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教機時国鈔

全集 第3巻 2段 定本: #29(定本の該当ページへ)

書下し

教機時国鈔きようきじこくしよう


[1]本朝沙門ほんちようしやもん日蓮これをちゆう
[2]一にきようとは、釈如来所説しよせつの一切の経律論きようりつろん五千四十八巻四百八十ちつ天竺てんじく流布るふすること一千年、仏の滅後一千一十五年に当つて震旦国しんたんこく仏経ぶつきよう渡る。後漢ごかん孝明皇帝永平こうめいこうていえいへい十年丁卯ひのとうよりとう玄宗皇帝開元げんそうこうていかいげん十八年庚午かのえうまに至る六百六十四歳の間に一切経いつさいきよう渡りおわんぬ。
[3]この一切の経律論のなかに小乗・大乗・権経ごんきよう実経じつきよう顕経けんぎよう密経みつきようあり。これ等をわきまうべし。
[4]この名目みようもく論師人師ろんじにんしよりもでず、仏説ぶつせつより起る。十方世界の一切衆生、一人も無くこれを用うべし。これを用いざる者は外道げどうと知るべきなり。
[5]阿含経あごんきようを小乗と説くこと方等ほうどう般若はんにや法華ほつけ涅槃ねはん等の諸大乗経よりでたり。法華経には一向いつこうに小乗を説きて法華経を説かざれば、仏慳貪けんどんすべしと説きたもう。涅槃経には一向に小乗経を用いて仏を無常むじようなりと云わん人は舌口中したこうちゆうただるべしと云云。
[6]二に機とは、仏教を弘むる人は必ず機根きこんを知るべし。
[7]舎利弗尊者しやりほつそんじや金師こんし不浄観ふじようかんを教え、浣衣かんえの者に数息観すそくかんを教ゆる間、九十日を所化しよけの弟子仏法を一分いちぶんさとらずしてかえつて邪見じやけんを起し一闡提せんだいおわんぬ。仏は金師こんし数息観すそくかんを教え、浣衣かんえの者に不浄観ふじようかんを教えたもう。ゆえに須臾しゆゆの間にさとることを得たり。智慧ちえ第一の舎利弗すらなお機を知らず。いかにいわんや末代まつだい凡師機ぼんしきを知りがたし。
[8]ただし機を知らざる凡師ぼんし所化しよけの弟子に一向いつこうに法華経を教ゆべし。
[9]問うて云く、無智むちの人のなかにしてこの経を説くことなかれ、との文は如何いかん。答えて云く、機を知るは智人の説法する事なり。
[10]また謗法ほうぼうの者にむかつては一向に法華経を説くべし。毒鼓どつくえんさんがためなり。例せば不軽菩ふきようぼさつの如し。
[11]また智者と成るべき機と知らば、必ずまず小乗を教え、次に権大乗ごんだいじようを教え、のち実大乗じつだいじようを教ゆべし。愚者ぐしやと知らば、必ずまず実大乗を教ゆべし。信謗しんぼう共に下種げしゆとなればなり。
[12]三に時とは、仏教を弘めん人は必ず時を知るべし。
[13]たとえば農人のうにん秋冬あきふゆ田を作るにたねひと功労くろうとはたがわざれども、一分いちぶんえき無くかえつてそんす。一たんを作る者は少損しようそんなり。一町二町等の者は大損だいそんなり。春夏耕作はるなつこうさくすれば上中下にしたがつて皆分分ぶんぶんやく有るがごとし。仏法もまたかくのごとし。時を知らずして法を弘めば、やく無き上、かえつて悪道あくどうするなり。
[14]出世しゆつせしたもうて必ず法華経を説かんと欲するに、たとい機有れども時無きがゆえに四十余年にはこの経を説きたまわず。ゆえに経に云く「説時せつじいまだ至らざるがゆえなり」等と云云。
[15]仏の滅後の次の日より正法しようぼう一千年は持戒じかいの者は多く破戒はかいの者はすくなし。正法一千年の次の日より像法ぞうぼう一千年は破戒の者は多く無戒の者は少し。像法一千年の次の日より末法一万年は破戒の者は少く無戒むかいの者は多し。正法には破戒無戒を捨てて持戒の者を供養すべし。像法には無戒を捨てて破戒の者を供養すべし。末法には無戒の者を供養すること仏のごとくすべし。
