妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

顕仏未来記

全集 第2巻 2段 定本: #125(定本の該当ページへ)

書下し

顕仏未来記けんぶつみらいき


[1]沙門しやもん 日蓮 これをかんが
[2]華経の第七に云く、我が滅度めつどのち*のち五百歳ごひやくさいの中に閻浮提*えんぶだい広宣流布こうせんるふして断絶せしむるなけん等云云。
[3]予ひとたびはじて云く、仏滅後すでに二千二百二十余年をへだつ。いかなる罪業によつて仏の在世に生れず、正法しようぼう四依*しえ、像法の中の天台伝教*てんだい*でんぎよう等にも値わざるやと。
[4]またひとたびは喜んで云く、いかなる幸あて後五百歳に生れてこの真文を拝見することぞ。在世も無益むやくなり。前四味ぜんしみの人はいまだ法華経を聞かず。正像もまたよしなし。三北七ならびに言等の学者は法華経を信ぜず。台大師云く、後の五百歳遠く妙道にうるおわん等云云。広宣流布の時を指すか。教大師云く、正像やや過ぎおわつて法はなはだ近きにあり等云云。末法の始を願楽がんぎようするのことばなり。時代を以て果報を論ずれば、竜樹天親*りゆうじゆ*てんじんに超過し、天台・伝教にもすぐるるなり。
[5]問うて云く、後五百歳はなんじ一人に限らず。なんぞことにこれを喜悦せしむるや。
[6]答えて云く、法華経の第四に云く、如来の現在にすらなお怨嫉おんしつ多し、いわんや滅度の後をや文。天台大師云く、いかにいわんや未来をや、理化しがたきにあり文。楽大師云く、理化しがたきにありとは、この理を明すことは、こころ衆生の化しがたきを知らしむるにあり文。智度法師云く、俗に良薬口ににがしと言うがごとく、この経は五乗の異執いしゆうを廃して一極いちごくの玄宗を立つ。ゆえに凡をしりぞけ、聖を呵し、大を排し小を破る。ないし、かくのごときの徒ことごとく留難るなんをなす等云云。伝教大師云く、を語ればすなわち像の終り末の始め、地を尋ぬれば唐の東、かつの西、人をたずぬればすなわち濁のしよう、闘諍の時なり。経に云く、猶多怨嫉況滅度後ゆたおんしつきようめつどごと、このことばまことにゆえあるなり等云云。この伝教大師の筆跡はその時に当るに似たれども、こころは当時を指すなり。正像やや過ぎおわつて末法はなはだ近きにありの釈は心あるかな。経に云く、悪魔・魔民まみん・諸天・竜・やしや鳩槃くはんだ等その便たよりを得るなり云云。言うところの等とはこの経にまた云く、もしは夜、もしは羅刹らせつ、もしは餓鬼がき、もしは富単ふたんな、もしはきつしや、もしは陀羅びだら、もしはけんだ、もしは烏摩勒伽うまろぎや、もしは阿跋摩羅あばつまら、もしはやしやきつしや、もしは人吉にんきつしや等云云。この文のごときは、先生せんしよう四味しみ三教さんぎようないし外道、天等の法を持得じとくして、今生こんじように悪魔・諸天・諸人等の身を受けたる者、円実えんじつの行者を見聞して留難るなんを至すべき由を説くなり。
[7]疑て云く、正像の二時を末法に相対するに、時と機とともに正・像はことに勝るるなり。なんぞその時機を捨ててひとえに当時を指すや。
[8]答えて云く、仏意はかりがたし。予いまだこれを得ざれども、試みに一義を案じ小乗経を以つてこれを勘うるに、正法千年は教行証の三つつぶさにこれを備う。像法千年には教行のみあつて証なし。末法には教のみあつて行証なし等云云。
[9]法華経を以つてこれを探るに、正法千年に三事を具するは、在世において法華経に結縁する者、その後、正法に生れて小乗の教行を以つて縁となして小乗の証を得るなり。像法においては在世の結縁微薄けちえんびはくのゆえに、小乗において証することなく、この人、権大乗を以つて縁となして十方の浄土に生ず。末法においては、大小の益ともにこれなし。小乗には教のみあつて行証なし。大乗には教行のみあってみようけんの証これなし。
