観心本尊抄
書下し
観心本尊抄
[1]本朝沙門日蓮撰す
[2]摩訶止観の第五に曰く「夫れ一心に十法界を具す。一法界にまた十法界を具すれば百法界なり。一界に三十種の世間を具すれば、〈世間と如是と一なり、開合の異なり。〉百法界に即ち三千種の世間を具す。この三千、一念の心にあり。もし心なくんば已みなん。介爾も心あれば即ち三千を具す。乃至、所以に称して不可思議境となす。意ここにあり」等云云。〈或る本に云く、一界に三種の世間を具すと。〉
[3]問うて云く、玄義に一念三千の名目を明すや。答えて曰く、妙楽云く「明さず」。
[4]問うて曰く、文句に一念三千の名目を明すや。答えて曰く、妙楽云く「明さず」。
[5]問うて曰く、その妙楽の釈如何。答えて曰く「並にいまだ一念三千と云わず」等云云。
[6]問うて曰く、止観の一・二・三・四等に一念三千の名目を明すや。答えて曰く、これなし。
[7]問うて曰く、その証如何。答えて曰く、妙楽云く「故に止観の正しく観法を明すに至つて、並に三千を以て指南となす」等云云。
[8]疑つて云く、玄義の第二に云く「また一法界に九法界を具すれば、百法界に千如是」等云云。文句の第一に云く「一入に十法界を具すれば、一界にまた十界あり。十界に各十如是あれば、即ちこれ一千なり」等云云。観音玄に云く「十法界交互なれば、即ち百法界あり。千種の性相、冥伏して心にあり。現前せずといえども宛然として具足す」等云云。
[9]問うて曰く、止観は前の四に一念三千の名目を明すや。答えて曰く、妙楽云く「明さず」。
[10]問うて曰く、その釈如何。答う、弘決の第五に云く「もし正観に望めば、全くいまだ行を論ぜず。また二十五法に歴て事に約して解を生ず。方に能く正修の方便となすに堪えたり。この故に前の六は、皆 解に属す」等云云。また云く「故に止観の正しく観法を明すに至つて、並に三千を以て指南となす。すなわちこれ終窮究竟の極説なり。故に序の中に己心中所行の法門を説くと云う、良に以あるなり。請う、尋ね読まん者、心に異縁することなかれ」等云云。
[11]夫れ智者の弘法三十年。廿九年の間は玄・文等の諸義を説いて、五時八教・百界千如を明かし、前五百余年の間の諸非を責め、並に天竺の論師のいまだ述べざるを顕わす。章安大師云く「天竺の大論、なおその類にあらず、震旦の人師、何ぞ労しく語るに及ばん。これ誇耀にあらず、法相のしかるのみ」等云云。墓ないかな、天台の末学等、華厳・真言の元祖の盗人に一念三千の重宝を盗み取られて、還つて彼等が門家と成りぬ。章安大師兼ねて、この事を知つて歎いて言く「この言もし墜ちなば、将来悲むべし」云云。
[12]問うて曰く、百界千如と一念三千との差別如何。答えて曰く、百界千如は有情界に限り、一念三千は情・非情に亙る。
[13]不審して云く、非情に十如是亙るならば草木に心あつて有情のごとく成仏をなすべきや如何。答えて曰く、この事難信難解なり。天台の難信難解に二あり、一には教門の難信難解、二には観門の難信難解なり。その教門の難信難解とは、一仏の所説において爾前の諸経には二乗・闡提は未来永不成仏。教主釈尊は始成正覚なり。法華経の迹本二門に来至して彼の二説を壊る。一仏の二言水火なり。誰人かこれを信ぜん。これは教門の難信難解なり。観門の難信難解とは、百界千如・一念三千にして非情の上の色心の二法たる十如是これなり。しかりといえども木画の二像においては、外典・内典共にこれを許して本尊となす。その義においては、天台一家より出でたり。草木の上に色心・因果を置かずんば、木画の像を本尊に恃み奉ること無益なり。
[14]疑つて云く、草木国土の上の十如是、因果の二法は、何れの文に出でたるや。答えて曰く、止観第五に云く「国土世間もまた十種の法を具す。所以悪国土の相・性・体・力」等と云云。釈籤第六に云く「相はただ色にあり。性はただ心にあり。体・力・作・縁は義色心を兼ぬ。因果はただ心。報はただ色にあり」等云云。金錍論に云く「すなわちこれ、一草一木、一礫一塵、各一仏性あり、各一因果ありて縁・了を具足す」等云云。
[15]問うて曰く、出処すでにこれを聞く。観心の心如何。答えて曰く、観心とは、我が己心を観じて十法界を見る。これを観心と云うなり。譬えば、他人の六根を見るといえども、いまだ自面の六根を見ざれば、自具の六根を知らず、明鏡に向うの時、始めて自具の六根を見るがごとし。たとい諸経の中に、所々に六道並に四聖を載すといえども、法華経並に天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば、自具の十界・百界・千如・一念三千を知らざるなり。
[16]問うて曰く、法華経は何れの文ぞ。天台の釈は如何。答えて曰く、法華経第一方便品に云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」等云云。これ九界所具の仏界なり。寿量品に云く「かくのごとく、我れ成仏してより已来、はなはだ大いに久遠なり。寿命無量阿僧祇劫、常住にして滅せず。諸の善男子、我れ本と菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命は、今なおいまだ尽きず、また上の数に倍せり」等云云。この経文は、仏界所具の九界なり。経に云く「提婆達多、乃至、天王如来」等云云。地獄界所具の仏界なり。経に云く「一名藍婆、乃至、汝等、ただよく法華の名を持つ者を護らん、福量るべからず」等云云。これ餓鬼界所具の十界なり。経に云く「竜女、乃至、等正覚を成ず」等云云。これ畜生界所具の十界なり。経に云く「婆稚阿修羅王、乃至、一偈一句を聞て、阿耨多羅三藐三菩提を得」等云云。修羅界所具の十界なり。経に云く「もし人、仏のための故に、乃至、皆已に仏道を成ず」等云云。これ人界所具の十界なり。経に云く。「大梵天王、乃至、我等もまたかくのごとく、必ずまさに作仏を得べし」等云云。これ天界所具の十界なり。経に云く「舎利弗、乃至、華光如来」等云云。これ声聞界所具の十界なり。経に云く「その縁覚を求むる者、比丘・比丘尼は、乃至、合掌し敬心を以つて具足の道を聞きたてまつらんと欲す」等云云。これ即ち縁覚界所具の十界なり。経に云く「地涌千界、乃至、真浄大法」等云云。これ即ち菩薩界所具の十界なり。経に云く「あるいは己身を説き、あるいは他身を説く」等云云。即ち仏界所具の十界なり。
[17]問うて曰く、自他面の六根は共にこれを見る。彼此の十界においてはいまだこれを見ず。如何がこれを信ぜん。答えて曰く、法華経法師品に云く「難信難解」と。宝塔品に云く「六難九易」等云云。天台大師云く「二門悉く昔と反すれば、難信難解なり」と。章安大師云く「仏これを将て大事となす。何ぞ解し易きを得んや」等云云。伝教大師云く「この法華経は最もこれ難信難解なり。随自意の故に」等云云。
[18]夫れ在世の正機は、過去の宿習厚きの上、教主釈尊・多宝仏・十方分身の諸仏、地涌千界・文殊・弥勒等のこれを扶けて諫暁せしむるに、なお信ぜざる者これあり。五千は席を去り、人天は移さる。いわんや、正像をや。いかにいわんや末法の初めをや。汝これを信ぜば正法にあらじ。
[19]問うて曰く、経文並に天台・章安等の解釈は疑網なし。ただし火を以て水と云い、墨を以て白しと云う。たとい仏説たりといえども信を取り難し。今、しばしば他面を見るに、ただ人界に限つて余界を見ず。自面もまたかくのごとし。如何が信心を立てんや。答う、しばしば他面を見るに、ある時は喜び、ある時は瞋り、ある時は平に、ある時は貪現じ、ある時は痴現じ、ある時は諂曲なり。瞋は地獄、貪は餓鬼、痴は畜生、諂曲は修羅、喜は天、平は人なり。他面の色法においては、六道共にこれあり。四聖は冥伏して現れざれども、委細にこれを尋ぬればこれあるべし。
[20]問うて曰く、六道においては分明ならずといえども、ほぼこれを聞くに、これを備うるに似たり。四聖は全く見えず如何。答えて曰く、前には人界の六道これを疑う。しかりといえども、強いてこれを言えば、相似の言を出せり。四聖もまたしかるべきか。試みに道理を添加して、万が一これを宣べん。いわゆる、世界の無常眼前にあり、あに人界に二乗界なからんや。無顧の悪人もなお妻子を慈愛す、菩薩界の一分なり。ただ仏界計り現われ難し。九界を具するを以て、強いてこれを信じ、疑惑せしむるなかれ。法華経の文に人界を説いて云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」。涅槃経に云く「大乗を学する者は、肉眼ありといえども 名づけて仏眼となす」等云云。末代の凡夫出生して法華経を信ずるは、人界に仏界を具足するが故なり。
[21]問うて曰く、十界互具の仏語は分明なり。しかりといえども、我等が劣心に仏法界を具すること信を取りがたき者なり。今時これを信ぜずんば、必ず一闡提とならん。願くは大慈悲を起してこれを信ぜしめ、阿鼻の苦しみを救護したまえ。
[22]答えて曰く、汝すでに「唯一大事因縁」の経文を見聞してこれを信ぜずんば、釈尊より已下の四依の菩薩、並に末代理即の我等、如何が汝が不信を救護せんや。しかりといえども、試みにこれを言わん。仏に値いたてまつつて覚らざる者も、阿難等の辺にして得道する者これあり。それ機に二あり。一には仏を見たてまつり、法華にて得道す。二には仏を見たてまつらざれども、法華にて得道するなり。その上仏前の漢土の道士・月支の外道は、儒教・四韋陀等を以て縁となして正見に入る者これあり。また利根の菩薩・凡夫等は、華厳・方等・般若等の諸大乗経を聞きし縁を以て、大通・久遠の下種を顕示する者多々なり。例せば独覚の飛花落葉の教外の得道ごときこれなり。過去の下種結縁なき者の権・小に執着する者は、たとい法華経に値い奉れども小・権の見を出でず。自見を以て正義となすが故に、還つて法華経を以てあるいは小乗経に同じ、あるいは華厳・大日経等に同じ、あるいはこれを下す。これらの諸師は儒家・外道の賢聖より劣れる者なり。これらはしばらくこれを置く。
[23]十界互具これを立つるは、石中の火・木中の花。信じがたけれども縁に値いて出生すればこれを信ぜん。人界所具の仏界は、水中の火・火中の水、最もはなはだ信じがたし。しかりといえども、竜火は水より出で、竜水は火より生ず。心得られざれども現証あればこれを用いん。すでに人界の八界これを信ぜり。仏界何ぞこれを用いざらん。堯舜等の聖人のごときは、万民において偏頗なし。人界の仏界の一分なり。不軽菩薩は所見の人において仏身を見る。悉達太子は人界より仏身を成ず。これらの現証を以てこれを信ずべきなり。
[24]問うて曰く、教主釈尊は、〈これより堅固にこれを秘せよ〉三惑已断の仏なり。また十方世界の国主、一切の菩薩・二乗・人・天等の主君なり。行く時は、梵天左に在り、帝釈右に侍り、四衆・八部後に聳え、金剛前に導き、八万法蔵を演説して一切衆生を得脱せしむ。かくのごとき仏陀をば、何を以て我等凡夫の己心に住せしめんや。
[25]また迹門・爾前の意を以てこれを論ずれば、教主釈尊は始成正覚の仏なり。過去の因行を尋ね求むれば、あるいは能施太子、あるいは儒童菩薩、あるいは尸毘王、あるいは薩埵王子、あるいは三祇・百劫、あるいは動逾塵劫、あるいは無量阿僧祇劫、あるいは初発心時、あるいは三千塵点等の間、七万五千・六千・七千等の仏を供養し、劫を積み行満じて今の教主釈尊と成り給う。かくのごとき因位の諸行は、皆我等が己心所具の菩薩界の功徳か。
[26]果位を以てこれを論ずれば、教主釈尊は、始成正覚の仏。四十余年の間、四教の色身を示現し、爾前・迹門、涅槃経等を演説して一切衆生を利益し給う。いわゆる、華蔵の時の十方台上の盧舎那。阿含経の三十四心断結成道の仏。方等・般若の千仏等。大日・金剛頂等の千二百余尊。並に迹門宝塔品の四土の色身。涅槃経のあるいは丈六と見、あるいは小身・大身と現わる、あるいは盧舎那と見、あるいは身虚空に同じと見る四種の身。乃至八十御入滅、舎利を留めて正像末を利益し給う。
[27]本門を以てこれを疑わば、教主釈尊は、五百塵点已前の仏なり。因位もまたかくのごとし。それより已来、十方世界に分身し、一代聖教を演説して塵数の衆生を教化したもう。本門の所化を以て迹門の所化に比校すれば、一渧と大海と、一塵と大山となり。本門の一菩薩を、迹門の十方世界の文殊・観音等に対向すれば、猿猴を以て帝釈に比するになお及ばず。
