法華取要抄
書下し
法華取要抄
[1]それおもんみれば月支西天より漢土日本に渡来する所の経論五千七千余巻なり。その中の諸経論の勝劣・浅深・難易・先後、自見に任せてこれを弁うことはその分に及ばず。人に随い宗に依てこれを知るはその義紛紕たり。
[2]いわゆる華厳宗の云く、一切経の中にこの経第一と。法相宗の云く、一切経の中に深密経第一。三論宗の云く、一切経の中に般若経第一。真言宗の云く、一切経の中に大日の三部経第一。禅宗の云く、或は云く、教内には
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伽経第一、或は云く、首
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厳経第一、或は云く、教外別伝の宗なり。浄土宗の云く、一切経の中に浄土の三部経末法に入ては機教相応して第一。倶舎宗・成実宗・律宗の云く、四阿含並びに律論は仏説なり。華厳経・法華経等は仏説にあらず外道の経なり。或は云く、或は云く。
[3]しかるに彼々の宗々の元祖等、杜順・智儼・法蔵・澄観、玄奘・慈恩・嘉祥・道朗、善無畏・金剛智・不空、道宣・鑒真、曇鸞・道綽・善導、達磨・慧可等なり。これらの三蔵大師等は皆聖人なり。賢人なり。智は日月にひとしく徳は四海にはびこる。その上各々に経律論に依り更互に証拠あり。随て王臣国を傾け土民これを仰ぐ。末法の偏学たとえ是非を加うとも人信用するに至らず。しかりといえども宝山に来り登つて瓦石を採い取り、栴檀に歩み入つて伊蘭を懐き収ば恨悔あらん。故に万人の謗を捨て猥りに取捨を加う。我が門弟委細にこれを尋討せよ。
[4]それ諸宗の人師等或は旧訳の経論を見て新訳の聖典を見ず。或は新訳の経論を見て旧訳を捨て置き、或は自宗の曲に執著して己義に随い、愚見を註し止めて後代にこれを加添し、株杌に驚き騒ぎ兎獣を尋ね求め、智円扇に発して仰て天月を見る。非を捨てて理を取るは智人なり。
[5]今、末の論師・本の人師の邪義を捨て置て専ら本経本論を引き見るに、五十余年の諸経の中法華経第四法師品の中の已今当の三字最も第一なり。
[6]諸の論師・諸の人師定てこの経文を見けるか。しかりといえども、或は相似の経文に狂い、或は本師の邪会に執し、或は王臣等の帰依を恐るるか。いわゆる金光明経の、是諸経之王。密厳経の、一切経中勝。六波羅蜜経の総持第一。大日経の云何菩提。華厳経の能信是経最為難。般若経の会入法性不見一事。大智度論の般若波羅蜜最第一。涅槃論の今日涅槃理等なり。これらの諸文は法華経の已今当の三字に相似せる文なり。
[7]しかりといえども或は梵・帝・四天等の諸経に対当すれば、これ諸経の王なり。或は小乗経に相対すれば諸経中の王なり。或は華厳・勝鬘等の経に相対すれば一切経中に勝るなり。全く五十余年の大小・権実・顕密の諸経に相対して、これ諸経の王の大王なるにあらず。所詮、所対を見て経々の勝劣を弁うべきなり。強敵を臥伏するに始て大力を知見するこれなり。
[8]その上諸経の勝劣は釈尊一仏の浅深なり。全く多宝分身の助言を加うるにあらず。私説を以て公事に混ずることなかれ。
[9]諸経は或は二乗凡夫に対揚して小乗経を演説し、或は文殊・解脱月・金剛薩埵等の弘伝の菩薩に対向して、全く地涌千界の上行等にはあらず。
[10]今法華経と諸経とを相対するに一代に超過すること廿種これあり。その中最要二あり。いわゆる三五の二法なり。三とは三千塵点劫なり。諸経は、或は釈尊の因位を明すこと或は三祇、或は動喩塵劫、或は無量劫なり。梵王の云く、この土には廿九劫より已来知行の主なり。第六天帝釈四天王等も以てかくのごとし。釈尊と梵王等と始て知行の先後これを諍論す。しかりといえども一指を挙てこれを降伏してより已来、梵天頭を傾け魔王掌を合せ三界の衆生をして釈尊に帰伏せしめるこれなり。
[11]また諸仏の因位と釈尊の因位とこれを糺明するに、諸仏の因位は或は三祇或は五劫等なり。釈尊の因位はすでに三千塵点劫より已来、娑婆世界の一切衆生の結縁の大士なり。この世界の六道の一切衆生は他土の他の菩薩に有縁の者一人もこれなし。法華経に云く、その時聞法の者、各諸仏の所に在り等云云。天台云く、西方は仏別に縁異なり。故に子父の義成せず等云云。妙楽云く、弥陀・釈迦二仏すでに殊る。○いわんや宿昔の縁別にして化道同じからざるをや。結縁は生のごとく成熟は養のごとし。生養縁異れば父子成ぜず等云云。
[12]当世日本国の一切衆生の弥陀の来迎を待つは、譬えば牛の子に馬の乳を含め瓦の鏡に天の月を浮るがごとし。
[13]また果位を以てこれを論ずれば、諸仏如来或は十劫・百劫・千劫已来の過去の仏なり。教主釈尊はすでに五百塵点劫より已来妙覚果満の仏なり。大日如来・阿弥陀如来・薬師如来等の尽十方の諸仏は、我等が本師教主釈尊の所従等なり。天月の万水に浮ぶこれなり。華厳経の十方台上の毗盧遮那、大日経・金剛頂経の両界の大日如来は、宝塔品の多宝如来の左右の脇士なり。例せば世の王の両臣のごとし。この多宝仏も寿量品の教主釈尊の所従なり。
[14]この土の我等衆生は五百塵点劫より已来、教主釈尊の愛子なり。不孝の失に依て今に覚知せずといえども、他方の衆生には似るべからず。有縁の仏と結縁の衆生とは、譬えば天月の清水に浮ぶがごとく、無縁の仏と衆生とは、譬えば聾者の雷の声を聞き、盲者の日月に向うがごとし。
[15]しかるに或る人師は釈尊を下して、大日如来を仰崇し、或る人師は世尊は無縁なり、阿弥陀は有縁なりと。或る人師の云く、小乗の釈尊と、或は華厳経の釈尊と、或は法華経迹門の釈尊と。これらの諸師並に檀那等、釈尊を忘れて諸仏を取ることは、例せば阿闍世太子の頻婆娑羅王を殺し、釈尊に背いて提婆達多に付きしがごとし。
