妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

報恩抄送文

全集 第3巻 2段 定本: #20224(定本の該当ページへ)

書下し

報恩鈔送文ほうおんじようそうもん


[1]御状ごじよう給り候いおわんぬ。親疎しんそと無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ。御心得おんこころえ候へ。御本尊ごほんぞん図してまいらせ候。この法華経は仏の在世よりも仏の滅後、正法しようぼうよりも像法ぞうぼう、像法よりも末法まつぽうはじめには次第しだい怨敵おんてき強くなるべきよしをだにも御心おんこころへあるならば、日本国に是より外に法華経の行者なし。これをみなぞんじ候ぬべし。
[2]道善御房どうぜんごぼう御死去ごしきよ由去よしいぬ月粗つきほぼ承わり候。自身早早じしんそうそう参上さんじようこの御房をもやがてつかはすべきにて候しが、自身は内心は存ぜずといへども、人目にはとんせのやうに見えて候へば、なにとなくこの山を出でず候。
[3]此御房は又内内ないない人の申し候しは宗論しゆうろんやあらんずらんと申せしゆへに、十方にわか(分)て経論等を尋ねしゆへに、国国の寺寺へ人をあまたつかはして候に、此御房はするが(駿河)の国へつかはして当時こそきたりて候へ。
[4]又此ふみ随分ずいぶん大事の大事どもをかきて候ぞ。せんなからん人人にきかせなばあしかりぬべく候。又たといさなくとも、あまたになり候はばほかさま(外様)にもきこえ候なば、御ため、又このため、安穏ならず候はんか。
[5]おんまへ(前)と義城ぎじよう房と二人、此御房をよみてとして、たかかもり(森)のいただきにて二三遍、又道善御房のはか(墓)にて一遍よませさせ給いては、此御房にあづけさせ給いてつねに御聴聞ごちようもん候へ。たびたびになり候ならば、心づかせ給う事候なむ。恐恐謹言きようきようきんげん
[6]<日>七月二十六日
[7]<人>日 蓮 <花押>花押かおう
[8]<先>清澄御房きよすみごぼう
現代語訳

報恩鈔送文


建治二年(一二七六)七月二六日、五五歳、於身延。浄顕房他宛、和文、定一二五〇—一二五一頁。

[1]お手紙を頂戴し拝見しました。親しい人であろうと疎縁にしている人であろうと、信じない人にはみだりに法門を語ってはなりません。よく心得ておいてください。御本尊を図顕ずけんしてさしあげました。この法華経を信仰し人びとに弘めるには、仏の御在世ございせの時よりも仏の御入滅後、御入滅後のなかでも正法時(仏滅後千年間)よりも像法時(仏滅後一千一年から二千年までの千年間)、像法時よりも末法時(仏滅後二千一年から万年)の初になるにしたがって、しだいに怨敵が強くなることを深く心に留めておかねばなりません。そのことをよく心得れば、日本国にはわたしよりほかに法華経の行者はいないことになります。このことは、すべての人びとがご存知のことであります。
[2]道善御房が死去されたとのこと、去る月にすでに承りました。わたし自身が早速に参上し、またこの御房をも追って遣わそうと思っていたのですが、自分では思っていなくとも世間の人たちの目には世(隠)のように見られているので、軽々かるがるしくこの山を出るわけにもいきません。
[3]内々の話として人が言うには、宗論(宗教上の対論たいろん)があるかもしれない、ということなので、十方に手分けをして経論などを探し求める必要があり、諸国の寺々に多くの人を遣わしました。この御房は駿河国へ遣わしていたのですが、ちょうど折よく帰ってきたのでそちらに遣わします。
[4]また、このふみ(報恩抄)にはたいへん大切なことが書いてありますので、ことのよく解らない人びとに聞かせるとかえって悪い事態を招くことになるでしょう。また、そうでなくとも、大勢の人に聞かせると自然に他の人びとの耳にも聞こえてしまうので、貴方たちのためにも、またこちらにとっても、災難を招くこととなり穏やかでいることができなくなるでしょう。
[5]貴方と義城房の二人で、この御房を読み手とし、高い森の頂で二、三回、また故道善御房のお墓の前で一回読み、その後はこの御房に預けて常々ご聴聞なさってください。たびたびお聞きになれば、気がつかれることもあるでしょう。恐恐謹言。
[6]<日>七月二十六日
[7]<人>日 蓮 <花押>花押
[8]<先>清澄御房