[28]その外、十方世界の断惑証果の二乗、並に梵天・帝釈・日・月・四天・四輪王、乃至無間大城の大火炎等、これらは、皆我が一念の十界か。己心の三千か。仏説たりといえども、これを信ずべからず。
[29]これを以てこれを思うに、爾前の諸経は実事なり、実語なり。華厳経に云く「究竟して虚妄を離れ、染なきこと虚空のごとし」。仁王経に云く「源を窮め性を尽して妙智のみ存せり」。金剛般若経に云く「清浄の善のみあり」。馬鳴菩薩の起信論に云く「如来蔵の中には清浄の功徳のみあり」。天親菩薩の唯識論に云く「いわく、余の有漏と劣の無漏の種とは、金剛喩定現在前する時、極円明純浄の本識を引く、彼の依にあらざるが故に皆永く棄捨す」等云云。爾前の経々と法華経と、これを校量するに、彼の経々は無数なり。時説すでに長し。一仏二言ならば彼に付くべし。馬鳴菩薩は、付法蔵の第十一と仏記にこれあり。天親は、千部の論師、四依の大士なり。天台大師は、辺鄙の小僧にして一論をも宣べず、誰かこれを信ぜん。
[30]その上、多きを捨て小きに付くとするも、法華経の文分明ならば少しく恃怙もあらん。法華経の文の何れの所にか、十界互具・百界千如・一念三千の分明なる証文これありや。随つて経文を開祏するに、「諸法の中の悪を断ず」等云云。
[31]天親菩薩の法華論、堅慧菩薩の宝性論にも十界互具これなく、漢土の南北の諸大人師、日本七寺の末師の中にもこの義なし。
[32]ただ、天台一人の僻見なり。伝教一人の謬伝なり。故に清涼国師の云く「天台の謬なり」。慧苑法師の云く「しかれども、天台は小乗を呼んで三蔵教となす。その名謬濫するを以て」等云云。了洪が云く「天台も独りいまだ華厳の意を尽さず」等云云。得一の云く「咄なきかな、智公。汝はこれ誰れが弟子ぞ。三寸に足らざる舌根を以て、覆面舌の所説の教時を謗る」等云云。弘法大師の云く「震旦の人師等諍うて醍醐を盗み、各自宗に名く」等云云。
[33]夫れ一念三千の法門は、一代の権実に名目を削り、四依の諸論師もその義を載せず。漢土・日域の人師もこれを用いず。如何がこれを信ぜん。
[34]答えて曰く、この難最もはなはだし、最もはなはだし。ただし、諸経と法華との相違は、経文より事起つて分明なり。未顕と已顕と、証明と舌相と、二乗の成不と、始成と久成と等これを顕わす。
[35]諸論師の事は、天台大師云く「天親・竜樹は内鑒冷然たり。外には時の宜しきに適い、各権りに拠る所あり。しかるに人師偏に解し、学者苟くも執し、遂に矢石を興し、各一辺を保ち、大に聖道に乖けり」等云云。章安大師云く「天竺の大論すらなおその類にあらず。真旦の人師何ぞ労しく語るに及ばん。これ誇耀にあらず。法相のしかるのみ」等云云。天親・竜樹・馬鳴・堅慧等は内鑒冷然たり。しかりといえども、時いまだ至らざるが故にこれを宣べざるか。
[36]人師においては、天台已前は、あるいは珠を含み、あるいは一向にこれを知らず。已後の人師は、あるいは初にこれを破して後に帰伏せる人あり。あるいは一向に用いざる者もこれあり。
[37]ただし、「断諸法中悪」の経文を会すべきなり。彼は法華経に爾前を載するの経文なり。往いてこれを見よ。経文分明に十界互具これを説く、いわゆる「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」等云云。天台この経文を承けて云く「もし衆生に仏知見なくんば、何ぞ開を論ずる所あらん。まさに知るべし、仏の知見は衆生に蘊在することを」と云云。章安大師云く「衆生にもし仏の知見なくんば、何ぞ開悟する所あらん。もし貧女に蔵なくんば、何ぞ示す所あらんや」等云云。
[38]ただし会しがたき所は、上の教主釈尊等の大難なり。この事を仏遮会して云く、「已・今・当説、最もこれ信じ難く解し難し」と。次下の六難九易これなり。天台大師云く「二門悉く昔と反すれば、信じがたく、解しがたし。鉾に当るの難事なり」。章安大師云く「仏これを将つて大事となす。いずくんぞ解し易きことを得べけんや」。伝教大師云く「この法華経は、最もこれ信じがたく解しがたし、随自意なるが故に」等云云。
[39]夫れ仏より、滅後一千八百余年に至るまで、三国に経歴してただ三人のみあつて、始めてこの正法を覚知せり。いわゆる月支の釈尊、真旦の智者大師、日域の伝教、この三人は内典の聖人なり。
[40]問うて曰く、竜樹・天親等は如何。答えて曰く、これらの聖人は、知つてこれを言わざるの仁なり。あるいは迹門の一分をばこれを宣べて、本門と観心と云わず。あるいは機有つて時なきか。あるいは機時共にこれなきか。天台・伝教已後は、これを知る者多々なり。二聖の智を用ゆるが故なり。いわゆる三論の嘉祥・南三北七の百余人、華厳宗の法蔵・清涼等、法相宗の玄奘三蔵・慈恩大師等、真言宗の善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等、律宗の道宣等なり。初には反逆を存し、後には一向に帰伏せしなり。
[41]ただし初の大難を遮せば、無量義経に云く「譬えば、国王と夫人と新に王子を生ぜん。もしは一日、もしは二日、もしは七日に至り、もしは一月、もしは二月、もしは七月に至り、もしは一歳、もしは二歳、もしは七歳に至り、また国事を領理することあたわずといえども、已に臣民に宗敬せられ、諸の大王の子を以て伴侶とせん。王及び夫人、愛心偏に重くして常にともに語らん。所以は何ん、稚小なるを以ての故にといわんがごとし。善男子この持経者もまたまたかくのごとし。諸仏の国王と、この経の夫人と和合してともにこの菩薩の子を生ず。もし菩薩この経を聞くことを得て、もしは一句、もしは一偈をも、もしは一転、もしは二転、もしは十、もしは百、もしは千、もしは万、もしは億万恒河沙、無量無数転ぜば、また真理の極を体することあたわずといえども、乃至已に一切の四衆・八部に宗仰せらるをえて、諸の大菩薩を以て眷属となし、乃至常に諸仏に護念せられ、慈愛偏に覆わるるをえん。新学なるを以ての故なり」等云云。
[42]普賢経に云く「この大乗経典は、諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸仏の眼目なり。乃至、三世の諸の如来を出生する種なり。乃至、汝大乗を行じて仏種を断ぜざれ」等云云。また云く「この方等経は、この諸仏の眼なり。諸仏はこれに因つて五眼を具することを得たり。仏の三種の身は方等より生ず。これ大法印にして涅槃海に印す。かくのごとき海中よりよく三種の仏の清浄身を生ず。この三種の身は、人天の福田なり」等云云。
[43]夫れおもんみれば、釈迦如来の一代の顕密・大小の二教、華厳・真言等の諸宗の依経は、往いてこれを勘うるに、あるいは十方台葉の毘盧遮那仏、大集雲集の諸仏如来、般若の染浄の千仏示現、大日・金剛頂等の千二百尊も、ただその近因近果を演説して、その遠の因果を顕さず。速疾頓成これを説けども、三五の遠化を亡失し、化道の始終跡を削りて見えず。華厳経・大日経等は一往これを見るに、別・円、四蔵等に似たれども、再往これを勘うれば、蔵・通二教に同じていまだ別・円にも及ばず。本有の三因これなし。何を以てか仏の種子を定めん。
[44]しかるに、新訳の訳者等、漢土に来入するの日、天台の一念三千の法門を見聞して、あるいは自の所持の経々に添加し、あるいは天竺より受持するの由これを称す。天台の学者等、あるいは自宗に同ずるを悦び、あるいは遠きを貴び、近きを蔑にし、あるいは旧を捨て新を取り、魔心・愚心出来す。しかりといえども、詮する所は、一念三千の仏種にあらざれば、有情の成仏も、木・画二像の本尊も有名無実なり。
[45]問うて曰く、上の大難、いまだその会通を聞かず、如何。答えて曰く、無量義経に云く「いまだ六波羅蜜を修行することを得ずといえども、六波羅蜜自然に在前す」等云云。法華経に云く「具足の道を聞かんと欲す」等云云。涅槃経に云く「薩とは具足に名く」等云云。竜樹菩薩の云く「薩とは六なり」等云云。無依無得大乗四論玄義記に云く「沙とは訳して六と云う。胡法には六を以て具足の義となすなり」。吉蔵の疏に云く「沙とは翻じて具足となす」。天台大師の云く「薩とは梵語なり、ここには妙と翻ず」等云云。私に会通を加えば本文を黷すがごとし。しかりといえども、文の心は、釈尊の因行・果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等この五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう。
[46]四大声聞の領解に云く「無上の宝珠求めざるに自ら得たり」云云。我等が己心の声聞界なり。「(我、本、誓願を立てて一切の衆をして)我がごとく等しくして異ることなからしめん(と欲しき)。我が昔の所願のごとき、今は已に満足しぬ。一切の衆生を化して皆仏道に入らしむ」。妙覚の釈尊は、我等が血肉なり。因果の功徳は骨髄にあらずや。宝塔品に云く「それ能くこの経法を護ることあらん者は、則ちこれ、我及び多宝を供養するなり。乃至、また諸の来りたまえる化仏の諸の世界を荘厳し光飾したまえる者を供養するなり」等云云。釈迦・多宝・十方の諸仏は、我が仏界なり。その跡を紹継してその功徳を受得す。「須臾もこれを聞けば、即ち阿耨多羅三藐三菩提を究竟することを得ん」とはこれなり。寿量品に云く「しかるに我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」等云云。我等が己心の釈尊、五百塵点、乃至、所顕の三身にして無始の古仏なり。
[47]経に云く「我れ本、菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今なおいまだ尽きず。復上の数に倍せり」等云云。我等が己心の菩薩等なり。地涌千界の菩薩は、己心の釈尊の眷属なり。例せば太公・周公旦等は、周武の臣下にして、成王幼稚の眷属。武内大臣は、神功皇后の棟梁にして仁徳王子の臣下なるがごとし。上行・無辺行・浄行・安立行等は、我等が己心の菩薩なり。妙楽大師の云く「まさに知るべし、身土は一念の三千なり。故に成道の時、この本理に称うて、一身一念法界に遍し」等云云。
[48]夫れ始め寂滅道場・華蔵世界より、沙羅林に終るまで五十余年の間、華蔵・密厳・三変・四見等の三土・四土は、皆成劫の上の無常の土に変化する所の方便・実報・寂光・安養・浄瑠璃・密厳等なり。能変の教主涅槃に入れば、所変の諸仏随つて滅尽す。土もまた以てかくのごとし。
[49]今 本時の娑婆世界は、三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり。仏すでに過去にも滅せず、未来にも生ぜず、所化以て同体なり。これ即ち己心の三千具足、三種の世間なり。迹門十四品には、いまだこれを説かず。法華経の内においても、時機未熟の故なるか。
[50]この本門の肝心、南無妙法蓮華経の五字においては、仏なお文殊・薬王等にもこれを付属したまわず。いかにいわんやその已下をや。ただ地涌千界を召して、八品を説いてこれを付属したもう。
[51]その本尊の為体、本師の娑婆の上に、宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に、釈迦牟尼仏・多宝仏。釈尊の脇士は上行等の四菩薩なり。文殊・弥勒等の四菩薩は、眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は、万民の大地に処して雲閣・月卿を見るがごとし。十方の諸仏は、大地の上に処したもう。迹仏・迹土を表するが故なり。
[52]かくのごとき本尊は、在世五十余年にこれなし。八年の間、ただ八品に限る。正像二千年の間は、小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士となし、権大乗並に涅槃、法華経の迹門等の釈尊は、文殊・普賢等を以て脇士となす。これらの仏をば正像に造り画けども、いまだ寿量の仏あらず、末法に来入して、始めてこの仏像出現せしむべきか。
[53]問う。正像二千余年の間、四依の菩薩、並に人師等、余仏、小乗・権大乗・爾前・迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども、本門寿量品の本尊、並に四大菩薩をば、三国の王臣ともにいまだこれを崇重せざるの由これを申す。この事粗これを聞くといえども、前代未聞の故に耳目を驚動し、心意を迷惑す。請う重ねてこれを説け。委細にこれを聞かん。