[16]二月十五日は釈尊御入滅の日、乃至十二月十五日も三界慈父の御遠忌なり。善導・法然・永観等の提婆達多に誑かされて、阿弥陀仏の日と定めおわんぬ。四月八日は世尊御誕生の日なり。薬師仏に取りおわんぬ。我が慈父の忌日を他仏に替うるは、孝養の者なるかいかん。寿量品に云く、我もまたこれ世の父、狂子を治せんが為の故に等云云。天台大師の云く、本この仏に従つて初めて道心を発す。またこの仏に従つて不退の地に住す。乃至なお百川の海に潮すべきがごとく、縁に牽かれて応生することまたまたかくのごとし等云云。
[17]問て曰く、法華経は誰人のためにこれを説くや。
[18]答えて曰く、方便品より人記品に至るまでの八品に二意あり。上より下に向つて次第にこれを読めば、第一は菩薩、第二は二乗、第三は凡夫なり。安楽行より勧持・提婆・宝塔・法師と逆次にこれを読めば、滅後の衆生を以て本となす。在世の衆生は傍なり。滅後を以てこれを論ずれば、正法一千年・像法一千年は傍なり。末法を以て正となす。末法の中には日蓮を以て正となすなり。
[19]問て曰く、その証拠いかん。
[20]答て曰く、況滅度後の文これなり。
[21]疑て云く、日蓮を正となす正文いかん。
[22]答て云く、諸の無智の人あり、悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者等云云。
[23]問て云く、自讃はいかん。
[24]答て曰く、喜び身に余るが故に堪えがたくして自讃するなり。
[25]問て曰く、本門の心はいかん。
[26]答て曰く、本門において二の心あり。一には涌出品の略開近顕遠は、前四味並びに迹門の諸衆をして脱せしめんがためなり。二には涌出品の動執生疑より一半、並びに寿量品・分別功徳品の半品、已上一品二半を広開近顕遠と名く。一向に滅後のためなり。
[27]問て曰く、略開近顕遠の心はいかん。
[28]答て云く、文殊・弥勒等の諸大菩薩・梵天・帝釈・日・月・衆星・竜王等、初成道の時より般若経に至る已来は、一人も釈尊の御弟子にあらず。これらの菩薩天人は、初成道の時、仏いまだ説法したまわざりし已前に不思議解脱に住して、我と別円二教を演説す。釈尊その後に阿含・方等・般若を宣説したもう。しかりといえども全くこれらの諸人の得分にあらず。すでに別円二教を知りぬれば蔵通をもまた知れり。勝は劣を兼ぬるこれなり。委細にこれを論ぜば、或は釈尊の師匠なるか。善知識とはこれなり。釈尊に随うにあらず。法華経の迹門の八品に来至して、始て未聞の法を聞て、これらの人々は弟子と成りぬ。
[29]舎利弗・目連等は鹿苑より已来、初発心の弟子なり。しかりといえども権法のみを許せり。今法華経に来至して実法を授与し、法華経の本門の略開近顕遠に来至して、華厳よりの大菩薩・二乗、大梵天・帝釈・日・月・四天・竜王等は位妙覚に隣り、また妙覚の位に入るなり。もししからば今我等天に向てこれを見れば、生身の妙覚の仏が本位に居して衆生を利益するこれなり。
[30]問て曰く、誰人のために広開近顕遠の寿量品を演説するや。
[31]答て曰く、寿量品の一品二半は始めより終りに至るまで、正く滅後の衆生のためなり。滅後の中には末法今時の日蓮等がためなり。
[32]疑て云く、この法門前代にいまだこれを聞かず。経文にこれありや。
[33]答て曰く、予が智、前賢に超えず。たとえ経文を引くといえども誰人かこれを信ぜん。卞和が啼泣、伍子胥の悲傷これなり。
[34]しかりといえども略開近顕遠、動執生疑の文に云く、しかれども諸の新発意の菩薩、仏の滅後においてもしこの語を聞かば、或は信受せずして法を破する罪業の因縁を起さん等云云。文の心は、寿量品を説かずんば、末代の凡夫皆悪道に堕せん等なり。寿量品に云く、是の好き良薬を今留めてここに在く等云云。文の心は、上は過去の事を説くに似たる様なれども、この文を以てこれを案ずるに、滅後を以て本となす。まず先例を引くなり。分別功徳品に云く、悪世末法の時等云云。神力品に云く、仏滅度の後に能くこの経を持たんを以ての故に、諸仏皆歓喜して無量の神力を現じたもう等云云。薬王品に云く、我が滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布して、閻浮提において断絶せしむることなけん等云云。また云く、この経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり等云云。涅槃経に云く、譬えば七子あり。父母平等ならざるにあらざれども、しかも病者において心即ち偏に重きがごとし等云云。七子の中の第一第二は一闡提・謗法の衆生なり。諸病の中には法華経を謗ずるが第一の重病なり。諸薬の中には南無妙法法蓮華経は第一の良薬なり。
[35]この一閻浮提は縦広七千由善那八万の国これあり。正像二千年の間、いまだ広宣流布せざる法華経を当世に当つて流布せしめずんば釈尊は大妄語の仏、多宝仏の証明は泡沫に同じく、十方分身の仏の助舌も芭蕉のごとくならん。
[36]疑て云く、多宝の証明・十方の助舌・地涌の涌出、これらは誰人のためぞや。
[37]答て曰く、世間の情に云く、在世のためと。日蓮云く、舎利弗・目犍等は現在を以てこれを論ずれば、智慧第一神通第一の大聖なり。過去を以てこれを論ずれば、金竜陀仏・青竜陀仏なり。未来を以てこれを論ずれば華光如来。霊山を以てこれを論ずれば三惑頓尽の大菩薩。本を以てこれを論ずれば内秘外現の古菩薩なり。文殊・弥勒等の大菩薩は過去の古仏現在の応生なり。梵・帝・日・月・四天等は初成已前の大聖なり。その上、前四味四教一言にこれを覚りぬ。仏の在世には一人においても、無智の者これなし。誰人の疑を晴さんがために多宝仏の証明を借り、諸仏舌を出し、地涌の菩薩を召さんや。方々以ていわれなき事なり。随て経文に、いわんや滅度の後をや。法をして久しく住せしむ等云云。これらの経文を以てこれを案ずるに偏に我等がためなり。随て天台大師当世を指して云く、後の五百歳、遠く妙道に沾わん。伝教大師当世を記して云く、正像稍過ぎ已て、末法太だ近きにあり等云云。末法太だ近きにありの五字は、我が世は法華経流布の世にあらずと云う釈なり。
[38]問て云く、如来滅後二千余年に、竜樹・天親・天台・伝教の残したまえる所の秘法とは何物ぞや。