[10]その上、正像の時、所立の権・小の二宗漸漸ぜんぜん末法に入つて執心強盛しゆうしんごうじようにして、小を以つて大を打ち、を以つて実を破り、国土に大体謗法ほうぼうの者充満するなり。仏教に依つて悪道にする者、大地の微塵みじんよりも多く、正法を行じて仏道を得る者、爪上*そうじようの土よりも少し。この時に当つて諸天善神その国を捨離しやりし、ただ邪天・邪鬼等あつて王臣・比丘・比丘尼等の身心に入住し、法華経の行者を罵詈毀辱めりきにくせしむべき時なり。
[11]しかりといえども、仏の滅後において四味・三教等の邪執を捨て実大乗の法華経に帰せば、諸天善神ならびに地涌千界じゆせんがい等のぼさつ華の行者を守護せん。この人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以つて閻浮提*えんぶだい広宣流布こうせんるふせしめんか。
[12]例せば威音王仏いおんおうぶつの像法の時、不軽菩*ふきようぼさつ我深敬等がじんきようとうの二十四字を以つて<傍>かの土に広宣流布し、一国の木等の大難を招きしがごとし。かの二十四字とこの五字と、その語ことなりといえども、そのこころこれ同じ。かの像法の末とこの末法まつぽうはじめと全く同じ。かの不軽菩初随喜しよずいきの人、日蓮は名字*みようじの凡夫なり。
[13]疑つて云く、なにを以つてこれを知る、なんじを末法の初の華経の行者なりとなすことを。
[14]答えて云く、法華経に云く、いわんや滅度の後をや。また云く、もろもろの無智の人あつて悪口罵詈あつくめり等し、および刀を加うる者あらん。また云く、しばしば擯出ひんずいせられん。また云く、一切世間あだ多くして信じがたし。また云く、木瓦石もてこれを打擲ちようちやくす。また云く、悪魔・魔民・諸天・竜・やしや鳩槃荼くはんだ等その便たよりを得ん等云云。
[15]この明鏡めいきようについて仏語を信ぜしめんがために、日本国中の王臣・四衆ししゆ面目めんぼくに引き向かえたるに、予のほかには一人もこれなし。時を論ずれば末法の初め一定いちじようなり。しかるあいだもし日蓮なくんば仏語虚妄とならん。
[16]なんじて云く、なんじは大慢だいまん法師ほつしにして大天に過ぎ、四禅比丘しぜんびくにも超えたり、いかん。
[17]答えて云く、なんじ日蓮をベつじよするの重罪はまた提婆達多*だいばだつたに過ぎ、無垢論師*むくろんじにも超えたり。我がことばは大慢に似たれども、仏記をたすけ如来の実語を顕さんがためなり。しかりといえども日本国中に日蓮を除き去つては、誰人たれびとを取り出して法華経の行者とせん。なんじ日蓮をそしらんとして仏記を虚妄にす。あに大悪人にあらずや。
[18]疑つて云く、如来の来記は<傍>なんじ相当あいあたるとして、ただし五天竺ごてんじくならびに漢土かんど等にも法華経の行者これあるかいかん。
[19]答えて云く、四天下の中に全く二日なし。四海の内にあに両主あらんや。
[20]疑つて云く、何を以つて<傍>なんじこれを知るや。
[21]答えて云く、月は西より出でて東を照し、日は東より出でて西を照す。仏法もまた以つてかくのごとし。正像には西より東に向い、末法には東より西に往く。妙楽*みようらく大師云く、あに中国に法を失つてこれを四維しいに求むるにあらずや等云云。天竺に仏法なき証文なり。
[22]漢土においては高宗こうそう皇帝の時、北狄ほくてき東京とんきんを領して今に一百五十余年、仏法・王法ともに尽きおわんぬ。漢土の大蔵の中に小乗経は一向これなく、大乗経は多分これを失す。日本より寂照じやくしよう等少々これを渡す。しかりといえども伝持の人なければ、なお木石ぼくせき衣鉢えはつを帯持せるがごとし。ゆえに遵式じゆんしきの云く、始西より伝う、月の生ずるがごとし。今また東より返る、なお日の昇るがごとし等云云。これ等の釈のごとくんば天竺・漢土において仏法を失せること勿論なり。
[23]問うて云く、月氏がつし・漢土において仏法なきはこれを知れり。東・西・北の三州に仏法なき事は何を以つてこれを知る。
[24]答えて云く、法華経の第八に云く、如来の滅後において、閻浮提*えんぶだいうちに広く流布せしめて断絶せざらしめん等云云。内の字は三州を嫌う文なり。