[54]答えて曰く。法華経一部・八巻・二十八品、進んでは前四味、退いては涅槃経等の一代の諸経、惣じてこれを括るにただ一経なり。始め寂滅道場より終り般若経に至るまでは序分なり。無量義経・法華経・普賢経の十巻は正宗なり。涅槃経等は流通分なり。
[55]正宗の十巻の中において、また序・正・流通あり。無量義経並に序品は、序分なり。方便品より分別功徳品の十九行の偈に至るまでの十五品半は、正宗分なり。分別功徳品の現在の四信より普賢経に至るまでの、十一品半と一巻とは、流通分なり。
[56]また法華経等の十巻においても、二経あり。おのおの序・正・流通を具するなり。無量義経・序品は序分なり。方便品より人記品に至るまでの八品は、正宗分なり。法師品より安楽行品に至るまでの五品は流通分なり。その教主を論ずれば始成正覚の仏。本無今有の百界千如を説いて、已・今・当に超過せる随自意・難信難解の正法なり。過去の結縁を尋ぬれば、大通十六の時、仏果の下種を下し、進んでは、華厳経等の前四味を以て助縁となして、大通の種子を覚知せしむ。これは仏の本意にあらず。ただ毒発等の一分なり。二乗・凡夫等は、前四味を縁となして、漸々に法華に来至して種子を顕わし、開顕を遂ぐるの機これなり。また在世において始めて八品を聞く人・天等は、あるいは一句・一偈等を聞いて下種となし、あるいは熟し、あるいは脱し、あるいは普賢・涅槃等に至り、あるいは正・像・末等に、小・権等を以て縁となして法華に入る。例せば在世の前四味の者のごとし。
[57]また本門十四品の一経に序・正・流通あり。涌出品の半品を序分となし、寿量品と前後の二半と、これを正宗となし、その余は流通分なり。その教主を論ずれば、始成正覚の釈尊にあらず。所説の法門もまた天地のごとし。十界久遠の上に、国土世間すでに顕る。一念三千殆ど竹膜を隔てたり。また迹門並に前四味、無量義経・涅槃経等の三説は、悉く随他意・易信易解、本門は三説の外の難信難解・随自意なり。
[58]また本門において序・正・流通あり。過去大通仏の法華経より、乃至現在の華厳経、乃至迹門十四品、涅槃経等の一代五十余年の諸経、十方三世の諸仏の微塵の経々は、皆寿量の序分なり。一品二半よりの外は、小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名く。その機を論ずれば、徳薄・垢重・幼稚・貧窮・孤露にして、禽獣に同ずるなり。爾前迹門の円教すらなお仏因にあらず。いかにいわんや大日経等の諸の小乗経をや。いかにいわんや華厳・真言等の七宗等の論師・人師の宗をや。与えてこれを論ずれば、前三教を出でず。奪つてこれを云えば蔵・通に同ず。たとい法は甚深なりと称すとも、いまだ種・熟・脱を論ぜず。還つて灰断に同じ。化に始終なしとは、これなり。譬えば、王女たりといえども、畜種を懐妊すれば、その子なお旃陀羅に劣れるがごとし。これらはしばらくこれを閣く。
[59]迹門十四品、正宗八品、一往これを見るに二乗を以て正となし、菩薩・凡夫を以て傍となす。再往これを勘うれば、凡夫、正・像・末を以て正となす。正・像・末の三時の中にも、末法の始を以て正が中の正となす。
[60]問うて曰く、その証如何。答えて曰く、法師品に云く「しかもこの経は、如来の現在すらなお怨嫉多し。いわんや滅度の後をや」。宝塔品に云く「法をして久住せしむ。乃至、来る所の化仏、まさにこの意を知るべし」等。勧持・安楽等、これを見るべし。迹門すらかくのごとし。
[61]本門を以てこれを論ずれば、一向に末法の初を以て正機となす。いわゆる、一往これを見る時は、久種を以て下種となし、大通・前四味・迹門を熟となし、本門に至つて等・妙に登らしむ。再往これを見れば、迹門には似ず。本門は序・正・流通ともに末法の始を以て詮となす。在世の本門と末法の初は、一同に純円なり。ただし彼は脱、これは種なり。彼は一品二半、これはただ題目の五字なり。
[62]問うて曰く、その証文如何。答えて云く、涌出品に云く「爾の時に他方の国土の諸の来れる菩薩摩訶薩の八恒河沙の数に過ぎたる、大衆の中において起立し合掌し礼を作して、仏に白して言さく。世尊、もし我等に、仏の滅後においてこの裟婆世界に在つて、勤加精進してこの経典を護持し、読誦し、書写し、供養せんことを聴したまわば、まさにこの土において広くこれを説きたてまつるべし。爾の時に仏、諸の菩薩摩訶薩衆に告げたまわく。止みね、善男子、汝等がこの経を護持せんことを須いじ」等と云云。
[63]法師より已下の五品と経文前後水火なり。宝塔品の末に云く「大音声を以て普く四衆に告げたまわく、誰か能くこの裟婆国土において広く妙法華経を説かんものなる」等と云云。たとい教主一仏たりといえども、これを奨勧したまわば、薬王等の大菩薩、梵・帝・日・月・四天等はこれを重んずべきの処に、多宝仏・十方の諸仏、客仏となつてこれを諫暁したもう。諸の菩薩等は、この慇懃の付属を聞いて「我不愛身命」の誓言を立つ。これらは偏に仏意に叶わんがためなり。しかるに須臾の間に、仏語相違して、過八恒沙のこの土の弘経を制止したもう。進退惟れ谷る。凡智に及ばず。天台智者大師は、前三後三の六釈を作つてこれを会したまえり。所詮は、迹化・他方の大菩薩等に、我が内証の寿量品を以て授与すべからず。末法の初は、謗法の国にして悪機なる故にこれを止め、地涌千界の大菩薩を召して、寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て、閻浮の衆生に授与せしめたもうなり。また迹化の大衆は釈尊初発心の弟子等にあらざるが故なり。天台大師云く「これ我が弟子なり。我が法を弘むべし」と。妙楽云く「子 父の法を弘む、世界の益あり」と。輔正記に云く「法これ久成の法なるを以ての故に、久成の人に付す」等云云。
[64]また弥勒菩薩疑請して云く、経に云く「我等はまた仏の随宜の所説、仏所出の言は、いまだ曾て虚妄ならず、仏の所知は、皆悉く通達すと信ずといえども、しかも諸の新発意の菩薩、仏の滅後においてもしこの語を聞かば、あるいは信受せずして法を破するの罪業の因縁を起さん。ただ願くは世尊、願くはために解説して我等が疑を除きたまえ。及び未来世の諸の善男子、この事を聞き已りなば、また疑を生ぜじ」等云云。文の意は、寿量の法門は、滅後のためにこれを請するなり。
[65]寿量品に云く「あるいは本心を失える、あるいは失わざる者あり。乃至、心を失わざる者は、この良薬の色・香ともに好きを見て、すなわちこれを服するに病尽く除り癒えぬ」等云云。久遠下種・大通結縁・乃至前四味・迹門等の一切の菩薩・二乗・人・天等の本門において得道するこれなり。経に云く「余の心を失える者は、その父の来れるを見て、また歓喜し問訊して病を治せんことを求索むといえども、しかれどもその薬を与うるに、しかもあえて服せず。所以は何ん、毒気深く入つて本心を失えるが故に、この好き色・香ある薬において、しかも美からずとおもえり、乃至、我れ今まさに方便を設けてこの薬を服せしむべし。乃至、この好き良薬を今留めてここに在く。汝取つて服すべし、差えじと憂うることなかれと。この教を作しおわつてまた他国に至り、使を遣して還つて告ぐ」等云云。分別功徳品に云く「悪世末法の時」等と云云。
[66]問うて曰く、この経文の「遣使還告」は如何。答えて曰く。四依なり。四依に四類あり。小乗の四依は、多分は正法の前の五百年に出現す。大乗の四依は、多分は正法の後の五百年に出現す。三に迹門の四依は、多分は像法一千年、少分は末法の初なり。四に本門の四依は、地涌千界なり、末法の始に必ず出現すべし。今の「遣使還告」は地涌なり。「是好良薬」とは、寿量品の肝要たる名・体・宗・用・教の南無妙法蓮華経これなり。この良薬をば、仏なお迹化に授与したまわず。いかにいわんや他方をや。
[67]神力品に云く「爾の時に、千世界微塵等の菩薩摩訶薩の地より涌出せる者、皆仏前において、一心に合掌して尊顔を瞻仰して仏に白して言さく。世尊、我等 仏の滅後に、世尊と分身所在の国土、滅度の処において、まさに広くこれを説くべし」等云云。天台云く「ただ下方の発誓のみを見たり」等云云。道暹云く「付属とは、この経をばただ下方の涌出の菩薩にのみ付す。何が故にしかる。法これ久成の法に由るが故に久成の人に付す」等云云。
[68]夫れ文殊師利菩薩は、東方金色世界の不動仏の弟子。観音は、西方無量寿仏の弟子。薬王菩薩は、日月浄明徳仏の弟子。普賢菩薩は、宝威仏の弟子なり。一往、釈尊の行化を扶けんがために、娑婆世界に来入せり。また爾前・迹門の菩薩なり。本法所持の人にあらざれば、末法の弘法に足らざる者か。
[69]経に云く「爾の時に世尊、乃至、一切の衆の前に大神力を現じたもう。広長舌を出して上梵世に至らしめ、乃至、十方世界の衆の宝樹の下の師子座の上の諸仏も、またかくのごとく広長舌を出す」等云云。
[70]夫れ顕密二道、一切の大・小乗経の中に、釈迦・諸仏並び坐し、舌相梵天に至る文これなし。阿弥陀経の広長舌相、三千を覆うは、名のみあつて実なし。般若経の舌相三千、光を放つて般若を説きしも、全く証明にあらず。これ皆兼帯の故に、久遠を覆相する故なり。
[71]かくのごとく十神力を現じて、地涌の菩薩に妙法の五字を属累して云く、経に云く「爾の時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく、諸仏の神力は、かくのごとく、無量無辺不可思議なり。もし我れこの神力を以て、無量無辺百千万億阿僧祇劫において、属累のための故に、この経の功徳を説くともなお尽すこと能わじ。要を以てこれを言わば、如来の一切所有の法、如来の一切自在の神力、如来の一切秘要の蔵、如来の一切甚深の事、皆この経において宣示し顕説す」等云云。天台云く「爾の時に仏 上行に告ぐというより下は、第三に結要付属なり」云云。伝教云く「また神力品に云く、要を以てこれを言わば、如来の一切所有の法、乃法、宣示し顕説す〈已上経文〉。明に知んぬ、果分の一切所有の法、果分の一切自在の神力、果分の一切秘要の蔵、果分の一切甚深の事、皆法華において宣示し顕説するなり」等云云。
[72]この十神力は、妙法蓮華経の五字を以て、上行、安立行・浄行・無辺行等の四大菩薩に授与したもう。前の五神力は在世のため、後の五神力は滅後のためなり。しかりといえども、再往これを論ずれば、一向に滅後のためなり。故に次下の文に云く「仏滅度の後に、能くこの経を持たんを以ての故に、諸仏皆歓喜して、無量の神力を現したもう」等云云。次下の嘱累品に云く「爾の時に、釈迦牟尼仏法座より起つて大神力を現じたもう。右の手を以て無量の菩薩摩訶薩の頂を摩でて、乃至、今以て汝等に付嘱す」等云云。地涌の菩薩を以て頭となし、迹化・他方、乃至、梵・釈・四天等にこの経を嘱累したもう。「十方より来りたまえる諸の分身の仏、各本土に還り、、乃至、多宝仏の塔還つて故のごとくしたもうべし」等云云。薬王品已下、乃至、涅槃経等は、地涌の菩薩去り了つて、迹化の衆・他方の菩薩等のために、重ねてこれを付嘱したもう。捃拾遺属これなり。
[73]疑つて曰く、正・像二千年の間に、地涌千界閻浮提に出現してこの経を流通するや。答えて曰く、爾らず。
[74]驚いて曰く、法華経並に本門は、仏滅後を以て本となし、先ず地涌千界にこれを授与す。何ぞ正・像に出現して、この経を弘通せざるや。答えて曰く、宣べず。
[75]重ねて問うて云く、如何。答う、これを宣べず。
[76]また重ねて問う、如何。答えて曰く、これを宣ぶれば、一切世間の諸人は、威音王仏の末法のごとくならん。また我が弟子の中にも、ほぼこれを説かば、皆誹謗をなすべし。黙止せんのみ。
[77]求めて云く、説かずんば、汝慳貪に堕せん。答えて曰く、進退惟れ谷れり。誠みにほぼこれを説かん。法師品に云く「いわんや滅度の後をや」。寿量品に云く「今留めてここに在く」。分別功徳品に云く「悪世末法の時」。薬王品に云く「後の五百歳に、閻浮提において広宣流布せん」。涅槃経に云く「譬えば、七子あり、父母平等ならざるにあらざれども、しかも病者において心則ち偏に重きがごとし」等云云。已前の明鏡を以て仏意を推知するに、仏の出世は、霊山八年の諸人のためにあらず。正・像・末の人のためなり。また正・像二千年の人のためにあらず。末法の始、予がごとき者のためなり。「然於病者」と云うは、滅後の法華経誹謗の者を指すなり。「今留在此」とは、この好き色・香ある味においてしかも美からずとおもう者を指すなり。