[39]答て曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。
[40]問て曰く、正像等になんぞ弘通せざるや。
[41]答て曰く、正像にこれを弘通せば、小乗・権大乗・迹門の法門、一時に滅尽すべきなり。
[42]問て曰く、仏法を滅尽せるの法、なんぞこれを弘通せんや。
[43]答て曰く、末法においては大・小、権・実、顕・密共に教のみあつて得道なし。一閻浮提、皆、謗法となりおわんぬ。逆縁のためにはただ妙法蓮華経の五字に限るのみ。例せば不軽品のごとし。我が門弟は順縁、日本国は逆縁なり。
[44]疑て云く、何ぞ広略を捨てて要を取るや。
[45]答て曰く、玄奘三蔵は略を捨てて広を好む。四十巻の大品経を六百巻と成す。羅什三蔵は広を捨てて略を好む。千巻の大論を百巻と成せり。日蓮は広略を捨てて肝要を好む。いわゆる上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり。九包淵の馬を相するの法は玄黄を略して駿逸を取る。史陶林の経を講ずるには細科を捨てて元意を取る等云云。仏すでに宝塔に入つて二仏座を並べ、分身来集し、地涌を召し出し、肝要を取つて末代に当て五字を授与せんこと、当世異議あるべからず。
[46]疑て云く、今世にこの法を流布せば先相これあるや。
[47]答て曰く、法華経に如是相乃至本末究竟等云云。天台の云く、蜘虫掛りて喜び事来り、鳱鵲鳴いて客人来る。小事すらなお以てかくのごとし。いかにいわんや大事をや。〈取意〉
[48]問て曰く、もししかればその相これあるや。
[49]答て曰く、去る正嘉年中の大地震。文永の大彗星。それより已後、今に種々の大なる天変・地夭、これらはこれ先相なり。仁王経の七難・二十九難・無量の難。金光明経・大集経・守護経・薬師経等の諸経に挙ぐる所の諸難皆これあり。ただなき所は二三四五の日の出る大難なり。しかるを今年佐渡の国の土民口に云う、今年正月廿三日の申の時に西方に二の日出現す。或は云く、三の日出現す等云云。二月五日には東方に明星二つ並び出る。その中間は三寸計り等云云。この大難は日本国先代にもいまだこれあらざるか。最勝王経の王法正論品に云く、変化の流星堕ち、二の日倶時に出で、他方の怨賊来て国人喪乱に遭う等云云。首
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厳経に云く、或は二の日を見し、或は両つの月を見す等。薬師経に云く、日月薄蝕の難等云云。金光明経に云く、彗星数出で、両の日並び現じ、薄蝕恒なし。大集経に云く、仏法実に隠没せば、乃至日月明を現ぜず等。仁王経に云く、日月度を失い、時節返逆し、或は赤日出で、黒日出で、二三四五の日出づ。或は日蝕して光なく、或は日輪、一重二三四五重輪現わる等云云。この日月等の難は、七難・二十九難・無量の諸難の中に第一の悪難なり。
[50]問て曰く、これらの大中小の諸難はなにに因てこれを起すや。
[51]答て曰く、最勝王経に云く、非法を行ずる者を見て当に愛敬を生じ、善法を行ずる人において苦楚して治罰す等云云。法華経に云く、涅槃経に云く、金光明経に云く、悪人を愛敬し、善人を治罰するに由るが故に、星宿及び風雨皆時を以て行なわれず等云云。大集経に云く、仏法実に隠没し、乃至、かくのごとき不善業の悪王悪比丘我が正法を毀壊す等。仁王経に云く、聖人去る時七難必ず起る等。また云く、法にあらず律にあらずして比丘を繋縛すること獄囚の法のごとくす。その時に当て法滅せんこと久しからず等。また云く、諸の悪比丘多く名利を求め、国王・太子・王子の前において、みずから破仏法の因縁、破国の因縁を説かん。その王別えずしてこの語を信聴せん等云云。これらの明鏡をもて、当時の日本国を引き向うるに、天地を浮ぶること宛も符契のごとし。眼あらん我が門弟はこれを見よ。まさに知るべし。この国に悪比丘等あつて、天子・王子・将軍等に向て讒訴を企て聖人を失う世なり。
[52]問て曰く、弗舎密多羅王・恵昌天子・守屋等は、月支・真旦・日本の仏法を滅失し、提婆菩薩・師子尊者等を殺害す。その時なんぞこの大難を出さざるや。
[53]答て曰く、災難は人に随て大小あるべし。正像二千年の間の悪王悪比丘等は、或は外道を用い、或は道士を語らい、或は邪神を信ず。仏法を滅失すること大なるに似たれどもその科なお浅きか。今当世の悪王悪比丘の仏法を滅失するは、小を以て大を打ち、権を以て実を失う。人心を削りて身を失わず、寺塔を焼き尽さずして自然にこれを喪す。その失前代に超過せるなり。我が門弟これを見て法華経を信用せよ。目を瞋らして鏡に向え。天の瞋るは人に失あればなり。二の日並び出ずるは、一国に二の国王を並ぶる相なり。王と王との闘諍なり。星の日月を犯すは、臣王を犯す相なり。日と日と競い出ずるは、四天下一同の諍論なり。明星並び出ずるは、太子と太子との諍論なり。かくのごとく国土乱れて後、上行等の聖人出現し、本門の三つの法門これを建立し、一四天四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑いなきものか。
現代語訳
法華取要抄
文永一一年(一二七四)、五三歳、於身延、原漢文、定八一〇—八一八頁。
[1]考えてみるに、インドから中国を経由して日本へと伝えられた経典や注釈書は、開元釈教録記載の五千余巻、貞元釈教録記載の七千余巻の膨大なものである。それらの経や論について、どれが勝れているか劣っているか、理の浅いのと深いのと、修行のし易い難しい、説かれた順序などの問題点については、自分の見解によって判断することは困難である。しかし多くの学者やそれぞれの宗旨の主張によってこれを知ろうとしても、意見が色々に分かれていて正しく判断することは難しい。
