道はいかん。答えて曰く彼等の衆は時をもつてこれを論ずればその経の得道に似たれども、実をもつてこれを勘うるに三五下種の輩なり。
[10]問うて曰くその証拠いかん。答えて曰く法華経第五の巻涌出品に云く「この諸の衆生は世々よりこのかた我が化を成就せり。乃至この諸の衆生は始め我が身を見我が所説を聞いてすなわち皆信受して如来の慧に入りにき」等云云。天台釈して云く「衆生久遠」等云云。妙楽大師の云く「脱は現にありといえどもつぶさに本種を騰ぐ」。また云く「ゆえに知んぬ。今日の逗会は昔成就するの機に赴く」等云云。経釈顕然の上は私の料簡を待たず。例せば王女と下女と天子の種子を下さざれば国主とならざるがごとし。
[11]問うて曰く大日経等の得道の者はいかん。答えて曰く種々の異義有りといえども繁きがゆえにこれを載せず。ただし所詮彼れ彼れの経々に種熟脱を説かざれば還つて灰断に同じ。化に始終無きの経なり。しかるに真言師等の所談の即身成仏は譬えば窮人の妄りに帝王と号して自ら誅滅を取るがごとし。王漭・趙高の輩外に求むべからず。今の真言家なり。
[12]此等によつて論ぜば仏の滅後において三時有り。正像二千余年にはなお下種の者有り。例せば在世四十余年のごとし。機根を知らずんば左右無く実経を与うべからず。今はすでに末法に入つて在世の結縁の者は漸々に衰微して権実の二機皆ことごとく尽きぬ。かの不軽菩薩末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時なり。
[13]しかるに今時の学者時機に迷惑して、あるいは小乗を弘通しあるいは権大乗を授与しあるいは一乗を演説すれども、題目の五字をもつて下種となすべきの由来を知らざるか。
[14]ことに真言宗の学者迷惑を懐いて三部経に依憑し単に会二破二の義を宣べてなお三一相対を説かず。即身頓悟の道跡を削り草木成仏は名をも聞かざるのみ。
[15]しかるに善無畏・金剛智・不空等の僧侶月氏より漢土に来臨せしの時、本国においていまだ存ぜざる天台の大法盛にこの国に流布せしむるの間、自愛所持の経弘め難きに依り、一行阿闍梨を語い得て天台の智慧を盗み取り、大日経等に摂入して天竺より有るの由これを偽わる。しかるに震旦一国の王臣等ならびに日本国の弘法・慈覚の両大師これを弁えずして信を加う。已下の諸学は言うに足らず。ただ漢土・日本の中に伝教大師一人これを推したまえり。しかれどもいまだ分明ならず。
[16]しよせん善無畏三蔵閻魔王の責を蒙りてこの過罪を悔い、不空三蔵の還つて天竺に渡つて真言を捨てて漢土に来臨し天台の戒壇を建立して両界の中央の本尊に法華経を置きし等これなり。
[17]問うて曰く今時の真言宗の学者等なんぞこの義を存ぜざるや。答えて曰く眉は近けれども見えず。自の禍を知らずとはこの謂か。
[18]嘉祥大師は三論宗を捨てて天台の弟子となる。今の末学等これを知らず。法蔵・澄観華厳宗を置いて智者に帰す。かの宗の学者これを存ぜず。玄奘三蔵・慈恩大師は五性の邪義を廃して一乗の法に移る。法相の学者堅くこれを諍う。
[19]問うて曰くその証いかん。答えて曰く、あるいは心を移して身を移さず、あるいは身を移して心を移さず、あるいは身心共に移し、あるいは身心共に移さず。その証文は別紙にこれを出すべし。この消息の詮にあらざればこれを出さず。
[20]仏の滅後に三時有り。いわゆる正法一千年の前の五百年には迦葉・阿難・商那和修・末田地・脇比丘等一向に小乗の薬をもつて衆生の軽病を対治す。四阿含経・十誦・八十誦等の諸律と相続解脱経等の三蔵とを弘通し後には律宗・倶舎宗・成実宗と号するこれなり。
[21]後の五百年には馬鳴菩薩・竜樹菩薩・提婆菩薩・無著菩薩・天親菩薩等の諸の大論師初には諸の小聖の弘めし所の小乗経これを通達し、後には一々にかの義を破失し了つて諸の大乗経を弘通す。これまた中薬をもつて衆生の中病を対治す。いわゆる華厳経・般若経・大日経・深密経等。三論宗・法相宗・真言陀羅尼・禅法等なり。
[22]問うて曰く迦葉・阿難等の諸の小聖なんぞ大乗経を弘めざるや。答えて曰く一には自身堪えざるがゆえに。二には所被の機無きがゆえに。三には仏より譲り与えられざるがゆえに。四には時来らざるがゆえなり。
[23]問うて曰く竜樹・天親等なんぞ一乗経を弘めざるや。答えて曰く四つの義有り。先のごとし。
[24]問うて曰く諸の真言師の云く「仏の滅後八百年に相当つて竜猛菩薩月氏に出現して釈尊の顕教たる華厳・法華等を馬鳴菩薩等に相伝し、大日密教をば自ら南天の鉄塔を開拓し面り大日如来と金剛薩埵とに対してこれを口決す。竜猛菩薩に二人の弟子有り。提婆菩薩には釈迦の顕教を伝え竜智菩薩には大日の密教を授く。竜智菩薩は阿羅苑に隠居して人に伝えず。その間に提婆菩薩の伝うる所の顕教はまず漢土に渡る。その後数年を経歴して竜智菩薩の伝うる所の秘密の教をば善無畏・金剛智・不空、漢土に渡す」等云云。この義いかん。
[25]答えて曰く一切の真言師かくのごとし。また天台・華厳等の諸家も一同にこれを信ず。そもそも竜猛已前には月氏国の中には大日の三部経無しと云うか。釈迦よりの外に大日如来世に出現して三部の経を説くと云うか。顕を提婆に伝え密を竜智に授くる証文いずれの経論に出でたるぞ。この大妄語は提婆の欺誑罪にも過ぎ瞿伽利の誑言にも超ゆ。漢土日本の王位の尽き両朝の僧侶の謗法となるの由来もつぱらここに在らざるや。しかればすなわちかの震旦すでに北蕃のために破られ、この日域もまた西戎のために侵されんと欲す。此等はしばらくこれを置く。
[26]像法に入つて一千年月氏の仏法漢土に渡来するの間、前四百年には南北の諸師異義蘭菊にして東西の仏法いまだ定まらず。四百年の後五百年の前その中間一百年の間に、南岳・天台等漢土に出現して粗法華の実義を弘宣したもう。されど円慧円定においては国師たりといえども円頓の戒場いまだこれを建立せず。ゆえに国を挙げて戒師と仰がず。六百年の已後法相宗西天より来れり。太宗皇帝これを用ゆるゆえに天台法華宗に帰依するの人漸く薄し。ここについて隙を得則天皇后の御宇に先に破られし華厳また起つて天台宗に勝れたるの由これを称す。
[27]太宗より第八代玄宗皇帝の御宇に真言始めて月氏より来れり。いわゆる開元四年には善無畏三蔵の大日経蘇悉地経。開元八年には金剛智・不空両三蔵の金剛頂経。かくのごとく三経を天竺より漢土に持ち来り、天台の釈を見聞して智発して釈を作つて大日経と法華経とを一経となし、その上印真言を加えて密教と号しこれに勝るの由をいい、結句権経をもつて実経を下す。漢土の学者この事を知らず。
[28]像法の末八百年に相当つて伝教大師和国に託生して華厳宗等の六宗の邪義を糾明するのみにあらず。しかのみならず南岳天台もいまだ弘めたまわざる円頓の戒壇を叡山に建立す。日本一州の学者一人も残らず大師の門弟となる。
[29]ただ天台と真言との勝劣においては誑惑と知つてしかも分明ならず。しよせん末法に贈りたもうか。此等は傍論たるのゆえにしばらくこれを置く。
[30]吾が師伝教大師三国にいまだ弘まらざるの円頓の大戒壇を叡山に建立したもう。これ偏に上薬をもちいて衆生の重病を治せんとするこれなり。
[31]今末法に入つて二百二十余年、五濁強盛にして三災頻りに起り、衆と見との二濁国中に充満し、逆と謗との二輩四海に散在す。専ら一闡提の輩を仰いで棟梁と恃怙み、謗法の者を尊重して国師となす。孔丘の孝経これを提げて父母の頭を打ち、釈尊の法華経を口に誦しながら教主に違背す。不孝国はこの国なり。勝母の閭他境に求めじ。ゆえに青天眼を瞋らしてこの国を睨み、黄地は憤りを含んで大地を震う。
[32]去る正嘉元年の大地動・文永元年の大彗星、此等の災夭は仏滅後二千二百二十余年の間、月氏・漢土・日本の内にいまだ出現せざる所の大難なり。かの弗舎密多羅王の五天の寺塔を焼失し、漢土の会昌天子の九国の僧尼を還俗せしめしに超過すること百千倍なり。大謗法の輩国中に充満し一天に弥るに依つて起る所の夭災なり。大般涅槃経に云く「末法に入つて不孝謗法の者大地微塵のごとし」〈取意〉。法滅尽経に「法滅尽の時は狗犬の僧尼恒河沙の如し」等云云〈取意〉。今親りこの国を見聞するに人ごとにこの二悪有り。此等の大悪の輩はいかなる秘術をもつてこれを扶救せん。
[33]大覚世尊仏眼をもつて末法を鑒知し、この逆謗の二罪を対治せしめんがために一大秘法を留め置きたもう。
[34]いわゆる法華経本門久成の釈尊・宝浄世界の多宝仏、高さ五百由旬広さ二百五十由旬の大宝塔の中において二仏座を並べしことあたかも日月のごとく、十方分身の諸仏は高さ五百由旬の宝樹の下に五由旬の師子の座を並べ敷き衆星のごとく列坐したまい、四百万億那由佗の大地に三仏二会に充満したもうの儀式は、華厳寂場の華蔵世界にも勝れ真言両界の千二百余尊にも超えたり。一切世間の眼なり。この大会において六難九易を挙げて法華経を流通せんと諸の大菩薩を諫暁せしむ。
[35]金色世界の文殊師利・兜史多宮の弥勒菩薩・宝浄世界の智積菩薩・補陀落山の観世音菩薩等・頭陀第一の大迦葉・智慧第一の舎利弗等・三千世界を統領する無量の梵天・須弥山頂に居住する無辺の帝釈・一四天下を照耀せる阿僧祇の日月・十方の仏法を護持せる恒沙の四天王・大地微塵の諸の竜王等、我にも我にもこの経を付属せられよと競い望みしかども、世尊すべてこれを許したまわず。
[36]その時に下方の大地より未見・今見の四大菩薩を召し出したもう。いわゆる上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩なり。この大菩薩各々六万恒河沙の眷属を具足す。形貌威儀言を以て宣べ難く心を以て量るべからず。初成道の法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵等の四菩薩、各々十恒河沙の眷属を具足し仏会を荘厳せしも、大集経の欲色二界の中間の大宝坊において来臨せし十方の諸大菩薩も乃至大日経の八葉の中の四大菩薩も、金剛頂経の三十七尊の中の十六大菩薩等も、この四大菩薩に比挍すればなお帝釈と猿猴と華山と妙高とのごとし。
[37]弥勒菩薩衆の疑を挙げて云く「乃一人をも識らず」等云云。天台大師云く「寂場より已降今座より已往十方の大士来会絶えず。限るべからずといえども我れ補処の智力をもつてことごとく見ことごとく知る。しかもこの衆においては一人をも識らず」等云云。妙楽云く「今見るに皆識らざるゆえんは乃至智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云。天台又云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り、華の盛なるを見て池の深きを知る」云云。
[38]例せば漢王の四将の張良・樊噲・陳平・周勃の四人を商山の四皓、綺里枳・角里先生・園公・夏黄公等の四賢に比するがごとし。天地雲泥なり。四皓がていたらく頭には白雪を頂き額には四海の波を畳み眉には半月を移し腰には多羅枝を張り、恵帝の左右に侍して世を治められたる事堯舜の古を移し、一天安穏なりし事神農の昔に異ならず。
