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南条兵衛七郎殿御書

全集 第3巻 2段 定本: #38(定本の該当ページへ)

書下し

南条兵衛七郎殿御書なんじようひようえしちろうどのごしよ


[1]御所労ごしよろうよし承り候はまことにてや候らん世間せけんさだめなき事は病なき人も留りがたき事に候へば、まして病あらん人は申すにおよばず。ただし心あらん人は後世ごせをこそ思ひさだむべきにて候へ。
[2]又後世を思ひ定めん事は私にはかなひがたく候。一切衆生の本師にてまします釈尊のおしえこそもとにはなり候べけれ。
[3]しかるに仏の教へ又まちまちなり。人の心の不定ふじようなる故
[4]しかれども釈尊の説教五十年にはすぎず。さき四十余年の間の法門に、華厳経には心仏及衆生是三無差別しんぶつぎゆうしゆじようぜさんむさべつ阿含経あごんきようには苦空無常無我くくうむじようむが大集経だいしつきようには染浄融通ぜんじようゆうづう大品経だいぼんぎようには混同無二こんどうむに双観経そうかんぎよう観経かんぎよう阿弥陀経あみだきよう等には往生極楽おうじようごくらく此等これらの説教はみな正法しようぼう像法ぞうぼう末法まつぽうの一切衆生をすくはんがためにこそとかれはんべり候けめ。
[5]而れども仏いかんがおぼしけん、無量義経に「方便力ほうべんりきを以て四十余年にはいまだ真実をあらわさず」と説かれて、先四十余年の往生極楽等の一切経は親の先判せんぱんのごとくくひかえされて、「無量無辺不可思議阿僧むりようむへんふかしぎあそうぎこうを過ぐるともついに無上菩提むじようぼだいじようずることをず」といゐきらせ給ひて、法華経の方便品ほうべんぼんかさねて「正直しようじきに方便を捨てて但無上道むじようどうを説く」ととかせ給へり。方便をすてよととかれてはんべるは、四十余年の念仏等をすてよととかれて候。
[6]かうたしかにくいかえして実義じつぎをさだむるには、「世尊の法は久しくして後かならずまさに真実を説くべし」「久しくこのようもくしていそいですみやかに説かず」等とさだめられしかば、多宝仏たほうぶつ大地よりわきいでさせ給ひて、この事真実なりと証明しようみようをくわへ、十方の諸仏八方にあつまりて広長舌相こうちようぜつそう大梵天宮だいぼんてんぐうにつけさせ給ひき。二処三会にしよさんね二界八番にかいはちばんの衆生一人もなくこれをみ候ひき。
[7]此等の文をみ候に、仏教を信ぜぬ悪人外道げどうはさておき候ひぬ。仏教の中に入り候ても爾前権教にぜんごんきようの念仏等を厚く信じて、十遍・百遍・千遍・一万乃至六万等を一日にはげみて、十年二十年のあひだにも南無妙法蓮華経と一遍だにも申さぬ人人は、先判せんぱんに付いて後判ごはんをもちゐぬ者にては候まじきか。此等これらは仏説を信じたりげには我身わがみも人も思ひたりげに候へども、仏説の如くならば不幸ふこうの者也。
[8]故に法華経の第二に云く「今この三界は皆これが有なり。その中の衆生はことごとくこれが子なり。しかも今このところはもろもろの患難げんなん多し。ただ我一人われいちにんのみよく救護くごをなす。また教詔きようしようすといえどもしかも信受せず」等云云。
[9]もんの心は釈如来は此等これら衆生にはおや也、也、しゆ也。我等衆生のためには阿弥陀仏あみだぶつ薬師仏やくしぶつ等は主にてはましませども、親と師とにはましまさず。ひとり三徳をかねて恩ふかき仏は釈一仏にかぎりたてまつる。親も親にこそよれ、釈尊ほどの親。師も師にこそよれ、主も主にこそよれ、釈尊ほどの師主ししゆはありがたくこそはべれ。この親と師と主とのおおせをそむかんもの、天神地てんじんちぎにすてられたてまつらざらんや。不孝第一の者也。故に「雖復教詔而不信受すいぶくきようしようにふしんじゆ」等と説かれたり。