[16]ただし法華経をほうぜん者をば正像末しようぞうまつの三時にわたりて持戒じかいの者をも無戒の者をも破戒の者をもともに供養すべからず。供養せば必ずくにに三さいなん起り、必ず無間大城むげんだいじようすべきなり。法華経の行者の権経ごんきようを謗ずるは主君親師しゆくんしんし所従しよじゆう子息弟子等を罰するがごとし。権経の行者の法華経を謗ずるは所従子息弟子等の主君親師を罰するがごとし。
[17]また当世は末法に入つて二百一十余年なり。権経ごんきよう念仏等の時か。法華経の時か。よくよく時刻じこくかんがうべきなり。
[18]四に国とは仏教は必ず国につてこれを弘むべし。
[19]国には寒国かんこく熱国ねつこく貧国ひんこく富国ふこく中国ちゆうごく辺国へんごく大国だいこく小国しようこく一向偸盗国いつこうちゆうとうこく一向殺生国いつこうせつしようこく一向不孝国いつこうふこうこく等これ有り。また一向小乗しようじようの国・一向大乗だいじようの国・大小兼学だいしようけんがくの国もこれ有り。
[20]しかるに日本国は一向に小乗の国か。一向に大乗の国か。大小兼学の国か。よくよくこれをかんがうべし。
[21]五に教法流布きようぼうるふ先後せんごとは、いまだ仏法渡らざる国にはいまだ仏法をかざる者あり。すでに仏法渡れる国には仏法を信ずる者あり。必ずさきに弘まれる法を知つてのちの法を弘むべし。
[22]先に小乗・権大乗弘ごんだいじようひろまらば後に必ず実大乗じつだいじようを弘むべし。先に実大乗弘らば後に小乗・権大乗を弘むべからず。瓦礫がりやくを捨てて金珠こんじゆを取るべし。金珠を捨てて瓦礫を取ることなかれ。已上。
[23]この五義*ごぎを知つて仏法を弘めば日本国の国師ともるべきか。
[24]ゆえに法華経は一切経いつさいきようなかの第一の経王きようおうなりと知るはこれ教を知る者なり。
[25]ただし光宅こうたく法雲ほううん・道場の慧観えかん等は涅槃経ねはんぎようは法華経にすぐれたりと。清涼山しようりようざん澄観ちようかん高野こうや弘法こうぼう等は華厳経けごんきよう大日経だいにちきよう等は法華経に勝れたりと。嘉祥寺かじようじ吉蔵きちぞう慈恩寺じおんじ基法師きほつし等は般若はんにや深密じんみつ等の二経は法華経に勝れたりという。
[26]天台山てんだいさん智者大師ちしやだいしただ一人のみ一切経の中に法華経をすぐれたりと立つるのみにあらず、法華経に勝れたる経これ有りと云わん者を諫暁かんぎようせよ、まずんば現世げんぜ舌口中したこうちゆうただれ、後生ごしよう阿鼻地獄あびじごくすべし等と云云。
[27]これらの相違そういをよくよくこれをわきまえたる者は教を知れる者なり。
[28]当世の千万の学者等一一にこれに迷えるか。もししからば教を知れる者これすくなきか。教を知れる者これ無ければ法華経を読む者これ無し。法華経を読む者これ無ければ国師となる者無きなり。国師となる者無ければ、国中の諸人、一切経の大小権実顕密ごんじつけんみつ差別しやべつに迷うて、一人においても生死しようじを離るる者これ無く、結句けつく謗法ほうぼうの者とり、法につて阿鼻地獄に堕する者は大地だいち微塵みじんよりも多く、法に依つて生死しようじを離るる者は爪上そうじようよりもすくなし。恐るべし恐るべし。
[29]日本国の一切衆生は桓武皇帝かんむこうていより已来このかた四百余年一向に法華経の機なり。例せば霊山りようぜん八箇年の純円じゆんえんの機たるがごとし。〈天台大師・聖徳太子・鑒真和尚がんじんわじよう根本大師こんぽんだいし安然和尚あんねんわじよう慧心えしん等のにこれ有り〉これ機を知れるなり。
[30]しかるに当世の学者の云く、日本国は一向に称名念仏しようみようねんぶつの機なり等と云云。例せば舎利弗しやりほつの機に迷うて所化しよけの衆を一闡提いつせんだいせしがごとし。
[31]日本国の当世は如来の滅後二千二百一十余年。後五百歳ごごひやくさいに当つて妙法蓮華経広宣流布こうせんるふ時刻じこくなり。これ時を知るなり。