[39]この四大菩薩もまたかくのごとし。法華の会に出現し三仏を荘厳す。謗人の慢幢を倒すこと大風の小樹の枝を吹くがごとく、衆会の敬心を致すこと諸天の帝釈に従うがごとし。提婆の仏を打ちしも舌を出して掌を合せ、瞿伽梨の無実を構えしも地に臥して失を悔ゆ。文殊等の大聖は身を慚じて言を出さず。舎利弗等の小聖は智を失い頭を低る。
[40]その時に大覚世尊寿量品を演説し、しかして後に十神力を示現して四大菩薩に付属したもう。その所属の法は何物ぞや。法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てゝ要を取る。いわゆる妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄なり。例せば九苞淵の相馬の法には玄黄を略して駿逸を取り、史陶林が講経の法には細科を捨て元意を取るがごとし等。
[41]この四大菩薩は釈尊成道の始に寂滅道場の砌にも来らず。如来入滅の終りに抜提河の辺にも至らず。しかのみならず霊山八年の間に進んでは迹門序正の儀式に文殊・弥勒等の発起影向の諸聖衆にも列ならず。退いては本門流通の座席に観音・妙音等の発誓弘経の大士にも交わらず。ただこの一大秘法を持して本処に隠居するの後、仏の滅後正像二千年の間においていまだ一度も出現せず。しよせん仏専ら末世の時に限つて此等の大士に付属せしゆえなり。
[42]法華経の分別功徳品に云く「悪世末法の時よくこの経を持つ者」云云。涅槃経に云く「譬えば七子の父母平等ならざるにあらず。しかも病者において心すなわち偏に重きがごとし」云云。法華経の薬王品に云く「この経はすなわちこれ閻浮提の人の病の良薬なり」云云。七子の中に上の六子はしばらくこれを置く。第七の病子は一闡提の人・五逆謗法の者・末代悪世の日本国の一切衆生なり。
[43]正法一千年の前五百年には一切の声聞涅槃し了んぬ。後の五百年には他方来の菩薩大体本土に還り向い了んぬ。像法に入つての一千年には文殊・観音・薬王・弥勒等、南岳・天台と誕生し補大士・行基・伝教等と示現して衆生を利益す。
[44]今末法に入つて此等の諸大士も皆本処に隠居しぬ。その外閻浮守護の天神地祇もあるいは他方に去り、あるいはこの土に住すれども悪国を守護せず。あるいは法味を嘗めざれば守護の力無し。例せば法身の大士にあらざれば三悪道に入られざるがごとし。大苦忍びがたきがゆえなり。
[45]しかるに地涌千界の大菩薩一には娑婆世界に住すること多塵劫なり。二には釈尊に随つて久遠よりこのかた初発心の弟子なり。三には娑婆世界の衆生の最初下種の菩薩なり。かくのごときらの宿縁の方便諸大菩薩に超過せり。
[46]問うて曰くその証拠いかん。法華第五涌出品に云く「その時に他方の国土より諸の来れる菩薩摩訶薩の八恒河沙の数に過ぎたる、乃至、その時に仏諸の菩薩摩訶薩衆に告げたまわく、止みね善男子。汝等がこの経を護持せんことを須いじ」等云。天台云く「他方は此土結縁の事浅し。宣授せんとほつすといえども必ず巨益無し」云云。妙楽云く「なおひとえに他方の菩薩に付せず。あに独り身子のみならんや」云云。又天台云く「告八万大士とは、乃至、今の下の文に下方を召すがごとくなお本眷属を待つ。験し。余はいまだ堪えざることを」云云。
[47]経釈の心は迦葉・舎利弗等の一切の声聞、文殊・薬王・観音・弥勒等の迹化他方の諸大士、末世の弘経に堪えずと云うなり。
[48]経に云く「我が娑婆世界に自ら六万恒河沙等の菩薩摩訶薩有り。一一の菩薩に各六万恒河沙の眷属有り。この諸人等よく我が滅後において護持し読誦し広くこの経を説かん。仏これを説きたもう時娑婆世界の三千大千の国土地皆震裂してその中より無量千万億の菩薩摩訶薩有つて同時に涌出せり。乃至この菩薩衆の中に四導師有り。一をば上行と名け、二をば無辺行と名け、三をば浄行と名け、四をば安立行と名く。その衆の中においてもつともこれ上首唱導の師なり」等云云。
[49]天台云く「これ我が弟子まさに我が法を弘むべし」云云。妙楽云く「子父の法を弘む」云云。道暹云く「付属とはこの経はただ下方涌出の菩薩に付す。なにがゆえにしかる。法これ久成の法なるに由るがゆえに久成の人に付す」等云云。
[50]此等の大菩薩末法の衆生を利益したもうことなお魚の水に練れ鳥の天に自在なるがごとし。濁悪の衆生この大士に遇つて仏種を殖うること、例せば水精の月に向つて水を生じ、孔雀の雷の声を聞いて懐妊するがごとし。天台云く「なお百川の海に潮すべきがごとし。縁に牽れて応生するもまたかくのごとし」云云。
[51]慧日大聖尊仏眼をもつて兼ねてこれを鑒みたもう。ゆえに諸の大聖を捨棄し、この四聖を召し出して要法を伝え、末法の弘通を定むるなり。
[52]問うて曰く、要法の経文いかん。答えて曰く、口伝を以て之を伝えん。
[53]釈尊然後正像二千年の衆生のために宝塔より出でて虚空に住立し、右の手をもつて文殊・観音・梵帝・日月・四天等の頂を摩でて、かくのごとく三反して法華経の要よりの外の広略二門並びに前後の一代の一切経を此等の大士に付属す。正像二千年の機のためなり。その後涅槃経の会に至つて、重ねて法華経並びに前四味の諸経を説いて、文殊等の諸大菩薩に授与したもう。此等は捃拾遺属なり。
[54]ここをもつて滅後の弘経においても仏の所属にしたがつて弘法の限り有り。しかればすなわち迦葉・阿難等は一向に小乗経を弘通して大乗経を申べず。竜樹・無著等は権大乗経を申べて一乗経を弘通せず。たといこれを申しかども纔かにもつてこれを指示し、あるいは迹門の一分のみこれを宣べてまつたく化道の始終を談ぜず。
[55]南岳・天台等は観音・薬王等の化身として小大・権実・迹本二門・化道の始終・師弟の遠近等ことごとくこれを宣べ、その上に已今当の三説を立てて、一代超過の由を判ぜること、天竺の諸論にも勝れ、真丹の衆釈にも過ぎたり。旧訳新訳の三蔵もあたかもこの師には及ばず。顕密二道の元祖もあえて敵対にあらず。しかりといえども広略をもつて本となしていまだ肝要に能わず。自身これを存ずといえどもあえて他伝に及ばず。これ偏に付属を重んぜしがゆえなり。
[56]伝教大師は仏の滅後一千八百年像法の末に相当つて、日本国に生れて小乗・大乗・一乗の諸戒一々にこれを分別し、梵網・瓔珞の別受戒をもつて小乗の二百五十戒を破失し、また法華普賢の円頓の大王の戒をもつて諸大乗経の臣民の戒を責め下す。この大戒は霊山八年を除いて一閻浮提の内にいまだ有らざる所の大戒場を叡山に建立す。しかる間、八宗共に偏執を倒し、一国を挙げて弟子となる。観勒の流の三論・成実、道昭の渡せる法相・倶舎、良弁の伝うる所の華厳宗、鑒真和尚の渡す所の律宗、弘法大師の門弟等、誰か円頓の大戒を持たざらん。この義に違背するは逆路の人なり。この戒を信仰するは伝教大師の門徒なり。「日本一州円機純一朝野遠近同帰一乗」とはこの謂か。
[57]この外は漢土の三論宗の吉蔵大師並びに一百人、法相宗の慈恩大師、華厳宗の法蔵・澄観、真言宗の善無畏・金剛智・不空・恵果、日本の弘法・慈覚等の三蔵の諸師は四依の大士にあらざる暗師なり愚人なり。経においては大小権実の旨を弁えず、顕密両道の趣を知らず。論においては通申と別申とを糾さず、申と不申とを暁めず。しかりといえどもかの宗々の末学等この諸師を崇敬してこれを聖人と号し、これを国師と尊ぶ。今まず一を挙げんに万を察せよ。
[58]弘法大師の十住心論・秘蔵宝鑰・二教論等に云く「かくのごとき乗々自乗に名を得れども後より望めば戯論を作す」。また云く「無明の辺域」。また云く「震旦の人師等諍つて醍醐を盗み各自宗に名く」等云云。釈の心は法華の大法を華厳と大日経とに対して戯論の法と蔑り、無明の辺域と下し、あまつさえ震旦一国の諸師を盗人と罵る。此等の謗法謗人は慈恩・得一の三乗真実一乗方便の狂言にも超過し、善導・法然の千中無一捨閉閣抛の過言にも雲泥せるなり。
[59]六波羅蜜経をば唐の末に不空三蔵月氏よりこれを渡す。後漢より唐の始めにいたるまでいまだこの経有らず。南三北七の碩徳いまだこの経を見ず。三論・天台・法相・華厳の人師誰人かかの経の醍醐を盗まんや。またかの経の中に法華経は醍醐にあらずというの文これ有りやいなや。
[60]しかるに日本国の東寺の門人等堅くこれを信じて種々に僻見を起し、非より非を増し、暗より暗に入る。不便の次第なり。
[61]かの門家の伝法院の本願たる正覚の舎利講式に云く「尊高なる者は不二摩訶衍の仏、驢牛の三身は車を扶くることあたわず。秘奥なる者は両部曼陀羅の教、顕乗の四法の人は履をも取ることあたわず」云云。三論・天台・法相・華厳等の元祖等を真言の師に相対するに、牛飼にも及ばず、力者にも足らずと書ける筆なり。乞い願わくばかの門徒等心在らん人はこれを案ぜよ。大悪口にあらずや。大謗法にあらずや。しよせん此等の狂言は弘法大師の「望後作戯論」の悪口より起るか。
[62]教主釈尊・多宝・十方の諸仏は法華経をもつて已今当の諸説に相対して皆是真実と定め、しかる後世尊は霊山に隠居し多宝諸仏は各本土に還りたまいぬ。三仏を除くの外誰かこれを破失せん。
[63]なかんずく弘法所覧の真言経の中に三説を悔い還すの文これ有りやいなや。弘法すでにこれを出さず。末学の智いかんせん。しかるに弘法大師一人のみ法華経を華厳・大日の二経に相対して戯論・盗人となす。所詮釈尊多宝十方の諸仏をもつて盗人と称するか。末学等眼を閉じてこれを案ぜよ。
[64]問うて曰く、昔よりこのかたいまだかつてかくのごときの謗言を聞かず。なんぞ上古清代の貴僧に違背して、むしろ当今濁世の愚侶を帰仰せんや。
[65]答えて曰く、汝が言う所のごとくば愚人は定んで理運と思わんか。しかれども此等は皆人の偽言によつて如来の金言を知らず。大覚世尊、涅槃経に滅後を警めて言く「善男子、我が所説においてもし疑を生ずる者はなお受くべからず」云云。しかるに仏なお我が所説といえども不審有らばこれを叙用せざれと。今予を諸師に比べて謗難を加う。しかりといえどもあえて私曲を構えず。専ら釈尊の遺誡に順つて諸人の謬釈を糾すなり。
[66]夫れ斉の始めより梁の末に至るまで二百余年の間、南北の碩徳、光宅・智誕等の二百余人、涅槃経の「我等悉名邪見之人」の文を引いて、法華経をもつて「邪見之経」と定め、一国の僧尼ならびに王臣等を迷惑せしむ。陳隋の比智者大師これを糾明せし時始めて南北の僻見を破り了んぬ。
[67]唐の始め太宗の御宇に、基法師、勝鬘経の「若如来随彼所欲而方便説即是大乗無有二乗」の文を引いて、一乗方便三乗真実の義を立つ。この邪義震旦に流布するのみにあらず。日本の得一称徳天皇の御時盛んに非義を談ず。ここに伝教大師ことごとくかの邪見を破し了んぬ。
[68]後鳥羽院の御代に源空法然、観無量寿経の「読誦大乗」の一句をもつて法華経を摂入し「還つて称名念仏に対すれば雑行方便なれば捨閉閣抛せよ」等云云。