[78]地涌千界正・像に出でざるは、正法一千年の間は、小乗・権大乗なり。機・時共にこれなし。四依の大士、小権を以て縁となして、在世の下種、これを脱せしむ。謗多くして熟益を破るべきが故にこれを説かず。例せば、在世の前四味の機根のごとくなり。像法の中末に観音・薬王・南岳・天台等と示現し、出現して、迹門を以て面となし、本門を以て裏となして、百界千如・一念三千その義を尽くせり。ただ理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字、並に本門の本尊いまだ広くこれを行ぜず。所詮円機あれども円時なきが故なり。
[79]今末法の初、小を以て大を打ち、権を以て実を破し、東西共にこれを失し、天地顛倒せり。迹化の四依は、隠れて現前せず、諸天はその国を棄ててこれを守護せず。この時地涌の菩薩、始めて世に出現し、ただ妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ。「因謗堕悪必因得益」とはこれなり。
[80]我弟子、これを惟え。地涌千界は、教主釈尊の初発心の弟子なり。寂滅道場にも来らず。双林の最後にも訪わず、不幸の失これあり。迹門十四品にも来らず、本門の六品には座を立ち、ただ八品の間に来還せり。かくのごとき高貴の大菩薩、三仏に約足してこれを受持す。末法の初に出でざるべきか。まさに知るべし、この四菩薩、折伏を現ずる時は、賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は、僧と成って正法を弘持す。
[81]問うて曰く、仏の記文は云何。答えて曰く「後の五百歳に、閻浮提において広宣流布せん」。天台大師記して云く「後の五百歳、遠く妙道に沾わん」。妙楽記して云く「末法の初め冥利なきにあらず」。伝教大師云く「正・像稍過ぎ已つて、末法太だ近きにあり」等云云。「末法太だ近きにあり」の釈は、我が時は正時にあらずと云う意なり。伝教大師、日本にして末法の始めを記して云く「代を語れば、像の終り、末の初なり、地を尋ぬれば、唐の東、羯の西なり。人を原ぬれば、即ち五濁の生、闘諍の時なり。経に云く、なお怨嫉多し、いわんや滅度の後をやと、この言良に以あるなり」。この釈に闘諍の時なり云云とは、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり。
[82]この時、地涌千界出現して、本門の釈尊の脇士となりて、一閻浮提第一の本尊、この国に立つべし。月支・震旦には、いまだこの本尊ましまさず。日本国には上宮・四天王寺を建立せしに、いまだ時来らざれば、阿弥陀・他方を以て本尊となす。聖武天王、東大寺を建立せしに、華厳経の教主なり。いまだ法華経の実義顕れず。伝教大師は、ほぼ法華経の実義を顕示す。しかりといえども、時いまだ来らざるが故に、東方の鵝王を建立して、本門の四菩薩を顕さず。所詮、地涌千界のためにこれを譲り与うるが故なり。この菩薩、仏勅を蒙りて近く大地の下に在り。正・像にいまだ出現せず。末法にもまた出来りたまわずば、大妄語の大士なり。三仏の未来記もまた泡沫に同ぜん。
[83]これを以て、これを惟うに、正・像になき大地震・大彗星等出来す。これ等は、金翅鳥・修羅・竜神等の動変にあらず。偏に四大菩薩の出現せしむべき先兆なるか。天台云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り、花の盛んなるを見て池の深きことを知る。」等云云。妙楽云く「智人は起を知り、蛇は自ら蛇を識る」等云云。天晴れぬれば、地明らかなり。法華を識る者は、世法を得べきか。
[84]一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起して、五字の内にこの珠を裹み、末代幼稚の頸に懸けさしめたもう。四大菩薩のこの人を守護したまわんこと、大公・周公の成王を摂扶し、四皓が恵帝に侍奉せしに異らざるものなり。
[85]文永十年〈太才癸酉〉<日>卯月二十五日日>
[86]<人>日蓮これを註す人>
現代語訳
観心本尊抄
文永一〇年(一二七三)、五二歳、於佐渡一谷、原漢文、定七〇二—七二一頁。
[1]日本に仏教を蘇らせる真の仏教僧 日蓮 著す
[2]中国の天台大師は法華経の行法を明らかにした摩訶止観第五巻に次のような大切な法門を明らかにしている。即ちそれは摩訶止観の全体十章のうちの第七章正修止観章である。「〈一念に具する三千の世界を構成する<傍>十界傍>と<傍>三世間傍>と<傍>十如是傍>という要素のうち、三種世間と十如是とをかけ合わせれば三十種世間となるが、別々に記すれば三世間と十如是となるのであって、別々に記すか合わせて記すかの相違にすぎない。〉そもそも、人間の一念の心には地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界という十の法界が本来そなわっている。その一法界はそれぞれにまた十の法界をそなえているのであるから、一念に百法界をそなえることとなる。さらに百法界はそれぞれ一法界ごとに三十種の世間をそなえているのであるから、結局、百法界、全体では三千種の世間がそなわっている。この三千の世間が一念(一瞬をよぎる心)に本来、具備されているのである。もし心がなければ事は終わりとなってしまうが、一刹那のわずかな時間でも心がはたらくならば、すなわちそこに三千の世間が具備されているのである。このように心の移り行く世界を不可思議な境地とよぶ意図はここにある」と。〈ある本には「一界に三種の世間を具備する」という表現となっている。〉
〔第一章〕「一念三千」こそは天台大師智顗の究極の教義である
[3]〔第一番問答〕問うていう。(天台大師智顗に法華玄義・法華文句・摩訶止観という三大著作があるうち)法華玄義において「一念三千」という名称を明らかにしているであろうか。答えていう。いや、妙楽大師湛然が語っているように法華玄義には明らかにしていない。
[4]〔第二番問答〕問うていう。それならば法華文句においては「一念三千の名称」を明かしているのであろうか。答えていう。妙楽大師が「明らかにしていない」といっている通りである。
[5]〔第三番問答〕問うていう。そのように指摘する妙楽大師の注釈はどこにあるのか。答えていう。「摩訶止観を注釈した妙楽大師の摩訶止観輔行伝弘決に、摩訶止観以外には、いまだ一念三千を明らかにしていない」等といっている。
[6]〔第四番問答〕問ういてう。それならば、摩訶止観の第一巻から第四巻まで一念三千の名称を明らかにしているであろうか。答えていう。いや、明らかにしていない。
[7]〔第五番問答〕問うていう。その証拠はどこにあるのであろうか。答えていう。天台宗第六祖の妙楽大師湛然は「故に摩訶止観(第五巻)において正しく自己の心の本性を観察し明らかにするために、第七正修章に至って十境十乗の観法を説くに際して、まず観不思議境を示し、一念によってその法界が明らかになることが説かれたのだ」と述べている。
[8]〔第六番問答〕疑っていう。法華玄義巻第二には、「また一法界に(十界のうち自分がいる法界を除いた)九法界を具備しているから、それは百法界を備えていることを意味し、さらにそれぞれに十如是のはたらきを持っているから千如是になる」と述べている。法華文句巻第一には「人間の六感とその対境に同時に十法界を具備し、それぞれ一界ごとに十界を具備して、その上にそれぞれ十如是(相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等のそれぞれの如是)のはたらきを具えているから、すなわち一千の法界を具備していることは明らかである」と述べている。観音玄義には「十法界は互いに互有するから、すなわち百法界となり、かくして千種の性(万物の根底をなす不変の本質)と相(形に現われるすがた)が眼には見えないが心の底に在ることが確定する。眼のあたりに確かめることはできないが、たしかに具足されているのだ」と述べている。
[9]〔第七番問答〕問うていう。摩訶止観十巻のうち前四巻に一念三千の名称を明らかにしているであろうか。答えていう。妙楽大師は「明かしていない」と断言する。
[10]〔第八番問答〕問うていう。それはどのような解釈に基づくのであろうか。答える。摩訶止観輔行伝弘決第五巻に「もし、正しく止観を修する段階からふりかえって見ると、まだ全くその行を論ずるに至ってはいない。たしかに、観心修行の準備として二十五方便の修錬を行ない、さらに一つ一つの修行によって理解を深めて行くことだろう。まさによく正しく止観を修するための方便として適切であるから、摩訶止観十章のうち第七正修止観章以前の六章は、理解を深めて行く段階なのである」と述べる。そして「故に摩訶止観第七章の〔正しく観心の法を明かす〕段に至って、一念三千の法門による指南が決定するのである。すなわち、これが天台大師の究極の教説なのである。であるから摩訶止観の巻頭の章安大師灌頂の序において、一念三千こそは〔天台大師がついに到達した仏教の究極の境地である〕ということになるのである。それは到底なみなみならぬ究極の境地である。願わくは、この書に仏教の究極を尋ねる者は、(真剣に一念三千の行法に心を集中して)他の諸説にとらわれることがあってはならない」と述べられている。
[11]智者大師として尊敬された天台大師智顗は三十年にわたって教えを弘めた。金陵の都に入った陳の光大二年(<暦>五六八暦>)から二十九年間は法華玄義・法華文句などのもろもろの講義をした。それによって釈尊の御一代の教説が五つの時期に分けられること、その教えの説き方が四つの教え、そして教えの内容も四つの教え(合計して八教)より成り立っていることを明かした。このように〔五時八教〕を明らかにし、さらに、人間の一瞬を行き過ぎる心は十界(地獄界から仏界までの)を具え、その一界ごとにも十界を具えているから百界を具備すること、なおまたその一界ごとに十如を具えているから、合計して千如を一瞬の心に具備していることを、〔百界千如〕という表現で明らかにした。そして仏教がインドから中国に伝わった後漢の永平十年(西暦<暦>六七暦>)から天台大師が法華玄義を講じた隋開皇十三年(<暦>五九三暦>)までのいろいろな誤った解釈を批判し、また経典を論じたインドの学僧たちがまだ述べなかった教義を明らかにしたのである。天台大師の直弟子、章安大師灌頂が、「(天台大師の教説は)インドの学僧たちが説述した広大な論でさえもはるかに及ばない内容であるから、中国で経・論に注釈を加えた学僧たちの意見など語るに及ばない。このことはいたずらに誇示することではなく、本来、法門が勝れているからである」と述べた通りである。たよりないことには、天台大師の教えを継承する末裔の学者たちは、華厳宗や真言宗の祖師たちに、この天台大師が確立した〔一念三千の法門〕という大切な宝を巧みに汲み取られてしまって、(本来、華厳宗・真言宗に抜きん出ていたのに)逆に彼らの門人となってしまっている。章安大師はあらかじめこの事を予知して法華玄義巻頭の〔私記縁起〕に「天台大師の真意が正しく伝えられず、天台の門家が他宗の学者に帰伏するようなことがあれば、将来のために悲しむべきことである」と述べているのである。
〔第二章〕 百界千如と一念三千とはどのように意味が違うのか
[12]〔第九番問答〕問うていう。百界千如と一念三千とにはどのような違いがあるのか。答えていう。百界千如を一念に具備していると言った場合、有情(すべての生き物)と通じる世界を具備するということにとどまるのに対して、三千世間を一念に具備すると言う時には、有情と非情(精神作用を持たないもの)との全域にわたる世界を具備することになる。