[25]問うて云く、仏記すでにかくのごとし。なんじが来記はいかん。
[26]答えて曰く、仏記ぶつきに順じてこれを勘うるにすでに五百歳の始に相当あいあたれり。仏法必ず東土の日本より出づべきなり。その前相ぜんそう必ず正像に超過せる天変地夭*てんぺんちようこれあるか。
[27]いわゆる仏生の時、転法輪*てんぽうりんの時、入涅槃にゆう*ねはんの時、吉瑞きちずい凶瑞きようずいともに前後に絶えたる大瑞なり。仏はこれ聖人の本なり。経々の文を見るに仏の御誕生の時は、五色ごしき光気こうき四方にあまねくして夜も昼のごとし。仏御入滅の時には十二の白虹はくこう南北にわたり、大日輪光なくして闇夜のごとくなりし。その後正像二千年の間、内外の聖人生滅しようめつあれども、この大瑞だいずいにはしかず。
[28]しかるに去ぬる正嘉*しようか年中より、今年に至るまで、或は大地震、或は大天変、あたかも仏陀の生滅の時のごとし。まさに知るべし、仏のごとき聖人生れたまわんか。滅したまわんか。大虚おおぞらわたつて大彗星出づ、誰の王臣を以つてこれに対せん。大地を傾動けいどうして三たび振裂しんれつす。いずれの聖賢を以つてこれを課せん。まさに知るべし、通途つうずの世間の吉凶の大瑞にあらざるべし。これひとえにこの大法興廃の大瑞なり。
[29]台云く、雨のたけきを見て竜の大なるを知り、はなさかんなるを見て池の深きを知る等云云。楽云く、智人はおこりを知り、蛇はみずから蛇をる等云云。
[30]日蓮この道理を存じてすでに二十一年なり。日来ひごろの災・月来つきごろの難、この両三年の間の事すでに死罪におよばんとす。今年今月、万が一も身命を脱れがたきなり。世の人疑いあらば、委細の事は弟子にこれを問え。
[31]幸なるかな、一生の内に無始の謗法*ほうぼうを消滅せんことよ。悦ばしいかな、いまだ見聞せざる教主釈尊につかえ奉らんことよ。
[32]願わくはわれを損ずる国主等をば最初にこれを導かん。我をたすくる弟子等をば釈尊にこれを申さん。我を生める父母等には、いまだ死せざる已前いぜんにこの大善をすすめん。
[33]ただし今、夢のごとく宝塔品*ほうとうほんの心を得たり。この経に云く、もし須弥*しゆみつて他方無数の仏土にかんも、まだいまだこれかたしとせず。ないしもし仏の滅後に悪世の中においてよくこの経を説かん、これすなわちこれかたし等云云。教大師云く、あさきやすく、ふかきはかたしとは釈の所判なり。浅を去つて深にくは丈夫じようぶの心なり。天台大師はに信順し法華宗を助けて震旦*しんたん敷揚ふようし、山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す等云云。
[34]安州あんしゆうの日蓮は恐らくは三師に相承そうじようし法華宗を助けて末法に流通す。三に一を加えて国四師と号づく。
[35]無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
[36]文永十年〈太歳癸酉みずのととりのちの<日>五月十一日
[37]<人>桑門 日蓮これをしる
現代語訳

顕仏未来記


文永一〇年(一二七三)、五二歳、於佐渡一谷、原漢文、定七三八—七四三頁。

[1]沙門 日蓮 これを勘う
[2]法華経第七巻、薬王菩本事品やくおうぼさつほんじほん第二十三に「第五番目の五百年の末法まつぽうにおいて、法華経がこの世界全体に広く流布して断絶することがない」と説かれている。
[3]この経文を拝読して、私は一度はたいへん悲嘆にくれたことである。釈尊が御入滅になってより、すでに二千二百二十余年の遠きを隔てている。いかなる自分の罪業によってか、釈尊の在世にも生まれず、それのみか釈尊滅後正法一千年の間に出世せられた四依の導師(人々がよりどころとする初依しよえ二依にえ三依さんえ四依しえの導師)にもあわず、像法ぞうぼう一千年の中に出世せられた天台大師・伝教大師らの賢聖にもあうことができなかった。たいへん残念なことである。