[2]すなわち華厳宗では、すべての諸経の中で華厳経が第一であると言い、法相宗では、すべての経典の中で解深密経が第一、三論宗では、すべての経々の中で般若経が第一、真言宗では、すべての諸経の中で大日経・金剛頂経・蘇悉地経の大日三部経が第一であるなどと言う。禅宗では、釈尊の教えの中では楞伽経が第一であるといったり、あるいは首楞厳経が第一であると言ったり、言語文字の教説によらず、直ちに心から心へと伝えられる悟りが第一であると「教外別伝」を主張したりする。浄土宗では、無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経の浄土三部経こそが、末法の衆生の理解能力に適合した第一の教えであると言う。倶舎宗・成実宗・律宗では、長阿含・中阿含・増一阿含・雑阿含の四阿含経(小乗経)と、その解説および戒律は仏が説いた教えであるが、華厳経・法華経などの大乗経は仏が説いたものではなく、仏教徒以外の外道の者が説いたものであると説いている。この他、様々である。
[3]これらの宗旨の元祖の方々は、華厳宗は杜順・智儼・法蔵・澄観、法相宗は玄奘・慈恩、三論宗は嘉祥・道朗、真言宗は善無畏・金剛智・不空、律宗は道宣・鑒真、浄土宗は曇鸞・道綽・善導、禅宗は達磨・慧可などで、これらはみな経律論の三蔵に通暁した聖人であり賢人である。智慧は太陽や月のように輝き、徳風は天下を風靡している。そのうえ、それぞれに経律論の三蔵に依拠して、確かな証拠を示して宗旨を建立しているので、国王から大臣をはじめ万民にいたるまで、これを信仰している。このため末代の学識のとぼしい者が、いくらこれを批判しても信用する人はいないのである。しかしながら、せっかく宝の山に登りながら、瓦や石ころばかりを拾っていたり、栴檀という香木の林に入りながら毒薬の伊蘭を採ったのでは、(仏法という宝物に出会って、その中でも特にすぐれた真実の法を見極めなければ)とても残念なことなので、人からどのように非難されたとしても、これらの宗旨の主張を論破し取捨したいと考えるものである。わが門下の者は、くわしく諸宗の教判と主張について研究すべきである。
[4]諸宗の祖師の中には、鳩摩羅什・真諦などによって唐の時代以前に翻訳された経典(旧訳)やその解説だけを見て、また玄奘・義浄などによって唐代以後に翻訳された経典(新訳)を知らない者、あるいは、その逆に新訳の説ばかりによって旧訳の説を顧みない者(華厳宗・真言宗・法相宗などに相当するか)がある。また自分の誤った考えにとりつかれて、自分の考えに合うように経典や解説書に加筆して後代に遺す者などがある。これらの諸宗の祖師たちは、たまたま運の悪い兎が木の株に衝突して死んだのを一度見て、そこにいれば兎がとれると思って張番をしているような愚かな人々である。<傍>うちわ傍>の形から、天に輝く月を知り得たならば、似て非なる<傍>うちわ傍>を捨てて、真実の月を取るのが智慧のある人である。
[5]今、経典を注釈した論師の末流や論に疏釈を加えた人師の本流などの間違った考えを捨て置いて、専ら根本の経典や根本の論を開いて見ると、釈尊の生涯における五十年にわたる説法の中では、法華経法師品の「私(仏)が説いた数多くの経典、すなわち<傍>已傍>に説いたところの法華経以前の諸経、<傍>今傍>説いたところの無量義経、<傍>当傍>に説こうとしているところの涅槃経、これらを超えて、この法華経が最もすぐれている」(已今当の三説超過)とあることが最も大切な教えである。
[6]諸宗の学者も必ずこの法師品の文を見ているにちがいない。それなのにその誤りを改めないのは、自分がよりどころとする経典に同じようなことが書いてあることに迷ったり、自分のつき従う師のまちがった考えを信じたり、あるいは自分を信じている王臣が帰依しなくなることを恐れたりするからであろう。その似た経文というのは、たとえば金光明経の「この金光明経は諸経の王である」という文、密厳経の「この密厳経はすべての経典の中で最もすぐれている」という文、六波羅蜜経の「陀羅尼蔵(総持)こそ諸経の中の第一である」という文、大日経の「何が<傍>さとり傍>かといえば、この大日経を説くように、心の本性を知ることである」という文、華厳経の「この経は最も信じがたいが、そこに真実がある」という文、般若経の「この経に説く法性真如の他には何もない」という文、大智度論の「智慧波羅蜜が第一である」という文、涅槃論の「今この涅槃経の理は法華経にもすぐれている」という文などである。これらの多くの経論の文は法華経法師品の「已今当の三説超過」の法門に似ている内容を持っている。
[7]しかしながら、これらの例は、梵天や帝釈天や四天王が説いたといわれる経典に比べれば諸経の王であるとか、あるいは小乗経に比較すれば諸経の王であるとか、華厳経・勝鬘経などの経に比べて、すべての経典の中ですぐれているなどと、比較の対象がまちまちであって、釈尊の生涯における五十年にわたる説法の中での、大乗・小乗、権教・実教、顕教・密教のすべての経典に対して、諸経の中の大王であると言うものではない。要するに比較の対象によって経の勝劣の程度を知らなければならない。たとえば征服した敵の強さによって、その人の力量を知るのと同じである。
[8]そればかりではなく、諸経論にみられる諸経の勝劣の説示は、釈尊一仏によって浅深が論じられているばかりで、法華経のように多宝如来の証明や十方分身諸仏の広長舌相による讃歎があったわけではない。一仏だけの説いた経文(個の意見)と、多宝如来と十方分身諸仏の証明のある法華経(の公的裁定を思わせる法門)とを混同してはならない。
[9]また諸経は声聞・縁覚の二乗や凡夫に向って小乗の教えを説いたり、あるいは文殊・解脱月・金剛薩埵らの自行化他に努める菩薩に向って大乗の教えを説いたものであって、法華経のように釈尊の久遠の教化を受けた上行菩薩らの地涌の菩薩に向って説いたものではない。
