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波木井三郎殿御返事

全集 第2巻 2段 定本: #127(定本の該当ページへ)

書下し

波木井三郎殿御返事はきいさぶろうどのごへんじ


[1]鳥跡てがみ飛び来れり。不審の晴るること疾風の重雲やえぐもを巻て明月に向えるがごとし。ただしこの法門、当世の人上下を論ぜず信心を取りがたし。その故は仏法を修行するは現世安穏後生善処等と云云。しかるに日蓮法師、華経の行者と称すといえども留難るなん多し。まさに知るべし、仏意に叶わざるか等云云。
[2]ただしこの邪難、先案の内、御気を蒙るの後、始て驚くべきにあらず。その故は華経の文を見聞するに法に入りて教のごとく法華経を修行する者は留難多かるべきの由、経文赫赫かくかくたり。まなこあらん者はこれを見るか。いわゆる法華経の第四に云く、如来の現在にすら、なお怨嫉おんしつ多しいわんや滅度の後をや。また五の巻に云く、一切世間怨多くして信じがたし等云云。また云く、諸の無智の人の悪口罵等し刀瓦礫を加うるあらん等云云。また云く、悪世の中の比丘等云云。また云く、或は阿蘭若あれんにやに納衣して空閑にるあらん。乃至白衣のために法を説いて世に恭敬くぎようせらるることをうること六通の羅漢のごとくならん等云云。また云く、常に大衆の中に在つて我等をそしらんと欲する故に国王大臣婆羅門居士及び余の比丘衆に向つて誹謗してわが悪を説かん等云云。また云く、悪鬼その身に入つて我を罵毀辱せん等云云。また云く、数数擯出しばしばひんずいせられん等云云。大槃経に云く、闡提、羅漢の像を作し空閑処に住し等大乗経典を誹謗することあるを、諸の凡夫人見おわりて皆、真の阿羅漢なり、これ大なりとおもわん等云云。また云く、正法滅して後、像法の中においてまさに比丘あるべし。持律に似像して少しく経を読誦し飲食おんじき貪嗜とんししその身を長養せん。乃至袈裟を服すといえども、なお猟師の細視徐行するがごとく、猫の鼠を伺うがごとし等云云。また般泥はつないおん経に云く、阿羅漢に似たる一闡提あり乃至等云云。
[3]予この明鏡を捧げ持つて日本国に引き向けてこれを浮べたるに一分もかくれなし。或は阿蘭若に納衣して空閑に在るあらん、とは<傍>なに人ぞや。世に恭敬せらるることをうること六通の羅漢のごとくならん、とはまた<傍>なに人ぞや。諸の凡夫人見おわりて皆、真の阿羅漢なり、これ大菩なりとおもわん、とはこれまた誰ぞや。持律に少しく経を読誦す、とはまたいかん。この経文のごとく仏、仏眼を以て末法の始を照見したまい、当世に当りて、これらの人々なくんば世尊のびゆうらんなり。この本迹二門と、双林の常住と、だれ人かこれを信用せん。
[4]今日蓮仏語の真実を顕さんがため日本に配当してこの経を読誦するに、或は阿蘭若にあり空処に住す等とは、建長寺・寿福寺・極楽寺・建仁寺・東福寺等の日本国の禅律念仏等の寺々なり。これらの魔寺は叡山等の法華天台等の仏寺を破せんために出来するなり。納衣持律等とは、当世の五七九の袈裟を着たる持斎等なり。世に恭敬せらるるこの大菩とは隆・観・聖一等なり。世と云うは当世の国主等なり。諸の無智の人あらん、諸の凡夫人等とは日本国中の上下万人なり。
[5]日蓮夫たるの故に仏教を信ぜず。ただしこの事においては水火のごとく手に当ててこれを知れり。ただし法華経の行者あらば悪口罵擯出等せらるべし云云。この経文を以て世間に配当するに一人もこれなし。誰を以てか華経の行者とせん。敵人はありといえども法華経の持者はなし。譬えば東ありて西なく、天ありて地なきがごとし。仏語妄説となるをいかん。予自讃に似たりといえども、これを勘え出して仏語を扶持ふじせん。いわゆる日蓮法師これなり。その上仏軽品に自身の過去の現証を引いて云く、その時にひとりの菩あり常不軽となづく等云云。又云く、悪口罵等せらる。又云く、或は木瓦石を以てこれを打擲す等云云。釈尊わが因位の所行を引き載せて、法の始を勧めはげましたもう。軽菩すでに法華経のために木を蒙りて忽に妙覚の極位に登らせたまいぬ。日蓮この経の故に現身に刀をこうむり二度遠流に当る。当来の妙果これを疑うべしや。