[32]しかるに日本国の当世の学者、あるいは法華経をなげうちて一向に称名念仏を行じ、あるいは小乗の戒律かいりつを教えて叡山えいざん大僧だいそうさげすみ、あるいは教外きようげを立てて法華の正法しようぼうかろしむ。これらは時に迷える者か。
[33]例せば勝意比丘しよういびく喜根菩きこんぼさつほうじ、徳光論師とくこうろんじ弥勒菩みろくぼさつあなずりて阿鼻あび大苦だいくを招きしがごとし。
[34]日本国は一向に法華経の国なり。
[35]例せば舎衛国しやえいこくの一向に大乗なりしがごときなり。また天竺てんじくには一向に小乗の国・一向に大乗の国・大小兼学けんがくの国もこれ有り。日本国は一向大乗の国なり。大乗の中にも法華経の国たるべきなり。〈瑜伽論ゆがろん肇公じようこう聖徳太子しようとくたいし伝教大師でんぎようだいし安然あんねん等のこれ有り〉これ国を知れる者なり。
[36]しかるに当世の学者日本国の衆生に一向に小乗の戒律かいりつさずけ、一向に念仏者等とすは「たとえば宝器ほうき穢食えじきを入れたるがごとし」等云云。〈宝器のたとえ、伝教大師の守護章しゆごしようり〉
[37]日本国には欽明天皇きんめいてんのう御宇ぎように仏法百済国くだらこくより渡り始め、桓武天皇かんむてんのうに至るまで二百四十余年の間、この国に小乗権大乗のみ弘め、法華経有りといえどもその義いまだあらわれず。例せば震旦国しんたんこくに法華経渡つて三百余年の間、法華経有りといえどもその義いまだ顕れざりしがごとし。
[38]桓武天皇の御宇ぎように伝教大師いまして小乗・権大乗の義をして法華経の実義じつぎあらわせしより已来このかた、また異義いぎ無く純一じゆんいつに法華経を信ず。たとい華厳けごん般若はんにや深密じんみつ阿含あごん大小の六宗を学する者も法華経をもつてしよせんとなす。いわんや天台真言の学者をいや。いかにいわんや在家ざいけの無智の者をや。例せば崑崙山こんろんざんに石無くほうらいさんどく無きがごとし。
[39]建仁けんにんより已来このかた今に五十余年の間、大日仏陀だいにちぶつだ禅宗を弘め、法然ほうねん隆寛りゆうかん浄土宗をおこし実大乗を破して権宗ごんしゆうき、一切経いつさいきようを捨てて教外きようげを立つ。譬えばたまを捨てて石を取りを離れてくうに登るがごとし。これは教法流布きようぼうるふ先後せんごを知らざる者なり。
[40]いましめて云く「悪象あくぞううとも悪知識あくちしきわざれ」等と云云。
[41]法華経の勧持品かんじほんのちの五百歳二千余年にあたつて法華経の敵人*てきじん三類有るべしとしるきたまえり。当世は後五百歳に当れり。日蓮仏語ぶつご実否じつぴかんがうるに三類の敵人これ有り。これを隠さば法華経の行者にあらず。これをあらわさば身命しんみよう定めてうしなわんか。
[42]法華経第四に云く「しかもこの経は如来の現在にすらなお怨嫉おんしつ多し。いわんや滅度の後をや」等と云云。同第五に云く「一切世間あだ多くして信じがたし」と。また云く「われ身命を愛せず、ただ無上道むじようどうおしむ」と。同第六に云く「自ら身命しんみようおしまず」と云云。
[43]涅槃経第九に云く「たとえば王使おうしのよく談論だんろんし、方便にたくみなる、めいを他国にけ、むしろ身命をうしなうともついに王の所説しよせつ言教ごんきようかくさざるがごとし。智者もまたしかなり。凡夫ぼんぷなかにおいて身命をおしまずして、かならず大乗方等ほうどう宣説せんぜつすべし」と云云。章安大師しようあんだいし釈して云く「寧喪身命不匿教にようそうしんみようふのくきようとはかるほうおもし、身をころして法を弘めよ」等と云云。
[44]これらの本文ほんもんを見れば、三類の敵人を顕さずんば法華経の行者にあらず。これを顕すは法華経の行者なり。しかれども必ず身命しんみよううしなわんか。例せば師子尊者ししそんじや提婆菩だいばぼさつ等のごとくならん云云。
[45]<日>二月十日
[46]<人>日 蓮 <花押>花押
現代語訳

