富木入道殿御返事(稟権出界鈔)
書下し
富木入道殿御返事
[1]御文ほぼ拝見仕り候いおわんぬ。御状に云く、常忍の云く、記の九に云く、禀権出界名為虚出云云。了性房云く、全く以てその釈なし云云。記の九に云く、〈寿量品の処〉無有虚出より昔虚為実故に至るまでは、〈為の字は去声〉権を禀けて界を出づるを名けて虚出となす。三乗は皆三界を出でずということなし。人天は三途を出でんがためならずということなし。並びに名けて虚となす云云。文句の九に云く、虚より出でてしかも実に入らざる者あることなし。故に知んぬ。昔の虚は実のための故なりと云云。寿量品に云く、諸の善男子、如来諸の衆生小法を楽う徳薄垢重の者を見て、乃至以諸衆生乃至未曾暫廃云云。この経の文を承けて、天台・妙楽は釈せしなり。
[2]この経文は初成道の華厳の別円乃至法華経の迹門十四品を、或は小法と云い、或は徳薄垢重、或は虚出等と説ける経文なり。もししからば華厳経の華厳宗・深密経の法相宗・般若経の三論宗・大日経の真言宗・観経の浄土宗・楞伽経の禅宗等の諸経の諸宗は、依経のごとくその経を読誦すとも、三界を出でず三途を出でざるものなり。いかにいわんや、或はかれを実と称し、或は勝る等云云。この人々天に向つて唾を吐き、地を爴んで忿をなす者か。
[3]この法門において如来滅後、月氏一千五百余年、付法蔵の二十四人・竜樹・天親等知つていまだこれを顕わさず。漢土一千余年の余人もいまだこれを知らず。ただ天台妙楽等ほぼこれを演ぶ。しかりといえどもいまだその実義を顕わさざるか。伝教大師以てかくのごとし。今日蓮ほぼこれを勘うるに、法華経のこの文を重ねて涅槃経に演べて云く、もし三法において異の想を修する者は、まさに知るべし、この輩は清浄の三帰則ち依処なく、所有の禁戒皆具足せず。終に声聞・縁覚・菩薩の果を証することあたわず等云云。この経文は正しく法華経の寿量品を顕説せるなり。寿量品は木に譬え、爾前迹門をば影に譬うる文なり。経文にまたこれあり。五時八教・当分跨節・大小の益は影のごとし、本門の法門は木のごとしと云云。また寿量品已前の在世の益は闇中の木影なり。過去に寿量品を聞きし者の事なり等云云。
[4]また不信は謗法にあらずと申す事。また云く、不信の者地獄に堕ちずとの云云。五の巻に云く、疑いを生じて信ぜざる者は、則ち当に悪道に堕つべし云云。
[5]惣じて御心え候え。法華経と爾前と引き向けて勝劣浅深を判ずるに、当分跨節の事三つの様あり。日蓮が法門は第三の法門なり。世間にほぼ夢のごとく、一二をば申せども、第三をば申さず候。第三の法門は天台・妙楽・伝教もほぼこれを示せどもいまだ事おえず。所詮末法の今に譲り与えしなり。五々百歳はこれなり。
[6]ただこの法門の御論談は余は承らず候。彼は広学多聞の者なり。はばかり〳〵みた〳〵と候しかば、この方のまけなんども申しつけられなば、いかんがし候べき。ただしかの法師等が、かの釈を知り候わぬはさておき候ぬ。六十巻になしなんど申すは天のせめなり。謗法の科の法華経の御使に値て顕われ候なり。
[7]またこの沙汰の事も定めてゆえありて出来せり。かしま(賀島)の大田次郎兵衛・大進房・また本院主もいかにとや申すぞ。よく〳〵きかせ給い候え。これらは経文に子細あり事なり。法華経の行者をば第六天の魔王の必ず障うべきにて候。十境の中の魔境これなり。魔の習は善を障えて悪を造らしむるをば悦ぶ事に候。強て悪を造らざる者をば、力及ばずして善を造らしむ。また二乗の行をなす物をばあながちに怨をなして善をすゝむるなり。また菩薩の行をなす物をば遮りて、二乗の行をすゝむ。最後に純円の行を一向になす者をば兼別等に堕すなり。止観の八等をごらんあるべし。
[8]またかれ云く、止観の行者は持戒等云云。文句の九には初二三の行者の持戒をばこれをせいす。経文また分明なり。止観に相違の事は妙楽の問答これあり。記の九を見るべし。初随喜に二あり。利根の行者持戒を兼ねたり。鈍根は持戒これを誓止す。また正像末の不同もあり。摂受・折伏の異あり。伝教大師の市の虎の事思い合わすべし。
[9]これより後は下総にては御法門候べからず。了性・思念をつめつる上は、他人と御論候わばかえりてあさくなりなん。