[10]たとひ爾前にぜんの経につかせ給ひて、百千万億劫ひやくせんまんおくこう行ぜさせ給ふとも、法華経を一遍も南無妙法蓮華経と申させ給はずは、不孝の人たる故に三世十万の聖衆しようしゆうにもすてられ、天神地にもあだまれたまはんれ一〉。
[11]たとひ五逆十悪ごぎやくじゆうあく無量の悪をつくれる人も、こんだにもなれば得道とくどうなる事これあり。提婆達多だいばだつた鴦崛摩羅おうくつまら等これなり。たとひ根鈍こんどんなれども罪なければ得道なる事これあり。須利槃特すりはんどくこれ也。
[12]我等衆生はこんどんなる事すりはんどくにもすぎ、もののいろかたちをわきまへざる事羊目ようもくのごとし。貪瞋癡とんじんちきわめてあつく、十悪は日日にをかし、五逆をばおかさざれども五逆に似たる罪又日日におかす。
[13]又十悪五逆にすぎたる謗法ほうぼうは人ごとにこれあり。させることばを以て法華経をほうずる人はすくなけれども、人ごとに法華経をばもちゐず。又もちゐたるやうなれども念仏等のやうには信心ふかからず。信心ふかき者も法華経のかたきをばせめず。いかなる大善だいぜんをつくり、法華経を千万部読み書写し、念三千の観道かんどうを得たる人なりとも、法華経のかたきをだにもせめざれば得道ありがたし。
[14]たとへばちようにつかふる人の十年二十年の奉公ほうこうあれども、きみの敵をしりながらそうもせず、私にもあだまずば、奉公皆うせてかえつてとがに行はれんが如し。当世とうせの人人は謗法ほうぼうの者としろしめすべし〈是れ二〉。
[15]仏入滅の次の日より千年をば正法しようぼうと申す。持戒じかいの人多く得道の人これあり。正法千年の後は像法ぞうぼう千年也。破戒者は多く得道すくなし。像法千年の後は末法まつぽう万年。持戒もなし破戒もなし、無戒者のみ国に充満せん。
[16]而も濁世じよくせと申してみだれたる世也。清世しようせと申してすめる世には、直縄じきじようのまがれる木をけづらするやうに、をすてを用ゐる也。しようぞうより五濁ごじよくやうやういできたりて、末法になり候へば五濁さかりにすぎて、大風の大波ををこしてきしをうつのみならず、又波と波とをうつ也。見濁けんじよくと申すは正・像やうやうすぎぬれば、わづかの邪法じやほうの一をつたへて無量の正法しようぼうをやぶり、世間の罪にて悪道あくどうにおつるものよりも、仏法を以て悪道につるもの多しとみへはんべり。
[17]しかるに当世とうせ正像しようぞう二千年すぎて末法まつぽうに入りて二百余年、見濁けんじよくさかりにして、悪よりも善根ぜんごんにて多く悪道に堕つべき時刻也。
[18]悪は愚癡ぐちの人も悪としればしたがわぬへんもあり。火を水を用ひてけすがごとし。善はただ善と思ふほどに、小善しようぜんに付いて大悪だいあくのをこる事をしらず。
[19]所以ゆえ伝教でんぎよう慈覚等の聖跡しようせきあり。すたれあばるれども念仏堂にあらずといゐてすてをきて、そのかたわらにあたらしく念仏堂をつくり、かの寄進きしん田畠でんばたをとりて念仏堂によす。此等は像法決疑経ぞうぼうけつぎきようの文のごとくならば、功徳くどくすくなしと見へはんべり。此等をもちてしるべし。善なれども大善をやぶる小善は悪道に堕つるなるべし。
[20]今の世は末法のはじめなり。小乗経しようじようきよう権大乗経ごんだいじようきようの機みなうせはててたゞじつ大乗経の機のみあり。
[21]小船には大石たいせきをのせず。悪人愚者は大石のごとし。小乗経並びに権大乗経念仏等は小船也。大悪瘡だいあくそう湯治とうじ等はやまい大なれば小治およばず。末代濁世まつだいじよくせの我等には念仏等はたとへば冬田を作るがごとし。時があはざる也〈是れ三〉。
[22]国をしるべし。国に随つて人の心不定ふじよう也。たとへば江南こうなんたちばな淮北わいほくにうつされてからたちとなる。心なき草木そうもくすらところによる。まして心あらんもの何ぞ所によらざらん。