[4]しかし、またひとたびは、この経文を拝読して喜びにひたるのである。いかなる幸いあってか、後五百歳の末法に生まれ、この釈尊の真実のおことばを拝見することができたのであろう。今、日蓮こそ法華経が広宣流布すべき末法にあるのである。釈尊御在世の衆生さえも利益りやくを得ない。法華経の前の乳味・酪味・生酥味・熟酥味の前四味の方便の教えにある人々は、いまだ法華経を聞かなかったのである。釈尊の入滅後においても、正法・像法の時代の者はまたそうであった。南三北七の諸師や華厳・真言等の学者は、みな法華経を信じ得なかったのである。天台大師は「後の五百歳の末法の時代には、遠く法華経の妙道みようどうの利益にうるおう」と述べている。これは末法こそが法華経が広く布教されるべき時であることを示したものである。また伝教大師は「正法・像法の時代もややすぎ去って、末法の法華経流布の時代が近づいた」と述べている。これは伝教大師が、末法の初の五百年、法華経が弘まるべき時に生まれうことを願い求めたことばである。このように、時代ということについて生得の果報の優劣を論じるならば、日蓮は正法・像法の時代の世に出た竜樹菩・天親菩にもすぐれ、像法の時代にあらわれた天台大師・伝教大師にもすぐれたる果報の者である。
[5]問う、経文に未来を予見して(未来記みらいき)「後五百歳」とあるのは、そなた日蓮一人のためにだけ説かれているわけではない。なぜ、<傍>そなた一人のみが、この経文を読んで特に喜びにひたる理由があるのか。
[6]答えて、法華経第四巻の法師品第十には「この経を説くにおいて、釈尊の御在世にすらうらにくまれることが多くあった。まして、釈尊の入滅後に、この経を布教する困難さはなおさらのことである」と説かれる。天台大師はこの経文を解釈して、法華文句ほつけもんぐに「釈尊在世中ですらうらみをなす者が多いのだから、入滅後の未来の世にはなおさらである。滅後未来の布教が困難なのは当然の道理である」と述べている。また妙楽大師は法華文句記に「天台大師が『布教が困難なのは当然の道理である』と述べたのは、未来の衆生を教化することが困難であることをさとらせるためである」と述べている。また智度法師は天台法華疏義てんだいほつけしよぎさんに「俗に良薬は口に苦しというのと同じで、法華経は、爾前にぜん(法華経以前の経)が主張していた人・天・声聞しようもん縁覚えんがくぼさつ五乗各別ごじようかくべつの間違った考え方を正して、すべての衆生をことごとく一仏乗いちぶつじようの境界に至らしめる奥深い本源を明らかにした良薬である。このため法華経では、凡夫をきらい、聖人を責め、権大乗ごんだいじようの方便の教えをしりぞけ、小乗を破る。このように爾前の諸経のすべてを破り攻めるために、これらの徒輩とはいは、口に苦しとて法華経を非難するのである」と述べる。さらに伝教大師は法華秀句に「時代を語れば、像法も終り末法の初めの頃、場所については唐の東方にして、靺鞨まつかつ(中国の松花江・牡丹江の流域)の西方の地、対象となる人は五濁ごじよく煩悩ぼんのうにまみれた衆生にして、闘諍堅固白法隠没とうじようけんごびやくほうおんもつ(争いごとがさかんで、正しい法がすたれてしまう時代)の末法の時である。経文に、釈尊の在世に怨嫉のもの多し、ましてや滅後はいよいよ困難である。とあるが全くその通りである」と述べている。この伝教大師の著作にみる主張は、伝教大師の当時を指して言ったようでもあるが、正しくその真意とするところは、末法の今日を指して述べたのである。伝教大師が「正法・像法の時代はもはや過ぎ去って、末法の時がいよいよ近づいた」と守護国界章に述べていることによって、この心を知ることができる。また法華経の薬王菩本事品第二十三には「悪魔・魔民・諸天・竜・夜・鳩槃等の魔ものや鬼がたよりを得て正法を布教することを妨げる」とあり、また陀羅尼品第二十六に、正法の布教を妨げるものをあげて「夜・羅刹・餓鬼・富単・吉遮・陀羅・駄・烏摩勒伽・阿跋摩羅・夜吉遮・人吉遮等の魔ものや悪鬼」の名を列ねている。これらの経文は、過去の世に法華経以前の乳味・酪味・生酥味・熟酥味の四味、蔵・通・別の三教の法や、あるいは仏教以外のインド思想(外道)の法、さらに人・天の世間の法の教えに従ったために、今生(現世)において悪魔やよこしまな心を持ったいろいろな天人や人間として生をうけた者が、円満にして真実の法華経の教えを実践する行者を見て妨害する理由を明らかにしているのである。