[10]いま法華経とその他の諸経とを比較してみると、法華経が釈尊の生涯のすべての説法の中で、最もすぐれていることを示す特徴として、二十箇条があげられる。その中で最も重要なことが二つある。それは「三五の二法」である。「三」とは化城喩品に説く釈尊の三千塵点劫以来の釈尊の教化を意味する。法華経以前の諸経では、釈尊が菩薩として修行されている間(因位)を、あるいは三阿僧祇劫といい、あるいは、ややもすれば塵劫をこえるほどの長い間といい、あるいは無量劫であるといっている。法華経以前の諸経においては、大梵天王は第六天の魔王・帝釈天・四天王等とともに二十九劫以前の昔からこの娑婆世界を統合しており、釈尊と梵天等のどちらかが先にこの世界を領していたかが明らかでなかったが、釈尊が菩提樹下に坐して一本の指を上げて悪魔を退散させた後は、大梵天王は頭をさげ、魔王は合掌して、欲界・色界・無色界の三界のすべての世界の人々はすべて釈尊に帰伏したのである。
[11]また諸経の諸仏と法華経の釈尊について、菩薩として修行し人々を救っていた(因位の)間のことを比較してみると、諸仏は三阿僧祇劫、五劫の間などと説かれているが、化城喩品では釈尊は三千塵点劫よりこのかた、娑婆世界のあらゆる人々に成仏の因縁を結んで下さった大菩薩であると説かれている。このため、この世界の地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道のすべての人々は釈尊以外の他の世界の菩薩とは全く縁がないのである。法華経の化城喩品には「人々は各々、縁のある仏の世界に生まれて法門を聞く」とあり、天台大師智顗は法華文句に「西方浄土とこの娑婆世界は仏が別であるので、縁が異なる阿弥陀如来と我々娑婆世界にすむ凡夫とは親子の関係が成り立たない」とあり、妙楽大師湛然は、法華文句記にこの文を解釈して、阿弥陀仏と釈尊は別な仏であって、(中略)過去の世からの我々との因縁もちがい、受ける教化の道も同じではない。仏が人々にはじめて成仏の因縁を結ぶのは、親が子を生むのと同じであり、仏が衆生を教え導くのは、親が子を育てるのと同じである。このため生むのと育てるのと親が違うのであれば、本当の親子の義がなりたたない。(釈尊と我々とが本当の親子の関係にあたるのである。)
[12]現在の日本の人々が、阿弥陀如来が来迎して救ってくれると信じているのは、譬えてみれば牛の子に馬の乳を呑ませ、瓦の鏡に天の月の影を映そうとするようなおろかな行為である。
[13]また、仏のさとりを開いた後に人々を救うこと(果位)について諸仏と釈尊とを比較してみると、諸経の諸仏はあるいは十劫・百劫・千劫の昔に成仏した仏であるが、教主釈尊は五百億塵点劫のはるか過去に妙覚の<傍>さとり傍>の位に登られた仏である。大日如来・阿弥陀如来・薬師如来などの十方のあらゆる仏は、みな私たちの本師である教主釈尊の従者である。釈尊を天の月にたとえれば、釈尊以外の諸仏は水の上に浮ぶ影にすぎない。華厳経の教主である十方の諸仏の中央の台の上にまします毘盧遮那仏、大日経や金剛頂経の胎蔵界・金剛界の両界の大日如来は、法華経宝塔品に現われた多宝如来の脇士として左右に随侍する仏である。それはあたかも王の左右に侍する臣下のようなものである。さらにこの多宝如来も寿量品に示される久遠実成の教主釈尊の従者である。
[14]この娑婆世界の我ら衆生は、五百億塵点劫のはるか昔から、教主釈尊の愛子である。その教えにそむいた不孝のとがによって、今日までその愛子であることに気づかなかったが、他の世界の衆生とは全く関係がことなるのである。五百億塵点劫のはるか昔に縁を結んだ釈尊と私たちの関係は、天の月がおのずと清い水に影を宿すようなものである。縁を結ばない阿弥陀如来・大日如来・薬師如来との関係は、たとえば耳の聞こえない人に雷の音がきこえないように、目の見えない人に太陽や月が見えないのと同じである。
[15]しかしながら、ある師(真言宗)は、釈尊をおとしめて大日如来を仰ぎ崇び、ある師(浄土宗)は、釈尊は私たちとは縁がなく阿弥陀如来が縁があると説き、ある師(律宗など)は小乗の経典に説かれる釈尊を尊び、ある師(禅宗など)は華厳経の釈尊を尊び、ある師(天台宗)は法華経の前半部分の迹門の始成正覚の釈尊を尊んでいる。これらの諸師やその信徒たちが寿量品の教主釈尊を忘れて諸経の諸仏を崇め重んじるのは、たとえば阿闍世太子がその父の頻娑婆羅王を殺し、釈尊にそむいて提婆達多に従ったのと同じである。
[16]二月十五日は釈尊御入滅の日であり、あるいは十二月十五日も三界のすべての世界の慈悲深き父である釈尊の報恩の法会の日にあたるのに、善導・法然・永観等が提婆達多のような師にだまされて、阿弥陀仏の日としてしまった。また四月八日は釈尊の御誕生の日であるのに、薬師如来の日としてしまった。私たちの慈悲深き釈尊の入涅槃の日を他の仏の命日としてしまうのは、はたして孝養の者といえるであろうか。寿量品には「我もまた世の父、まどえる子を治療し回復せんとするがための故に」とあり、天台大師の法華玄義には「最初にこの仏について菩提の心をおこし、またこの仏に従って<傍>さとり傍>の地に至った。すべての川が大海に流れ込むように、もともとの因縁にひかれてこの仏のみもとに生まれるのである」と解釈している。
[17]〔問〕法華経はだれのために説かれたのであろうか。
[18]〔答〕まず法華経の前半の迹門の十四品をみてみると、方便品第二から人記品第九にいたるまでの八品について二つの見方がある。この八品をはじめから順序通りに読んでみると、第一には菩薩、第二に声聞乗と縁覚乗の二乗、第三に凡夫を教化するために説かれたと考えることができる。しかし迹門の末尾の安楽行品第十四から勧持品第十三・提婆品第十二・宝塔品第十一・法師品第十と順序を逆にして読み進んでいくならば、この八品は正しく釈尊入滅後の人々を教化するために説かれたもので、釈尊の在世の人々の教化は傍意であることがわかる。そして釈尊の入滅後の中でも、正法一千年・像法一千年は傍意で、末法のために説かれたというのが真実であり、さらに末法の中でも日蓮が正意である。