[23]されば玄奘げんじょう三蔵の西域さいいきと申すふみ天竺てんじくの国々を多く記したるに、国のならいとして不孝ふこうなる国もあり、孝の心ある国もあり。しんにのさかんなる国もあり、愚癡ぐちの多き国もあり。一向いつこうに小乗を用る国もあり、一向大乗を用る国もあり。大小兼学けんがくする国もありと見へはべり。又一向に殺生せつしようの国、一向に偸盗ちゆうとうの国、又こめの多き国、又あわ等の多き国不定ふじよう也。
[24]そもそも日本国はいかなるおしえを習ふてか生死しようじを離るべき国ぞとかんがへたるに、法華経に云く「如来の滅後において閻浮提えんぶだいうちに広く流布るふせしめ断絶だんぜつせざらしむ」等云云。もんの心は、法華経は南閻浮提なんえんぶだいの人のための有縁うえんの経也。弥勒菩みろくぼさつの云く「東方とうほうに小国有りただ大機のみ有り」等云云。此の論のもんの如きは、閻浮提の内にも東の小国に大乗経の機ある歟。肇公じようこうに云く「この典は東北の小国に有縁なり」等云云。法華経は東北の国に縁ありとかゝれたり。安然和尚あんねんわじようの云く「我が日本国皆大乗を信ず」等云云。慧心えしん一乗要決いちじようようけつに云く「日本一州円機純一えんきじゆんいつ」等云云。釈如来・弥勒菩須梨耶蘇摩すりやそま三蔵・羅什らじゆう三蔵・僧肇法師そうじようほつし安然和尚あんねんわじよう慧心えしん先徳せんとく等の心ならば、日本は純に法華経の機也。
[25]一句一偈いつくいちげなりとも行ぜば必ず得道とくどうなるべし。有縁うえんの法なるが故也。たとへばくろかねを磁石のすうが如し、方諸ほうしよの水をまねくににたり。念仏等の余善よぜん無縁むえんの国也。磁石のかねをすわず、方諸の水をまねかざるが如し。
[26]故に安然あんねんの釈に云く「もし実乗じつじようにあらずんばおそらくは自他をあざむかん」等云云。此の釈の心は、日本国の人に法華経にてなき法をさづくるもの、我が身をあざむき人をもあざむく者と見えたり。
[27]されば法は必ず国をかんがみて弘むべし。の国によかりし法なれば必ずの国にもよかるべしとは思ふべからず〈是れ四〉。
[28]又仏法流布るふの国においても前後をかんがふべし。仏法を弘むるならい、必ずさきに弘まりける法のさまを知るべき也。
[29]例せば病人に薬をあたふるにはさきにふくしたる薬のさまを知るべし。薬と薬とがゆき合ふてあらそひをなし、人をそらんずる事あり、仏法と仏法とがゆき合ふてあらそひをなして、人をそんずる事のある也。
[30]さきに外道げどうの法弘まれる国ならば仏法をもつてこれをやぶるべし。仏の印度いんどにいでて外道をやぶり、まとうか・ぢくほうらんの震旦しんたんきたりて道士どうしをせめ、上宮太子和国じようぐうたいしわこくに生れて守屋もりやをきりしが如し。仏教においても、小乗の弘まれる国をば大乗経をもつてやぶるべし。無著菩むじやくぼさつ世親せしんの小乗をやぶりしがごとし。権大乗ごんだいじようの弘まれる国をば実大乗じつだいじようをもつてこれをやぶるべし。天台智者大師の南三北七*なんさんほくしちをやぶりしが如し。
[31]しかるに日本国は天台真言の二宗のひろまりて今に四百余歳、比丘びく比丘尼びくに・うばそく・うばひの四衆ししゆう皆法華経のと定りぬ。善人悪人・有智無智うちむち、皆五十展転ごじゆうてんでん功徳くどくをそなふ。たとへば崙山こんろんざんに石なく、ほうらいさんに毒なきが如し。
[32]而るを此の五十余年に法然ほうねんという大謗法だいほうぼうの者いできたりて、一切衆生をすかして、たまに似たる石をもつて珠を投げさせ石をとらせたる也。止観しかんの五に云く、「瓦礫がりやくたつとんで明珠みようじゆなり」と申すはこれ也。一切衆生石をにぎりてたまとおもふ。念仏を申して法華経をすてたるれ也。此の事をば申せばかえつてはらをたち、法華経の行者をのりて、ことに無間むげんごうをます也〈是れ五〉。