[7]疑って言うには、正法と像法の時代と末法の時代を対比してみると、時といい、人々の機根(法を受ける能力)といい、ともに正法・像法の時代のほうがすぐれている。どうして、(法華経の経文に説かれているように)すぐれている時と機根とを捨てて、ことさらに劣る末法を法華経が流布すべき時代とみることができるのか。
[8]答えて言う。このことについては仏意は、はかりがたく、私もいまだ結論的な解答は得ていないというべきであるが、試みに一つの考えを案出してこれについて述べてみよう。まず小乗経を取り上げて考えてみるならば、正法の時代の一千年の間は、釈尊の御在世からさほど遠くはなれていないので、仏の教法(教)と、これを修行する者(行)と、これによって証悟さとりに達する者(証)があるから、教行証の三益がみな具わっている時代である。像法の一千年に入ると、仏法(教)はなお存在し、これを修行する者(行)も残っているが、さとりを証得する者(証)はまったくない。教行のみあって証がないのである。さらに末法には、仏法(教)だけは残存しているが、修行する者(行)も証得する者(証)も皆無なのである。教のみあって行証がないのである。
[9]法華経の意によって深くこれを探るならば、正法の千年に教・行・証の三事を具えることは、釈尊の在世に法華経に縁を結んだ者が、その後に正法の時代に生まれて、その時代に流布していた小乗の教えによって修行し、小乗の仏果を証得するのである。像法の時代には、釈尊の在世に法華経に縁を結んだ者が極めて少なくなって、そのため小乗の劣った教えを縁として証得する者がなくなり、このため小乗よりはすぐれた権大乗ごんだいじよう(方便の教え)を縁として、十方の浄土に往生するのである。末法に入ると大乗も小乗もみなその利益りやくがない。小乗は教のみあって行・証なく、権大乗は教・行は存在しても隠れていて見聞きできない<傍>さとり冥益みようやく)も、顕れて確かめられる証得(顕益けんやく)もないのである。
[10]そのうえ、正法・像法の時代に立てられたところの権大乗・小乗の二宗は、末法にまで残在しつつあって、自宗に執着する心がいよいよ強くなり、小乗によって大乗を打倒し、権教(方便の教え)によって実教(真実の教え)を排斥しようとする。このようにして国中に謗法(正しい法をそしる者)が満ちあふれるのである。このため、本来は救われるべき仏教によって、かえって謗法の罪を犯して悪道に堕ちる者が、大地の微塵みじんの数よりも多く、法華経を修行して仏道を証得するものは、爪の上に拾いあげた土ほども少なくまれである。この時になると、守護の諸天善神が正しい法がすたれて救いがたいとその国を見捨てて、国に残るのはよこしまな心をもった邪天と邪鬼とのみとなり、その国の王・臣や比丘・比丘尼の僧尼の身に入り心に取りつき、法華経の行者(修行者)を罵詈毀辱めりきにく(悪口・非難)せしめる時代となるのである。
[11]しかしながら、釈尊の滅後に、法華経以前の四味・三教等のよこしまな執着の心を捨てて、実大乗(方便を交えない真実の大乗の教え)である法華経に帰依してその教えの実現にはげむならば、諸天善神(諸の天部における護法の善神)はいうまでもなく、地涌千界等の本化の大菩が、この法華経の行者(修行者)を守護するであろう。さらには、この法華経の行者は守護の力を得て、法華経本門(後半の中心部分)に示される本尊と、法華経の肝要である妙法蓮華経の五字の題目とを、この世界全体に広くべ伝え流布せしめるものであろうぞ。