[19]〔問〕その証拠はどこにあるのか。
[20]〔答〕法師品に「釈尊入滅の後には、在世の時よりなおさら怨嫉が多い」とあることによって、末法の人々のために説かれたことがわかる。
[21]〔問〕日蓮のためであるという正しい証拠はどこにあるのか。
[22]〔答〕勧持品に「多くの無智の人々が悪口を言ったり、ののしったりする」「刀や杖によって迫害を加える」と説かれているのがそれである。
[23]〔問〕それは自分で自分を讃めることにならないか。
[24]〔答〕経文が未来を予見して言う<傍>ことば傍>が、私の一身にあてはまるので喜びにたえず、自から讃歎せざるを得ないのである。
[25]〔問〕本門はだれのために説かれたものであるか。
[26]〔答〕本門の説法にも二つの目的が考えられる。第一には、涌出品で釈尊がほぼ自身の久遠実成を示されたのは(略開近顕遠)、法華経以前の四十余年の説法と、法華経の前半十四品の迹門にかけて教え導いてきた釈尊の在世の時の弟子たちをさとらせるためである。第二には、涌出品の末文で、弥勒が疑問を示して滅後のために釈尊に説法を願った部分から、次の寿量品の全部(一品)とその次の分別功徳品の前半と、合わせて一品と二半(寿量品の一品、涌出品後半と分別功徳品前半)は、正しく釈尊の久遠実成を明らかに説いたもので(広開近顕遠)、これはひたすら釈尊の入滅後の人々を救うためである。
[27]〔問〕略開近顕遠の詳しい内容とはどのようなものか。
[28]〔答〕文殊・弥勒等のもろもろの大菩薩や大梵天王・帝釈天・日天子・月天子・衆星・竜王等は、釈尊がはじめて成仏してから般若経を説くまでは一人も釈尊の弟子ではなかった。これらの菩薩や天人は釈尊が成仏して説法を開始する前に、すでにさとりの境界に到達しており、みずから別教や円教と位置づけられる法門を演説していたのである。釈尊はそのあとから阿含経(小乗経)・方等経(大乗経)・般若経を説いたのであるから、これらの菩薩や天人は、ことさらそれを聞いても得るような利益はなかったのである。すでにすぐれた別教・円教の法門を知っていたのであるから、それより劣る蔵教や通教について知っているのは当然のことである。詳しく述べれば、その菩薩がたは釈尊の師匠であるか、あるいは導く善き友(善知識)であって、釈尊の弟子ではなかったのである。ところが、法華経の前半の迹門の中心(正宗)である八品が説かれるにいたって、それまで聞いたことのなかった法門をはじめて聞いて、釈尊の弟子となったのである。
[29]舎利弗や目連等の二乗は、釈尊の最初の鹿野苑の説法の時に、はじめて仏道を求める心をおこした弟子である。しかしながら、これらの人々のためには四十余年の長きにわたって方便の教えばかりが説かれてきたのであって、法華経にいたってはじめて真実の法が説き示されたのである。そして法華経の本門の涌出品で久遠実成について暗示された時、華厳経の説法の座より以来、法を聴聞してきた大菩薩・声聞・縁覚の二乗、大梵天王・帝釈天王・日天子・月天子・四天王・竜王等はみなさとりの境界に到達し、仏と同じ位か、もしくは仏の次の位にまで登ったのである。このため、今私たちが天をあおげば、生きた仏がその本来の位のままで人々に利益を与えている姿を見ることができるのである。
[30]〔問〕広く詳しく久遠実成を明らかにされた寿量品は、だれのために説かれるのであろうか。
[31]〔答〕寿量品を中心として、その前後のそれぞれ半品を加えた一品二半の、始めから終りまではすべて仏の入滅後の衆生のために説かれたのである。その中でも末法のいまの日蓮らのために説かれたのである。
[32]〔問〕そのような法門は前代未聞であるが、経文に説いてあるのだろうか。
[33]〔答〕私の愚見は前代の賢人にとうていおよぶものではない。たとえ経文の証拠を引用したとしても、誰も信じる者はいないであろう。昔、中国の卞和が宝石の原石を得たので、楚の厲王、ついで即位した武王に奉ったところ、つまらぬ石と誤解されて逆に怒りをかって、それぞれの王に片足ずつ、ついには両足を切られてしまったが、次に即位した文王が磨いてやっと宝石ということがわかったという。また呉王の闔閭の重臣であった伍子胥は国のことを思って何度となく王の死後に呉王の後を継承した太子の夫差を諫めたが、聞き入れられず自殺してしまった。呉はほどなく滅亡してしまったという。これらの事例と同じように、とうてい私の考えは聞き入れられまい。
[34]しかしながら、(あえて証拠の経文をあげれば)涌出品で疑問を懐いた弥勒菩薩が釈尊に申し上げたことばの中に「私たちは釈尊のことばを信じるが、初心の菩薩たちが釈尊の入滅後に、このようなことを聞いたならば、あるいは信じようとせずに、法を<傍>そしる傍>罪を作るかもしれない」とある。この経文には、寿量品を説き示して久遠実成について明らかにしなければ、末代の凡夫は疑いをおこし、法を<傍>そしる傍>罪によって地獄などの悪道に堕ちるにちがいない、と説かれるのである。また寿量品には「このすばらしい良薬を、いまとどめてここにおく」とある。寿量品の説法の趣旨は過去の釈尊の在世当時の人々を利益するためのようにみえるのであるが、この経文の意味からすれば、釈尊入滅後の人々を利益することが根本の目的である。過去の人々に利益を与えたのは、まず入滅後の人々のために手本として示したにすぎない。分別功徳品には「悪世末法の時のために」とあり、神力品には「仏の入滅の後に、この経典の心を正しく受け伝えるものを、諸仏はみな歓びほめたたえ、はかりしれない不思議な神力を現わされた」とあり、薬王菩薩本事品には「私(釈尊)の入滅の後に、後の五百年の中に広く宣べ伝えられ、この裟婆世界に、法華経の教えがとだえることなく受けつがしめよう」と説かれている。薬王品にはまた「この法華経は、裟婆世界に生きる人々の身と心の病の良薬である」とあり、涅槃経の梵行品には「たとえば七人の子があった時、父母の愛は平等にそそがれるが、中でも病気の子には特に慈愛の心がそそがれるものである」とも説かれている。七子の中の一番目と二番目は、一闡提(成仏する可能性のない者)と謗法(教えをそしる者)である。多くある病の中で法華経をそしることが最も重い病である。多くの薬の中では南無妙法蓮華経の題目こそ最もすぐれた良薬である。