[69]しかりといえども五十余年の間、南都・北京・五畿・七道の諸寺諸山の衆僧等、この悪義を破ることあたわざりき。予が難破分明たるの間、一国の諸人たちまちかの選択集を捨て了んぬ。根露るれば枝枯れ源乾けば流竭くとは蓋しこの謂なるか。
[70]しかのみならず唐の半玄宗皇帝の御代に善無畏・不空等、大日経の住心品の「如実一道心」の一句において法華経を摂入し、返つて権経と下す。日本の弘法大師は六波羅蜜経の五蔵の中に第四の熟蘇味の般若波羅蜜蔵において法華経・涅槃経等を摂入し、第五の陀羅尼蔵に相対して「争盗醍醐」等云云。
[71]此等の禍咎は日本一州の内四百余年今にこれを糾明せし人あらず。予が所存の難勢徧く一国に満つ。必ずかの邪義を破らんか。此等はしばらくこれを止む。
[72]迦葉・阿難等、竜樹・天親等、天台・伝教等の諸大聖人、知つてしかもいまだ弘宣せざる所の肝要の秘法は法華経の文赫赫たり。論釈等に載せざること明々なり。生知は自ら知るべし。賢人は明師に値遇してこれを信ぜよ。罪根深重の輩は邪推をもつて人を軽しめこれを信ぜず。しばらく耳に停め本意に付かばこれを諭さん。
[73]大集経の五十一に大覚世尊、月蔵菩薩に語つて云く「我が滅後において五百年の中は解脱堅固、次の五百年は禅定堅固〈已上一千年〉。次の五百年は読誦多聞堅固、次の五百年は多造塔寺堅固〈已上二千年〉。次の五百年は我が法の中において闘諍言訟して白法隠没せん」等云云。今末法に入つて二百二十余年、「我法中闘諍言訟白法隠没」の時に相当れり。
[74]法華経の第七薬王品に教主釈尊多宝仏と共に宿王華菩薩に語つて云く「我が滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提において断絶して悪魔魔民諸の天竜夜叉鳩槃荼等にその便を得せしむること無けん」。
[75]大集経の文をもつてこれを案ずるに前四箇度の五百年は仏の記文のごとくすでに符合せしめ了んぬ。第五の五百歳の一事あに唐捐ならん。随つて当世の体たる大日本国と大蒙古国と闘諍合戦す。第五の五百に相当れるか。かの大集経の文をもつてこの法華経の文を推するに、「後五百歳中広宣流布於閻浮提」の鳳詔あに扶桑国にあらずや。
[76]弥勒菩薩の瑜伽論に云く「東方に小国有り。その中にただ大乗の種姓のみ有り」云云。慈氏菩薩、仏の滅後九百年に相当つて、無著菩薩の請に赴いて中印度に来下して瑜伽論を演説す。これあるいは権機に随い、あるいは付属に順い、あるいは時に依つて権経を弘通す。しかりといえども法華経の涌出品の時、地涌の菩薩を見て近成を疑うの間、仏請に赴いて寿量品を演説し分別功徳品に至つて地涌の菩薩を勧将して云く「悪世末法の時よくこの経を持つ者」と。弥勒菩薩、自身の付属にあらざればこれを弘めずといえども、親り霊山会上において悪世末法時の金言を聴聞せしゆえに、瑜伽論を説くの時、末法に日本国において地涌の菩薩法華経の肝心を流布せしむべきの由、兼ねてこれを示すなり。
[77]肇公の翻経の記に云く「大師須梨耶蘇摩左の手に法華経を持し右の手に鳩摩羅什の頂を摩で授与して云く、仏日西に入つて遺耀まさに東に及ばんとす。この経典東北に縁有り。汝慎んで伝弘せよ」云云。予この記文を拝見して両眼滝のごとく一身悦びを遍くす。「この経典東北に縁有り」云云。西天の月支国は未申の方、東方の日本国は丑寅の方なり。天竺に於て東北に縁有りとはあに日本国にあらずや。
[78]遵式の筆に云く「始め西より伝う。なお月の生ずるがごとし。今復東より返る。なお日の昇るがごとし」云云。正像二千年には西より東に流る。暮月の西空より始まるがごとし。末法五百年には東より西に入る。朝日の東天より出ずるに似たり。
[79]根本大師の記に云く「代を語ればすなわち像の終り末の初め、地を尋ぬれば唐の東羯の西、人を原ぬればすなわち五濁の生闘諍の時なり。経に云く猶多怨嫉況滅度後と、この言まことにゆえ有るがゆえに」云云。
[80]又云く「正像やや過ぎおわつて末法はなはだ近きに有り。法華一乗の機今正しくこれその時なり。何をもつて知る事を得ん。安楽行品に云く、末世法滅の時なり」云云。
[81]この釈は語美しく心隠れたり。読まん人これを解し難きか。伝教大師の語は我が時に似て心は末法を楽いたもうなり。大師出現の時は仏の滅後一千八百余年なり。大集経の文をもつてこれを勘うるに、大師存生の時は第四の多造塔寺堅固の時に相当る。まつたく第五闘諍堅固の時にあらず。しかるに余処の釈に「末法太有近」の言は有り。定めて知んぬ。闘諍堅固の筆は我が時を指すにあらざることを。
[82]予倩事の情を案ずるに、大師薬王菩薩として霊山会上に侍して、仏上行菩薩出現の時を兼ねてこれを記したもうゆえにほぼこれを諭すか。
[83]しかるに予地涌の一分にあらざれども兼ねてこの事を知る。ゆえに地涌の大士に前立ちてほぼ五字を示す。例せば西王母の先相には青鳥、客人の来るには鳱鵲のごとし。
[84]この大法を弘通せしむるの法には必ず一代の聖教を安置し八宗の章疏を習学すべし。しかればすなわち予所持の聖教多々これ有りき。しかりといえども両度の御勘気衆度の大難の時、あるいは一巻二巻散失し、あるいは一字二字脱落し、あるいは魚魯の謬悞、あるいは一部二部損朽す。もし黙止して一期を過ぐるの後には弟子等定んで謬乱出来の基なり。ここをもつて愚身老耄已前にこれを糾調せんと欲す。
[85]しかるに風聞のごとくんば貴辺ならびに大田金吾殿、越中の御所領の内ならびに近辺の寺々に数多の聖教あり等云云。両人共に大檀那たり。所願を成ぜしめたまえ。
[86]涅槃経に云く「内には弟子有つて甚深の義を解り、外には清浄の檀越有つて仏法久住せん」云云。天台大師は毛喜等を相語らい、伝教大師は国道・弘世等を恃怙む云云。
[87]仁王経に云く「千里の内をして七難起らざらしむ」云云。法華経に云く「百由旬の内に諸の衰減無からしむ」云云。国主正法を弘通すれば必ずこの徳を備う。臣民等この法を守護せんにあに家内の大難を払わざらんや。また法華経の第八に云く「所願虚しからず、また現世においてその福報を得ん」。又云く「まさに今世において現の果報を得べし」云云。
[88]又云く「この人現世に白癩の病を得ん」。又云く「頭破れて七分と作る」。また第二巻に云く「経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賤憎嫉して結恨を懐かん、乃至その人命終して阿鼻獄に入らん」云云。第五の巻に云く「もし人悪み罵らば口すなわち閉塞せん」云云。伝教大師の云く「讃する者は福を安明に積み、謗ずる者は罪を無間に開く」等云云。安明とは須弥山の名なり。無間とは阿鼻の別名なり。国主、持者を誹謗せば位を失い、臣民、行者を毀呰すれば身を喪す。一国を挙りて用いざれば定んで自反他逼出来せしむべきなり。
[89]また上品の行者は大の七難。中品の行者は二十九難の内。下品の行者は無量の難の随一なり。又大の七難において七人有り。第一は日月の難なり。第一の内にまた五の大難有り。いわゆる日月度を失し時節反逆し、あるいは赤日出で、あるいは黒日出で、二三四五の日出ず、あるいは日蝕して光無く、あるいは日輪一重二三四五重輪現ぜん。また経に云く「二の月並び出でん」と。今この国土に有らざるは二の日・二の月等の大難なり。余の難は大体これ有り。今この亀鏡をもつて日本国を浮べ見るに必ず法華経の大行者有るか。すでにこれを謗る者に大罰有り。これを信ずる者なんぞ大福無からん。
[90]今両人微力を励まし予が願に力を副え、仏の金言を試みよ。経文のごとくこれを行ぜんに、徴無くんば釈尊正直の経文、多宝証明の誠言、十方分身の諸仏の舌相、有言無実とならんか。提婆の大妄語に過ぎ、瞿伽利の大狂言に超えたらん。日月地に落ち、大地反覆し、天を仰いで声を発し、地に臥して胸を押う。殷の湯王の玉体を薪に積み、戒日大王の竜顔を火に入れしも、今この時に当るか。もしこの書を見聞して宿習有らばその心を発得すべし。
[91]使者にこの書を持たしめ早々北国に差し遣し、金吾殿の返報を取りて速々是非を聞かしめよ。この願もし成ぜば崑崙山の玉鮮かに求めずして蔵に収まり、大海の宝珠招かざるに掌に在らん。恐惶謹言。
[92]<日>下春十日日>
[93]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[94]<先>曾谷入道殿先>
[95]<先>大田金吾殿先>
現代語訳
曾谷入道殿許御書
文永一二年(一二七五)三月一〇日、五四歳、於身延、曾谷入道・大田金吾宛、原漢文、定八九五—九一二頁。
五義の法門
[1]よく考えてみれば、重い病気を治すためには良い薬をもとめねばならないし、五逆罪や謗法罪を犯している人びとを救うためには、肝要の法である妙法蓮華経の五字を与えるしかない。
[2]つまり、時を問題にすれば、仏のご入滅後に正法時(ご入滅後千年間)・像法時(千一年から二千年までの千年間)・末法時(二千一年から万年)の区別がある。教を問題にすれば、小乗教・大乗教、偏教(かたよった教え)・円教(すべてを円満に具えた教え)、権教(方便の教え)・実教(真実の教え)、顕教(応身の釈迦牟尼如来が顕露に説かれた教え)・密教(法身の大日如来が説かれた秘密の教え)などの相異がある。国を問題にすれば、中国(仏教に深い縁のある中心の国)・辺国(周辺の国)の異なりがある。機(教えを受ける衆生。機根)を問題にすれば、逆罪を犯した者と犯さない者、謗法罪を犯した者と犯さない者の違いがある。師(教えを弘める導師)を問題にすれば、凡夫の師と聖人の師・二乗(声聞乗・縁覚乗)と菩薩・他方来の菩薩(他の国土から来た菩薩)と此土の菩薩(この娑婆世界にいた菩薩)・迹化(迹門の仏に教化された弟子。文殊師利菩薩・弥勒菩薩など)と本化(本門の仏に久遠の過去世において教化された弟子。地涌の菩薩)などの別がある。したがって、仏のご入滅の後に出現して人びとを導く四依の菩薩(小乗の四依は迦葉尊者・阿難尊者など。大乗の四依は馬鳴菩薩・竜樹菩薩など。迹門の四依は南岳大師・天台大師など。本門の四依は本化地涌の菩薩)がたも、仏からの付属(仏法弘通の付記。付法)の内容にしたがって法を説くのであり、それぞれが思うままに弘経されることはない。
法華経と機根
[3]どのようにしても仏法に無知で法華経の大法を知らず、法華経の大法を知らないために法華経を誹謗したことのない人に、性急に法華経を説いてはならない。悪人であるうえに実大乗の法華経を誹謗する者には、しいて法華経を説くべきである。
[4]法華経第二の巻に、仏は舎利弗に向かって「無智の人の中でこの経を説いてはならない」(譬喩品)と説かれ、また第四の巻に、薬王菩薩などの八万の大菩薩に「この経は諸仏の大切な教法である。みだりに人に分け与えてはならない」(法師品)と申された。経文の意味は、仏法に無知でしかも正法である法華経を誹謗したことのない者には、軽々しくこの経を説いてはならない、ということである。