[6]如来の滅後に四依の大士、正像に出世してこの経を弘通したもう時にすらなお留難多し。いわゆる法蔵第二十の提婆菩、第二十五の師子尊者等、或は命を断たれ頸をはねられ、第八の仏駄密多、第十三の竜樹菩等は赤きはたを捧げ持ちて、七年、十二年、王の門前に立てり。竺の道生は蘇山に流され、法祖は害を加えられ、法道三蔵はかお火印かいんされ、遠法師は呵嘖せられ、台大師は北の十師に対当し、教大師は六宗の邪見を破す。これらは皆王の賢愚に当るに依て用取あるのみ。あえて仏意に叶わざるにあらず。正像なお以てかくのごとし。いかにいわんや末法に及ぶをや。すでに法華経のために御気を蒙れば幸の中の幸なり。瓦礫を以て金銀にかゆるとはこれなり。
[7]ただしかわしきは王経に云く、聖人去る時難必ず起る等云云。七難とはいわゆる大早魃・大兵乱等これなり。勝王経に云く、悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、星宿及び風雨皆、時を以て行なわれず等云云。悪人を愛すとはだれ人ぞや。上に挙るところの諸人なり。善人を治罰すとはだれ人ぞや。上に挙るところの数数見擯出の者なり。星宿とはこの二十余年の地夭ちよう等これなり。経文のごとくならば、日蓮を流罪するは国土滅亡の先兆なり。その上、御勘気已前にその由これを勘え出す。いわゆる立正安国論これなり。だれかこれを疑わん。これを以てきとなす。
[8]ただし仏滅後今に二千二百二十二年なり。正法一千年には親等仏の御使となりて法を弘む。しかりといえども、ただ小権の二教を弘通して実大乗をば、いまだこれを弘通せず。像法に入て五百年に台大師漢土に出現して南北の邪義を破失して正義を立てたもう。いわゆる教門の時、観門の念三千これなり。国を挙て小釈と号す。しかりといえども円定・円慧においてはこれを弘宣して、円戒はいまだこれを弘めず。仏滅後一千八百年に入て、日本の教大師、世に出現して欽明より已来二百余年の間、六宗の邪義これを破失す。その上天台のいまだ弘めたまわざる円頓戒これを弘宣したもう。いわゆる山円頓の大戒これなり。ただし仏滅後二千余年、三朝の間、数万の寺々これあり。しかりといえども本門の教主の寺塔、涌千界の菩の別に授与したもうところの妙法蓮華経の五字、いまだこれを弘通せず。経文にはありて国土にはなし。時機**のいまだ至らざる故か。仏記して云く、我が滅度の後、の五百歳の中に宣流布し、浮提において断絶せしむることなけん等云云。天台記して云く、後の五百歳遠く妙道にうるおわん等云云。伝教大師記して云く、正像やや過ぎ已てはなはだ近きにあり、法華一乗の機今正しくこれその時なり等云云。これらの経釈は末法の始を指し示すなり。道記して云く、我が滅後一百年に当りて仏世に出たもうと云云。儒家記して云く、一千年の後、仏法漢土に渡る等云云。かくのごとき凡人の記文すらなお以て符契のごとし。いわんや伝教天台をや。いかにいわんや宝の金口の明記をや。まさに知るべし残るところの本門の教主、妙法の五字一閻浮提に流布せんこと疑いなきものか。
[9]ただし日蓮法師に度々これを聞きたる人々なおこの大難に値ての後、これを捨つるか。貴辺はこれを聞きたもうこと一両度、一時二時ひとときふたときか。しかりといえども、いまだ捨てたまわず、御信心の由これを聞く。偏に今生の事にあらじ。楽大師の云く、故に知んぬ、末代一時聞くことを得、聞き已て信を生ずること宿種なるべし等云云。また云く、とき 像末に居しこの真文をる、妙因を植たるにあらざるよりはまことに遇いがたしとなす等云云。華経に云く、過去に十万億の仏を供養せしの人、人間に生れてこの法華を信ぜん。また槃経に云く、連一恒供養の人この悪世に生れてこの経を信ぜん等云云〈取意〉。