[10]彼の了性と思念とは年来日蓮をそしるとうけたまわる。かれら程の蚊虻の者が、日蓮程の師子王を聞かず見ずしてうわのそらにそしる程のおこじん(嗚呼人)なり。天台法華宗の者ならば、我は南無妙法蓮華経と唱えて、念仏なんど申す者をばあれはさる事なんど申すだにもきかいなるべきに、その義なき上、たまたま申す人をそしるでう、あらふしぎ〳〵。
[11]大進房が事、さき〴〵かきつかわして候ようにつよ〴〵とかき上申させ給い候え。大進房には十羅刹のつかせ給いて引かえしせさせ給うとおぼえ候ぞ。また魔王の使者なんどがつきて候けるが、はなれて候とおぼえ候ぞ。悪鬼入其身はよもそら事にては候わじ。
[12]事々重く候えどもこの使いそぎ候えばよるかきて候ぞ。恐々謹言。
[13]<日>十月一日日>
[14]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
現代語訳
富木入道殿御返事(禀権出界鈔)
弘安元年(一二七八)、五七歳、於身延、富木常忍宛、和漢混合体、定一五八八—一五九一頁。
[1]お手紙をほぼ拝見仕りました。(了性房と問答せられ論破したとのことであるが、その問題の中心は大体三点であると思われる。)御手紙によれば、貴殿(富木常忍)が法華文句記の「法華経以前の方便をまじえた権教を禀けて、三界(欲界・色界・無色界)の迷いを離れたとしても、それは仮(虚像のようなもの)の出離である」という文を証拠としたところ、了性房は「全くそのような解釈はみられない」と言ったとのことである。寿量品の「久遠の成道以来説くところの多くの経典はみな真実であってかりのおしえではない」というのを、法華文句の九に解釈して「法華経以前の方便の権教によって、仮りに三界の迷いをはなれて真実のさとりに入らない者はない。この事実からみて法華経以前の権教は、法華経の真実のさとりに入らせるために説かれたのである」とあって、それを妙楽大師が法華文句の九で解釈して「今の解釈で、『仮りに出離したのではない』という部分から『昔の仮りにというのは真実の為である』というのは、ここで『為』という字は去声(動詞の『〜のため』と解釈すべきこと)である。方便の権教を禀けて三界を出離するのを虚出というのである。このため法華経以前の三乗はいずれも三界を出離しているし、人天にして三途の苦の境界を出離しないものはないが、これらはすべて法華経の真実の出離と比較すれば仮りの出離である」と述べている。この天台大師と妙楽大師は、寿量品の「諸の善男子よ。如来は多くの衆生のうちで徳がうすく罪の重い小乗の教えをこいねがう者を、一仏乗の真実に入らしめようとして法華経以前に種々の法を説き、かつそれをずっと続けている」という経文について解釈をほどこしたのである。
[2]この経文は、仏が成道された後に最初に別教と円教の理を説いたという華厳経から(小乗の阿含経、大乗の諸経の方等経、般若経と、そして)法華経の前半部分の迹門の十四品までをも、小乗の教えだとか、理解する能力が低く徳がうすく罪の重い者のためだとか、また仮りの出離の法だとかいうふうに説き明かした経文なのである。そのため華厳経をよりどころとする華厳宗、解深密経をよりどころとする法相宗、般若経をよりどころとする三論宗、大日経に基づく真言宗、観無量寿経に基づく浄土宗、楞伽経に基づく禅宗などの諸経をよりどころとする諸宗は、それぞれ依拠する経文に説いてある通りに修行しても、三界の迷いから離れることも、三途の苦しみから出ることもできないのである。ましてや、その真実を知らずにいて、逆に自分たちがよりどころとする経典を法華経と比較して真実であると言ってみたり、または勝れていると誇ったりする人々は、ちょうど天に向かってつばを吐いたり、大地をつかんで恐ったりするような、おろかな行為であるということができる。