[5]法華経第七の巻常不軽菩薩品には「不軽菩薩は遠くにいる四衆(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷)を見ても、ことさら出向いて行ってしいて法を説いた」とあり、また「四衆の中には心が濁っている者がいて、怒りを生じ悪口を吐き詈って、『この愚かな比丘はどこから来たのか』などと言っても、不軽菩薩はしいて法を説いた」とある。また同じく「あるいは杖木で打たれたり瓦石を投げられたりしても、不軽菩薩はしいて法を説いた」と説かれている。法華経の第二・第四の巻の経文と第七の巻の経文とでは天と地、水と火のように相違している。
[6]問うて言う。一つの経の中に二つの説があるが、どちらの教えにしたがってこの経を弘めればよいのだろうか。答えて言う。私の個人的な考えで解釈してはならない。霊鷲山で釈尊の法華経説法を聴聞された天台大師や妙楽大師の書物に多くの注釈が示されている。その中からまず一、二の文をあげよう。
[7]法華文句の第十巻には「問うて言う。釈尊は世に出現されてからすぐには法華経を説かないで四十二年間を経てからようやく説かれた。ところが不軽菩薩はどうしてこのように急いで法華経を説かれたのであろうか。答えて言う。釈尊が法を説かれた人びとはすでに過去世に法華経を聞いて仏種を有っているので、小乗教を示して順次に導いていかれたのである。不軽菩薩が教化された人びとはいまだ過去世においても法華経を聞いたことがないので、ただちに実大乗の法華経を説き聞かせ仏種を下したのである」と説かれている。
法華経の下種
[8]この解釈文の意味は、寂滅道場で説かれた華厳経・鹿野苑で説かれた阿含経・大宝坊で説かれた大集経などの方等部の諸経・白鷺池などで説かれた般若経などの前四味(法華経以前の諸経。乳味=華厳経、酪味=阿含経、生蘇味=方等経、熟蘇味=般若経)の小乗経・大乗経、権経・実経などの諸経や四教(蔵教・通教・別教・円教)もしくは八教(前述の四教に化儀の四教である頓教・漸教・秘密教・不定教を加える)を聞いた人びとの過去世からの因縁を調べてみると、五百億塵点劫に譬えられる久遠の過去世か三千塵点劫に譬えられる大通智勝如来の時代における久遠の過去世に、法華経を聞いて純円(純粋に円満具足した教え)の仏種を下されたけれども、人びとは一乗真実の法華経を誹謗したために、三千塵点劫・五百億塵点劫という長い間、迷苦の世界をさまよい続けてきたのである。しかしながら、下された仏種がしだいに成熟して時至り、今度、霊鷲山で法華経を聞いて、過去にいただいていた宝珠(仏種)に気づいたのである。ただし、四十余年の間(法華経が説かれるまでの間)は、過去世にすでに法華経と縁を結んだ者でも、まだ法華経を誹謗する可能性があるので、しばらくの間は小乗や権経などの諸経を説いて機根を調えられたのである。
[9]問うて言う。華厳経の説法を聴聞し得道(成仏)した別教・円教の菩薩や観無量寿経を聴聞して得道したもろもろの利根の凡夫はどうか。答えて言う。これらの人びとは、得道した時を視点にして考えればその経による利益のようであるけれども、深く考えればじつは三千塵点劫・五百億塵点劫の久遠過去に法華経に結縁して仏種を下されていたので、それぞれの経を助縁として得道することができたのである。
[10]問うて言う。その証拠は何か。答えて言う。法華経第五の巻従地涌出品には「この人びとは過去世において久しく私の教化を受けてきた。こうしてこの人びとは今度今生において始めて私の姿を見、私の説法を聞いて信受し、如来の智慧を得た」と説かれている。天台大師はこれを解釈して「今の人びとは久遠の過去世に教化を受け仏種を下された」(法華文句)と言われている。妙楽大師は「得脱(成仏)の利益を得るのは現在(今生)であっても、その原因となる仏種は久遠の過去に下されたものである」(法華文句記)と言い、また「そうであるから、よく解った。今日の釈尊の説法は、過去世に法華経の仏種を下した人びとのためである」(法華玄義釈籤)と言われている。このように経典や注釈書の文が明瞭であるからには、私の説明を加える必要はない。例えば、身分の高い王の女でも身分の低いしもじもの女でも、天子の種子を懐妊しなければ産まれてくる子は国主とはなれないことと同じである。
[11]問うて言う。大日経などで得道した者はどうか。答えて言う。いろいろな異なった意見があるであろうが繁雑になるのでとりあげない。ただし大切なことは、どのような経典であっても種熟脱(下種益・熟益・脱益)の三益を説かなければ小乗教の灰身滅智(煩悩を滅するために身も心も灰のように空無にする小乗教の悟りの境地)と同じである。ところが真言師たちの説く即身成仏は、譬えば貧しい人がかってに自分のことを帝王と称し、自分の誅滅(誅殺。敵対者を殺す。罪人を殺す)を招くようなものである。王位をねらって殺された王漭や趙高と同じ輩が今の真言宗の人たちである。
末法の機と法華経の下種
[12]以上の仏のご在世の時代のことから考えると、仏のご入滅後においても正法時・像法時・末法時の三時がある。正法時と像法時の二千年の間は、仏のご在世の四十余年間(法華経説法以前)のように仏の種を下された者がいた。したがって機根を見分けないでむやみに真実の教えである法華経を説いてはならない。ところが、今はすでに末法の時代に入っており、仏のご在世に法華経に縁を結んだ者はしだいに少なくなり、権教や実教の機根はことごとくいなくなってしまった。したがって、かの不軽菩薩が末法の世に出現して毒鼓(毒を塗った太鼓を打つと聞く者が死ぬように、聞く意思のない者にも強いて説き聞かせて煩悩を滅し仏の種を下す)を打ち、しいて法華経の仏種を下す時である。
諸宗の迷妄
[13]ところが今の世の学者たちは時と機根のことについて迷い、ある者は小乗教を弘め、ある者は権大乗教を与え、ある者は一乗の法華経を説くけれども、題目の五字をもって下種とすることの理由を知らないようである。
[14]なかでもとくに真言宗の学者は迷いが深く、真言三部経(大日経・金剛頂経・蘇悉地経)に依り会二破二(声聞乗・縁覚乗の二乗の教えの意義を顕彰して菩薩乗としたり、二乗を破折して菩薩乗に導く)の法門を述べ、声聞乗・縁覚乗に対し菩薩乗の教えを説くけれども、三一相対(声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の三乗に対し一仏乗が勝れている)の法門は説かない。そのような真言宗の教えで、即身頓悟(身に即してたちまちに悟りを得る。即身成仏)などありえるはずがなく、まして草木成仏(心のない草木の成仏)などは名さえもないのである。
[15]ところが、善無畏・金剛智・不空などの真言宗の僧侶は、インドから中国に来た時、本国のインドではまだ聞いたこのない天台の大法が盛んに弘まっていたので、インドからもたらした自分が愛着している真言の経典が弘めにくいため、一行阿闍梨を引き入れて天台の法門を盗み取り、大日経などに取り入れてインドにもとからあった法門である、と偽った。それを中国の王も臣下たちも国をあげて信じ、日本国の弘法・慈覚の両大師もこれを正しく弁えることができずに信じこんでしまった。それ以下の学者たちは言うまでもないことである。ただ、中国と日本の中で伝教大師一人だけがこのことを推察された。しかし、伝教大師の時も明瞭ではなかった。
[16]結局、善無畏三蔵は一度死んで閻魔王に責められ、その過罪を悔い、不空三蔵は一度インドに帰って真言を捨て、再び中国に来て天台の戒壇を建て、胎蔵界・金剛界の両界の曼荼羅の中央に法華経を奉安して本尊としたのは、両三蔵が改悔したことの証拠である。
[17]問うて言う。今の時代の真言宗の学者たちはどうしてこのことを知らないのであろうか。答えて言う。自分の眉は近くにあるけれども見えないように、自分の過失は自分では解らない、というのはこのことを言うのであろう。
[18]嘉祥大師は三論宗を捨てて天台大師の弟子となったが、今の時代の末流の学者はこのことを知らない。法蔵や澄観は華厳宗をやめて天台智者大師に帰依したが、華厳宗の学者はこれを知らない。玄奘三蔵や慈恩大師は五性各別(成仏する人としない人の区別がある。菩薩定性・縁覚定性・声聞定性・不定性・無性)の邪義を廃棄して法華一乗の法に移ったが、法相宗の学者はこれを強く否定して論争している。
[19]問うて言う。その証拠は何か。答えて言う。心では信じながら身体を天台宗に移さない者、身体は天台宗に移っても心では信じていない者、身体も心も天台宗に帰依した者、身体も心も天台宗に改めない者などの違いがあるので、その証文は別に示す。そのことはこの手紙の趣旨からはずれるのでここでは省略する。
正法時の仏教
[20]仏が入滅された後の仏教について三時(正法時・像法時・末法時)がある。初めの正法時一千年間のうちの前の五百年には、迦葉・阿難・商那和修・末田地・脇比丘などが世に出て、もっぱら小乗教の薬で人びとの軽い病を治した。四阿含経(増一阿含経・中阿含経・雑阿含経・長阿含経)・十誦律・八十誦律などのもろもろの律や相続解脱経などの三蔵を弘め、後に律宗・倶舎宗・成実宗と称するようになったのがこれである。
[21]正法時千年間のうちの後の五百年には、馬鳴菩薩・竜樹菩薩・提婆菩薩・無著菩薩・天親菩薩などのもろもろの大論師が世に出て、初めの間はいろいろな聖者が弘めた小乗経を学んでいたが、後にはこれらの小乗経の教えを論破して種々の大乗経を弘めた。これは中薬で人びとの中病を治したのである。すなわち華厳経・般若経・大日経・解深密経などの経典がそれで、宗で言えば三論宗・法相宗・真言宗・禅宗などである。
[22]問うて言う。迦葉・阿難などのもろもろの小乗の聖者たちはどうして大乗経を弘めなかったのか。答えて言う。一には、それらの人びとには大乗経を弘めるだけの力量がなかったからである。二には、大乗経を弘めても、受けとめることのできる人びとがいなかったためである。三には、仏から譲り与えられなかったためである。四には、大乗経を弘めるべき時が来ていなかったからである。
[23]問うて言う。竜樹や天親などはどうして一乗経(法華経)を弘めなかったのか。答えて言う。前にあげたものと同じ四つの理由があったからである。
[24]問うて言う。いろいろな真言師が「仏のご入滅後八百年に竜猛菩薩がインドに出現して、釈尊の説き示された華厳経や法華経などを馬鳴菩薩から伝授され、大日如来の説かせた密教を、自分で南インドの鉄塔を開いて、直接、大日如来と金剛薩埵とに対面して口受(口伝相承)された。竜猛菩薩には提婆菩薩と竜智菩薩の二人の弟子があった。提婆菩薩には釈尊の説き示された顕教を伝え、竜智菩薩には大日如来の説かれた密教を授けた。竜智菩薩は阿羅苑(南天竺礫迦国にある竜智菩薩の住処)に隠居して誰にも伝えなかった。その間に提婆菩薩が伝え受けた顕教はまず中国にもたらされた。その後数年を経て、竜智菩薩が伝え受けた密教を善無畏・金剛智・不空が中国に渡した」と言っている。このことは正しいのであろうか。