[12]先例を求めるならば、法華経不軽ふきよう品第二十に説かれているように、威音王仏の滅後の像法の時に出現した不軽菩は「我れ深く汝等を敬う、あえて軽慢せず。ゆえはいかん。汝等みな菩の道を行じて、まさに作仏することを得べし」(漢文体の経文では二十四字)と説き、すべての人の仏性を認めて敬う修行(但行礼拝たんぎようらいはい)をおこない、法華経を広く流布せしめたが、その尊い修行を逆にうとむ者たちに、ある時は木によって打たれたり瓦石を投げつけられるといった迫害の大難をこうむったのである。不軽菩が身をもって修行した二十四字の経文と、日蓮が布教に努めている妙法蓮華経の五字の題目とは、語句としての違いはあっても、その意においては全く同一である。不軽菩は威音王仏の像法の末に出現し、日蓮は釈尊滅後の末法の始に生をうけた。これまた、その時代を同じくしている。また不軽菩円教五品弟子えんぎようごほんでしの修行の位の中の初随喜品の位の人であり、日蓮は、六即位ろくそくいの中の名字即の凡夫の位である。その位という点についても全く等しいのである。
[13]疑って言う。どのような証拠によって、<傍>なんじが末法の初めに出現すべき法華経の行者であると知ることができるのか。
[14]答えて言う。法華経の法師品ほつしほん第十には「釈尊の在世中ですら怨嫉おんしつの行為をする者が多い。ましてや滅後にはなおさらである」とあり、勧持品かんじほん第十三には「多くの無智の人があって、末法の法華経の行者を悪口にてそしり、その上に刀によって傷つけ、によって打つであろう」とあり、また同品には「しばしば安住の所や塔寺より追い出される」とある。安楽行品あんらくぎようほん第十四には「この世の中には怨するもの多くして、法華経を信じ通すことはむずかしい」とあり、常不軽菩じようふきようぼさつほん第二十には「衆人が木によって打ち、瓦石を投げて傷つける」とあり、薬王菩本事品やくおうぼさつほんじほん第二十三には「悪魔・魔民・よこしまな諸天・竜・夜・鳩槃などの悪魔・悪鬼が、そのたよりを得ていろいろな難を起こす」とある。
[15]これらの真実を映し出す明鏡(法華経)によって、仏の<傍>ことばを信じさせようとして、今の日本国中の帝王の臣下や比丘びく比丘尼びくに優婆塞うばそく優婆夷うばい(僧・僧尼・男性信徒・女性信徒)の四衆の様子を写し見ても、日蓮よりほかに、経文の説くように難を受けている者は一人もない。また時について論じれば、末法の始めの五百年であることは確かに誤りなき事実である。このように考えてくると、もし日蓮が今の時に出現して、経文の説くところの予言(未来記)のとおりに実践することがなければ、仏のことばもすべていつわりになってしまうであろう。(日蓮が法華経の行者であることは間違いないことである)
[16]難詰なんきつして言うには、なんじは自分から経文に符合する法華経の行者であると述べるが、そのような考え方は大増上慢心だいぞうじようまんしん(大いにおごりたかぶる心)の法師であって、往古、おのれの慢心によって部派の分裂をまねいた大天(摩訶提婆まかだいば)の程度を超え、また阿羅漢果あらかんがの<傍>さとりを得たと思いあがってよこしまな心を起こしたため阿鼻地獄に堕ちた四禅比丘の慢心以上ではないのか、どうなのか。
[17]答えて言う。あなたがこの法華経の行者である日蓮を軽することの重罪は、釈尊に危害を加えた提婆達多が生きながら地獄に堕ちて仏教最大の大悪人とされるのにも過ぎ、大乗仏教を批判して世親菩を非難したがために狂乱のうちに死した無垢論師にも超えることであろう。日蓮の<傍>ことばが、あなたには大慢心のように思われるかもしれないが、決してそうではない。仏陀釈尊が未来を予見した経文(未来記)の真実の意味を明らかにすることに本意があるのである。しかしながら、ともかく日本国中に日蓮以外に誰が法華経の行者と言えるだろうか。あなたは日蓮をそしろうとするがために、真実の釈尊の未来記を偽わり(虚妄)の言葉だとして葬り去ろうとしているのである。あなたこそ仏語を否定する大悪人ではないか。
[18]疑って言うには、釈尊の未来記が、<傍>なんじの主張にあてはまっているとしても、しかしインドの五天竺(東・西・南・北・中)や、漢土(中国)などに法華経の行者は出現したのであろうか、伺いたい。
