報恩抄送文
書下し
報恩鈔送文
[1]御状給り候い畢ぬ。親疎と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ。御心得候へ。御本尊図して進候。此法華経は仏の在世よりも仏の滅後、正法よりも像法、像法よりも末法の初には次第に怨敵強くなるべき由をだにも御心へあるならば、日本国に是より外に法華経の行者なし。これを皆人存じ候ぬべし。
[2]道善御房の御死去の由去る月粗承わり候。自身早早と参上し此御房をもやがてつかはすべきにて候しが、自身は内心は存ぜずといへども、人目には遁世のやうに見えて候へば、なにとなく此山を出でず候。
[3]此御房は又内内人の申し候しは宗論やあらんずらんと申せしゆへに、十方にわか(分)て経論等を尋ねしゆへに、国国の寺寺へ人をあまたつかはして候に、此御房はするが(駿河)の国へつかはして当時こそ来りて候へ。
[4]又此文は随分大事の大事どもをかきて候ぞ。詮なからん人人にきかせなばあしかりぬべく候。又設いさなくとも、あまたになり候はばほかさま(外様)にもきこえ候なば、御ため、又このため、安穏ならず候はんか。
[5]御まへ(前)と義城房と二人、此御房をよみてとして、嵩かもり(森)の頂にて二三遍、又故道善御房の御はか(墓)にて一遍よませさせ給いては、此御房にあづけさせ給いてつねに御聴聞候へ。たびたびになり候ならば、心づかせ給う事候なむ。恐恐謹言。
[6]<日>七月二十六日日>
[7]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[8]<先>清澄御房先>
現代語訳
報恩鈔送文
建治二年(一二七六)七月二六日、五五歳、於身延。浄顕房他宛、和文、定一二五〇—一二五一頁。
[1]お手紙を頂戴し拝見しました。親しい人であろうと疎縁にしている人であろうと、信じない人にはみだりに法門を語ってはなりません。よく心得ておいてください。御本尊を図顕してさしあげました。この法華経を信仰し人びとに弘めるには、仏の御在世の時よりも仏の御入滅後、御入滅後のなかでも正法時(仏滅後千年間)よりも像法時(仏滅後一千一年から二千年までの千年間)、像法時よりも末法時(仏滅後二千一年から万年)の初になるにしたがって、しだいに怨敵が強くなることを深く心に留めておかねばなりません。そのことをよく心得れば、日本国にはわたしよりほかに法華経の行者はいないことになります。このことは、すべての人びとがご存知のことであります。
[2]道善御房が死去されたとのこと、去る月にすでに承りました。わたし自身が早速に参上し、またこの御房をも追って遣わそうと思っていたのですが、自分では思っていなくとも世間の人たちの目には遁世(隠遁)のように見られているので、軽々しくこの山を出るわけにもいきません。
[3]内々の話として人が言うには、宗論(宗教上の対論)があるかもしれない、ということなので、十方に手分けをして経論などを探し求める必要があり、諸国の寺々に多くの人を遣わしました。この御房は駿河国へ遣わしていたのですが、ちょうど折よく帰ってきたのでそちらに遣わします。
[4]また、この文(報恩抄)にはたいへん大切なことが書いてありますので、ことのよく解らない人びとに聞かせるとかえって悪い事態を招くことになるでしょう。また、そうでなくとも、大勢の人に聞かせると自然に他の人びとの耳にも聞こえてしまうので、貴方たちのためにも、またこちらにとっても、災難を招くこととなり穏やかでいることができなくなるでしょう。
[5]貴方と義城房の二人で、この御房を読み手とし、高い森の頂で二、三回、また故道善御房のお墓の前で一回読み、その後はこの御房に預けて常々ご聴聞なさってください。たびたびお聞きになれば、気がつかれることもあるでしょう。恐恐謹言。
[6]<日>七月二十六日日>
[7]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[8]<先>清澄御房先>