教機時国鈔


弘長二年(一二六二)二月一〇日、四一歳、於伊豆国伊東、原漢文、定二四一—二四六頁。

[1]日本国の僧 日蓮これをちゆう

教とは何か


[2]第一に仏の教えとは、釈牟尼如来が説かれたすべての経典・戒律(出家者の生活規定)・論書(仏弟子が仏の教えを論述した書物)をいい、それらは五千四十八巻、四百八十帙におよぶ。インドにおいて一千年間にわたり弘まり、仏の入滅後一千十五年に中国に渡来した。後漢の孝明皇帝の永平十年から唐の玄宗皇帝の開元十八年庚午にいたる六百六十四年の間に一切経(仏のすべての教え)が渡されたのである。
[3]このすべての経典・戒律・論書のなかに、小乗経と大乗経、権経(方便の教え)と実経(真実の教え)、顕教(あらわに説かれた教え。釈牟尼仏の説法)と密教(秘密の教え。大日如来の説法)の異なりがある。仏の教えを信じ弘める者はこのことをよく弁えねばならない。

教えの分類


[4]仏の教えに異なりがあるということ(教相判釈きようそうはんじやく)は仏の滅後に出た論師や人師の説ではなく、仏の教えによる。であるから、すべての者はこのことをふまえて仏教を受けとめなければならない。仏の教えに分類があることを無視する者は仏教の徒ではないと知るべきである。
[5]阿含経を小乗の教えと説くのは、方等部の諸大乗経・般若経・法華経・涅槃経などの諸大乗の教えによる。なかでも法華経には「もっぱら小乗経ばかりを説いて法華経を説かなければ、仏は慳貪(自分の利益りやくのみをむさぼり、他の人に教えを明かすことをおしむ)の罪に堕ちるであろう」と説き、涅槃経には「もっぱら小乗の教えに立脚して、仏は無常であると言う人はその罪によって口の中で舌がただれるであろう」と説かれている。