[25]答えて言う。すべての真言師はこのように言っており、また天台宗や華厳宗などの諸宗の人びとも同じようにこれを信じている。そもそも竜猛の時代以前には、インドに大日経などの真言三部経が無かったとでも言うのであろうか。それとも釈尊よりほかに大日如来という仏がこの世に出現して真言の三部経を説いたとでも言うのであろうか。顕教を提婆に伝え密教を竜智に授けたという証文はどの経論に出ているのか。このような大妄語は、大悪人である提婆達多や瞿伽利の欺瞞・虚言にもすぎた大罪である。中国や日本の国の王位が断絶し、両国の僧侶が謗法者となってしまった原因はもっぱらここにあるのではないだろうか。したがって、かの中国は北方の蕃族に破られ、この日本もまた西方の戎に侵略されようとしている。このことについてはここでは省略する。
像法時の仏教
[26]像法時(仏滅後千一年から二千年の間)に入って一千年の間に仏法は中国に渡ったが、前の四百年の間は南三北七(中国南北朝時代の諸家で江南に三師、江北に七師の学派があった)の諸師が異なった法義を立てて蘭菊のように華やかに競ったけれども、仏法の正邪は定まらなかった。四百年の後、五百年の前の中間の一百年の間に、南岳大師と天台大師などが中国に出現し、法華経の真実義をほぼ弘められた。しかしながら、円慧(法華円教の教え)と円定(法華円教の修行)については国師として仰がれたけれども、円頓(たちまち成仏することのできる円満具足の教え)の戒場(法華円教の妙戒を受ける戒壇。円頓戒壇)はまだ建立されなかった。したがって、この両大師を、国をあげて戒師として仰ぐことがなかった。六百年の後に法相宗がインドからもたらされた。太宗皇帝がこの法相宗を用いられたために、天台法華宗に帰依する人はしだいに少なくなった。そこでその隙をついて、すでに則天皇后の時代に天台大師に論破された華厳経が再び興隆し、天台宗よりも勝れている、と言い出した。
[27]太宗皇帝から第八代の玄宗皇帝の時代に、真言宗が初めてインドからもたらされた。すなわち開元四年に善無畏三蔵が大日経と蘇悉地経、開元八年に金剛智三蔵・不空三蔵が金剛頂経をそれぞれ伝えた。このように真言三部経をインドから中国にもたらしたが、天台大師の注釈書を見たり聞いたりして刺激を受け、真言経典の注釈書を作り、大日経と法華経とを同じ道理を説いた経典とみなし、そのうえに印と真言が説かれていることをもって密教のほうが勝れる、と言い、結局、権経(方便の教えを説いた経)である真言経典をもって実経(真実の教えを説いた経)の法華経を下した。中国の学者はだれもこのことを知らなかったのである。
[28]像法時の末八百年に伝教大師が日本国に生まれ、華厳宗などの六宗の邪義を糾明しただけでなく、南岳大師や天台大師もまだお弘めにならなかった円頓の戒壇を比叡山に建立された。これによって、日本全体の学者は一人残らず伝教大師の門弟となったのである。
[29]ただし、天台宗と真言宗との勝劣については、真言宗の虚偽であることを知っておられたけれども明瞭には示されなかった。要するにそのことについての公表と糾明は末法の時代に譲られたのであろう。このことは今の論旨からはずれるので省略する。
[30]わたしの師である伝教大師は、インド・中国・日本の三国にいまだ弘まっていなかった円頓の大戒壇を比叡山に建立された。このことはひとえに上薬を用いて人びとの重病を治そうとされたことにほかならない。
末法時の仏教
[31]今は末法時(仏滅後二千一年から万年)に入って二百二十余年を経ており、五濁(煩悩濁・見濁・命濁・衆生濁・劫濁)が盛んで三災(小の三災は刀兵災・疾疫災・飢饉災、大の三災は火災・水災・風災)がしきりに起こり、なかでも衆生濁(人びとの悪行)と見濁(よこしまな考え)が国中に充満しており、逆罪や謗法罪を犯す人たちはいたるところにいる。そのような状態であるから、もっぱら一闡提(善根を断った人)のような極悪人を仰いで国の柱とたのみ、謗法者を尊重して国師としている。孔子の孝経をもって父母の頭を打ったり、釈尊の金口の説である法華経を口に誦みながら教主釈尊に違背している。不孝国とはこの日本国のことである。昔、中国の聖人が嫌った勝母という村(母に勝つ、と書くゆえに不孝の村と嫌われた)を他の地方に求めるまでもない。したがって、天は眼を瞋してこの日本国を睨み、大地は憤って大地を震わす。
[32]去る正嘉元年の大地震や文永元年の大彗星などの災は、仏のご入滅後二千二百二十余年の間、インド・中国・日本のなかではいまだかつて現われたことのない大災難である。かの弗舎密多羅王が全インドの寺塔を焼き払い、中国の会昌天子(武宗皇帝)が国中の僧尼を還俗させたことにまさること百千倍の大難である。これは大謗法の者たちが日本国中に充満し天下にはびこっていることによって起こる夭災である。大般涅槃経には「末法の世になると不孝の者や謗法の者が大地の塵のように多くなる」〈取意〉(迦葉菩薩品)、法滅尽経には「仏法が滅尽する時には、犬のような僧尼が恒河(ガンジス河)の砂のように多い」〈取意〉などと説かれている。今、現にこの日本国を見ると、人ごとにこの二悪(不孝の罪と謗法の罪)を犯している。このような大悪の者たちはどのような秘術で救うことができるであろうか。
末法の一大秘法
[33]大覚世尊は仏眼をもって末法の様相を見とおされ、この逆罪と謗法罪の二罪を犯している大悪人を救うために、一大秘法(仏の最高の教え、末法の人々を救う大法「南無妙法蓮華経」)を留めおかれたのである。
末法付属の大菩薩
[34]この一大秘法を末法の世のために留めおかれた時の儀式は、法華経本門の久遠実成の釈尊と宝浄世界からこられた多宝仏とが、高さ五百由旬、広さ二百五十由旬の大宝塔の中で日月のように並坐され、十方から来集された分身諸仏は、高さ五百由旬の宝樹の下に五由旬の師子の座を並べ敷いて、星のように列坐された。四百万億那由佗の世界に三仏(釈尊・多宝仏・分身諸仏)が二会(霊山会と虚空会)にわたって充満された儀相(説法の会座の様子)は、華厳経が説かれた寂滅道場の華蔵世界よりも勝れ、真言両界(胎蔵界・金剛界)の曼荼羅に列する千二百余尊にも超えている。すべての世界の眼である教主釈尊は、この大会(大きな儀式の会座)で六難九易(仏滅後の法華経受持が困難であることを説く見宝塔品の経説)を説いて、法華経を弘めるように諸大菩薩をお諫しになった。
[35]金色世界(文殊師利菩薩の住む世界)の文殊師利菩薩、兜史多宮(兜率天宮。弥勒菩薩の住む世界)の弥勒菩薩、宝浄世界(多宝如来の住む世界、智積菩薩は多宝如来の所従の菩薩)の智積菩薩、補陀落山(光明山。観世音菩薩の住む世界)の観世音菩薩など、頭陀(清浄な行)第一の大迦葉、智恵第一の舎利弗など、三千世界を統領する多くの梵天、須弥山の頂に居住する多くの帝釈、四天下を照らす多くの日月、十方世界の仏法を護る多くの四天王、大地の塵の数ほど多いもろもろの竜王などが、「私にも」「私にも」と口々にこの法華経を付属してほしいと競って望んだけれども、釈尊はだれにもこれを付属されなかった。
[36]その時に釈尊は、大地の下から今までまったく見たことのない四大菩薩を召し出された。すなわち上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩である。この大菩薩はそれぞれに六万恒河沙(六万のガンジス河の砂の数。無量の数)の眷属(従者)を連れておられ、その姿や態度は言葉では表現しきれず、心で推し量ることもできないほどりっぱなものであった。仏が初めて成道され華厳経を説かれた時、法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵などの四菩薩がそれぞれ十恒河沙の眷属を連れて会座を飾ったのも、大集経が欲界と色界との間の大宝坊で説かれた時、来集された十方の諸大菩薩も、そして大日経の胎蔵界曼荼羅の八葉の蓮華に坐す四大菩薩も、金剛頂経の金剛界曼荼羅の三十七尊の中の十六大菩薩なども、釈尊が法華経の会座で大地から召し出されたこの四大菩薩に比べれば、まるで帝釈天と猿、妙高(須弥山)と華山(中国五岳の一つ)とを比較するようなものである。
[37]弥勒菩薩は大衆の疑念を代表して、「大地から涌き出たこの大勢の菩薩のなかで、知っている菩薩は一人もいない」と仏に申し上げた。天台大師はこの文を解釈して「釈尊が華厳経を説かれた寂滅道場から今の法華経の会座まで、十方世界から大菩薩が絶えず来集された。数限りないほど多かったけれど、わたし(弥勒菩薩)は仏の後継者としての智力によってことごとく見、ことごとく知っている。ところが、この菩薩がたについては一人も知らない」(法華文句)と述べられている。妙楽大師は「今、地涌の大菩薩を見て皆知らないのは、智人でなければものごとが起こることが分らず、蛇でなければ蛇の足を知ることができないことと同じである」(法華文句記)と説明されている。また、天台大師は「雨がはげしく降る様子を見てその雨を降らしている竜が大きいことを知り、蓮華の花が盛んである様子を見てその蓮華の花を咲かしている池が深いことを知る」(法華文句)と言われている。
[38]例えば、漢王(高祖)の四将である張良・樊噲・陳平・周勃の四人を、商山の四皓(漢の高祖とその子恵帝に仕えた四人の賢人)と称讃された綺里枳・角里先生・園公・夏黄公などの四人の賢人に比べるようなものである。天と地、雲と泥ほどの大きな相違がある。四皓の容姿は、頭は白雪のように白く、額には四海の波をたたんだようなしわがあり、眉は半月のようで、腰は弓のように曲がっていた。この四皓が恵帝の左右に侍して世を治められたことにより、古の堯舜や神農の時代のように国中が安穏であった。
[39]この四大菩薩もまた同じである。法華経説法の会座に現われて三仏を飾り立て、謗法者の高慢な幢を倒すこと、あたかも大風が小さな木の枝を吹くようなものであり、会座の人びとが敬うこと、諸天が帝釈に従うようであった。釈尊を打った提婆達多でさえも心から合掌し、無実を主張して舎利弗をおとしいれた瞿伽梨も地面に伏して過失を悔い改めた。文殊師利菩薩などの大菩薩は身を慚じて言葉も出さず、舎利弗などの小乗の聖者は智恵を失ってただ頭を垂れるばかりであった。
要法の付属
[40]その時に大覚世尊は寿量品を説き、そしてその後に神力品で十種の神通力を現わして四大菩薩に付属された。四大菩薩に付属された法は何であるのか。法華経一部の中でも広を捨てて略を取り、略を捨てて要を取る。すなわち法華経の名称と実体と修行と力用と教相との五つの深い教えの内容がことごとく具わっている妙法蓮華経の五字である。例えば九苞淵(秦の穆王のために色に拘泥しないで足の速い良馬を選んだ人)が馬を選ぶ時は黒色や黄色などの毛色にこだわらないで駿足の馬をとり、史陶林(晋の時代に大乗仏教を弘めた人。文章にとらわれないで経典の本旨を把むことを大切にした)が経書を講ずる時は細いことはさしおいて元意を取ったことと同じである。