[3]法華経の本門より以前の法門をすべて小乗教と位置づける考え方は、釈尊が御入滅になった後のインドにおいても、一千五百余年の間に仏法を正しく相伝してきたといわれる付法蔵の二十四人の尊い師、なかでも竜樹・天親などの賢哲でさえ内心では知ってはいたが、それを説き示すことはしなかった。また中国では仏法が伝来してより、すでに一千余年になるが、誰もこのことを知らなかった。ただ天台大師と妙楽大師だけが概要について述べたが、まだその真実の内容については明らかにしなかった。日本の伝教大師についても、ほぼ同じである。いま日蓮が考えてみるのに、法華経のこの真実について重ねて述べたのは、涅槃経の寿命品の「もし仏法僧の三宝が常住にして永遠でないという者があるならば、この人々は清浄なる仏法における三つの帰依すべきところがなくなってしまう。すべての戒律の徳もなくなってしまい、声聞・縁覚・菩薩の三乗の果報さえ得られなくなってしまうのである」との説示である。この涅槃経の経文は、明らかに法華経の寿量品の内容を説き明かしたものである。(涅槃経では、この文のすぐあとに「木があればかならずその影があるように、仏が常住であるから、帰依がある」という譬えが説かれているが)本門寿量品の法門を木にたとえ、法華経以前の爾前の諸経と、法華経の前半の迹門を影にたとえたのである。経文にはまた、釈尊の生涯における説法の中の五時八教の利益や、当分・跨節(蔵・通・別の三教そのものの位置にあって、その内容を理解することを当分といい、四教の別をこえて円教の立場から蔵・通・別の三教の内容を理解することを跨節という)の利益や、大乗小乗の利益は影であって、本門の寿量品の法門は木のようなものであるなどと述べている。また(涅槃経に「仏を無常と説くのは、暗やみの中で木に影がないようなものだ」と説くが)寿量品以前の釈尊在世の経典の利益は「暗やみの中の木の影」のようであると説いたのである。これらははるかな過去に寿量品の法門を聞いて成仏の種を植えつけられた者の話で、もし下種のない者は木も影もないことになるのである。
[4]また(御手紙によれば)了性房は「法華経を信じないことは謗法ではない」とか「信じないからと言って地獄に堕ちるとは限らない」と述べたということであるが、法華経の第五巻の従地涌出品に「もしこの経(法華経)を聞いて疑惑を生じて信じない者があれば、この人は悪道(地獄)に堕ちるであろう」と説かれている(この経文によっても信じないことはただちに謗法となり、その罪によって地獄に堕ちることは明らかであるから、法華経をそしることはつつしまなければならない)。
[5]このようなことから、つねに心得るべきは、法華経と法華経以前の爾前の諸経を比較して、経の勝劣と内容の浅深について判断するために、爾前の諸経はその場かぎりの教えであり、法華経は釈尊の生涯における教化の完成された教えであるという点を基本的な立場として、天台大師は三つの区別を立てていることである。(すなわち第一は、衆生の理解能力が統一されているか統一されていないか「統一・不統一」のちがい、第二には仏の教化が完了しているか完了していないか「完了・未完了」のちがい、第三には仏と衆生とがともに永遠の教化という関係の上になりたっていることを明らかにしているかしていないか「久遠の本地の顕・未顕」のちがいである)この中でいま日蓮が説く法は、第三番目の「久遠の本地の顕未顕」の法門である。天台大師より以来、中国・日本の学者たちも、この第一と第二の法門については、夢に描くようにぼんやりと説く者がいたようであるが、第三の法門について論じた者は誰もいない。この第三の法門については、天台大師が法華玄義に三つの区別を説き、妙楽大師が法華玄義釈籤に「前の二つは迹門の意であり、最後の一つは本門の意である」と説き、伝教大師もほぼ同じことを考えているが、しかし第三の法門を中心にすべきことは、誰も明らかにしていなかった。つまり末法の今日に、その功徳をゆずられたのである。薬王品に「五五百歳広宣流布(末法にこそ法華経の教えが世の中に広く布教される)」と説くのは、今日この法門が説かれることを予見されたものであろう。
[6]この度の法門についての問答を私は聞かなかったので、どのような様子であったかわからない。が、了性房もかなりの博学博識であるから、「さし控えよ! さし控えよ! 私はその文を確かに見たぞ。確信がある」などと巧みにこちらの負けだなどと強引に主張されたものなら、どのような事態になったことだろうか。ただ、了性房らが法華文句記の九にある解釈を知らなかったことは幸いなことであったが、天台大師と妙楽大師の三大部それぞれ十巻の計六十巻の中に、そのような文がないなどと言ったのは天の罰をうけたのである。彼らの謗法の過失が、法華経の御使いである貴殿に責められて明らかなものとなったのである。