[33]ただしとのは、このぎをきこしめして、念仏をすて法華経にならせたまひてはべりしが、定めてかへりて念仏者にぞならせ給ひてはべるらん。
[34]法華経をすてゝ念仏者とならせ給はんは、峯の石の谷へころび、空の雨の地におつるとおぼせ。大阿鼻地嶽だいあびじごく疑ひなし。大通結縁*だいつうけちえんの者の三千塵点劫さんぜんじんでんごうを、久遠下種*くおんげしゆの者の五百塵点ごひやくじんでんし事、大悪知識だいあくちしきにあいて法華経をすてて念仏等の権教にうつりし故也。
[35]一家の人々念仏者にてましましげに候ひしかば、さだめて念仏をぞすゝめまいらせ給ひ候らん。我が信じたる事なればそれも道理にては候へども、悪魔の法然が一類いちるいにたぼらかされたる人々也とおぼして、大信心を起し御用おんもちひあるべからず。大悪魔はとうとき僧となり、父母兄弟等につきて人の後世ごせをばさうるなり。いかに申すとも、法華経をすてよとたばかりげに候はんをば御用ひあるべからず。
[36]まづきやうさく(景迹)あるべし。念仏じつ往生おうじようすべき証文しようもんつよくば、此の十二年が間念仏者無間地嶽むけんじごくと申すをば、いかなるところへ申しいだしてもつめずして候べき。よくよくゆはき事也。法然善導等ほうねんぜんどう等がかきをきて候ほどの法門は日蓮らは十七八の時よりしりて候ひき。このごろの人の申すもこれにすぎず。
[37]結句けつくは法門はかなわずして、よせてたゝかいにし候也。念仏者は数千万、かたうど多く候也。日蓮は唯一人、かたうどは一人もこれなし。今までもいきて候はふかしぎ也。
[38]今年ことしも十一月十一日、安房国東条あわのくにとうじよう松原まつばらと申す大路おおじにして、申酉さるとりの時、数百人の念仏等にまちかけられ候て、日蓮は唯一人、十人ばかり、ものゝようにあふものはわづかに三四人也。いるやはふるあめのごとし、うつたちはいなづまのごとし。弟子一人は当座とうざにうちとられ、二人は大事のてにて候。自身もきられ、打たれ、結句けつくにて候ひし程に、いかが候ひけん、うちもらされていままでいきてはべり。いよいよ法華経こそ信心まさり候へ。
[39]第四の巻に云く「しかもこの経は如来の現在すらなお怨嫉おんしつ多し、いわんや滅度ののちをや」。第五の巻に云く「一切世間怨いつさいせけんあだ多くして信じがたし」等云云。日本国に法華経よみがくする人これ多し。人のめ(妻)をねらひ、ぬすみ等にて打はらるゝ人は多けれども、法華経の故にあやまたるゝ人は一人もなし。されば日本国の持経者じきようしやはいまだ此の経文にはあわせ給はず。唯日蓮一人こそよみはけべれ。「我不愛身命但惜無上道がふあいしんみようたんじやくむじようどう」是れ也。されば日蓮は日本第一の法華経の行者なり。
[40]もしさきにたゝせ給はば梵天ぼんてん帝釈たいしやく四大天王しだいてんのう閻魔大王えんまだいおう等にも申させ給うべし、日本第一の法華経の行者日蓮房の弟子也となのらせ給へ。よもはうしん(芳心)なき事は候はじ。
[41]ただし一度は念仏一度は法華経となへつ、二心ふたごころましまし、人のきくにはばかりなんどだにも候はば、よも日蓮が弟子と申すとも御用おんもちゐ候はじ。後にうらみさせ給ふな。
[42]但し又法華経は今生こんじようのいのりともなり候なれば、もしやとしていきさせ給ひ候はば、あはれとくとく見参けんざんして、みずから申しひらかばや。
[43]ことばはふみにつくさず、ふみは心をつくしがたく候へばとどめ候ひぬ。恐恐謹言きようきようきんげん
[44]文永ぶんえい元年<日>十二月十三日
[45]<人>日 蓮 <花押>花押
[46]<先>なんでうの七郎殿
現代語訳