四大菩薩の出現と末法
[41]この四大菩薩は、釈尊が始めて正覚を成じられた寂滅道場にもこず、仏がご入滅された抜提河のほとりにもいかなかった。そればかりか、釈尊が法華経を説かれた霊山八年の間においても、前の迹門の序分や正宗分の会座における文殊師利菩薩や弥勒菩薩などの発起影向(仏の説法を発起すること)の聖衆の中にも連ならなかった。後の本門の流通分の会座におられた観世音菩薩や妙音菩薩などの発誓弘経(仏滅後の弘経を誓うこと)の大菩薩の中にも交わらなかった。ただこの一大秘法を持って自分の本住処である大地の下に隠居してから後は、仏のご入滅後、正法時・像法時の二千年の間、まだ一度も世に出現されなかった。つまり、仏はもっぱら末法の時に限ってこれらの大菩薩に一大秘法の弘通を付属されたからである。
[42]法華経の分別功徳品には「悪世末法の時によくこの経を持つ者」とあり、涅槃経には「譬えれば、七人の子供を持つ父母の愛情は平等に七人の子供に注がれている。しかし、もし病気の子供がいれば、父母の愛情はその子にとくに強く注がれることと同じである」(梵行品)と説かれている。また法華経の薬王菩薩本事品には「この経は閻浮提の人の病の良薬である」と説かれている。涅槃経の「七人の子共」のうち六人の子供のことはさておいて、第七人目の「病気の子供」とは一闡提(善根を断った者。不信者)の人・五逆罪や謗法罪を犯した者・末代悪世の日本国のすべての人びとのことである。
[43]正法時一千年間の前の五百年にはすべての声聞は入滅されてしまった。後の五百年には他方の国土から来集された菩薩はおおよそ本土に帰られた。像法時に入って一千年の間には、観世音菩薩は南岳大師、薬王菩薩は天台大師や伝教大師、文殊師利菩薩は行基、弥勒菩薩は傅大士(中国南北朝の斉の代に大乗仏教を弘めた人)として生まれ、人びとを利益した。
[44]今、末法の時代に入り、これらの諸菩薩もすべて本住処に隠居されてしまった。そのほかの閻浮提を守護する天神地祇も他方の国土に去ったり、あるいはこの土に住していても悪国を守護しない。また、善神は法味を嘗めることができないので守護の力がない。例えば法身の大菩薩(別教の十地以上、円教の十住以上の位にある一分中道の理を証得した菩薩)でなければ自ら三悪道(地嶽・餓鬼・畜生)に堕ちて衆生を救うことができないことと同じである。ほかのものでは三悪道の大苦を忍ぶことができないからである。
[45]ところが法華経の会座で大地から涌き出た地涌の大菩薩は、一には娑婆世界に長い間住しておられ、二には釈尊が久遠の過去世に発心された時からつき随ってきた弟子であり、三にはこの娑婆世界の中では最初に仏種を下された菩薩である。このように過去の世から娑婆世界と深い因縁をもっておられることは、他の諸大菩薩に超えている。
地涌の大菩薩が末法の弘経者であることの証文
[46]問うて言う。地涌の菩薩が末法時に娑婆世界の人びとを救う導師であることの証拠は何か。法華経第五の巻従地涌出品には「その時に他方の国土から来た八恒河沙の数を超えるもろもろの菩薩に仏は申された。『止めなさい、善男子よ。あなたたちが仏の滅後にこの経を持ち弘めるには及ばない』と」と説かれている。これを解釈して天台大師は「他方の国土から来た菩薩はこの娑婆世界との結縁が浅い。したがって経を弘めてもぜったいに大きな利益が得られないからである」(法華文句)と言い、妙楽大師は「なお他方から来集した菩薩にさえ付属しない。どうして声聞である舎利弗だけに付属しなかったと言えよう」(法華文句記)と言われている。また天台大師は「他方の国土から来集した八万の大菩薩を止められたのはその後の文で久遠釈尊の本眷属である地涌の大菩薩を召し出すためであり、明らかに他の菩薩ではこの経を弘めることは任が重くて堪えられないのである」(法華文句記。この文を「天台云」とするのは、日蓮聖人が妙楽大師の文に天台大師の意を見たためである)と言われている。
[47]これらの経典や注釈書の意味は、迦葉や舎利弗などのすべての声聞、文殊・薬王・観音・弥勒などの迹化(垂迹仏の教化を受けたもの。本化に対する語)の菩薩や他方の国土から来集した諸大菩薩が、末法の世にこの法華経を弘めるには任が重くて堪えられない、ということである。
[48]法華経には「わが娑婆世界にはもとより六万恒河沙(六万のガンジス河の砂の数)の菩薩がいる。その一々の菩薩にまた六万恒河沙の眷属(従者)が付き従っている。これらの菩薩たちが仏の入滅後に出現しこの法華経を護持し読誦し広く人びとに説き示すであろう。仏がこのことを説かれると、娑婆世界の三千大千の国土の大地がすべて震動して裂け、その中から数えきれないほど多くの菩薩が同時に涌き出た。そしてこの菩薩がたの中に四人の導師がおられた。一を上行菩薩といい、二を無辺行菩薩といい、三を浄行菩薩といい、四を安立行菩薩という。大勢の菩薩がたの中でも、この四菩薩がもっとも上位で他を先導する師である」(従地涌出品)と説かれている。
[49]この経文を解釈して、天台大師は「これらの菩薩はわたし(釈尊)の弟子であるから、わたしの法を弘めるのである」(法華文句)と述べ、妙楽大師は「釈尊は父で地涌の菩薩はその子供であるから、子が父の法を弘めるのである」(法華文句記)と言い、道暹は「付属とは、この経ではただ大地の下から涌き出た地涌の菩薩に付託することである。なぜならば、仏の法が久遠の過去に証得されたものであるから久遠の過去に教化された菩薩に付属するのである」(法華文句輔正記と説明している。
[50]これらの大菩薩が末法の衆生を利益されるのは、あたかも魚が水によくなれており、鳥が空を自由に飛ぶことと同じである。濁悪の世に生まれあわせた人びとが、この大菩薩に出会って仏種を下されることは、例えば水精が月に向かうと水を生じ、孔雀が雷の音を聞いて懐妊するようなものである。天台大師はこれを「すべての川が海に注ぐように、縁に引かれて菩薩が生まれるのもまたこれと同じである」(法華玄義)と言われている。
[51]智慧の光ですべてを照らし出す大聖釈尊は、仏眼によってかねてからこのことをご存知であった。したがって、もろもろの大菩薩がたをさしおいて、この四菩薩を大地の下から召し出して要法の五字を伝授し、末法の世の弘通者と定められたのである。
要法の経証
[52]問うて言う。地涌の菩薩に付属された要法について説かれている経文にはどのようなものがあるのか。答えて言う。このことについては口伝(秘要の法であるため、文章ではなく直接対面して口で伝える)によって伝授しよう。
正法時と像法時の付属
[53]地涌の菩薩に要法の五字を付属された後、釈尊は正法時と像法時の二千年間にわたる衆生済度のために、宝塔から出て虚空に立ち、右の手で文殊師利菩薩・観世音菩薩・梵天・帝釈・日天・月天・四天王などの会座の大衆の頭を三回摩で、要法以外の広(法華経全体)・略(法華経の一部分。とくに如来寿量品)の二法門や法華経の前後に説かれたすべての経典を、これらの大菩薩がたに付属された(法華経属累品の総付属)。これは正法時と像法時の二千年間の人びとを救うためである。その後、釈尊は涅槃経を説かれた時、ふたたび法華経や前四味(乳味=華厳経、酪味=阿含経、生蘇味=方等経、熟蘇味=般若経。法華経以前の諸経)の諸経を説いて、文殊師利菩薩などの諸大菩薩に授けられた。これは法華経によって大収穫されたのちの落穂拾いの利益を説かれたものである。
正法時の弘法
[54]このように仏からの付属に異なりがあるので、仏のご入滅後における教えの弘通についても付属の内容によって限りがある。したがって、迦葉や阿難などはもっぱら小乗経を弘めて大乗経を説かなかった。竜樹や無著などは権大乗経(方便の教えを説いた大乗経)を説いて一乗真実の法華経を弘めなかった。たとえ説いてもわずかに暗示する程度で、あるいは法華経迹門の一部分のみを説いても化道の始終(仏が衆生を教化されることの意図とその過程。始は教化の初まりで久遠過去世の下種、終は教化の完了で衆生の得脱)についてはまったく説き明かさなかった。
像法時の弘法
[55]南岳大師や天台大師などは観世音菩薩や薬王菩薩などの化身としてこの世に出現され、小乗経・大乗経、権教(方便の教え)・実教(真実の教え)、迹門(法華経の前半十四品。垂迹仏の教え)・本門(法華経の後半十四品。本地仏の教え)、化道の始終(仏の衆生教化の始めから終わりにいたるまで)、師弟の遠近(師の仏と弟子の菩薩が共に久遠であること)などについてことごとく説き明かし、そのうえに已今当の三説(已に説いた爾前諸経、今説いた無量義経、当に説くであろう涅槃経の三説の経よりも法華経は勝れている)を論じて、法華経は仏の一代聖教を超えた最勝の経であることを判釈されたことは、インドの諸論師よりも勝れ、中国の多くの解釈よりも抽んでている。旧訳(唐代の玄奘三蔵にいたる以前に漢訳されたもの)や新訳(玄奘三蔵以降に漢訳されたもの)の三蔵(経・律・論に通達した人)もまるでこの両師には及ばない。また、顕教(釈迦仏の説いた教え)や密教(大日如来の説いた教え)の開祖がたもとうていこの両師の敵ではない。しかしながら、この両師は法華経の広(経典全体)や略(経典の一部分)を中心とされて、まだ肝要の五字は説き弘められなかった。ご自身では肝要の五字を知っておられたけれども、あえて人びとには伝弘されなかったのである。これはひとえに付属の内容を正しく知り、付属にあたっての釈尊のお心を重んじられたからである。
像法末の弘法
[56]伝教大師は仏のご入滅後一千八百年を経た像法時の末に日本国に生まれ、小乗経・大乗経・一乗法華経の戒をそれぞれ区別し、梵網経の十重禁戒・四十八軽戒や瓔珞経の十無尽戒などの別受戒(特別の受戒)で小乗の二百五十戒を破折し、また法華経や普賢経の円頓(たちまち成仏する円満具足の教え)の大王のような戒(大乗円頓戒)で諸大乗経の臣民のような戒を責め破った。八年間にわたって釈尊が法華経を説かれた霊山以外には、一閻浮提(宇宙)のうちにはいまだかつてなかった大戒壇を、伝教大師は比叡山に建立したのである。そこで、八宗(倶舎宗・成実宗・律宗・華厳宗・三論宗・法相宗の南都六宗と天台宗・真言宗の平安時代に興った二宗)の人びとはともに誤った考えを捨て、国をあげて伝教大師の弟子となった。観勒(百済の人で三論宗に精通し日本に渡来して元興寺に住した)の流れを汲む三論宗・成実宗、道昭(入唐して玄奘に法を受け帰朝後法相宗を弘めた)が中国から渡した法相宗・倶舎宗、良弁(日本華厳宗の第二祖)が伝えた華厳宗、鑑真和尚(中国から渡来して律を弘め唐招提寺に住した)がもたらした律宗、弘法大師の門弟など、大乗円頓戒を持たない者はだれもいなかった。これに違背する者は師に敵対することである。この大乗円頓戒を信受するものは伝教大師の門徒である。慧心僧都源信の言う「日本国全体は法華円教の機根ばかりで、身分や地域を超えて、すべての人びとが同じように法華一乗を信ずる」(一乗要決)とはこのことではないだろうか。