[13]〔第十番問答〕疑わしく思って質問をかさねる。もし非情の世界にまで〔十如是〕のはたらきが広く行き及ぶというのならば、草木も心を具えていて、情ある者と同じように成仏するということになるのであろうか。答えていう。この事は大変信じにくいし、また理解しがたいところである。およそ天台大師の所説において信じにくく、また理解しがたいということに二つの意味がある。第一には教えの内容を位置づける<傍>教門傍>の上で信じがたく、理解しがたいこと、第二には自分の心を観察して真理を体得する<傍>観門傍>の上で信じがたく、理解しがたいことである。第一の教門の難信難解とは、仏陀釈尊という一仏の説法の中で、法華経以前の諸経は、声聞乗・縁覚乗という二乗と一闡提(仏性が具わっていない衆生)とは将来にわたって決して成仏することができないと説き、またその教主釈尊が今の世界で始めて成道なさったと説いている。それに対して法華経の迹門(前半十四品)と本門(後半十四品)に至ると、法華経以前の諸経で説いていた二つのことをすっかり否定してしまわれた。(つまり、二乗が将来に成仏すること、教主釈尊は久遠の仏陀であることを明らかにしたのである。)これでは一仏陀が、水と火のように対立した矛盾した内容を語ったことになってしまう。それでは、いったい誰が信じられるであろうか。これが教門において信じがたく、理解しがたいという内容である。第二の観心の門の難信難解とは、百界千如・一念三千であり、情をもたないものも、色法(形あるもの)と心法(心の世界)を具えるという十如是の教義が基本となっていることである。しかしもともと、木像や画像については、外典であっても仏教であっても、ともに本尊と仰ぐことを許容する。だが、それが成立する趣旨は天台宗の教義から出ている。つまり、草木(という情なきもの)の上に色心(色法と心法)と因果とを納めているのでなければ、木像・画像を本尊として仰ぎ奉ることは成り立たないからである。
[14]〔第十一番問答〕疑っていう。草木にも国土の上にも情ある者と同様に、十如是の色心の体と因果の用(はたらき)との二法を具えているということは、いったいどこの文章に述べられているのであろうか。答えていう。天台大師の摩訶止観第五巻に「国土世間もまた十如是の法を具えている。いわゆる悪国土には悪国土の相・性・体・力などの十如是がそなわり、善国土には善国土の十如是がそなわっている」と。妙楽大師の法華玄義釈籖第六巻には「十如是の初めの<傍>相傍>はただ、色(形あるもの)に具わっており、性は内に在って表面には現われず、ただ心に具わっている。それに対して体・力・作・縁においては、その趣旨に色と心性とを兼ねあわせて具えている。また、因果はただ心に、報はただ色に在る」等と示している。妙楽大師の金剛錍論には「すなわちこれ、一本の草、一本の木、一つの小石、一つの塵のそれぞれに、正因仏性(真如の理)があって、この正因仏性にそれぞれ因果というはたらきがあるから、縁因仏性(智慧の進歩をたすける善根功徳)と了因仏性(真如の理を照らす智慧)とを十分に具備している」と述べている。
〔第三章〕 法華経の示す十界互具
[15]〔第十二番問答〕問うていう。〔一念三千〕が摩訶止観第五巻に至って始めて明らかにされたことは、これまでの説述で理解することができた。それでは、一念三千の〔観心〕の意味を聞きたい。答えていう。観心とは、修行者がおのおの自分の心を観察して、その心に本来具わっている(地獄界から仏界までの)十法界(の色法・心法、因と果などの理)を観察し、悟りに近づく観行(修行)に励むことである。これを観心という。たとえば、他人のもつ眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根の六根を見つめることはできるけれども、まだ自分自身の六根を見究めなければ、自分自らがもつ六根を知ることができない。曇りのない明鏡に向かったとき、始めて自分が本来具えている六根を見ることができよう。たとえ、さまざまな経典の中で、ところどころに六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六凡)および四聖(声聞・縁覚・菩薩・仏の四聖)のことを説いてはいるけれども、法華経と天台大師が説述した摩訶止観などの曇りなき明鏡を見なければ、自分の心に十界が具わっていること、それをたどれば百界が具わっていること、さらにそれぞれに十如是がはたらいているので千界が具わっていること、そしてついに自己の一念に三千の世間が具わっていることを知ることができないのである。
[16]〔第十三番問答〕問うていう。十界互具については、法華経のどこの経文に説かれているのか。そして天台大師の注釈はどのようになされているのか。答えていう。法華経の第一巻に収められる方便品第二には「衆生をして仏知見(仏陀のさとり)を聞かせようと願う」と説いている。これは(十界のうち仏界を除く)九界に具わっている仏陀の世界を示すものである。如来寿量品第十六には「以上くわしく述べてきたように、我れ釈尊は仏陀の究極の覚りを成就してからこのかた、数えることもできないほどの久遠の教化を行なってきた。その生命の長さは、無量・無数・無限の時間を経ても、生滅・変遷することなく永久に存在して滅することがない。もろもろの信仰厚き修行者よ! 我れ釈尊はもともと菩薩道の因行を修行して得た永遠の生命が今に至ってもまだ尽きることなく、(未来もまた)前述した五百億塵点劫を何倍もするほどの永遠の時間なのである」と説く。この経文は仏界に(十界のうち仏界以外の)九界が具わっていることを明らかにしている。法華経提婆達多品第十二に「提婆達多(劫って後、無量劫を過ぎてまさに成仏することを得べし。号を)天王如来……と言わん」と説かれるのは(提婆達多という地獄に堕ちた悪人が成仏したという説示を通して)<傍>地獄界傍>にも仏界が具わっていることを明らかにするもの。法華経陀羅尼品第二十六には「(爾の時に羅刹女等がいた。)一を藍婆と名づけ、……(善いかな、善いかな)汝等ただよく法華の名を受持する者を影が形に添うように、その身から離れずに守る功徳すら、その福は推しはかることができない」と説述しているのは、(女の悪鬼が心を改め法華経の行者を守護する誓いを明らかにした章であるから)<傍>餓鬼界傍>に具わっている十界を明らかにしているもの。提婆達多品第十二に「竜女(の忽然の間に……宝蓮華に坐して)等正覚(仏陀に等しいさとり)を成じ」と説くのは、<傍>畜生界傍>に具わっている十界を明らかにしている。法華経序品第一には阿修羅王衆のなかに婆稚阿修羅王の名が挙げられ、法師品第十には「妙法華経の一偈一句を聞いて、乃至一念も随喜すれば……阿耨多羅三藐三菩提を得るであろう」と説くのは、<傍>修羅界傍>に具わっている十界を明らかにしている。方便品第二に「もし人が仏のための故に(諸の形像を建立して、刻彫して衆相を成せる者)皆已に仏道を成じき」と説くのは、これは<傍>人界傍>に十界が具わっていることを明らかにする。序品と譬喩品に「(大)梵天王らが……(偈を説いて言さく)……(われらまたかのごとく)必ずまさに作仏(して一切世間において最尊にして上あることなきこと)を得べし」と説かれるのは、<傍>天界傍>に十界が具わっていることを述べている。譬喩品に「舎利弗よ、(汝、未来世において……まさに作仏することを得べし。号を)華光如来……といわん」と説くのは、<傍>声聞界傍>に十界が具わっていることを明らかにするものである。方便品第二に「(その)縁覚乗(辟支仏の心を発せる者)を求める比丘・比丘尼らはおのおのこの念をなさく……合掌し敬いの心をもって<傍>具足傍>の道を聞きたてまつらんと欲す」と説くのは、これすなわち、<傍>縁覚界傍>に具わった十界を明らかにするものである。法華経の如来神力品第二十一に「(そのときに)地涌千界(千世界微塵等の菩薩摩訶薩の地より涌出せる者)……(まさに広くこの経を説くべし。ゆえはいかん、われらもまた自ら)真浄の大法を得て(受持・読・誦・解説・書写してこれを供養せんと欲す)」と説くのは、これすなわち<傍>菩薩界傍>に十界を具えていることを明らかにするものである。そして如来寿量品第十六に「(如来の演ぶるところの経典は、皆衆生を度脱せんがためなり)あるいは釈尊自身を説き、あるいは他仏の身として説き」などと説述するのは、すなわち<傍>仏界傍>に具わった十界を明らかにするものである。〔このように、地獄界から仏界までの十界が、それぞれにまた十界を具えていることについて、法華経が説き明かしている典拠を示したのである。〕
[17]〔第十四番問答〕問うていう。自分の顔、そして他者の顔を見て、眼・耳・鼻・舌・身・意という六根が具わっていることは誰でも納得できる。それに比べて自分の心に十界を具えていること、他者の心に十界を具えていることは、はっきり確かめられない。これと同様に、どうして十界互具の教理を信じることができようか。答えていう。法華経法師品第十で釈尊は「信じにくく、理解しがたい」と説き、見宝塔品第十一には(釈尊の入滅後にこの法華経を護持することがむずかしいことを)「六難九易」として説いておられる。天台大師は「法華経は本門・迹門の二門ともに、すべて法華経以前の経説とは正反対のことを明らかにするから、信じがたく理解しがたいのだ」と解釈しており、章安大師もまた、「仏陀は衆生に本来、仏の<傍>さとり傍>を具えていることを開示悟入させるために世にお出ましになり、これを一大事因縁(大いなる<傍>ゆかり傍>)とするのであるから、それほどのことがどうしてたやすく我々凡夫に信解できようか」と述べ、伝教大師は「この法華経は最もこれ信じにくく理解しがたい。なぜなら釈尊が本意をそのままに説き示された教であるからである」と述べられている。
[18]そもそも釈尊がインドで説法なされていた際に正にその対象とされていた機類は、過去三千塵点劫の昔、大通智勝如来のもとで法華経の説法を聞いたほど宿善が厚かったうえに、さらに法華経説法の場にあって、教主釈尊・多宝如来・十方分身の諸仏という三仏がうち揃われるのみならず、地涌千界の菩薩たちや文殊師利菩薩・弥勒菩薩というりっぱな方々がこれを補佐して法華経の教えに導き入れようと諫めさとしておられるのに、それですらも法華経の真義を信じることができない者がいた。すなわち、方便品では五千人もの増上慢(高慢な者)の人たちが席を立って去ってしまい、見宝塔品では未熟未入の人天衆が他土に移されたのはそれである。釈尊が説法なさっていた在世の時代ですらそうなのであるから、釈尊が入滅された後、正法・像法の時代の様子は言うべくもない。まして、末法の初めが信じがたい時代であることは言うまでもない。それなのに、あなたがもしそれをたやすく信じるというのであれば、逆に正法(真に正しい教え)ではないことになろう。
[19]〔第十五番問答〕問うていう。(我ら凡夫の劣心にも十界が具わっていること、それが信じがたいことについて)経典と、天台大師智顗ならびにその弟子の章安大師灌頂による注釈には疑問とするところがない。しかしなお、火を水と言ったり、墨を白いと言っているように感じられ、たとえ仏陀の教説であっても、腹の底から納得することができないでいる。今、たびたび他の人の顔を見ると、ただ人間の世界のみが見えるだけで他の世界の様相を見ることができない。自分の顔を見てもなおまた同様である。どうして十界互具の教えを信じきることができようか。答える。たびたび他人の顔を見ると、あるときには喜びがあふれ、あるときには怒りに燃え、あるときは平静であるが、またあるときは貪欲(むさぼりの心)を表情に示し、あるときは愚痴(真理を理解する能力がない)の表情であり、あるときには自分の意志を曲げて人にこびへつらう表情である。怒るのは地獄界の表情であり、貪るのは餓鬼界、<傍>おろか傍>なのは畜生界、<傍>へつらい傍>は修羅界、喜ぶのは天界、平静なのは人界なのである。したがって、他の人の顔の表情という色法(形質)を見ると、地獄界から天界までの六道はそこにすべて揃っている。声聞・縁覚・菩薩・仏の四聖界(聖者の世界)については眼前の表情としては見ることができないが、くわしくこれを尋ね求めれば必ずある筈である。