[35]この一閻浮提(裟婆世界)は縦も横も七千由善那という想像もできないほどの大きさであり、その中に八万の国がある。釈尊入滅後の正法と像法の二千年の間に広く流布することはなかった法華経が、いま末法の世にこの世界に宣べ伝えられないのならば、釈尊は大いなる偽りを語る仏となり、宝塔品にて多宝如来が法華経の真実を証明した行為もみな水の泡のように消えてしまい、神力品において十方分身の諸仏が広長舌相を示して釈尊の説法の真実性を讃えたことも、支脈にそって裂けやすい芭蕉の葉のようにたよりないものとなってしまう。
[36]〔問〕多宝如来が宝塔品で釈尊の説法を「すべて真実である」と証明したことや、十方分身諸仏が神力品で広長舌を梵天までとどかせて釈尊の説法が真実であることを讃歎したこと、さらに釈尊の久遠実成を証明するために涌出品で地涌の菩薩が地より涌き出てきたことは、だれのために示されたのであろうか。
[37]〔答〕世間の人々はこれらを釈尊の在世の時の人のためであると解釈しているが、日蓮はそうではない(滅後の人のためであると解釈する)。すなわち舎利弗や目連等は現在では智慧第一の舎利弗、神通力第一の目連と尊ばれているが、過去の世をみてみると舎利弗は金竜陀仏、須菩提は青竜陀仏であったといわれ、未来の世には舎利弗は成仏して華光如来となると許された尊い方々である。また霊鷲山の法華経の説法の時には即時に貪・瞋・痴のすべての心の迷いを断ち切った大菩薩であり、その本地は内心には菩薩のさとりを得ていながら、外には声聞の姿を示していた古来の菩薩なのである。文殊・弥勒等の大菩薩は過去の世にすでにさとりを得た仏で、いま人々を教え導くために菩薩の姿を示しているのである。大梵天王・帝釈天王・日天子・月天子・四天王等は、みな釈尊が菩提樹下でさとりを得る以前からの尊い大聖であって、その上、法華経以前の諸経を一言にしてさとられたのである。このように釈尊の在世中には一人として無智の者はいなかった。いったい、誰の疑問を解決するために多宝如来の証明や十方分身諸仏の助証や、本化地涌の菩薩の出現の必要があったのであろうか。いずれにしても理由が見あたらないのである。このため法華経をみてみると、法師品には「釈尊の在世ですら迫害が多いのであるから、釈尊の入滅後は<傍>なおさら傍>である」とあり、宝塔品には「法華経をこの世界に末永く流布せしめんがゆえに」とある。これらの経文から推測して考えてみると、法華経はすべて末法の私たちのために説かれているのである。だから天台大師智顗は、法華文句の中で今の世のことを指して「釈尊の入滅後の五回目の五百年の時代まで、はるか遠く妙法の利益を受ける」と述べ、伝教大師最澄も今の世のことについて「正法・像法の時代はほぼ過ぎ去って、末法の世が近づいた」と述べている。最澄が「末法の世が近づいた」と言ったのは、最澄の活躍した時代は法華経が正しく流布すべき時ではなく、末法こそが法華経が布教されるべき時であることを説き示そうとしたためである。
[38]〔問〕釈尊が入滅してから二千年余りの間に、正法の時代の一千年に出現した竜樹菩薩・天親菩薩も、次の像法の時代の一千年に出現した天台大師・伝教大師も秘して弘めなかった秘法とは何なのであろうか。
[39]〔答〕それは「本門の本尊」「本門の戒壇」と「題目の妙法五字」(三大秘法)である。
[40]〔問〕どうして正法・像法の時代に弘めなかったのであろうか。
[41]〔答〕もし正法・像法の時代にこれを弘めていたならば、正法の時代に弘まるべき小乗教、竜樹・天親の方便をまじえた権大乗経、像法に弘まるべき天台大師・伝教大師の法華経前半の迹門の教えが、即時にその効果を失ってしまうからである(これらの諸経も仏法流布の観点からすれば順序にしたがって次弟に弘まっていくのが好ましいのである)。
[42]〔問〕それでは、仏法を滅し尽くしてしまうような法を、どうして末法の世に弘めようとするのであろうか。
[43]〔答〕末法の時代には、大乗も小乗も、権大乗も実大乗も、顕教も密教などのすべての仏法も、その教えだけは残って伝わっているが、その教えのとおり修行して成仏した人は一人もなくなってしまったからである。娑婆世界のすべての人々は法をそしる謗法の重罪を犯している。したがって法を<傍>そしりそむく傍>者(逆縁)に対しては、強いて妙法蓮華経の五字を聞かしめて、成仏のもととなる仏の種を植えつけなければならない。それは、あたかも不軽菩薩が増上慢の比丘にあえて法華経の教えを説き、かえって迫害されたのと同じである。私の門弟は妙法五字をすなおに信じて成仏する順縁であるが、日本国の多くの人々は、法華経をそしる逆縁の者であるから、強いて妙法蓮華経の五字によって仏種を植えつけなければならないのである。
[44]〔問〕どうして広く法華経全般の教えを説かず、また略して法華経の要旨をも示さず、ただ肝要である妙法蓮華経の五字のみを強調するのか。
[45]〔答〕玄奘三蔵は略を捨てて広を好み、四十巻の大般若経を六百巻として訳出した。鳩摩羅什は広を捨てて略を好み、全部を訳せば千巻にもなる大智度論を百巻に集約して訳出した。いま日蓮は広も略も捨てて肝要を好むのである。それは、上行菩薩が釈尊から伝えられた妙法蓮華経の五字である。秦の九包淵は馬を見分けるのに、黄色を帯びた病気の馬を見抜いて駿馬を選んだといい、中国の東晋の僧の支道林は経を解説する際に細かい解釈にとらわれずに大意を取ったということである。妙法蓮華経の五字は、釈尊が宝塔の中に入って、多宝如来と座をならべて、十方分身の諸仏が集まり来って、本化の地涌の菩薩を召し出して、法華経の肝要を取って、末法の私たちのために説きのこされた大切な法であるので、いまの世の人々は決してその功徳を疑ってはならない。