[7]またこのたびの問答の結果、大進房に改悔の心が起きたということであるが、定めて何か子細があっての事であろう。賀島の大田次郎兵衛、大進房、本院の主もどのような理由で改悔したのか、よく尋ねられるがよい。とにかくも問答に勝ったことは経文にもすでに説かれていることにもよるが、法華経の行者に対しては第六天の魔王が必ず妨害してくるものである。天台大師の摩訶止観の十境の中の魔事境を示して、悪魔の出現を説いたのがそれである。悪魔はつねづね善きおこないを妨害して、悪事がはびこるのを悦ぶものである。しかし、いかに妨害しても悪事をはたらかない者には、悪魔も力が及ばずについに善きおこないをなさしめるものである。しかしながら、声聞と縁覚の二乗が四諦・十二因縁などの修行をしていても、一段低い五戒・十善等の修行をすすめたり、菩薩が六度の修行をしているとそれよりも低い二乗の修行方法をすすめたりするのである。そして、法華経の純円の真実の修行をひたすら行なう者をも、それ以下の別教などの修行におとそうとするのである。この点については摩訶止観の第六の魔事境のところに詳しく述べられているので参照すると良いであろう。
[8]また了性房は「止観を修行する者は戒律を持って清浄でなければならない」と貴殿に問いつめたそうであるが、法華文句の九には滅後の五品の弟子の位の中で第一の「随喜(信心)の位」、第二の「経文を読誦する位」、第三の「法門を少しばかりでも説く位」までは、戒律を持つ必要はないとこれをとどめている。このことは法華経の分別功徳品をみれば明らかである。法華文句と摩訶止観において論じられていることにちがいがある点については妙楽大師が法華文句記の九に「法華文句は初心の修行者に対して戒律を持つことをとどめ、摩訶止観は修行の進んだ者について戒律を持つことを許した」と解釈している。また第一の「随喜の位」にも二種があって、理解する能力の高い者には戒律を持つことを許して、能力の低い者にはこれを止めている。また戒律については、正法・像法・末法という時代の違いがあり、摂受(寛容に相手の考えをうけ入れてゆるやかに布教すること)と折伏(相手のまちがっている点を直接指摘してきびしく布教すること)の布教の方法によるちがいもある。伝教大師最澄は末法灯明記の中で「末法の時代に戒律を持つべきことを要求することは、人通りの多い市に虎を放したようなもので、あり得ないことである」と述べているが、これらを思い合わせて、止観と戒律の問題を考えるべきである。
[9]今回の問答は首尾よく行ったが、今後は下総では法論してはならない。了性房や思念ほどの学者を論破した上は、その他の者と問答をしたのでは、かえって貴殿の見識が浅はかなことになってしまうであろう。
[10]了性房と思念とはかねてより日蓮を批判しているということを聞いている。彼らほどの蚊や虻と同じ程度の者が、獅子王ともいうべき日蓮の法門も聞いたことも見たこともないのに、ただぼんやりと批判するとは愚かな者である。いやしくも天台法華宗の者ならば、みずから進んで南無妙法蓮華経と唱えて、念仏を唱える者を見て非難しないことだけでも不可解であるのに、題目を唱えないばかりか、唱える人を批判するなどという行為はとても理解することができない。
[11]また大進房については、前々から申し上げておいたように、強く強く道理を言って聞かせていただきたい。本当に心を入れ替えたのならば、それは大進房には法華経の行者を守護する善神の十羅刹女がついて、正法の行者に引き戻したと思われるのである。また、魔王の使者などがついていて退転させたのが、離れたからでもあろう。勧持品に「悪鬼がその身に入る」とあるのは、全く現実とかけ離れた架空のことなどではないのである。
[12]まだまだ申し述べたいことは多くあるが、使者がとても急いでいるものであるから、この手紙は夜中に書いたものである。恐々謹言。
[13]<日>十月一日日>
[14]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>