機根を知る


[6]第二に機とは、仏教を弘める人は、かならず機根を知らねばならない。
[7]舎利弗尊者は鍛冶屋かじやに不浄観(白骨を観じることによって肉身は本来不浄なものであることを知る修行)を教え、洗濯屋に数息観(呼吸を数えて心の安定を得る修行)を教えようとしたが、九十日たっても弟子たちは仏の教えを少しも体得することができなかった。そればかりかかえって邪見(よこしまな思い)を起こして一闡提(善なる心を喪失した者)となってしまった。そこで仏は、鍛冶屋に数息観を教え、洗濯屋に不浄観をお教えになった。そこで二人は即時に教えを覚ることができた。智慧第一と尊称された舎利弗でさえ機根に応じて教えを説くことの基本を誤った。まして仏入滅後の末代に生を受けた凡師(仏の本意をわきまえがたい無智の者)が機根を知ることは容易ではない。
[8]ただし、機根を知ることのできない凡師は、弟子に対してもっぱら法華経を教えるべきである。

機根と説法


[9]問うて言うには、法華経譬喩品のなかに「無智の人のなかではこの経を説いてはならない」といましめられている文はどのように理解すればよいのか。答えて言うには、この文は機根を知ることのできる智慧ある導師どうし(人びとを導く師)の説法の場合を言ったもので、末代の凡師にはあてはまらない。
[10]また、謗法(教えを信じないでそしる)の者に対してはもっぱら法華経を説くべきである。毒を塗ったつづみを打つことによって聞く者が死ぬとの譬えのとおり、毒鼓の縁(不信者との結縁けちえん逆縁ぎやくえん、涅槃経の教え)を結ぶためである。たとえば法華経常不軽菩品に説かれている不軽菩の修行と同じである。
[11]また、智者となる機根であるとわかれば、かならずまず小乗経を教え、つぎに権大乗経(方便の大乗経)を教え、最後に実大乗経(真実の大乗経)を教えるべきである。愚者であるとわかれば、かならずまず最初から実大乗経(法華経)を教えるべきである。なぜなら、信じる者も謗る者もともに成仏の種をくだすことができるからである。

時を知る


[12]第三に時とは、仏教を弘めようとする人はかならず時を知らねばならない。
[13]譬えば、農夫が秋や冬に田を耕し、く種と耕す田と農夫の労働は春夏に行うことと同じであっても、少しも収穫はなく、かえって損をする。一反耕作した者は少しの損、一町二町などを耕作した者は大損となる。春夏に耕作すれば、それぞれの田地によって皆それ相応の収穫を得ることができる。仏法もまたこれと同じである。時をわきまえないで法を弘めると、その効果がないうえに、かえって悪道に堕落することになる。
[14]仏はこの世に出現され、かならず法華経を説こうと願っておられたが、たとえ機根はあっても説くべき時期にいたっていなかったために、四十余年の間この法華経を説かれなかった。このことについて法華経方便品には「説くべき時がいまだ来ないためである」と説かれている。

仏滅後の三時


[15]仏が入滅された次の日から一千年間の正法時(正しい教えが弘まる時代)は戒律をたもつ者が多く、破る者は少ない。正法時一千年の次の日から一千年間の像法時(教えが形だけのものとなる時代)は戒律を破る者が多く、戒律そのものさえ認めない者も少しは出現してくる。像法時一千年の次の日から一万年間の末法時(教えがすたれる時代)は戒律を破る者は少なく、戒律を認めない者が多くなる。正法時には破戒者・無戒者をさしおいて持戒者を供養すべきである。像法時には無戒者をさしおいて破戒者を供養すべきである。末法時には無戒者を仏のように敬い供養すべきである。
[16]ただし、法華経を謗る者に対しては、正法時・像法時・末法時の三時にわたって、持戒者であろうと無戒者であろうと破戒者であろうと共に供養してはならない。もし法華経誹謗者を供養すると、国に三災七難(国土や人民にふりかかる種々の災難)が起こり、人びとはかならず無間地獄(もっとも苦しみに満ちた地獄)に堕ちるであろう。法華経の行者が権経(方便の経典)を批判するのは、主君が家来を、親が子供を、師匠が弟子をいましめるようなものである。権経の行者が法華経を謗るのは、家来が主君を、子供が親を、弟子が師匠を罰するようなものである。
[17]また、今の世は、末法時に入って二百十余年である。権経(方便の教え)である念仏などが弘まるべき時であるのか。法華経が弘まるべき時であるのか。よくよく仏法の弘通と時との関係を考えるべきである。

