富木殿御返事
書下し
富木殿御返事
[1]鵞目二貫給候いおわんぬ。太田殿と<傍>そこ傍>と二人の御心か。
[2]伊与房は機量物にて候ぞ。今年留め候いおわんぬ。
[3]御勘気ゆりぬ事、御歎き候べからず候。当世日本国子細これあるべき由これを存す。定て勘文のごとく候べきか。
[4]設え日蓮死生不定たりといえども、妙法蓮華経の五字の流布は疑いなきものか。伝教大師御本意の円宗を日本に弘めんとす。ただし定慧は存生にこれを弘め、円戒は死後にこれを顕わす。事相たる故に一重の大難これあるか。仏滅後二千二百二十余年、今に寿量品の仏と肝要の五字とは流布せず。
[5]当時果報を論ずれば、恐らくは伝教・天台にも超え、竜樹・天親にも勝れたるか。文理なくんば、大慢あにこれに過ぎんや。章安大師、天台を褒めて云く、天竺の大論なおその類にあらず。真旦の人師なんぞ労しく語るにおよばん。これ誇耀にあらず。法相のしからしむるのみ等云云。日蓮またまたかくのごとし。竜樹・天親等なおその類にあらず等云云。これ誇耀にあらず、法相のしからしむるのみ。故に天台大師、日蓮を指して云く、後の五百歳遠く妙道に沾わん等云云。伝教大師、当世を恋いて云く、末法はなはだ近きにあり等云云。
[6]幸いなるかな、我身、数数見擯出の文に当ること。悦ばしかな、諸人の御返事にこれを申す。ゆえに委細とどめおわんぬ。
[7]<日>七月六日日>
[8]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[9]<先>土木殿御返事先>
現代語訳
富木殿御返事
文永一〇年(一二七三)、五二歳、於佐渡一谷、富木常忍宛、原漢文、定七四三—七四四頁。
[1]金子を二貫拝受致しました。太田殿とあなたとの二人心を合わせての御厚志でありましょう。感謝に堪えません。
[2]伊予(与)阿闍梨日頂(真間弘法寺の開山で富木常忍の養子)はなかなか才能にめぐまれた者ですぞ。今年中は当方に預ることにしました。
[3]私が流罪の御赦免にならないことは、歎くには及びません。かねて立正安国論で警告したように、必ず日本国に何事かが起こるにちがいありませんから、それまでは赦免にならないでありましょう。
[4]たとえ日蓮が死を迎えるか、生き永らえるかは定めのないところですが、妙法蓮華経の題目の五字が末法の今、広く流布することは疑いのないことです。伝教大師は御本意の法華円宗を日本に弘めようとされましたが、戒・定・慧の三学のうち、定・慧の二法は御生涯のうちに弘めたのですけれども、円頓戒壇については、生きている間には成就せず、亡くなられた後にはじめて勅許されました。戒壇を建立することは具体的な実践(事相)ですから、定・慧の理(理論)よりは一段と重い大難があったのでしょうか。ましてや、釈尊が御入滅して後、二千二百二十余年を経ても、いまだ流布しなかった法華経の本門(後半)の寿量品に説き示される永遠なる久遠の本仏と、最も重要な妙法蓮華経の題目の五字とを布教する日蓮が大難をこうむるのは当然でありましょう。
[5]しかし、今、久遠の本仏と題目の五字とを布教する日蓮の得られる果報について述べれば、おそらくは天台大師・伝教大師にも超え、竜樹菩薩・天親菩薩にも勝れていることでしょう。日蓮のこの悦びも法華経(未来記)という明らかな証拠の経文がなければ、これ以上の大慢(おごりたかぶりの心)の者はないということになってしまうことでしょう。章安大師が天台大師を讃えて「インドの広範な論ですら、なお天台大師の著述とは比較にならない。まして中国の学者の書などは、一々わずらわしく語るに及ばない。これは誇張しているのではなく、教義を正しく判断した結果である」と述べています。日蓮もまたそれと同様であります。(釈尊の真実の法である法華経にもとづくのですから)竜樹・天親の二大論師すらおな日蓮の布教する法門に比較することができないのです。これは全く誇張ではなく、法門によっておのずから明らかになるところなのです。このため天台大師は日蓮を指して法華玄義に「後の五百年の末法には、遠く法華経の妙道の恵みを受けることであろう」と述べています。伝教大師は(自分が末法の時代に生まれ合わせなかったことを歎いて)末法の時代を恋慕して守護国界章に「法華経が流布する末法の時代が近づいている」と述べています。
[6]なんと幸いなことでしょうか。私の法華経の行者としての迫害多難な生き方が、法華経の勧持品第十三の「釈尊の入滅後に法華経を布教するものは、しばしば迫害をうけ所を追われる」とある経文に符合していることは。なんと悦ばしいことでしょうか。諸人への御返事にこのことを記しておきました。それゆえ、委細にふれることは、とどめておきましょう。
[7]<日>七月六日日>
[8]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[9]<先>土木殿御返事先>