[19]答えて言う。インド古代の世界観では、須弥山というはるかに高くそびえ立つ山の四方を囲んで四海があり、その四海の中に四つの大陸(四洲=四天下)があるという。すなわち四天下(この世界)に太陽が二つ出ることはない。どうして四海のうちに二人の主があるはずがあろうか。(日本国にこそ法華経の行者が唯一出現するのである)
[20]疑って言うには、どのような証拠によって、<傍>なんじはそのように認識するのか。
[21]答えて言う。上旬の月は西天に現われて東を照らし、太陽は東から出て西を照らす。仏法もまた同じである。正法・像法の時代には、仏法は西に起こって東に向かって流伝するが、末法の時代には仏法は東から西へと流布するのである。妙楽大師は法華文句記に含光がんこうの話を伝えて、「本来は中心であるべきインドに仏法を失って、かえって辺境の国に求むるものである」と述べている。(含光は不空三蔵ふくうさんぞうの門下六哲の一人。インドに行った際に天台教学を翻訳して伝えてほしいとインドの僧に希望されたことがある)これは、既にインドには仏法が失われたことの証拠である。
[22]中国においても、南宋の第一主高宗皇帝の時、北狄の金人のためにその都の東京を占領され、今に至って約百五十年である。仏法も王法もともに滅尽してしまった。中国の大蔵経の中に、小乗経は全く失せてしまい、大乗経もほとんどは、これを失ったのである。その後、日本より天台僧の恵心僧都源信えしんそうずげんしんの弟子の寂照(<暦>九六二—<暦>一〇三四)が中国に渡って大乗経典を少々渡したが、中国にはこれを伝え持つ能力のある者がなかったので、あたかも木石に衣を著せ、鉢を持たせたのと同じであった。このため遵式は天竺別集てんじくべつしゆうに「始めは仏法は西の中国から日本に伝わり、あたかも月が西に出るのと同じであったが、いままた東の日本から中国へ返る、あたかも太陽が東の空に昇るのと同じである」と述べている。これらの解釈によれば、インド・中国の地に、仏法が失われてしまったことは明らかである。
[23]問うて言うには、須弥山の四方には、南閻浮洲なんえんぶしゆう東弗婆提とうほつばだい西瞿邪尼さいくやに単越ほくうつたんのつの四洲があるが、我々の住む南閻浮洲のインド・中国に仏法が滅尽めつじんしてしまったことはほぼ理解できたが、他の三洲にも仏法がなくなってしまったことはどのようにして知れば良いだろうか。
[24]答えて言う。法華経の第八巻の普賢菩勧発品ふげんぼさつかんぼつぽん第二十八には「釈尊の入滅にゆうめつの後に、閻浮提の内に広くこの経を流布せしめて、断絶させることはない」とある。ここに「内」とあるのは、他の三洲ではなく、ただ南閻浮洲を仏法が流布すべき国土と定めているのである。
[25]問うて言うには、仏が未来の末法の時代に法華経の行者が出現して、法華経が流布すべきことを予見されたことはよく理解できた。そこで、<傍>なんじの考えるところの未来記について聞きたいと思う。
[26]答えて言う。「後の五百歳に広宣流布こうせんるふする」という仏の未来記に順じて考えるに、今はすでに(釈尊入滅後の)第五番目の五百年の末法の時代の始めに相当している。仏の真実の法は必ず、この東土の日本に出現すべきである。そして、真実の法が流布すべき前兆(瑞相ずいそう)として、正法・像法の時代にも超過した天変地異が必ず現われるのである。
[27]前例をみてみると、釈尊の御降誕ごこうたんの時、初転法輪(初めての説法)の時、入涅槃(入寂)の時には、吉とするも凶とするも、その瑞兆は空前絶後の大瑞相であった。仏は聖人の中の根本の大聖だから(必ず生死・出没に際して、特別な大瑞相が現われるもの)なのである。諸経の経文を拝読すると、仏の御誕生の時には、五色の光が四方をすべて照らして夜も昼のように明るくなった。仏の御入滅の時には、十二の白虹(白色のにじ)が南北の空にかかり、この輝きのために太陽も光を失って闇夜のように暗くなった。その後、正法・像法の二千年の間に、仏教や仏教以外のインドの宗教思想の多くの聖人が生まれた亡くなっていったが、このような大瑞相が現われたことはない。