[10]闍世王は父を殺害し、母を禁固せし悪人なり。しかりといえども涅槃経の座に来りて法華経を聴聞せしかば現世の悪瘡を治するのみにあらず、四十年の寿命を延引したまい、結句無根初住の仏記を得たり。提婆達多*だいばだつたは閻浮第一の闡提の人、代聖教に捨て置かれしかども、この経に値い奉りて天王如来の記を授与せらる。彼を以てこれを推するに、末代の悪人等の成仏不成仏は罪の軽重に依らず、ただこの経の信不信に任すべし。しかるに貴辺は武士の家のひと、昼夜殺生の悪人なり。家を捨てずしてここに至つて、いかなる術を以てか三悪道を脱るべきや。能々私案あるべきか。
[11]法華経の心は当位即妙不改本位とういそくみようふかいほんいと申して罪業を捨てずして仏道を成ずるなり。天台の云く、他経はただ善に記して悪に記せず。今経は皆記す等云云。妙楽の云く、ただ円教の意は逆即これ順なり。自余の三教は逆順定まるが故に等云云。
[12]前分々の得道有無の事これを記すべしといえども、名目を知れる人にこれを申すなり。しかりといえども大体これを教うる弟子これあり。この輩等を召してほぼ聞くべし。その時これを記し申すべし。   恐々謹言
[13]
[14]文永十年〈太歳癸酉たいさいみずのととり〉<日>八月三日
[15]<人>日 蓮 <花押>花押
[16]<先>甲斐国部六郎三郎殿御返事
[17]鎌倉に筑後房・弁阿闍梨・大進阿闍梨と申す小僧等これあり。これを召して御たつとびあるべし。御談議あるべし。大事の法門等ほぼ申す。彼等は日本にいまだ流布せざる大法少々これをゆうす。随て御学問注し申すべきなり。
現代語訳

波木井三郎殿御返事


文永一〇年(一二七三)、五二歳、於佐渡一谷、波木井三郎実長宛、原漢文、定七四五—七四九頁。

[1]手紙が急いで届けられた。不審に思っていたことが、疾風が黒雲を払い、明月に向かったように、たちまちに晴れるように思う。ただし、日蓮が法華経の行者であることは、今の人々は上下を論ずることもなく、信じようともしない。それは、仏法を修行する者は「現世は安穏で、未来は善きところに生まれる」と法華経の薬草喩品に説かれているのに、日蓮法師は法華経の行者と自称していながら、流罪などの多くの難を受けているではないか。きっと仏の本意にかなっていないからであろう、と人々は考えているに違いない。
[2]しかし、このような邪悪な非難のことばは、最初から予想していた通りであるから、御勘気を蒙り流罪となったとしても今さら驚くことはない。なぜなら法華経の経文を拝見すると、末法の時代に法華経の教える通りに修行する者は難にあうであろうと、はっきりと書かれているからである。物事の真価を見分ける人は法華経を見てみるが良い。すなわち法華経第四巻の法師品には「仏の在世でさえ法華経を布教する者を怨み嫉む者は多いのであるから、仏の滅後の末法ではなおさらである」とある。第五巻の安楽行品には「世間には怨む者が多いので、この法華経を信じるには多くの困難がある」とある。また勧持品には「末法には多くの無智の人々が法華経の行者に悪口を言ったり、ののしったり、刀やで迫害したり、瓦や石を投げる者がいるだろう」「悪世の僧は心がおごりたかぶっている者が多くある」「形を見れば、閑静空寂な僧房で修行僧の衣を身にまとい、心静かな境地に安住しているが、じつは名利のために俗人に好まれる法を説いて、世間からは六神通を得た聖者のように尊敬される」「つねに大衆の中にあって法華経の行者をそしるために、国王・大臣・婆羅門・学者・僧たちに向かって、この者は間違ったことを説いていると非難する」「悪魔がその身にとりついて法華経の行者をののしりはずかしめる」「ところを追われ流罪などに処されること数度におよぶだろう」などと説かれている。