[20]〔第十六番問答〕問うていう。六道がそれぞれ自分の心に具わっていることについては、明確にとは言えないまでも、以上のように聞くと、あらかた具備していることがうなずける。しかし、四聖界についてはまったく見えないが、これについてはどうであろうか。答えていう。あなたは前には人界に六道を具えていることを疑った。しかしながら、経文の根拠を示し、道理をもってその妥当であることを強く述べたので、どうやら納得できたと言うに至った。四聖界が人界に具わっているということも、当然、同様に納得できることであろう。試みに道理をつけ加えて、その万分の一の内容にとどまるかも知れないが述べてみよう。言わば、この世の無常なることは眼の前の事実である。(人は声聞・縁覚が観察の課題とする無常を知るから)どうして人界に声聞乗・縁覚乗の二乗界を具えていないと言えようか。そのうえに、世間のことを顧みることのない無法者の悪人であっても、なお妻子を慈しみ愛する心を持っている。これはわずかであれ、菩薩界を具えている証拠である。(このように人界に声聞界・縁覚界・菩薩界を具えていることは推測することができようが)ただ仏界ばかりは表面に現われるのを認識することが困難である。(その点については)人界に九界を具えていることによって、さらに仏界をも具えていることを推察し、これを固く信じて疑問を持ってはならない。法華経の方便品に人界に仏界を具することを説いて、「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」と説き、(法華経の意を追説する)涅槃経巻六如来性品には「大乗(大いなる仏教の教え)を学ぶ者は、凡夫の肉眼であっても、仏教の真理を見る仏眼を具しているとするのである」と説く。つまり、末代の凡夫としてこの世に生まれて法華経を信じるのは、人界に仏界を具えているからである、ということができよう。
[21]〔第十七番問答〕問うていう。十界互具という釈尊の教えは明らかとなった。けれども、我々のような凡夫の心に仏法界を具えているということは、なかなか信じがたいところである。それにしても今の時にこそ、人界に仏界を具することを信じられなければ、仏教の真理を信ずる心を失った一闡提となってしまう。願わくは、大いなる慈悲を起こして、我ら凡愚の劣心にも尊高な仏界を具えていることを、よく納得せしめ、信ぜしめて、(決して不信・謗法の一闡提となって)阿鼻大城(八大地獄の最下層の無間地獄)の苦しみに陥ることのないよう救い護っていただくようお願いする。
[22]答えていう。あなたはすでに「あらゆる仏陀世尊が唯々、一大事の因縁を以て世に出現あそばされた」(方便品—四仏知見の文)という経文を見聞しているが、これを信じることができないならば、仏陀釈尊の入滅後、それぞれの能力や境地にある衆生を導く依り所となる菩薩たちや、ましてや末の世にあって仏性真如の理をもちながら、これを認識しないまま、生死に輪廻して「理即」と位置づけられる我々がどうしてあなたの不信を救い護ることなどできようか。しかしながら、試みに語るならば、衆生が仏の教えを聞く能力と縁はさまざまなのであって、仏陀がこの世にお出ましになった(仏在世の)時代にせっかく仏陀にお会いしながら悟りを開くことができない者もあれば、かえって仏弟子の阿難尊者の導きによって得道した者もある。およそ凡夫が仏陀の教化を受けて発動する機縁(能力と動機)には二つある。第一には、仏陀にお会いして教化を受け、やがて法華経によって得道する者。第二には、仏陀には直接お会いしないけれども、法華経の教えによって得道する者である。さらに、仏教が伝えられる以前の中国の道教の僧や、仏教以外のインド宗教家が、儒教や四種のヴェーダンタを助縁として仏教の正しい知見に入る者もある。また、智慧のすぐれた菩薩や凡夫などが華厳経・方等部の諸経典・般若経などの大乗経典を聞いたことを縁として、かつて三千塵点劫の過去に大通智勝仏から得た結縁や五百億塵点劫の過去に久遠釈尊から下種された仏種が突然花開き法華経の深義を体得する者も数多くある。それは、あたかも縁覚とよばれる修行者たちが春に花が飛んだり、秋に落葉するのを見て、それをきっかけに突然、ひとりで空の理を悟るようなものである。法華経以外の教えによって得道するというのは、こうしたことなのである。それとは反対に、過去に下種・結縁を受けなかった者や権経(実義を顕わす前に仮に説いた教え)や小乗経の理論に執われている者は、たとえ法華経の教えに出会っても、小乗や方便の権の教の見方から抜け出ることができないでいる。というのは、自分の見方を正しい道理と頑なに固執するために、かえって法華経を小乗経と同じと考えてしまったり、あるいは華厳経や大日経と同じと考えてしまったり、あるいはそれらの諸経よりも下の位置に置いてしまうからである。結局、これらの諸師は儒教や外道の賢人・聖人よりも劣った者なのである。こうしたことについては、今の論点からはずれるから、しばらく論じないことにする。
[23]たしかに十界互具を重要な教えとして重んじるのは、さながら石の中に火があるとか、木の中に花があるというようなもので、甚だ信じがたいことではあるが、縁にふれて実現するならば、これを信じないわけにはいくまい。人界に仏界が具わっているということは、木の中の花や石の中の火どころか、水の中に火があるとか、火の中に水があるというようなもので、最高に信じがたいことである。しかしながら、竜火は水から出るのであり、竜水は火から出るという。いかにも承知しにくいことであるが、現実にあらわれている証拠があればこれを信じないわけにはいかない。今、あなたはこれまでの対話を通じて、遂に人界に縁覚・声聞以下の八界を具えていることを信じるに至った。そうであるならば、人界に仏界が具わっているということをどうして信じられないのであろうか。かの中国の古代において三皇に次いで理想的な統治をした五帝のうちの堯王・舜王らの聖人は、すべての民衆に対して平等な態度で接して、万民に対する慈愛にかたよりがなかった。これなどは人界に仏界の一分が具わっている証拠である。法華経常不軽菩薩品第二十に説かれる常不軽菩薩が、道行く人に会うたびに合掌し礼拝したのは、人々に本来具わっている仏身を見たからである。そしてまた悉達太子とよばれた若き日の釈尊は、人の身を受けて王宮に生まれたが、やがて修行をかさね、現実に仏陀の身を達成したではないか。こうした数々の現実の証拠をもって、人界に仏界を具えるという十界互具・一念三千の教えを信じないわけにはいかない。
〔第四章〕 妙法五字を受持する意義——事具の一念三千——
[24]〔第十八番問答の問い〕問うていう。教主釈尊は——〔これから先の論述については固くこれを秘密にして、他人に語ってはなりませんぞ〕——見思の惑・塵沙の惑・無明の惑という一切の煩悩から超越なさった仏陀でいらっしゃる。また、十方世界の精神的統治者、すべての菩薩、声聞・縁覚、人・天の主君である。進んで行く時には、仏法守護の諸天の代表格である梵天王と帝釈天が左右に随侍し、比丘(僧)・比丘尼(尼)・優婆塞(男性信徒)・優婆夷(女性信徒)の四衆、天・竜・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽ら仏法を守護する八種の異類がその後に付き随い、密迹金剛と那羅延金剛とが道案内として先導し、八万四千もの教法を演説して、一切衆生を生死の苦海から脱せしめ、悟りの道に向かわしめた。これほどに尊い仏陀が、いったいどのようにして我々のような凡夫の己心に住みたもうことがあり得るのだろうか。
[25]<番>(1)番>また、法華経の迹門(前半十四品)やそれ以前に説かれた経典の趣意を汲んで論ずるならば、教主釈尊はインドのブッダガヤで始めて正覚を成じた仏陀である。過去に仏果を求めた菩薩の修行を尋ね求めると、万民への布施の行によって精進波羅蜜を達成した能施太子の事蹟や、燃燈仏に随侍して仏陀を供養し涅槃に至った儒童の事蹟、鳩の身代わりとなって自分の身体を鷹に与え布施の行を成満した尸毗王の事蹟、飢えた虎の子に自分の身体を与えた薩埵王子の事蹟などがある。蔵経(小乗)の菩薩として、悟りや現世で得ることができずに<傍>三祇百大劫傍>という長年月を修行し、通教の菩薩として塵点劫を超える(動逾)永い時間、菩薩行を修行し、別教の菩薩として五十一の段階において<傍>無量阿僧祇劫傍>を経過し、さらにインドに応現して菩提樹のもとで悟りを成じた直後の華厳経(梵行品)では「<傍>初発心の時傍>、便ち正覚を成ず」と説き、法華経迹門の化城喩品第七では、釈尊が<傍>三千塵点劫傍>の過去にこの娑婆世界の衆生を救うことを誓願したと説き、その間、蔵教の菩薩はあるいは七万五千、あるいは七万六千、あるいは七万七千もの仏に供養をつくし、長い年月の間に菩薩の修行を満たして、遂に今の教主釈尊となられたのである。このような因位のもろもろの修行が、我々凡夫の己心に具わっている菩薩界の功徳であるなどと、どうして信じられようか。
[26]仏陀が到達された<傍>おさとり傍>の境地からこれを論ずることとする。教主釈尊はブッダガヤの菩提樹の下で始めて正覚を成じた仏陀である。一代五十年の説法のうち、前半の四十数年間に蔵教・通教・別教・円教という四教をお説きになった仏身を示現なさり、法華経以前の諸経典や法華経の迹門や涅槃経などをお説きになり、すべての衆生に幸いを与えられた。つまり、華厳経の時には蓮華台上蓮華蔵世界において十方台上の盧遮那仏となって現われ、阿含経を説いた時には三十四心を経過して見惑(思想上の邪曲)・思惑(日常生活の惑い)の煩悩を断じ尽くして成道した姿を示し、方等部の大集経序品第一には諸仏の来集を説き、大品般若経無作実相品第四十三には千仏が般若の法門を説き、大日経・金剛頂経の時には胎蔵界・金剛界の合わせて千二百余尊を現じ、法華経迹門の見宝塔品第十一においては、釈尊が神力を現わして娑婆世界の土田を三変する。第一変は同居土を方便土に、第二変はこれを実報土に、第三はこれを寂光土に変じた。所居の土が変じるのに従って、能居の仏もまた、同居土では劣応身である丈六の仏、方便土では勝応身、実報土では報身、常寂光土では法身として応じられた。また涅槃経では凡聖同居土の劣応身、つまり丈六(一丈六尺=四・八メートル余の釈尊の肉身)の三十二相と現われ、あるいは方便土の勝応身の小身・大身として、あるいは実報土の尊特身の盧遮那仏として、あるいは仏身が虚空と同様な円教の法身仏としてというように四種の仏身を示現し、あるいは八十歳で入滅になり、その仏舎利(仏陀の遺骨)をお遺しになって、釈尊入滅後の正法・像法・末法のそれぞれの時代の衆生に成仏の利益を与えられている。(法華経以前の諸経典、法華経迹門に示されたこのような果位の万徳が、我ら凡夫の己心に具わっているとはどうして信じられるだろうか。)
[27]<番>(2)番>法華経本門(後半十四品)の趣意から凡夫の己心に仏身が具わっていることに疑問を呈すると、そもそも教主釈尊は五百塵点劫以前に円満な悟りを開かれた久遠の仏陀なのである。したがって、その因位もまたそれ以前に遡ってさらに久遠に在る。そのような久遠の過去から、十方の世界に分身仏を示現して釈尊一代の聖教を演説して無数の衆生を教化されたのである。そのような法華経本門の教化と法華経迹門(前半十四品)の教化とを比較するならば、あたかも一滴の水と大海と、一くれの土と大きな山の土とのような大きな相違がある。また、法華経本門のわずか一人の菩薩と、迹門の十方の世界の文殊師利菩薩や観世音菩薩とをひき較べてみると、さながら猿と帝釈天とを比較するよりももっと甚だしい相違があるのである。(この尊高広大な因果の功徳が我々のような凡夫の己心に具わっているなどとは、どうしても信じられないのである。)
[28]<番>(3)番>そのほか、煩悩を断ち切ってそれなりの<傍>さとり傍>の境地を得た十方世界の声聞乗・縁覚乗、そして大梵天王・帝釈天王・日天・月天・四天王、それぞれの世界を治める四種の転輪王(鉄輪王・銅輪王・銀輪王・金輪王)、もしくは八大地獄の最下層に位置して大きな城郭のような無間地獄(阿鼻地獄)に燃え盛る大火災などに至る世界までも、すべて皆、我々凡夫の一念に具わっている十界の中に含まれているということを説くのであろうか。それらによって、ひいては我々凡夫の己心に三千世界が具わっているということであろうか。そのようなことは、たとえ仏説だと言われても信じることができようか。