仏教と国


[18]第四に国とは、仏教はかならず国を弁えて弘めねばならない。
[19]国には寒い国・熱い国、貧しい国・豊かな国、中央に位置する国・辺境に位置する国、大きい国・小さい国、あるいは盗人の多くいる国、殺生者の多くいる国、不孝者の多くいる国などがある。また、もっぱら小乗経の弘まっている国、もっぱら大乗経の弘まっている国、大乗経と小乗経が並び弘まっている国などもある。
[20]そのようななかで、日本国はもっぱら小乗経の弘まるべき国か、もっぱら大乗経の弘まるべき国か、大乗経と小乗経の並び弘まるべき国か。よくよく仏法の弘通と国との関係を考えるべきである。

弘教の前後


[21]第五に仏法を弘めることに先後があるとは、まだ仏法の渡っていない国ではいまだ仏法を聴いたことのない者がいる。すでに仏法が渡っている国では仏法を信ずる者がいる。かならず、先に弘まっている法を知り、後の法を弘めねばならない。
[22]先に小乗経や権大乗経が弘まっていれば、後にはかならず実大乗経を弘めねばならない。先に実大乗経が弘まっていたなら、後に小乗経や権大乗経を弘めてはならない。瓦やこいしを捨てて金の珠を取るべきである。金の珠を捨てて瓦や礫を取ってはならない。仏教を弘めるうえで大切な点は以上のとおりである。

五義を知る


[23]この五つの義をよく弁えて仏法を弘めれば、日本国の人びとを正しく仏道に入れる導師となるであろう。

教を知る者


[24]そこで、法華経こそすべての教えのなかでも第一の経の王であると知ることによって、正しく教を知った者と言えるのである。

教に迷う人びと


[25]ただし、光宅寺の法雲(中国南北朝時代の涅槃宗の高僧)や道場寺の慧観(中国南北朝時代の涅槃宗の高僧)などは、涅槃経は法華経よりも勝れた経典であると称した。清涼山の澄観(中国唐時代の華厳宗の中興者)や高野山の弘法(日本真言宗の開祖、空海)などは、華厳経や大日経などは法華経よりも勝れた経典であると称した。嘉祥寺の吉蔵や慈恩寺の基法師などは、般若経と深密経の二経は法華経よりも勝れた経典であると称した。
[26]天台山の智者大師(中国天台宗の開祖、天台大師ちぎ)ただ一人だけは、仏のすべての経典の中で法華経こそもっとも勝れた教えであると主張するだけでなく、「法華経より勝れた経典があると言う者をいささとさねばならない。それでも止めない者は法華経を謗る罪により、その身において舌が爛れ、死後においては無間地獄に堕ちるであろう」と言われた。
[27]このように、法華経と諸経との相違をよくよく弁えた者こそが真に教えを知った者と言えるのである。
[28]今の世の多くの学者たちは、すべてこのことを正しく理解していない。したがって真に教えを知った者は少ない。教えを知る者が無いので法華経を真に読む者はいない。法華経を読む者がいなければ国中の人びとを正しく導く師となる者もいない。正しい導師がいなければ、日本国中の人びとは経典に大乗経と小乗経、権経と実経、顕教と密教の異なりがあることを知らず、一人も生死の迷いを離れる者がなく、すべて謗法者となってしまい、邪法に心を寄せたために無間地獄に堕ちてしまう者は大地を砕いて塵とした数よりも多く、正しい教えによって生死の迷いを離れる者は爪の上の土よりも少ない。なんと恐るべきことであろうか。