南条兵衛七郎殿御書


文永元年(一二六四)一二月一三日、四三歳、於安房、南条兵衛七郎宛、和文、定三一九—三二八頁。

病気の見舞いと信心の勧め


[1]御病気との事、お聞きいたしましたが本当であろうか。世の中は無常であり、病気ではない人であっても生き続けることは困難であるのに、まして病気の人はなおさらである。ただし道心どうしんのある人は死後のことこそ思い定めておかなければならない。

真実の教法


[2]また、死後のことを思い定めるには、自分のはからいだけではとてもできるものではない。すべての人びとの本師ほんし(本当の師、根本の師)である釈尊の教えこそがその根本となるものである。
[3]ところが仏の教えはさまざまにある。それは人びとの心がそれぞれ異なっており、その異なった人びとに応じて仏は法を説かれたからである。
[4]しかしながら、釈尊の御一代の説法は五十年である。そのうち、前の四十余年間の法門には、華厳経の「心はたくみな画師えしのようにすべてのものを作る。心と仏と衆生とは皆同じで、この三つに異なりはない」という教え、阿含経の「すべてのものは苦であり、空であり、無常であり、無我である」という教え、大集経の「けがれた迷いときよい悟りとは融通ゆうづうして一体である」という教え、大品般若経の「迷いの苦界と悟りの仏界とはその本性ほんしようにおいて一つである」という教え、観無量寿経・無量寿経・阿弥陀経などの「阿弥陀仏の誓願力せいがんりきによって極楽浄土に往生する」という教えがある。これらの教えは皆、仏入滅後の正法時・像法時・末法時のすべての人びとを救うために説かれたのであろう。
[5]ところが仏はどのように思われたのか、無量義経に「方便の力用はたらきをもって四十余年の間はまだ真実を説き顕わさなかった」と説かれ、さきの四十余年間に説かれた「極楽に往生する」などを内容とするすべての経典を、親の譲状ゆずりじようの先判(親の譲状が複数ある時は日付の新しいものが有効で、古いものは無効とされる)のように打ち消され、無量義経に、それらの教えでは「永劫えいごうにわたって修行してもついに成仏することはできない」と言い切り、法華経方便品には重ねて「正直に方便を捨てて、ただ真実無上の教えを説く」と説かれている。「方便を捨てよ」と説かれているのは、四十余年間に説かれた念仏などの教えを捨てなさい、ということである。
[6]このように、明確にさきの四十余年の説法を打ち消し、真実の教えを説き顕わされる時には、「仏は久しくして後に真実の法を説く」(法華経方便品)、「久しくこの肝要の法を説かなかった」(法華経薬草喩品)などと明言されたので、多宝仏が大地からき出でてこられて、この事は真実であると証明を加え(法華経見宝塔品)、十方の諸仏が八方に集まって広長舌を大梵天宮までつけ、同じく真実を証明された(法華経神力品じんりきほん)。この事実は、法華経の説法の場にいたすべての聴衆が見聞けんもんしたのである。
[7]これらの文を見ると、仏教を信じない悪人や外道はさておいても、仏教を信じながらも法華経以前の方便の教えである念仏などをあつく信じ、一日に十返・百返・千返・一万返、あるいは六万返などとなえ、十年、二十年の間に一度も南無妙法蓮華経と唱えない人びとは、親の譲状の先判を用い、後判を用いない者ではないだろうか。このような人びとは、仏の教えを信じているように自分も思い他人も思っているようであるが、仏の教えのとおりに従えば不孝の者である。
[8]したがって、法華経の第二巻譬喩品には「今のこの世界はすべてわたし(仏)の所有するところであり、その中に居住する衆生はことごとくわたしの子である。しかも、今、この世界には苦難が多い。ただわたし一人だけがこれを救うことができる。わたしが教えさとしても衆生は迷っていて信受しようとしない」と説かれている。
[9]この文の意味は、釈如来はこのような衆生の親であり、師であり、主である。私たち衆生にとって、阿弥陀仏や薬師仏などは主ではあっても親でも師でもない。主・師・親の三つの徳をかね備えた恩の深い仏はただ釈如来だけである。親もいろいろあるが釈尊ほどの親は他にはない。師もいろいろあり、主もいろいろあるが、釈尊ほどの師や主は他にはない。このようにありがたい親と師と主との徳を備えられた釈尊の教えに背く者が、天地の神々に捨てられないことがあろうか。このような人びとは不孝第一の者である。そのゆえに「また教えさとすけれども信受しない」(法華経譬喩品)と説かれたのである。
[10]たとえ法華経以前の経典を信じ、計り知れないほどの長い間修行をしても、法華経を信じ一度でも南無妙法蓮華経と唱えなければ、不孝の人であるから、三世十方の聖衆(仏菩)にも捨てられ、天地の神々にもあだまれるであろう。〈これが第一点である〉。