また涅槃経には「成仏するための善根を断ち切ってしまった一闡提の人が、聖者のような姿をして閑静空寂な僧堂に住みながら、大乗仏教をそしるのを見た凡夫の人々が誤解して、この人こそ聖者なのであり大菩であると思ってしまうであろう」とあり、また「正法の時代がすぎて、仏法ばかり行なわれる像法の時代になると、僧侶は戒律をたもつようなふりをして少しばかり経文を読みはするが、飲食におぼれて自分をいたわることばかりを考え、たとえ袈裟を身につけていたとしても、その心は猟師が獲物を見つけると目を細くして忍び足で歩き、猫が鼠をうかがうのと同じである」とあり、また般泥経には「阿羅漢の<傍>さとりを得た聖者に似た悪人がある」などと説いている。
[3]日蓮がこれらの釈尊の教え、真実を照らし出す明らかな鏡をひたすら捧げ持って、現在の日本国を写し出してみると、以下のことが寸分のかくれもなく浮び出てくる。「形から見ると閑静空寂な僧房で修行僧の衣を身に着け、静かな境地にいて」とは一体、誰に該当するのであろうか。「世間からは聖者のように尊敬されている」とは誰のことであろうか。「世の凡夫の人々が本当の聖者であり大菩であると誤解している」とは誰のことを指すのであろうか。「戒律をたもつのに似て少しばかり経を読む者」はどうだろうか。この経文の通りに釈尊は不思議な仏眼によって末法の始の頃を予見なさったのであるから、もし今これらの人々に該当するような悪人が存在しなければ、釈尊は間違ったことを述べて人々の心を乱したことになる。もしそうであったら、法華経の前半と後半にわたって説かれる尊い法門も、また沙羅双樹の林で説かれた涅槃経の仏性常住の教義も人々は決して信じようとしないだろう。
[4]今、日蓮は釈尊の言葉が真実であることを証明するために、日本国の現状にあてはめて経文を読んでみると、「形から見ると閑静空寂な僧院で修行僧の衣を身につけ、静かな境地にいて」とは建長寺・寿福寺・極楽寺・建仁寺・東福寺などの禅宗・律宗・念仏宗などの寺々に該当する。これ等の心を乱す魔の寺は、比叡山延暦寺などの法華・天台の寺を破ろうというために出来上ったのである。「戒律を持つようなふりをする者」とは、ぼろ布を縫い綴った本来の意味を転じて、五条・七条・九条のきらびやかな袈裟をまとった持斎者のこと。「世間から大菩のように尊敬されている」とは、建長寺の道隆、極楽寺の良観、東福寺の聖一たちのこと。「世間から」とは、日本国の国主、執権たちを指し、「もろもろの無智な凡夫の人々」とは日本国の国民すべてである。
[5]日蓮は凡夫であるから仏教を信じていると断言してはならないとしても、しかし、ただこれらのことについては水や火を手にあててみた時のようにはっきりと見究めているのである。ただ、しかしながら「法華経の行者がいれば、必ず悪口を言われたり、ののしられたり、刀で打たれたり追放されたりするであろう」と経文にあるが、この経文を今の世の中に照らして考えてみると、如実にこの通りに体験した者が日蓮を除いて他に存在しているだろうか。そうでなければ、誰を法華経の行者と言えるのであろうか。すでに経文に書かれているように、迫害を加えてくる敵があるのに、迫害を受ける側の法華経の行者はいないではないか。たとえば、東があっても西がなく、天があっても地がないようなものである。そうなっては仏陀の言葉が偽りとなってしまうことを、どう考えるのか。自分で言うのは、自分で自分をほめるようなことになってしまうけれども、この意味を究明して仏陀の言葉の真意解明に力を添えたい。世にいう日蓮法師こそ、仏陀の真意を伝える者である。