日本国の機根と法華経


[29]日本国のすべての人びとは、桓武天皇よりこのかた四百余年の間、もっぱら法華経の教えによって救われるべき機根である。たとえば霊鷲山りようじゆせんで八年間にわたり釈尊が法華経をお説きになった時に法を聞いていた人びとと同じように、法華経によって救われるべき機根である。〈日本国の人びとが法華経によって救われるべき機根であることは、天台大師・聖徳太子・鑑真和尚・根本大師(伝教大師)・安然和尚(日本天台宗の学僧、天台密教の大成者)・慧心僧都(日本天台宗の僧、源信)などが記された書物に明確である〉。このことを正しく弁えた者を機根を知った者と言うのである。
[30]ところが、今の世の学者が言うには、「日本国はもっぱら称名念仏によって救われるべき機根である」と。これは、たとえば舎利弗が機根を弁えず弟子たちを一闡提(邪見を起こし善なる心を喪失した者)にしてしまったことと同じである。

末法と法華経


[31]日本国の今の世は、仏が入滅されてから二千二百十余年を経、第五の五百年である末法の時にあたっているのであるから、法華経の教えのとおり、妙法蓮華経が広く弘まるべき時である。このように、末法時こそ妙法蓮華経が弘まるべき時であると知ることを、時を知る、と言うのである。
[32]ところが、日本国の今の世の学者は、ある者は法華経をなげうってもっぱら称名念仏を行い、ある者は小乗の戒律を教えて比叡山の大乗戒をたもつ僧をみ、ある者は教外別伝(教の外に別に心から心に伝える、禅宗の教義)の教えを立てて正しい教えである法華経を軽んじる。このような人たちは末法時こそ法華経によって救われるべき時であることを知らない者である。
[33]たとえば勝意比丘が喜根菩を謗り(諸法無行経に説く本事談)生きながら地獄に堕ち、徳光論師が弥勒菩あなどって無間地獄の大苦を受けたのと同じように、これらの人たちは罪によって地獄に堕ちるであろう。

日本国と法華経


[34]日本国はもっぱら法華経の弘まるべき国である。
[35]たとえばインドの舎衛国はもっぱら大乗の教えが弘まる国であったのと同じである。また、インドにはもっぱら小乗の弘まる国、もっぱら大乗の弘まる国、大乗と小乗が並び弘まる国などがあった。日本国はもっぱら大乗の弘まる国である。大乗の中でもとくに実大乗である法華経の弘まるべき国である。〈このことは、弥勒説・無著記・玄奘訳の『瑜伽師地論』、僧肇そうじようの『法華翻経後記ほつけほんぎようこうき』、『聖徳太子伝』、伝教大師の『法華秀句』『守護国界章』、安然和尚の『普通授菩戒広釈』などに記されている〉。このように日本国は法華経が弘まるべき国であることを正しく弁える者こそ、真に国を知る者である。
[36]ところが、今の世の学者が、日本国の人びとにもっぱら小乗の戒律を授けたり、もっぱら念仏の修行をさせたりしているのは、譬えば、宝のうつわにきたない食物を入れたようなものである。〈宝の器の譬えは伝教大師の『守護国界章』に説かれている〉。