[28]しかるに、去る正嘉年中より今年(文永十年)にいたる間に、大地震や大天変があって、あたかも釈尊の誕生入滅の時の瑞相に匹敵するほどである。この瑞相によれば、今この時の日本国に仏のような大聖人が生まれるか滅するかの大事が必ず起こらなければならない。文永元年には、大彗星が大空に広く行き及んで出現した。この大瑞相に相応するものが、日本の王臣・万民のうちに誰があろうか。正嘉元年には大地震が、三度にわたって大地をくつがえし動かし、地殻ちかくを振裂した。日本の聖人・賢人のどの人が、この大瑞相に相応するであろうか。これは世間にある通常の修羅・竜神などの起こす吉凶の相ではない。これひとえに法華経の大法が、興るか、すたれてしまうかを示す大瑞相なのである。
[29]天台大師は法華文句に「雨の激しい様子を見ては、それを降らす竜が巨大であることを知るように、蓮華の花が盛んに咲いている様子を見ては、それが生育している池が深くて、よく肥えていることを知ることができる」と述べ、妙楽大師は法華文句記に「智者にして始めて物の起こりを知り、蛇にして始めて蛇の道を知る」と述べている。
[30]日蓮、末法の始めの日本国に法華経の行者が出現するはずであることを知ってより、すでに二十一年を経た。その間、日々月々に引き続く大小の災難は尽きることなく、特にこの二、三年間には、文永八年の竜口の断罪の危機以後、佐渡に流罪され、現に死罪におよぼうとしたのである。今年今月は佐渡の雪中にあって、多くの難がしのび寄り、万が一にも命を持続することが難しい情況である。世人なお疑問点があるならば、委細の事は弟子達にこれを問うがよい。
[31]何と幸いなことであろうか。今、日蓮が生涯をかけて法華経のために身命を捧げることによって、無始の過去以来の謗法(正しい法をそしる)の罪を消滅することができることよ。何と悦ばしいことであろうか。いまだ、お目にかかることができないでいた大慈悲の教主、釈尊の<傍>み前にお仕えすることができることよ。
[32]願わくは、私にあらゆる迫害を加えた国主たちに、まず初めに法を説き導いて法華経に帰依せしめよう。私を助力してくれた弟子達の心づかいを、釈尊に申し上げてその後生の安楽を祈ろう。また私を生んで下さった父と母には、生きておられるうちに、法華経の大善をすすめて、正しい信仰へとお導きしよう。
[33]ただ日蓮は今、彷彿ほうふつとして、法華経宝塔品の真意を体得したのである。宝塔品には「もし世界の中心にそびえたつ遥かなる須弥山しゆみせんを手に取って、この世界から他方の数知れない仏土に投げてしまうことも、(釈尊の入滅後に法華経を布教することに比べれば)決して難しくはない。もし仏の入滅後に五濁の煩悩にまみれた悪世に生まれて、法華経を説くことこそ最も難しいのである」と説かれている。伝教大師は法華秀句に「理の浅い経を布教するのは簡単だが、理の深い経を布教することは難しいとは、釈尊がさだめられた通りである。浅はかな教えを捨てて深い教えにつくことは、正しい見識を持った者の大切な心がまえである。このため天台大師は釈尊に信順して法華宗を助けて中国に広く流布せしめ、比叡山の伝教大師の一門は天台大師の教えを受け継いで(相承して)、法華宗を助けて日本に布教するのである」と述べている。
[34]安房の地に生まれた日蓮の法華経の実践は、たしかに釈尊・天台大師、伝教大師の三師の教えを受け継いで法華宗を助け、後五百歳の末法の日本国に弘教する重要な使命であった。それゆえに今、釈尊・天台大師・伝教大師の三師に日蓮が一人加えられて、三国四師(インド・中国・日本の三国における法華経相承の四師)と名づけられるのである。
[35]南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
[36]文永十年〈太歳癸酉〉閏<日>五月十一日
[37]<人>桑門(沙門・出家者) 日蓮これを記す