[29]<番>(4)番>以上の問いの中で列挙された教主釈尊の因果のあり方から十界互具について考えると、法華経以前の諸経典の方が真実の事であり真実の語であるように思えてくる。たとえば華厳経には「初発心の時に便ち正覚を成ず」の経文につづいて、「(初発心に住することは、初住の功徳を受けるものであり)終極的に九界の虚言を離れて迷いの汚れに染まらないことが大空のようである」と説かれ、仁王経には「(大いなる覚りを得れば)煩悩の根源である無明を究め尽くして、妙智のみが存するのである」と説かれ、金剛般若経には「菩薩たちよ、このような清浄の心を生ぜよ……一切の善法を修するときには、すなわち無上等正覚を得るのである」と説かれ、馬鳴菩薩の大乗起信論には「如来蔵(一切衆生の煩悩の中に隠し覆われている自性清浄心)の中には、ただ、仏界清浄の功徳のみがある」と説き、天親菩薩の唯識三十頌を解釈した玄奘・護法らの成唯識論には「(菩薩が第十法雲地の最後心の仏果(さとり)に入ろうとするときに、)生死の種子である三界有漏の(分段の)種子と、劣った二乗らの下地の変易の種子を等正覚の後心である金剛心の位に決定した時に、円明にして純浄の本識を引き見て、生死の所依によらないから(前掲の種子を)皆捨て去る」と説かれている。法華経以前に説かれた諸経典と法華経とをひき較べて考えてみると、法華経以前の諸経は数えきれないほど多くあり、説法されている時間も長い。一仏陀に二言はないとするのならば、法華経以前の諸経典の趣意を取る方が信じやすい。そのうえに、馬鳴菩薩は付法蔵第十一代の方であるという仏陀の予見があり、天親菩薩は千部もの著作を述作した教義学者と尊敬され、仏滅後に仏陀に代わって衆生を導く菩薩と仰がれる。それと比較すると、天台大師は都から離れた片田舎の取るに足らない僧で、一つの論をも述べたことがないと見られるほどであるから、誰がいったい信用してくれるだろうか。
[30]<番>(5)番>そのうえ、多年の間説かれた多くの経典を捨て去り、年月や巻数などは少なくても真実の法華経に依るとして、もし法華経の経文に十界互具の説が明らかに説かれているのなら多少はたのみとすることもできよう。けれども、いったい法華経の経文のどこに十界互具・百界千如・一念三千が明白な証文として説かれているのだろうか。それを確かめるために法華経の経文を開き見ると、かえって反対に、方便品に「諸法の中の悪を断じる」と説かれている。(これでは、どうして十界互具を信じられようか。)
[31]<番>(6)番>天親菩薩の法華論にも、また堅慧菩薩の宝性論にも十界互具の教義は説かれていないし、さらに中国南北時代の南地(江南)三師と北地(河北)の七師の学僧らや日本の南都・奈良の七大寺の系譜を受けた末師の中にも、この十界互具の教義は説かれることがなかったのである。
[32]<番>(7)番>そうであるなら、このような独特の解釈をしようとするのは、ただ天台大師一人だけの偏った見解であり、伝教大師一人だけの誤った伝承ということになってしまう。華厳宗第四祖の清涼国師澄観は華厳疏鈔に「天台の誤りである」と言い、華厳宗第三祖賢首大師法蔵の弟子である慧苑法師は続華厳経略疏刊定記に天台大師智顗を四点から批判する中で「小乗をすべて三蔵教と呼ぶのは、三蔵が大乗・小乗に通じる名であることを見落としている」と言い、南都の華厳学者といわれる了洪法師の華厳宗立祖義には「(仏陀出世の本意は大華厳を明らかにすることであるのに)天台だけが華厳の意を尽くさない」と述べ、伝教大師に論争をいどんだ法相宗の得一は「つたないかな、智公(智顗)よ! 汝はいったい誰の弟子なのか。(仏弟子と名乗りながら)三寸(約九センチメートル)にも及ばない舌の根で、仏陀が舌で顔全体を覆って真実の語であることを証明した説法の内容(解深密経の初・昔・今、有・空・中の三時教判)を誹謗するとは何事であるか」と叱咤し、真言宗の弘法大師は「中国の学僧たちが争って真言宗の醍醐味(最高の教え)をひそかに汲み取って、それぞれ自宗こそは醍醐の宗旨であると称している」と述べている。
[33]そもそも一念三千の法門は、釈尊一代の権経・実経を問わず、さまざまな経典のなかで、その名が削り取られて明らかにされていない。また仏陀入滅後において人々の機根に対応してそれぞれ法を説く四依の菩薩たちもその教義を説き明かしてはいない。のみならず、中国・日本の学僧たちもこの教義を用いていない。それをどうして信じることができようか。
[34]〔第十八番問答の答え〕答えていう。今、挙げられた七点の疑問は最もきびしい批判である。ただその中で、<番>(4)番><番>(5)番>は共通した疑問であろうが、諸経典と法華経との相違は、経文を挙げれば明白である。すなわち諸経はいまだ真実を顕わしていない方便教・権経(真実に至らしめる途上の経典)であるのに対して、今の法華経はすでに真実を顕わしたと証明された実経である。また瑞相について見ても、諸経は、たとえば阿弥陀経のように東西南北と上下との六方の諸仏が舌相を出して仏説をほめ讃えたに過ぎないが、今の法華経は多宝如来が法華経を真実と証明するために涌現し、十方世界から釈尊の分身諸仏が讃歎するために来集したという大きな相違がある。また諸経は声聞乗・縁覚乗の二乗は永く成仏できないとされたのに対して、今の法華経では次々と将来成仏を保証(授記)される。さらに諸経で法を説く仏陀は、ブッダガヤで始めて成道した(始成正覚)とされるのに対し、今の法華経では釈尊が久遠に成道され、以来衆生を救済しつづけてこられた久遠実成の釈尊であることを明らかにされたなどという相違が明らかにされている。(このことからすれば、法華経の十界互具を中心として仏教を理解することは妥当である。)
[35]次いで、<番>(6)番>でもろもろの論師が十界互具の義を説くことがなかったとされるのに対して、天台大師は「大乗仏教の教理を論説したインドの天親菩薩や竜樹菩薩は内心では法華経の真意を知っていたけれども、実際の伝道においてはそれをただちに明らかにしようとしなかった。なぜなら、外面的にはその時代の限界の中で適応する教説を依り所としたためである。それなのに経典や論著に注釈を加えた中国・日本の人師(学僧)たちは一面的にそれを解釈し、自説に執着して、あたかも石に矢を射るように互いの意見を容れず論争したため、ついには大聖仏陀の教えに背くことになってしまった」といい、章安大師灌頂は「天台大師智顗の講説はインドの諸大論師の論説ですら遥かに及ばないところである。まして中国の人師についてわざわざ語るには及ばない。誇らしげにこれを言うわけではなく、ただ法門の説相が示すとおりである」と言っている。すなわち、天親菩薩・竜樹菩薩・馬鳴菩薩・堅慧菩薩らは内心に法華経の真意を知りながら、外には語り明かさなかったのである。それは、時がまだ来なかったからこれを述べなかったのであろうか。
[36]中国の人師(学僧)たちの中には、天台大師以前は法華経に宝珠を含んでいると理解する者、或いはまったくそれを知らない者もあった。天台大師出現以後になると、最初は法華経に十界互具が説かれていることに反論しながら、後にはきっぱりと翻意を表わして帰伏した者もあったし、まったく顧みない者もあった。
[37]ただし、<番>(5)番>方便品に「諸法の中の悪を断じる」とある経文の整合性を示さねばならない。今の経文は(本理大綱集等の所論があるが)法華経以前の経典に執着する者の情にそって、仏心の清浄なることを、法華経に紹介しているに過ぎない。しかし、法華経に帰入すれば法華経の実相の理によって開会されるのであり、修悪(九界で造る悪)は断じても性悪(本来、真如の理性に具する悪)を断じることはないのである。経典をよく見ると、法華経の経文には明確に十界互具が説かれている。すなわち、「衆生をして仏の知見(さとり)を開かしめようと欲す」という方便品の経文である。天台大師はこの経文を解釈して法華玄義に「もし衆生自身に仏の知見が具わっていなければ、『仏知見を開く』ということを論ずることができようか。仏の知見は衆生の心の奥深くにすでにあることをまさに知りなさい」といい、その弟子である章安大師は観心論疏に「もし衆生に仏の知見が本来備わっていなかったら、どうしてそれを開き、悟ることができようか。それは、涅槃経如来性品に譬えられるように、貧しい女性がもともと宝の蔵を持っていなければ、後に善知識の開導によってその宝蔵を発見し、ついには珍宝を確かめることができないのと同様である」と述べている。
[38]ただし容易に確かな解釈を示すことができないのは、前にあげられた(疑問の<番>(1)番>法華経迹門以前の仏陀の因行・果徳を凡夫の心に具えるといえるか、<番>(2)番>法華経本門に示された久遠釈尊の因果の功徳を凡夫の心に具えるといえるか、<番>(3)番>尊高で広大な十界が凡夫の心に具わっていることは信じられるか、などの)重大な疑問である。この点について釈尊はあらかじめ難問をさえぎりつつ見解を示されて、「我れ釈尊が説く経典は無量千万億であって、已に説き、今説き、これから当に説かれる経典の中で、この法華経は最も信じること、理解することが困難である」と法師品第十に説かれるのみでなく、見宝塔品第十一に、末法に法華経を弘めることは、とてもできるとは思えない九つの事柄も法華経を説くことより遥かにたやすく、法華経を説くことの困難さが六度も繰り返される(これを六難九易という)。天台大師はこのような法華経の趣旨を注釈して、法華文句に「法華経の教えは本門(後半)・迹門(前半)の二門にわたって、それ以前の経典とは正反対であるから信じることも理解することも困難なのであって、まさに戦陣の鉾先に当面するようにむずかしいことがらである」と述べ、章安大師は観心論疏に「釈尊は法華経を説くことを出世の本懐(世にお出ましになる根本の目的)となさっているのである。したがって、どうして我々凡夫に容易に理解できるはずがあろうか」と述べ、伝教大師は法華秀句に「この法華経は最も信じがたく理解しがたい。それは釈尊の御心がそのまま説きあらわされているからである」と述べている。
[39](疑問<番>(7)番>では、天台大師が偏った仏教観を持っているのではないかということであったが、)そもそも釈尊の御在世から、入滅後の一千八百余年に至るまでの間に、インド・中国・日本においてただ三師だけがこの法華経という正法を確かに認識し、弘められた。すなわち、インドの釈尊、中国の天台(智者)大師智顗、そして日本の伝教大師最澄であって、このお三方こそまさに仏教の聖人である。
[40]〔第十九番問答〕問うていう。それならば竜樹・天親ら、インドにおける大乗仏教の学僧たちはどのような方であるのか。答えていう。これらの方々も内心では法華経の真髄を知ってはいたものの、これを説き表わすことがなかった。ある時には法華経の迹門に説かれる内容の一部は述べたかも知れないが、法華経の本門、さらにその根底に秘められている末法の観心(事の一念三千)については一言も語らなかった。それは聞いて受け入れる機根は整っていても、説くべき時が到来しなかったためか、あるいは受け入れる機根も説くべき時も整わなかったためであろうか。天台大師・伝教大師が出現してから以後はこのことを知る者が多く出た。それはこの二人の聖人の智慧を人々が受け入れたからである。知られるとおり(中国の)三論宗の嘉祥大師吉蔵、南三北七の末流の百余人、華厳宗の賢首大師法蔵、清涼国師澄観ら、法相宗の玄奘三蔵・慈恩大師窺基ら、真言宗の善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵ら、(南山)律宗の南山律師道宣らは、はじめはさからっていたが、後にはひたすら帰伏したのであった。