日本国と教法流布の先後


[37]日本国には欽明天皇の御代みよに仏法が百済国より渡り始めたが、桓武天皇の御代にいたる二百四十余年の間までは、日本国では小乗経や権大乗経ばかりが弘められ、法華経は渡っていながらその本義がいまだ明瞭に示されていなかった。たとえば、中国に法華経が渡ってから三百余年の間、経典はあってもその本義が明らかにされなかったことと同じである。
[38]桓武天皇の御代に伝教大師が出られ、小乗経や権大乗経の教義を論破して、法華経の真実義を明らかにしてからは、異なった義を立てる者もなく、皆が法華経を信ずるようになった。たとえ華厳経・般若経・深密経・阿含経などの大乗経や小乗経を心の依りどころとする南都六宗(華厳宗・三論宗・法相宗・舎宗くしやしゆう成実宗じようじつしゆう・律宗)の学者も、法華経をもって仏のすべての教えの中心とした。ましてや天台宗・真言宗の学者においては異義もなかった。さらに在家無智(知識のない)の人びとにいたっては言うまでもない。たとえば、崑崙山に石はなく、山には毒がないように、いたって当然のことである。
[39]ところが、建仁の頃より今日にいたる五十余年の間に、大日房能忍だいにちぼうのうにん仏地房覚晏ぶつちぼうかくあんが禅宗を弘め、法然や隆寛は浄土宗を興し、実大乗である法華経をくだして方便の宗旨を論じ、仏のすべての経典を捨てて教外別伝の教義を立てた。これは、譬えば宝の珠を捨てて価値のない石を取り、大地を離れて空に登るようなものである。このような教えは、仏教を弘めるには先後があることを知らない者の言うことである。
[40]仏は、今の世の迷った諸宗の学者の存在を予知して、次のように誡められた。「凶悪な象に会って殺されるよりも、悪い指導者に会って心をまどわされないようにせよ。(なぜなら、悪象は身を滅ぼすだけであるが、悪い指導者は心をまどわすゆえに地獄に導き、身心ともに滅ぼされてしまうからである)」(涅槃経)と。

法華経の弘通と法敵の出現


[41]法華経勧特品には「仏が入滅された後、二千年を経た末法の時代に、法華経を弘める者には、三種類の法敵が現われる」と記されている。今の世はまさしく法華経に「後の五百年」と説かれた末法の時代にあたっている。日蓮が、仏の言葉が真実か否かを今の世の事実関係と照合して考えてみるに、三種類の法敵はまさに現実に存在している。法華経の弘通に法敵が出現することを隠し、迫害を受けないような法の弘めかたをしていたのでは、法華経の行者とは言えない。しかし、法敵に迫害されるような法の弘めかたをすれば、かならず身命を失うであろう。
[42]法華経の第四巻法師品ほつしほんには「しかもこの法華経は、仏の在世ですらあだねたむ者が多い。ましてや仏の入滅後においてはなおさらである」と説かれ、法華経の第五巻安楽行品あんらくぎようほんには「仏の入滅後にこの法華経を弘めると、すべての人びとは怨をなし、信じようとはしない」と説かれている。また、法華経勧持品かんじほんには「わたしは身命をいとおしまない。ただ仏の無上の教えこそが大切である」、同じく法華経第六巻の如来寿量品には「法のために身命を惜しんではならない」と説かれている。
[43]涅槃経の第九如来性品によらいしようぼんには「譬えば、よく議論し弁説べんぜつたくみな者が、王の命をうけて他国に使者として赴いた時、自分の身命を捨てても王の言葉を伝えて使命をはたすようなものである。仏教における智慧ある者もまた同じである。凡夫の身であっても、身命を惜しまず、かならず広大にして平等の教えである大乗経を説くべきである」と述べられている。章安大師(天台大師の弟子、灌頂かんじよう)はこの経文を解釈して「むしろ身命を失うことがあっても仏の教えを隠してはならないとは、身命は軽く仏法は重いのであるから、身を殺してでも法を弘めよ、との意味である」と説かれている。

法敵の出現と法華経の行者


[44]このような仏の教説を見ると、法を弘めるなかに三種類の法敵が出現しなければ、真の法華経の行者とは言えない。三種類の法敵を出現させるような法の弘めかたをする者こそが、真の法華経の行者である。しかしながら、そのようにすると身命を失うことになるであろう。たとえばインドで法を弘め、賓国けいひんこくの王に首を切られた師子尊者や外道に襲われて切り殺された提婆菩のようになるであろう。
[45]<日>二月十日
[46]<人>日 蓮 <花押>花押