諸宗諸師の邪見
[57]このほかの中国の三論宗の吉蔵大師などの一百人、法相宗の慈恩大師、華厳宗の法蔵・澄観、真言宗の善無畏・金剛智・不空・恵果、日本の弘法・慈覚などの三蔵たちは四依の大士(仏滅後に衆生が依りどころとすべき人格者)ではなく、暗師(智恵がなく法を正しく心得ていない人)であり愚癡の人である。経においては大乗・小乗、権教・実教の相異を弁えず、顕教・密教の趣旨を知らない。論においては諸経に共通して説かれたものと一経に限り特別に説かれたものとの異なりを究明することもせず、小乗だけを説いて大乗を説かなかったり、権教だけを説いて実教を説かなかったりするような違いのあることを明らかにしない。それにもかかわらず、前にあげた宗の末流たちはこれらの諸師を崇敬して聖人と呼び、国師と尊崇している。今、まずその一つの例をあげるので、その他の宗についてはそれによって推察しなさい。
弘法大師の誤り
[58]弘法大師の十住心論・秘蔵宝鑰・二教論などには「諸経はそれぞれの立場では真実と言えるけれども、後の大日経から見れば戯論(真実を説いていない教え)である」(十住心論)、「迷いのなかにいる」(秘蔵宝鑰)、「中国の人師は争って真言の醍醐を盗みそれぞれ自分の宗に名づけた」(二教論)などと書かれている。これらの文の意味は、法華経という大法を華厳経と大日経とに対して戯論の法と蔑り、迷いのなかにいると下し、そればかりでなく中国全体の諸師を盗人であると罵ったものである。このような謗法謗人(正法を謗り正師を謗る人)は、慈恩や得一が三乗真実一乗方便(三乗が真実で一乗は方便。したがって衆生には成仏する者としない者との区別がある)と言った誑惑にも超え、善導や法然が「千中無一」(法華経を修行しても千人のうち一人も成仏する者はいない。善導の往生礼讃の文)、「捨閉閣抛」(法華経などの聖道門の教えは末法の衆生には利益がないので、捨てよ、閉じよ、閣けよ、抛てよ、と説いた法然の選択集の文)と言った雑言にもすぎていること、あたかも雲と泥のように明らかである。
[59]醍醐を説く真言の六波羅蜜経は、唐の末に不空三蔵がインドから渡したものである。したがって仏教が初めて中国にもたらされた後漢の時代から唐の時代の初めまでの間はこの経典は中国になかったのである。南三北七(中国南北朝時代の江南三師・江北七師の学派)の碩学たちもこの経典を見なかった。三論宗・天台宗・法相宗・華厳宗の人師たちのだれが、まだ渡ってもいない六波羅蜜経の醍醐を盗むことがあろうか。また、この六波羅蜜経の中に、法華経は醍醐ではない、という文があるのであろうか。
[60]ところが日本国の東寺の門人(弘法大師の門下の者)たちは、堅く弘法大師の所説を信じていろいろな誤った考えを起こし、非に非を増し、暗きから暗きに入り、ますます邪見を増長し迷いを深めている。まことにかわいそうなことである。
[61]かの門流の伝法院(根来山)を創建した本願人である正覚房覚鑁(新義真言宗の祖)の書いた舎利講式には「尊高であるのは不二摩訶衍の仏(大日如来)であり、驢や牛のような三身(法身・報身・応身)の仏(法華経などの顕教の仏)はその車を引くこともできない。秘奥の教えは金剛界・胎蔵界の両界の曼陀羅の教えであり、顕教の四法(法華経・華厳経・般若経・深密経)の人はその履を取ることもできない」と述べられている。これは三論宗・天台宗・法相宗・華厳宗などの開祖を真言宗の師に比較して、牛を飼う人にも及ばない、輿をかつぐ人にも足らない、と書いた文である。真言宗の門徒の中で心ある人はこのことについてよく考えてほしい。これは大悪口ではないのか。大謗法ではないのか。結局、このような誑惑は弘法大師の「望後作戯論」(諸経は後の大日経から見るとすべて戯論である)という悪口から起こったのではないだろうか。
[62]教主釈尊・多宝如来・十方分身諸仏は、法華経を已今当の諸経(法華経が説かれた前後の一切経)に対比して「皆是真実」(すべて真実である)と定め、その後、釈尊は霊山に隠居され、多宝如来と十方分身諸仏はそれぞれの本土にお帰りになった。法華経が一切経の中でもっとも勝れているとの判定は、この三仏(釈尊・多宝如来・分身諸仏)以外のだれが破ることができよう。
[63]それとも、弘法大師がご覧になった真言経典の中に、この三説超過(已に説いた爾前の諸経、今説いた無量義経、当に説くであろう涅槃経の三説を超えて、法華経はもっとも勝れている)を悔い改める経文があるのであろうか。弘法大師はそのような経文は示していない。末学の人たちの智恵ではどうすることもできないであろう。ところが弘法大師一人だけが、法華経を華厳経と大日経との二経に対して戯論とか盗人としているのである。結局、このことは釈尊・多宝如来・十方分身諸仏を指して盗人と称したことになるのではないだろうか。末学の人たちは眼を閉じてこのことをよく考えなさい。
諸宗批判への疑難とその解答
[64]問うて言う。昔から今にいたるまでこのような誹謗の言葉をかつて聞いたことがない。どうして清らかな昔の時代の高貴の僧に背いて、今のような濁悪の世の愚な僧の言葉を信じられようか。
[65]答えて言う。貴方の言うことは、愚かな人はかならず道理と思うであろう。しかしながら、それらはすべて、人師の虚偽の言葉にとらわれて如来の金言を知らない者のことである。大覚世尊は入滅後の人びとに警告して、涅槃経の中に「善男子よ、わたしが説くことについてもし疑いを生ずるようなことがあれば、あえて信受してはならない」(如来性品)と説かれている。仏でさえも、自分の説法に不審があれば用いてはならない、と言われている。今、わたしを他宗の諸師と比較して非難されるが、わたしはけっして自分かってな見解を述べているのではない。もっぱら釈尊の遺誡(仏が入滅に臨んで人びとに遺された誡めの言葉)にしたがって人びとの誤った解釈を糺したのである。
天台・伝教両大師による諸宗批判の前例
[66]斉の時代の初めから梁の時代の末までの二百余年間、中国南北の碩学であった光宅寺法雲や智誕などの二百余人は、涅槃経の「我等悉名邪見之人」(この経が説かれるまではわたしたち〔迦葉菩薩たち〕は邪見の人であった)(如来性品)の文を引いて、法華経を邪見の経と決めつけて、国中の僧尼や王臣などを迷わした。そこで陳・隋のころに天台智者大師が世に出現し、このことを糺明することによってはじめて南北の碩学が立てた誤りを破折したのである。
[67]唐の時代の初め、太宗皇帝の時代に、基法師(慈恩大師)が勝鬘経の「若如来随彼所欲而方便説即是大乗無有二乗」(如来は衆生の望みに応じて方便の教えを説かれたのであって、真実には大乗の教えのみで二乗の教えはない)の文を引いて、一乗は方便であり三乗こそが真実である、との法義を立てた。経文を曲解したこの邪義が中国に弘まっただけでなく、日本にまで伝えられ、得一は称徳天皇の時代に盛んにこの邪義を説いた。そこで伝教大師はことごとくその邪見を論破された。
日蓮の念仏・真言両宗批判
[68]後鳥羽院の時代に法然房源空が、観無量寿経の「読誦大乗」(大乗経を読誦する)という一句の中に法華経を入れ、「称名念仏に対すると雑行であり方便の教えであるから、捨てなさい、閉じなさい、閣きなさい、抛ちなさい」と言った。
[69]ところが五十余年の間、南都(奈良)・北京(京都)・五畿(大和・山城・河内・摂津・和泉。都に近い五つの国)・七道(東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海。地方の諸国)の諸寺諸山の多くの僧たちは、この悪義を破ることができなかった。日蓮の難詰論破により法然の誤りが明瞭になったので、日本国中の人びとはたちまちのうちに法然が撰述した選択集を捨て去ったのである。根が露出すれば枝が枯れ、水源が乾けば川の流れも竭きはてる、とはこのことを言うのであろう。
[70]そればかりでなく、唐の世の中期、玄宗皇帝の時代に、善無畏・不空などが大日経の住心品に説かれている「如実一道心」(もろもろの執着を離れ一道清浄の理に住する心)の一句に法華経をあてはめ、権経(方便の経)であると下した。日本の弘法大師は六波羅蜜経に説かれている五蔵(第一経蔵・第二律蔵・第三論蔵・第四般若波羅蜜蔵・第五陀羅尼蔵)の中の第四熟蘇味の般若波羅蜜蔵(真実の智恵を求め我と法とに執着しない者に対する教え)に法華経や涅槃経などを位置づけ、第五の陀羅尼蔵(最高の境地に到達した者に対する教え。すなわち大日如来の教え)と比較して「争盗醍醐」(法華経などを醍醐と称するのは真言の醍醐を盗み取ったものである)と言った。
[71]このような罪過を、日本国中で、四百余年の間、今にいたるまで、糺明する人がいなかった。私が行った論難は日本国中に響いている。かならずこの邪義を破折するであろう。このことについてはこれで止める。
信仰の勧奨
[72]正法時代の迦葉や阿難など、竜樹や天親など、像法時代の天台大師や伝教大師などの大聖人が、心の内には知っていながら外にむかってはまだ弘めなかった肝要の秘法(妙法五字)は法華経の文に明瞭である。ところがどのような人たちの論釈などにも記載されていないこともまた明らかである。生まれながらにして知ることのできる聖人は自ら経文を見て知るであろうし、賢人はりっぱな師に出会うことによって法門の伝授を受け、これを信じなさい。罪障が深重の者たちは自分で邪推して人を軽蔑し、このことを信じようとしない。しばらくでも耳にとどめて聞く意思があれば、このことについて教え諭そう。
法華経流布の時と国
[73]大集経第五十一巻に、大覚世尊は月蔵菩薩に語って「わたしが入滅した後の五百年の間は解脱堅固(悟りを開く者が多くいる)、次の五百年の間は禅定堅固(仏道を修行する者が多くいる)、〈以上で一千年である〉。次の五百年の間は読誦多聞堅固(経典の読誦や学問が盛んに行われる)、次の五百年の間は多造塔寺堅固(寺塔が盛んに造られる)、〈以上で二千年である〉。次の五百年の間は仏法の中で闘諍言訟(互いに争い訴訟が起こる)して白法隠没(正しい教えが隠没する)の時代となるであろう」と言われた。今の時代は末法に入って二百二十余年を経ており、経文に説かれている「我法中闘諍言訟白法隠没」の時代にあたっている。
[74]法華経の第七巻薬王菩薩本事品には、教主釈尊が多宝仏とともに、宿王華菩薩に語って「わたしが入滅した後、後の五百年の時代に閻浮提にこの経を広く弘めて、断絶させないようにし、悪魔や悪魔の民、もろもろの天・竜・夜叉・鳩槃荼(人の精気を食べる鬼)などに隙を与えるようなことがあってはならない」と説かれている。