[46]〔問〕今の世にこのような大切な法が流布する時には、何か先兆はあるのであろうか。
[47]〔答〕法華経の方便品には十如是を説いて「このような相、そしてこのような様々な要因と結果とそのありさまはお互い関連し合っており、密接不可分である」とあり、天台大師智顗は法華玄義に「蜘蛛が巣にかけると喜び事があり、<傍>かささぎ傍>が鳴けば客人が来る。日常の小さなでき事でさえこのような前兆があるのだから、法が弘まるという大事なことではなおさらである」という意味のことが説かれている。
[48]〔問〕それならばその前兆は、はたして現在あるのだろうか。
[49]〔答〕去る正嘉元年にあった大地震、文永元年の大彗星をはじめとして、それから以後は色々な天災や地変が起こっているが、これらはみな法華経が流布すべき前兆である。仁王経に説かれた七種の災難・二十九の災難・はかりしれない無数の災難。および金光明経・大集経・守護経・薬師経などの諸経に説かれている種々の災難はすでに現実のものとなっている。ただし、仁王経の「二つないし三つ四つ五つの太陽が出現する」という大天変だけはまだ現われなかったが、佐渡の住民が言うところによれば、今年の正月二十三日の申の時(午後四時頃)に西の空に二つの太陽が現われたとか、三つの太陽が現われたということである。また二月五日には東の空に明星が二つ並び出でて、その間は三寸ばかりであったともいう。この大難は、日本国にいまだかつてなかった大天変といえようか。金光明最勝王経の王法正論品には「妖しい流星がおちたり、二つの太陽が同時に出たりするならば、他国から賊が攻めて来て、民はまどい国は亡びる」とあり、首楞厳経には「二つの太陽が現われ、二つの月が出る」とあり、薬師経には「太陽や月が欠けてしまう難がある」とあり、金光明経には「彗星がしばしば現われたり、二つの太陽が並んで出たり、日蝕がたびたびある」とあり、大集経には「仏法がおとろえれば太陽や月は光を失う」とあり、仁王経には「太陽や月の運行が乱れ、季節が不順どころか、さかさまになり、赤い太陽や黒い太陽が現われたり、二つ三つ四つ五つの太陽が並び出たり、あるいは日蝕して光がなくなったり、太陽に一重二重三重四重五重の輪が現われる」などとある。この太陽や月の異変は、仁王経の七難や二十九の難、無数の難などの中でも最悪の大難である。
[50]〔問〕これらの大中小の種々の災難はなぜ起こるのであろうか。
[51]〔答〕金光明最勝王経には「間違った行動をする者を尊敬し、善き法を弘める者を苦しめ罰する」からであると説かれ、法華経の勧持品や涅槃経の如来性品にも、末法の悪比丘が正しい法をそしり、正法を布教する行者が迫害されることが説かれている。さらに、金光明最勝王経には「悪人を尊敬し、善人を罰するから、星宿の運行も風雨の時節も乱れる」と説かれている。大集経にも「仏法がおとろえれば、悪王や悪比丘がはびこり正しい法を破壊するであろう」とあり、仁王経にも「世が乱れ聖人が去ってしまえば七難が必ず起こる」とある。また仁王経には「法律を無視して僧を束縛して、囚人として取り扱う時は、仏法が滅亡する時が近づいた証拠だ」とあり、また「多くの悪僧たちは名誉や自分の利益のために国王や太子や王子の前で、みずから仏法を破り国家を乱すようなことを説き、王は善悪をわきまえずにその言葉を信じてしまう、このような時こそ仏法が滅亡するのである」と説かれている。これらの真実を照らす明らかな鏡(経文)によって、現在の日本国を照らしてみると、天変地変などの災難のありさまは、勘合符を合わせたように完全に一致する。見識のあるわが門弟は、はっきりとこの事実を見極めるがよい。いま日本国に悪僧があって、天子・王子・将軍に向って、讒訴して、正しい法(法華経)を弘める聖人を失おうとしているのである。
[52]〔問〕弗舎密多羅王がインドの仏法をほろぼし、唐の武宗(会昌天子)が中国の仏法を破滅にみちびき、物部の守屋が日本での仏法の流布を妨害した時や、正しい法を弘めて修行していた提婆菩薩や師子尊者らが迫害され殺された時に、どうしてこのような大難が起こらなかったのであろうか。
[53]〔答〕それは災難は人によって大小の違いがあるからである。正法と像法の二千年の間は、(弗舎密多羅王などの)悪王や悪僧が仏法以外の宗教を信じて、道士であると称したり、それを信じたり、邪しまな神を信じたりしたために、仏法を破ったのである。すなわち仏法以外の教えで仏法を破ったのであるから、その罪はまだまだ軽い。しかし現在の悪王や悪僧が仏法を滅ぼすのは、小乗を信じて大乗を破り、方便の権教を信じて真実の実教を滅ぼすのである(仏法によって仏法をほろぼすのであるからその罪も重い)。さらに僧を殺したり寺を焼いたりするのではなく、内面的・精神的に仏法を自然と滅ぼそうとするのであるから、その罪は先に示したような過去の例にもまして重いのである(したがって、それに伴う災難も大きい)。わが門弟は現実の国難のはげしいありさまをみて、法華経の信仰を深めるべきである。眼を瞋らして鏡に向えば鏡がにらみ返すように、これらの天変は人間の罪悪、すなわち正しい法をそしる行為を天が瞋って災難をもたらすのである。二つの太陽が並んで出現するのは、一つの国に二人の国王が並び立つ前兆であって、王と王との戦いが起こるのであろう。星が太陽や月の運行を乱すのは、臣下が王を犯す前兆である。太陽と太陽がいくつも出現するのは、世の中に争いごとが起こる前兆である。明星が並んで出現するのは、太子と太子の争いのおこる前兆である。このように国土が乱れた時にこそ、上行菩薩らの聖人が出現して、(その使命である法華経の布教を実行して)本門の三大秘法をうち立てて、この世の中すべて(一天四海)に妙法蓮華経の題目の五字を、広く宣べ伝えられて行くことは疑いないことである(経文の予見するとおりに真実の法華経の教えが弘まることであろう)。