その上、釈尊が法華経の常不軽菩品に前生譚ぜんしようたんとして述べるのには、「昔、威音王仏の像法の末に、常不軽という一人の菩があり、迫害を受けたが一心に法華経の布教に努めた」とあり、その時常不軽菩が「悪口を言われ、ののしられ」「や木によって打たれたり、瓦や石を投げつけられた」という様子を記し、過去世の修行の時代の苦難を示すことによって、末法の始めの時代に布教にあたる者を激励したのである。不軽菩は法華経を布教することによってや木で打ちすえられるという難を蒙ったが、その功徳によって瞬時に妙覚(微妙・深遠なさとり)の仏の位に到達したのである。日蓮は法華経を布教したがために、現実に松葉谷の草庵を焼き打ちされ、小松原で東条景信とうじようかげのぶにおそわれ、さらには伊東配流につづき佐渡へと遠島となった。未来の成仏は疑いなきものである。
[6]釈尊の入滅後に人々からたよりにされる徳を具えた大士方が、正法と像法の時代に出現されてこの経を布教した時にさえ、種々の災難にあったのである。すなわち釈尊の法門を正統伝授された師とされる付法蔵の二十八祖の中の二十人目の提婆菩は主張を異にする外道のために殺され、二十五人目の師子尊者はけいひん国の悪王によって頸を刎られ、八人目の仏駄密多はだいか王城の前で十二年、十三人目の竜樹菩は南インドの王城の前で七年間にわたり、それぞれ赤い旗を立てて法を布教し、うとまれても決してやめなかった。その他、中国の道生は「すべての者が成仏する」と主張したことにより蘇山に流され、法祖は長安で盛んに布教したが張光に迫害され、きそう皇帝の愚行をいさめた法道は顔に焼き印を捺されて追放され、慧遠は武帝の排仏政策を非難したために厳しく責められ、天台大師は江南の三師・北地の七師の学派と対立して教判を建立し、日本の伝教大師は桓武帝の在位の時に奈良の六宗の誤った考え方を指弾した。これらの先師がこのような難にあったのは、その時代の王が賢王か愚王かによって、意見を採用したかしないかによるのであって、その布教のあり方が釈尊の考えに一致しなかったからではない。釈尊入滅後の正法・像法の時代でさえこのようなありさまであるから、末法となればことさら災難は強く増してくるであろう。すでに日蓮が法華経のために幕府の御勘気を蒙ったことは、石や瓦のように価値のないわが身を金や銀のように価値の高い法華経に変換していただいたようなもので、幸いの中の幸いというべきである。
[7]しかし、ここに一つの嘆かわしい疑問点がある。それは仁王経に「聖人が国を去る時には、その国に七難が必ず起こる」と説かれていることである。七難とは、<番>(一)太陽・月の運行が乱れること。<番>(二)すい星が出現したり天体に異変があること。<番>(三)火災が多く起こること。<番>(四)時節が正しく巡らないこと。<番>(五)強風により災害が起こること。<番>(六)雨がとぼしく、旱魃かんばつになること。<番>(七)悪人・盗賊が横行すること。の以上である。また金光明最勝王経には「国王が悪人を尊敬し、善人を罰する愚行を行なうために、太陽・月や星に時ならぬ変化が起こったり、風雨も時を違えるようになる」と説かれている。この経文に「悪人を尊敬する」という悪人とは一体誰をさすのか。先にあげた道隆・良観・聖一らの人々である。「善人を罰する」という善人とはだれであろうか。先にあげた勧持品の「しばしば迫害され追放される」に該当する人物である(日蓮こそこの経文に該当している)。「星に異変がある」とは最近の二十年余りの間に発する天変・地異などの災害がこれにあたる。この仁王経・最勝王経の経文の通りだとすれば、法華経を正しく布教しているこの日蓮を流罪したことは、国家滅亡の先兆ともいうべきである。しかも、この点については日蓮が御勘気を蒙る前にすでに考察し、立正安国論として上呈したのであるから、誰もこれに疑いをはさむ余地はない。法華経の行者を苦しめることによって、国に災難が起こり、滅亡に向かうことは、まことになげかわしいことである。