[75]大集経の文によって教法流布の時と国について考えると、前の四箇の五百年は仏の未来記(未来を予言した仏の記文)のとおりにすでに符合したのであるから、第五の五百年のことについても空しくはずれるということはないであろう。そこで今の世の有様をみると、大日本国と大蒙古国とが争っている。このことは、経文に説かれている第五の五百年にあたっているのではないだろうか。この大集経の文をもって法華経の文を推察すると、「後五百歳中広宣流布於閻浮提」(後の五百年の時代に閻浮提にこの経を広く弘めなさい)との仏のお言葉は、日本国に法華経を弘めなさい、という意味ではないのか。
法華経流布の時と国についての証文
[76]弥勒菩薩の瑜伽論には「東方に小国がある。その国には大乗の教えを伝授されるべき人びとばかりが住んでいる」と記されている。弥勒菩薩は仏のご入滅後九百年の頃、無著菩薩の要請を受けて兜率の内院から下ってきて中インドにいたり、瑜伽論を説いた。これは権教の機根にそくし、また仏の付属に順じ、時代にも応じて権経(方便の教えを説いた経)を弘めたのである。しかしながら、法華経の従地涌出品が説かれた時、弥勒菩薩は地涌の菩薩を見て釈尊の近成(始成正覚の釈尊に久遠教化の弟子がある)を疑ったので、仏はその疑問に答えて如来寿量品を説き、自らの久遠実成を顕わされ、さらに分別功徳品にいたって地涌の菩薩に勧めて「悪世末法の時代によくこの経を持つ者」と言われた。弥勒菩薩は自分自身が付属されたのではないのでこの経を弘めないけれども、法華経説法の霊山で親りに「悪世末法の時代」という仏の金言を聴聞したので、瑜伽論を説いた時、末法時に日本国において地涌の菩薩が法華経の肝心「南無妙法蓮華経」を弘める、ということをあらかじめ示されたのである。
[77]僧肇(法華経を漢訳した鳩摩羅什の弟子)の法華経翻経後記には「大師須梨耶蘇摩が左の手に法華経を持ち、右の手で鳩摩羅什の頭を摩でて授けて言うには、『仏日(仏の教え)が西に傾いて教えが隠れても、余光が東の空を照らすように、この経典は東北に縁がある。貴方は慎んで伝え弘めなさい』と」と書かれている。わたしはこの未来記の文を拝見して、両眼から滝のように涙が溢れ出し全身が悦びで満ちた。「この経典は東北に縁がある」と説かれている。西天のインド国は未申(南西)の方角、東方の日本国は丑寅(北東)の方角である。インドにおいて、東北に縁がある、とは日本国以外にはないであろう。
[78]遵式(宋朝時代の天台宗の学僧)の著である天台別集には「仏教は初め西から伝わった。これは月が西の空から出るようなものである。今、仏教がこんどは東から西に弘まる。これは太陽が東の空に昇るようなものである」(南嶽禅師止観後序の文)と述べられている。正法時・像法時の二千年間に、仏教が西から東に伝わったのは、夕月が西の空に現われるようなものである。末法時の初めの五百年間に、仏教が東から西に弘まるのは、朝日が東の空に出ることと同じである。
[79]伝教大師の法華秀句には「時代は像法時の終わり末法時の初め、場所は唐の東羯(靺鞨。松花江・牡丹江の流域、および黒竜江の下流から日本海にいたる地域)の西、人は五濁(劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁)にまみれた衆生で闘争が盛んに行われている時代である。法華経には『仏のご在世ですら怨嫉が多い。ましてご入滅の後においてはなおさらである』(法師品)と説かれている。この仏のお言葉はまさにそのとおりである」と記されている。
[80]また、伝教大師は守護国界章に「正法・像法の時代はもはや過ぎ去って末法の時代が目前に近づいた。法華一乗の教えを受けるべき機根の人びとが待ち望んだ時代である。このことを何によって知ることができるかと言えば、法華経安楽行品には『末世の仏法が滅する時』と説かれているからである」と述べられている。
[81]伝教大師の法華秀句の文は、文章が美しく心の内が隠れているので、読む人は本意を理解することが難しいであろう。伝教大師のお言葉はご自分の時代のことを言われているようであるが、心では末法の時代を切望されていたのである。伝教大師が世に出られた時代は、仏のご入滅後一千八百余年である。大集経の文をもってこれを考えてみれば、伝教大師が御存命の時は第四の多造塔寺堅固の時代にあたる。第五の闘諍堅固の時代ではない。そのうえ、他の書物に「末法太有近」(末法の時代が目前に近づいた)(守護国界章)というお言葉がある。したがって、法華秀句に書かれている「闘諍堅固」の文は、ご自分の時代を指されたものではないことをはっきりと知ることができる。
[82]わたしがつくづくとそのことの意味を考えてみると、過去の世に伝教大師は薬王菩薩として霊山の法華経説法の会座にはべり、仏が、上行菩薩が出現する時を予言された言葉を聞いて知っていたので、著書に少しくこのことを説き示されたのであろう。
日蓮の要法弘通
[83]わたしは地涌の菩薩の一分ではないけれどもかねてからこのことを知っていた。そこで地涌の大菩薩が出現して弘経されるのに先馳けて、ほぼ要法の妙法五字を人びとに説き示すのである。例えば西王母(漢の武帝の時代に出現したと伝えられる仙女)が来る時の前相として青鳥が飛び来たり、客人の来る前には鳱鵲が鳴くようなものである。
習学の大切さと書籍蒐集の依頼
[84]この大法(妙法五字)を弘めるためには、かならず一代聖教を備え置いて八宗の書物を習学しなければならない。したがってわたしは多くの聖教を所持していたが、伊豆と佐渡の二度にわたる流罪やそのほかのたびたびの大難により、そのうちの一巻、二巻が散失したり、一字、二字が脱け落ちたり、文字の写し誤りの書物があったり、一部、二部と破損してしまったりした。もしこのまま放置して一生を過ごしてしまうと、その後に弟子たちが誤りを生じ混乱をきたしてしまうことの原因となる。そこで愚かな身が老いてしまう前にこれを調べ糺しておきたいと思うのである。
[85]ところで、聞くところによると、貴方の下総国曾谷の領地内や大田金吾殿の越中国の領地内、およびその近辺の寺々に多くの聖教があるということである。両人は共に日蓮の大檀那である。どうかわたしの願いをかなえていただきたい。
[86]涅槃経には「内には智恵のある弟子がいて仏法の深い教えを解り、外には清浄な檀越がいて仏法を護持して永遠に存在させる」(梵行品)と説かれている。天台大師は毛喜(陳の宣帝に仕え軍と政治を補佐した人で天台大師に帰依した)などと親交して帰依を受け、伝教大師は国道(伝教大師の大乗円頓戒壇建立運動に助力した外護者)や弘世(高雄山寺で伝教大師に南都の碩学を前に法華経を講じさせた)などを頼みとされた。
正法受持者の果報
[87]仁王経には「千里以内では七難を起こさせない」(受持品)、法華経には「百由旬の内にあらゆる災難・患いがないようにする」(陀羅尼品)と説かれている。これは国主が正法を護持し弘通すればかならずこのような功徳を得ることができ、下臣や民がこの法を護ればかならず家族の大難を払うことができる、という経文である。法華経の第八巻には「願いは満たされ、現世に福報を得る」(普賢菩薩勧発品)、「まさに今の世において果報を得る」(普賢菩薩勧発品)と説かれている。
正法毀謗者の罪報
[88]また同じく法華経の第八巻には「この経の受持者を謗る人は現世に病に罹る」(普賢菩薩勧発品)、「頭が七分に破れる」(陀羅尼品)とあり、第二巻には「この法華経を読誦し書写して信仰する者を見て、軽蔑し、賤しみ、憎み、嫉み、恨を懐く人は、死後、無間地獄に堕ちる」(譬喩品)と示され、第五の巻には「もし法華経受持者を悪み罵る人は口が閉じて開かなくなる」(安楽行品)と説かれている。伝教大師もまた「法華経を讃める者は福を安明(須弥山)のように高く積み、誹謗する者は罪を受けて無間地獄に堕ちる」(依憑天台集)と言われている。安明とは須弥山、無間地獄とは阿鼻地獄のことである。国主が法華経受持者を誹謗するとその位を失い、臣下や民が法華経の行者を毀謗するとその身を亡ぼす。したがって、国をあげて法華経の行者の言葉を用いなければ、かならず自界叛逆の難(国内で謀叛がおこる災難)と他国侵逼の難(他国から侵略される災難)が起こるにちがいない。
大難と法華経の行者
[89]また、勝れた行者を毀謗すると大の七難が起こり、中ごろの行者を毀謗すると二十九難のうち一つが起こり、位の低い行者を毀謗すると多くの難のうちの一つが起こる。大の七難が起こるのは七人の勝れた行者を毀謗することによる。七難の第一は日月の難(日月失度難)である。これにまた五つの大難がある。すなわち、太陽や月が光を失って時節が逆になり、赤い太陽や黒い太陽が出たり、二・三・四・五もの太陽が並び出たり、日蝕になり光がなくなったり、太陽が一・二・三・四・五などと重なって出る。また経典には「二つの月が並んで出る」とも説かれている。今、この日本国に現われていないのは、二つの太陽・二つの月が出るという大難だけで、他の大難はおおよそ現われた。今、この経文の鏡に日本国の有様を映してみると、かならず法華経の大行者が出現しているにちがいない。法華経の行者を謗った者に対し、すでに大罰が下されてもろもろの大難が起こったのである。このことを信じる者にはどうして大福がないことがあろうか。
信心の勧奨と聖教蒐集の依頼
[90]今、両人は力を励ましてわたしの願いを助け、仏の金言が真実であることを試しなさい。経文のとおりに修行して何の徴もなければ、釈尊が「正直に方便を捨てて真実を説く」と言われたお言葉も、多宝如来が釈尊の説かれた法華経を「すべてこれは真実である」と証明されたお言葉も、十方分身諸仏が広長舌を梵天にまでつけて法華経の真実を証明されたことも、すべてが言葉のうえだけで実のないものとなってしまうであろう。そうなれば、三仏のお言葉は提婆達多の大妄語にもすぎ、瞿伽利の大誑言にもこえるものとなる。太陽も月も大地に落ち、大地は覆り、天を仰いで叫び声をあげ、大地に臥して胸を押さえるような思いである。今の日本国は、殷の湯王が玉体(天子のお身体)を薪にして雨を祈り、戒日大王が竜顔(天子のお顔)を火に入れて火災の鎮まることを祈った時と同じである。もしこの書を見聞きして、過去世に法華経との縁を結んだことのある人ならば、その因縁によって信仰の心を発すであろう。
[91]使者にこの書を持たせ、早速にも北国に遣し、大田金吾殿の返事を受けとって速に聖教の蒐集が可能かどうかを聞かせてほしい。この願いがもし成就すれば、崑崙山の玉が求めもしないのに自然と蔵に収まり、大海の宝珠が求めないのに掌にあることと同じようにたいへん喜ばしいことである。恐惶謹言
[92]<日>三月十日日>
[93]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[94]<先>曾谷入道殿先>
[95]<先>大田金吾殿先>