謗法の機


[11]たとえ五逆罪・十悪、あるいは計り知れない悪罪を犯した人でも、利根でさえあれば成仏することもある。提婆達多や鴦崛摩羅などがこれである。あるいは、たとえ鈍根であっても罪がなければ成仏することがある。須利槃特などがこれである。
[12]わたしたち末法の衆生は根性の愚鈍なること須利槃特以上であり、物の色や形を識別できないことにおいては羊目と同じである。貪瞋癡の三毒がきわめて深く、十悪は日々に犯し、五逆罪は犯さなくとも五逆罪に似た罪は日々犯している。
[13]また、十悪や五逆罪以上の謗法の罪を人ごとに犯している。特別なにかの言葉で法華経を誹謗する人は少ないけれども、誰もが法華経を用いない。また、たとえ用いているようでも念仏などのようには信心が深くない。たとえ信心が深い者でも法華経の敵を責めない。どのような大善根を修し、法華経を千万部読んだり書写したり、一念三千の観心(理的な観念観法)を実践体得した人であっても、法華経の敵を責めなければ成仏することはできない。
[14]たとえば朝廷に十年二十年の間奉公した人であっても、主君の敵を知りながら、主君に奏上もせず、私的にも排斥はいせきすることがなければ、長年の奉公の功績はすべて消失し、かえって罰に処せられるのと同じである。以上のように、今の世の人びとは法華経誹謗の罪を犯している者であると承知しなさい。〈これが第二点である〉。

末法の時


[15]仏が入滅された次の日から千年の間を正法時と言う。戒律をたもつ人も多く、成仏する人もあった。正法時千年間の後は像法時千年間である。この時代には戒律を破る人が多く、成仏する人は少なかった。像法時千年間の後は末法時万年である。この時代には戒律を持つことも戒律を破ることもなく、ただ無戒者だけが国に充満している。
[16]しかも濁世(濁った世)と言って乱れた世である。清世と言って清らかな世では、まっすぐな縄で曲った木を削り直すように、悪を捨てて善を用いる。正法時・像法時から五濁(劫濁・煩悩濁・衆生濁・見濁・みよう濁)がしだいに起こりはじめ、末法時になると盛んになり、大風が大波を起こして岸を打つだけでなく、波と波とが打ち合うほどの大混乱を引き起こす。五濁の中の見濁(思想上の乱れ)と言うのは、正法時・像法時ではそれほどでもなく過ぎるが、末法時に入ると、少しの邪法でも伝え来て多くの正法を破壊するため、世間の罪で悪道に堕ちる者よりも仏法において悪道に堕ちる者の方が多い、と思われる。
[17]しかも今の世は、正法時と像法時の二千年間が過ぎ末法時に入って二百余年になる。見濁がもっとも盛んに起こり、世間的な罪悪よりも、善根を積んでいるようで実は誤った見解におちいっている仏教信仰者の方が大勢悪道に堕ちる時代である。
[18]悪いことは愚かな者でも悪いと分るから犯さないこともある。火を水で消すようなものである。善いことはだれもがただ善であるとばかり思い込んでしまうので、小善に心を奪われて大悪の起こることに気がつかない。
[19]したがって、伝教大師や慈覚大師の霊跡が荒廃していても、念仏堂ではない、と言って捨て置き、そのかたわらに新しく念仏堂を建て、もとの霊跡に寄進されていた田畑を奪い取って念仏堂に寄進している。このようなことは像法決疑経の文によれば、その功徳は少ないと思われる。これらの例をもって知るべきである。たとえ善であっても大善を破るような小善は悪道に堕ちる原因となる。
[20]今の世は末法の初めである。小乗経や大乗経で救われる人びとはすべていなくなり、ただ実大乗経で救われるべき人びとだけがいる。
[21]小さな船には大石を乗せない。悪人・愚者は大石と同じである。小乗経や権大乗経、念仏などは小さな船である。大きな悪瘡などは病が重いのでかんたんな治療では治せない。末法の濁悪の世に生きるわたしたちにとって念仏などは、たとえば冬に田を作るようなものである。まったく時が合わない。〈これが第三の点である〉。