[8]しかし、釈尊が入滅になってから、今はまさに二千二百二十二年にあたる。正法の千年の間には、インドに竜樹・天親などの菩方が仏の使者となって法を弘めたが、小乗・権大乗の教えのみであって実大乗の教えは布教しなかった。正法の後、像法の時代に入ってからの五百年目には中国に天台大師が出現して、江南三師・北地七師の間違った見解を打破して法華経が諸経の中でも最も勝れることを明らかにした。すなわち教判論では、五時(華厳時・阿含時・方等時・般若時・法華涅槃時)を打ち立てて法華経が完全円満な経であることを明示し、実践論の観心については凡夫の一念に三千の世界が具わることを論証した。このために中国全体こぞって「小釈」と称して尊重したのである。しかし、法華円頓の真実義の中、円慧と円定の二法については宣説したが、いまだ円戒について弘めることはなかった。釈尊入滅後一千八百年を経た頃には伝教大師が日本に出現して、欽明帝の時に日本に仏教が渡来して後、約二百年の間に伝わった三論・法相・倶舎・成実・華厳・律の奈良の六宗の誤った仏教理解を批判した。その上、天台大師が明らかにしなかった法華円頓の戒をはじめて申し述べた。これが比叡山の円頓大戒である。このように釈尊入滅後の二千年余りを経て、インド・中国・日本と仏教は流伝し、三国の寺院の数は何万とあるかわからない程である。しかし、いまだ法華経の後半部分の本門に示される永遠なる久遠実成の教主釈尊を本尊とする堂塔や、釈尊の久遠の過去からの弟子である地涌の菩に特に授与された妙法蓮華経の五字の大法は、まだ弘めていない。経文には末法の始に布教されると記されているが、弘まった国はまだないのである。布教されるべき「時」がまだなのか、受容する側の人々の「機根」(能力)がまだ整っていないからであろうか。釈尊は法華経薬王菩本事品に「我が入滅後の第五の五百年には、この法華経を全世界に流布させ、決してとだえることのないようにしなければならない」としるされ、天台大師は法華文句の中で「第五の五百年の時から遠く妙道にうるおう」と述べ、伝教大師は守護国界章の中で「正法像法の時代は次第にすぎ去り、法華経の一乗思想が布教されるべき末法の時代がはやくも近づいてきた」と述べている。これらの経文や注釈は、みな末法の始めを指して法華経が流布する時代であると言っているのである。インドの婆羅門が「百年後に仏陀が世に出現する」と予言すると、その予言のように釈尊が出世なさったし、中国の儒教の学者が「一千年の後には中国に仏教が渡来する」と予言しているが、これらの凡俗の予見でさえ、現実に符合したのである。ましてや天台大師・伝教大師らの尊い方の予言が実現しないはずはない。さらに釈尊・多宝如来の尊いお言葉通りにならないことがあろうか。必ずやその予言の通りに法華経が流布する時代が到来し、全世界に本門の教主釈尊と妙法五字の大法が流布されることはまさに疑いのないことである。
[9]しかしながら、このような重要な法門を日蓮から度々聞いた人々でも、その上にまた今度のような大きな迫害に日蓮があうのをみると信心を捨ててしまうのも当然のことなのかもしれない。それにもかかわらず貴殿は、この法門について聞くのは一度か二度、それもわずか一時か二時の時間にすぎないのに、いまだ法華経の信仰を捨てずにいるとうかがってまことに悦ばしく思っている。これは決して今生だけの縁ではないのであろう。