仏法の流布と国


[22]国について知らなければならない。国によって人びとの心は異なっている。たとえば、江南に生育する橘は江北に移されるとからたちに変わる。心のない草木でさえ場所によって変化する。まして心を有する人間が住む場所によって異ならないはずがない。
[23]したがって、玄奘三蔵の西域記にインドの国々のことを多く記し、国の風習で、不孝の人が多い国や孝行の人の多い国、怒りやすい人の多い国や愚かな人の多い国、もっぱら小乗の教えを信ずる国やもっぱら大乗の教えを信ずる国、あるいは大乗と小乗とを兼ねて修学する国などがある、という。また、もっぱら殺生を行う国やもっぱら盗みを行う国、あるいは米の多く収穫できる国や粟などを多く収穫できる国など、さまざまな国がある、と書かれている。
[24]それではいったい日本国はどのような教えによって生死の苦を離れ仏になることができる国であろうか、と考えてみると、法華経普賢菩勧発品には「仏の入滅後において、閻浮提(宇宙)にまで広くこの法華経を弘めて断絶させてはならない」とある。この文の意味は、「法華経は南閻浮提(宇宙の南の方の世界)の人に縁のある経典である」ということである。弥勒菩の瑜伽論には「東の方に小さな国があり、その国に住んでいるのはすべて大乗の教えを受けることのできる人びとである」とある。この瑜伽論の文によると、閻浮提の中でも東方の小さな国に大乗経を信受する人びとがいるということである。僧肇の法華翻経後記ほつけほんぎようこうきには須梨耶蘇摩三蔵すりやそまさんぞうが鳩摩羅什三蔵に語った言葉として「この法華経は東北の小さな国に縁がある」とある。法華経は東北の国に縁があると書かれている。安然和尚は普通広釈に「わが日本国の人びとはすべて大乗の教えを信ずる」と言っている。慧心僧都の一乗要決には「日本全国の人びとはすべて法華円教えんぎようを受ける機根である」とある。このように、釈如来をはじめとし弥勒菩・須梨耶蘇摩三蔵・鳩摩羅什三蔵・僧肇法師・安然和尚・慧心先徳等のお考えによると、日本はもっぱら法華経を信受すべき人びとの住んでいる国である。
[25]したがって、法華経を一句一偈でも修行すればかならず成仏することができる。なぜなら、法華経は日本国の人びとと深い縁を有った教えであるからである。たとえば、磁石が鉄を引き込み、いろいろな方向に水が浸透していくようなものである。念仏などのほかの善行は縁のない国である。磁石のように見えても本当の磁石でなければ鉄を引き寄せることができないし、水のように見えても水でなければ諸方面に浸透することがないのと同じである。
[26]そのゆえに、安然和尚の普通広釈に「もし法華経の実乗(真実の教え)でなければ自分も他人も欺くことになる」と言われている。この文の意味は、日本国の人びとに法華経以外の教えを弘める者は、自分を欺き他人をも欺く者である、ということである。
[27]したがって、法を弘めるにはかならずその国がどのような国であるかをよく考えなければならない。他の国に適した法であるからと言ってかならずこの国にも適している、などとは思ってはならない。〈これが第四点である〉。

仏法流布の前後


[28]また、仏法が弘まっている国においても、その国に仏法が弘まった前後次第を考えなければならない。仏法を弘めるにはかならずその前に弘まっている教えの有様を知るべきである。
[29]たとえば、病人に薬を与える時には、前に服した薬のことをよく知っていなければいけないことと同じである。そうでなければ、薬が複合して病人が苦しんだり生命を落したりすることになる。仏法を弘める場合も同じで、仏法と仏法が衝突して人の心を迷わしてしまうことがある。
[30]さきに外道の教えが弘まっている国であれば仏法でこれを破らねばならない。仏がインドに出現して外道を破り、摩騰まとうか竺法蘭じくほうらんが中国に来たって道士を攻め、上宮太子(聖徳太子)が日本国に生まれて守屋を討伐されたことと同じである。仏教においても、小乗の教えが弘まっている国は大乗の教えで破るべきである。それは、無著菩が世親菩の小乗の考えかたを破ったことと同じである。権大乗(方便の大乗)の教えが弘まっている国は実大乗(真実の大乗)の教えで破るべきである。それは、天台智者大師が南三北七の考えかたを破ったことと同じである。
[31]日本国には天台宗と真言宗の二宗が弘まってすでに四百余年を経ており、僧も尼僧も、在家の男も女もすべて法華経の教えを受けるべき人びとと決定している。善人も悪人も、智恵のある者も智恵のない者もすべて法華経の五十展転の功徳(仏滅後の法華経聞法もんぽうによる随喜の功徳)を備えている。たとえば、名玉めいぎよくの産地である崙山には宝玉ばかりで石などなく、霊薬を生ずるという山には毒がないのと同じである。
[32]ところが、この五十余年このかたに、法然という大謗法の者が現われて、すべての人びとを誑惑おうわくし、宝珠ほうじゆに似た石(念仏)をもって真実の宝珠(法華経)を投げ捨てさせ、単なる石にすぎない念仏を人びとにつかませたのである。摩訶止観の第五巻に「石や瓦を宝の玉であると思いたつとぶ」と説かれているのはこのことである。すべての人びとは石を握って宝の玉だと思っている。念仏を称えて法華経を捨てていることがまさしくこれにあたる。このことを言うと人びとはかえって腹を立て、法華経の行者をののしり、無間地獄に堕落する悪業を増すのである。〈これが第五点である〉。

南条氏への訓誡


[33]ただし、貴方はこのような教えを聞かれて念仏を捨て法華経を信仰されたのであるが、もしかすると今は退転してしまい念仏信仰者になられたのであろうか。
[34]もし法華経を捨てて念仏信仰者となられたら、峰の石が谷底へ転び落ち、空から雨が大地に降るのと同じだと思いなさい。大阿鼻地獄に堕落することは疑いない。昔、大通智勝仏が世にましました時に法華経の下種結縁げしゆけちえんを受けた者が三千塵点劫という長い間成仏できず、久遠の過去世に法華経の下種を受けたものが五百億塵点劫という長い間成仏できずにいたのは、大悪知識に教えを受け法華経を捨てて念仏などの方便の教えに心を移してしまったからである。
[35]貴方の一門の人たちは念仏信仰者らしいから、きっと貴方に念仏を勧めたであろう。自分たちが信じていることであるから勧めるのも当然であるが、悪魔にとりつかれた法然の一門に誑惑された人たちであると思って、あくまでも法華経の大信心を起こし、念仏の教えを用いてはならない。大悪魔は貴い僧の姿となって父母や兄弟などにとりつき、人びとの後生をさまたげるのである。したがって、どのように言っても、「法華経を捨てなさい」とたぶらかすような言葉を信用してはならない。
[36]よくお考えなさい。念仏は真実に住生することのできる教えであるという証文が確かであるなら、日蓮がこの十二年余の間「念仏信仰者は無間地獄に堕ちる」と言ってきたのに、どのような所へ申し出てでも難詰しそうなものであるにもかかわらず、それをしないでいる。それはよくよく念仏の証文が弱いからである。法然や善導などが書いた法門については、日蓮らは十七、八歳の時から知っていた。今の念仏信仰者の言うこともこれらの人たちの法門と変らない。
[37]けっきょくは、法門では日蓮にかなわないので、念仏信仰者たちは衆の力をかりて押し寄せてくるのである。念仏信仰者たちは数万人もおり、それに味方する人たちも多い。日蓮はただ一人であり、味方は一人もいない。今日まで生きているのが不思議なくらいである。
[38]今年も十一月十一日に、安房国東条の松原という大路で、申酉の時刻(午後四時から六時)、待ち伏せしていた数百人の念仏信仰者たちに襲撃され、日蓮の方は自分のほか十人ばかりで、そのなかでも役に立つ者はわずかに三、四人であった。念仏信仰者たちの射る矢は雨のように降りそそぎ、打ちかかる太刀たちいなずまのように襲いかかった。弟子一人はその場で殺され、二人は重傷を負った。自分も切られたり打たれたりして命を落すほど危険であったが、どうしたことか、殺されることをまぬがれて今までこうして生きている。このような迫害を体験するほどにますます法華経の信心は増進するばかりである。
[39]法華経第四巻法師品ほつしほんには「この法華経を受持し弘めることは、仏の在世でさえ怨嫉を多く受ける、まして仏の滅後においてはなおさらである」、第五巻安楽行品あんらくぎようほんには「世間の人びとは怨嫉をいだき信じようとしない」と説かれている。日本国には法華経を読誦どくじゆしたり修学したりする人は多い。人の妻を奪ったり盗みをしたりして罰せられる人も多い。しかし、法華経の信仰のために迫害を受けた人は一人もいない。したがって、日本国の持経者(法華経の修行者)のなかでこの経文のとおりに修行した者は一人もいない。ただ日蓮一人だけが真実に読んだ。法華経勧持品に説かれる「わたしは身命を捨てることもいとわない、ただ真実の教えに生きることこそがもっとも重要である」とはこのことである。したがって、日蓮はまさしく日本第一の法華経の行者と言えるのである。
[40]もし貴方が日蓮より先に死出しでの旅にたれたら、梵天・帝釈・四大天王・閻魔大王などの前で、「日本第一の法華経の行者日蓮房の弟子である」と名のりなさい。けっして粗末な扱いはされないでしょう。
[41]ただし、一度は念仏をとなえ、一度は法華経(題目)をとなえるというような二心があり、人に聞かれるのを恐れるようなことがあれば、いかに「日蓮の弟子」と言われても梵天・帝釈などの諸天や諸大王はけっしてお用いにはならない。あとになってうらんではなりません。
[42]ただし、法華経は今の世の祈りとなるものであるから、もし生きながらえられたら、さっそくにもお会いして、直接お話し申し上げたいものである。
[43]言葉は文章ではつくしきれないし、文章は心をじゅうぶんに表現しきれないので、これで留めておきます。恐恐謹言。
[44]文永元年<日>十二月十三日
[45]<人>日 蓮 <花押>花押
[46]<先>南条兵衛七郎殿