妙楽大師は法華文句記に「末法の人が、もし一時でも法を聞いて信心を起こすということは、過去に法華経を聞いた深い因縁があるからである」と述べ、また摩訶止観輔行伝弘決の中で「仏の在世や正法の時代にも生まれずに、めぐり合わせで像法の時代も末になった今の世に生まれて、仏法の中でも真実の文である法華経を拝見することができるのは、過去に縁となる妙因を植えたのでなければ、とうてい遇うことはできないのである」と述べている。法華経の随喜功徳品には「過去に十万億の仏を供養した人が、人間と生まれて法華経を信じることができるのである」と説かれており、涅槃経から取意して述べれば「仏の入滅後の悪世に生まれて涅槃経を信じることのできる者は、過去に熈連河の沙の数ほど仏を供養したものである」と説かれている。〔経釈にも明らかであり、涅槃経は法華経を補足する教えであることから考えても、貴殿が法華経の信仰を貫いていることは、過去世の因縁によるのである。〕
[10]阿闍世王あじやせおうは王位継承をねらって父の婆裟羅王びんびさらおうを殺し、母の韋提希夫人いだいけぶにんを牢獄に閉じ込めた大悪人である。しかし、涅槃経の説法の時に、釈尊が法華経で説いた一乗妙法の真理を再び説教したのを聞くや、父殺しの罪によりその身にできていた悪瘡がたちどころになおったばかりでなく、今にも死を迎えようとしていたのに、その後四十年の寿命をのばすことができ、結局、信根なき身に仏力を蒙って信を生じ、初住の悟りの位を得ることもできた。また釈尊の<傍>いとこでありながら釈尊に危害を加えるという重罪を犯した提婆達多は世界第一の大悪人である。このため法華経が説かれる以前の諸経では決して成仏できないと定められていたが、法華経の提婆達多品では提婆達多が過去世においては釈尊の師となったこともあったとして、将来、天王如来になるとして成仏の保証がされている。これらの事実から考えてみると、末法の凡夫は多かれ少なかれ罪を犯しているが、その悪人が成仏するかしないかは、罪が重いか軽いかによるのではなく、法華経を信じるか信じないかによるのである。貴殿は武家の出身であるから、常に殺生に直面している。仏法では殺生は固く禁じられているから、貴殿は悪人である。家を捨てることもなく、世のしがらみをはなれることもできないなら、どうすれば三悪道の地獄に堕ちることから脱れられるのかを、よくよく思案なさるがよい。
[11]法華経の教えでは「当位即妙・不改本位」といって、その罪のそのまま、その迷いのそのままの身で成仏することが説かれているので、別に凡夫悪人の姿を改めることなく、そのまま仏身を成就することができる。天台大師は法華文句に「法華経以前の経では、善人が成仏することは認めるが、悪人は認めない。しかし法華経は善悪ともに成仏することを説く」と述べ、妙楽大師は法華文句記に「円教・法華経の教えは、逆がそのまま順となると説かれるが、他の蔵・通・別の三教では、逆は逆・順は順と善と悪がはっきりと分けられている」と述べている。これらの意味をよくよく考えるべきである。
[12]なお、法華経以外の諸経によっても、それぞれ仏道をさとった者があったか、どうかという問題についても書きしるしておきたいところであるが、これは法門の名称・数目などの基礎知識をもつ人に語る内容である。とはいえ、おおよそのことは教えてある弟子もいる。これらの者を呼んで大要を聞かれるがよい。その時また申し上げることとする。
[13]恐々謹言
[14]文永十年〈太歳癸酉〉<日>八月三日
[15]<人>日 蓮 <花押>花押
[16]<先>甲斐国南部六郎三郎殿御返事
[17]鎌倉に筑後房・弁阿闍梨・大進阿闍梨等の弟子がおります。これらを呼び出して丁重にお聞き下さい。その上で納得の行くまで話し合ってはどうでしょう。すでに彼等には私の心の中にある重要な法門を話してあり承知しております。日本にいまだ流布していない法華経の究極の法門について少々会得しています。ですから、あなたが法門を学び習うことについてくわしく説き明かすはずです。