[41]ただし、前掲の疑問<番>(1)番>(に掲げた法華経迹門(前半)以前の釈尊の因行と果徳の功徳が凡夫の心に具わっていることが信じられるかという)大切な疑問について解釈を加えることにする。法華経の開経である無量義経には次のように説かれている。「たとえば国王とその夫人との間に新たに王子が生まれたとする。この王子が生まれてから一日経ち、二日経ち、そして七日目になり、一月経ち、二月経ち、そして七月目になり、そうしてさらに一歳になり、二歳になり、七歳になるというふうに成長していく過程で、たとえ幼くてまだ国の政治上の事務を処理することができなくても、すでに臣下や国民から尊敬され、もろもろの大王の子たちを従えることとなるであろう。国王と夫人は慈愛の心が一層強くなり、いつもその王子と相語らうことであろう。なぜかといえば、王子はまだ幼いためである、と言うように、善男子よ! この法華経を信奉する者もこの王子と同様なのである。諸仏は国王にあたり、この経典は夫人にあたり、国王と夫人とが睦び合って王子が生まれたように、諸仏とこの経典とが一体になって菩薩という子が生まれるのである。そしてもし菩薩がこの法華経の教えを聞くならば、たとえわずかに一句、あるいは一偈を、あるいは一度でもこれを読誦し、あるいは二度かさねて読誦し、あるいは十回、あるいは百回、あるいは千回、あるいは一万回、あるいは億万恒河沙無量無数回にわたって読誦し受持するならば、たとえ究極の真理にまでは到達できなくとも、すでにすべて仏教を信奉する四衆(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷)と仏教を信奉する者を守護することを誓う天・竜らの八部衆に仰ぎ見られ、もろもろの大菩薩を従者とし、または常に諸仏に護り念われて、その慈愛の懐につつまれることであろう。これは新たに発心して仏道を学習する菩薩だからである」と。
[42]また法華経の結経である観普賢菩薩行法経には「この大乗妙法蓮華経は諸仏の秘奥の宝蔵であり、十方と三世とにわたるすべての仏の智慧の眼目なのである。また過去世・現在世・未来世という三世にわたってのもろもろの如来(仏陀)を生む種なのである。かくして汝は大乗の教えを践み行なって仏種を絶やすことのないようにしなければならない」と説き、また「この大乗経典は諸仏の眼目なのである。諸仏は皆この法華経の眼によって五眼(肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼)を具えることができたのである。また法身・報身・応身という三身を具えた仏陀はこの大乗経典から生まれたのである。なぜなら法華経はつまり偉大なる仏法の証明であって、絶対常住の大いなる涅槃の海であることの証として印されているからである。このような涅槃の海の中から、よく法身・報身・応身の三身を具えた仏陀の清浄なる身を生ずるのであり、したがってこの三身を具えた仏陀は人間や天に福を生ぜしめるのである」と説かれている。
[43]そもそも思い巡らすに、釈尊御一代五十年の間にお説きになった顕教・密教、大乗教・小乗教、すなわち華厳宗や真言宗をはじめとする諸宗の依経(拠り所とする経典)について考察を加えると、華厳経では十方の蓮華台上にそれぞれ千の釈迦・百億の小釈迦を従えている毘盧遮那仏が説法し、大集経では釈尊の説法を讃えて十方から諸仏が雲のように集まり、般若経で染と浄、迷と悟が融通していると説く法門(あらゆるものは究極的にはすべて空であるとの般若経の教え)が説かれた時には十方から千仏が現われ、また大日経や金剛頂経が説かれた時には千二百余尊が出現したなどと説かれている。しかしながら、これら多くの仏陀は極く近い修行と仏果を顕わすのみで、久遠にわたる修行と仏果とを顕わすことがない。たちまちのうちに成仏すると説くけれども、法華経化城喩品において示される釈尊の化道が三千塵点劫以前の大通智勝仏の時から終始一貫していること(化道の始終)、同じく如来寿量品に示される五百億塵点の過去からの釈尊の久遠の教化(師弟の遠近)が説き失われ、釈尊の衆生化道の根本と結末の完了ということは全く跡形もなく削り去られてしまっている。(法華経以前の経典では最勝と自負している)華厳経は一応は円教に別教を兼ね、また大日経は声聞蔵・雑蔵・菩薩蔵・仏蔵の四蔵を含んだ教えに似ているけれども、再度これを考えてみると、蔵教・通教と同じ内容であって、いまだ別教・円教にも及ぶことはない。まして衆生に本来具有する三因仏性を具えていることを知らない。これらの諸経によってはいったい何を成仏の種子と定めることができようか。
[44]ところが玄奘以後に経典を新たに翻訳(新訳)した訳者たちが中国へ来入したとき、天台大師が法華経に見出した一念三千の法門を見聞して大変驚き、ある者は自分が伝来した諸経に一念三千の法門を添加し、またある者はインドからこの法門を持ち来ったなどと誇称したのである。それに対して天台宗の学者たちは大切な法門を奪われたのに気づかず、ある者は天台宗と同じであるといって悦んだり、ある者は縁の遠い華厳宗・真言宗の言っていることを尊重して、身近な天台宗をないがしろにし、ある者は旧くからある自宗の天台宗を捨てて新たに伝わった華厳宗・真言宗を信じるような魔の心や愚かな心が起きてきたのである。しかしながら、結局、法華経に内包されている一念三千の仏種でなければ、たとえ有情(心ある者)であればかならず成仏するという教義も、木像や画像を本尊とするということも、ただ名ばかりで、真実とはならないのである。
[45]〔第二十番問答〕問うていう。法華経に仏種の妙法が内包されていることが説かれていることについては聞いたが、凡夫の心に仏界を具足するかという疑問について、まだ明確な解釈を聞いていない。そのことについてはどうであるのか。答えていう。法華経の開経である無量義経十功徳品には「この経典の持経者は、いまだ六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)を一々に修行することがなくても、六波羅蜜修行の功徳をおのずからその身にそなえる」と説かれており、法華経方便品では「仏因・仏果が具足する道を聞きたいものだ」と説かれており、涅槃経如来性品では「<傍>薩傍>とは<傍>具足傍>ということである」と説かれている。竜樹菩薩は大智度論に「<傍>薩傍>とは<傍>六傍>のことである」と述べ、唐の慧均の無依無得大乗四論玄義記には「<傍>沙傍>とは翻訳して<傍>六傍>という意味である。インドの解釈では<傍>六傍>とは<傍>具足傍>という意味である」とする。嘉祥大師吉蔵の法華義疏には「<傍>沙傍>とは梵語で翻訳して<傍>具足傍>ということである」と述べ、天台大師は法華玄義で「<傍>薩傍>とは梵語(サンスクリット語)であって、中国においては<傍>妙傍>と翻訳する」と述べている。(これらによって、妙法蓮華経が仏因仏果を具足した道であることが明らかであろう。)そのうえさらに私の解釈を加えることは法華経の経文を汚すようなものであるが、質問に答えるためにあえて述べるならば、この経文の心(意味)は〝釈尊の因行の法、果徳の法は、すべて妙法蓮華経に具足している〟ということであって、凡夫の我々がこの妙法蓮華経の五字を受持(信奉)するならば、おのずからその因行と果徳との功徳を譲り与えられて、釈尊と同体の仏となるのである。
[46](法華経信解品で)迦葉・目連・迦旃延・須菩提という四人の偉大なる声聞たちが、法華経の教えをこのように体得しましたと、その理解を声を揃えて仏陀に申し上げた文のなかで、「我らは無上の宝珠を求めようともしなかったのに、しかも自然に得ることができました」という言葉は、我らの己心に具わっている声聞界を意味しているのである。法華経方便品には「(我れ釈尊は永遠の昔に誓願を立て、一切衆生を)釈尊と同じ妙覚の<傍>さとり傍>の世界に入らしめようと願った。その誓願が今ここに円満に成就して、一切衆生を教化して、すべて皆、真の仏道に入らしめたのである」と説かれたのであるから、妙覚(微妙にして深遠な仏陀のさとり)に到達なさった釈尊は我々凡夫の血肉であり、因行果徳の功徳は(我々の)骨髄にほかならない。見宝塔品には「よくこの法華経の教えを護る者は、とりもなおさず我れ釈尊と、そして多宝如来とを供養することになるのであり、……また衆生教化のためにここに来りたもうたもろもろの応化仏がもろもろの世界を荘重に整え、光り輝くように飾る者を供養することになるのである」と説く。その釈尊・多宝如来・十方分身の諸仏は、我ら妙法を信奉・受持する者の自己の心に具わった仏界なのである。すなわち、我ら妙法を受持する者は、釈尊をはじめとする諸仏の行じた軌跡をうけついで、その功徳をそのままに受けるのである。(法師品に)「一瞬の間にもこの妙法蓮華経の教えを聞いて受持するならば、すなわち無上等正覚(この上なく釈尊の悟りに隣り合わせる悟り)に到達するのである」と説くのはこのことなのである。如来寿量品には、「しかるに我れ釈尊が真実に成道してから後、無量無辺百千万億那由佗劫という想像も及ばないような長遠の時間を経過しているのである」と説いているのであるから、我ら凡夫の自己の心に宿している釈尊は、五百億塵点劫という無限の過去に成道を成就され、円満なる法身・報身・応身を明らかにされた無始の古仏なのである。
[47]また(同じ如来寿量品に)「我れ本(三千塵点劫の往昔)、誓願を立てて菩薩道を践み行ないつづけて成し遂げた長い寿命は今なお尽きることがないのであって、(五百億塵点劫の悠久なることを語り示した)前述の数倍ほどにもあたるのである」と説くのは、我ら凡夫の自己の心に宿る菩薩を示されてのことである。地涌千界の菩薩は我ら凡夫の自己の心にまします釈尊に教化を受けた者なのである。たとえば、中国に例をとると、太公(太公望)や周公旦らは周の武帝の臣下であり、やがて武帝の亡き後、幼い成王の臣下となって、武帝に仕えたと同じように補佐したという。また、日本ではかの武内宿禰大臣は神功皇后の臣下の中心となる人物であるが、同時に皇后の御子として後継した仁徳天皇の臣下として忠節を尽くしたようなものなのである。このように、地涌の菩薩の代表である上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩の四大菩薩は、とりもなおさず我ら凡夫の己心に宿る菩薩なのである。妙楽大師は摩訶止観輔行伝弘決に「まさに知るがよい。心を宿す身も、身を置く国土も、すべて我ら凡夫の己心の一念に具わる三千の法界に包まれているのである。すべて我ら凡夫の己心の一念に具わる三千の法界に包まれているのである。それゆえに(観心の修行が究極の境地に至って)成道をとげる時に、この(己心の一念に三千の法界を具えているという)本理に適合して、一身・一念が法界に周遍するのである」と述べている。
〔第五章〕 絶対の浄土を末法に示す本門の本尊
[48]そもそも、釈尊が悟りを開かれたブッダガヤの菩提樹の下の道場に華厳経の浄土である蓮華蔵世界を現わして説法されてから、クシナガラ河畔の沙羅双樹の林の中で入滅されるまでの五十数年間に、華厳経の浄土である蓮華蔵世界(略して華蔵世界ともいう)、密厳経などに説かれる密教の密厳浄土をはじめ、法華経見宝塔品において娑婆世界を三度にわたって清浄の仏土に変化させて虚空に顕わした浄土、像法決疑経において一つの沙羅林が見る者の機根によって同居土・方便土・実報土・寂光土の四土に見えること——こうした三土(同居土・方便土・実報土)・四土(三土に寂光土を加えたもの)は、すべてこの世界が成立していく成劫という悠大な時の流れの上で、結局絶えず変化していく無常の国土において仮に現じられた土であって、(前述した四土のうち同居土を除く)方便土・実報土・寂光土であり、阿弥陀仏の安養浄土(極楽世界)、薬師瑠璃光如来の浄瑠璃浄土、それに前述した(密教の)大日如来の密厳浄土などである。こうした浄土を現わした諸仏は皆、教主釈尊の変現であって、したがってその根本の教主釈尊が入滅してしまえば、もろもろの仏陀も連動して滅尽してしまう。国土についてもこれと同様で、本体の土が移り変わるのであれば影の諸土もまた生滅して移り変わるのである。
[49](そのように転変してしまう無常の仏土とは違って、)今 本時という絶対時間に開き顕わされた娑婆世界は、その根本の災いである火災・水災・風災を超克し、また成劫・住劫・壊劫・空劫という雄大な循環を超克した永遠の浄土なのである。久遠実成の教主釈尊は、もはや過去世において入滅したこともなく、将来の世にも生まれ変わることはない。(このように法華経を説く教主釈尊は絶対にして永遠の仏陀であり、)しかも教化を受ける者もその永遠の釈尊と一体なのである。——ということこそ、凡夫の自己の心に三千の法界を具えているということであり、国土世間・衆生世間・五蘊世間という三世間を具えているということである。このことについては(法華経以前は言うに及ばず)法華経に入っても迹門の十四品にはまだこれを説き明かされることがなかった。なぜなら、法華経説法のなかでも、迹門の段階ではまだまだ時も熟せず、機も至らなかったためであろうか。
[50]この本門の肝要の法門である南無妙法蓮華経の(教体である)五字については、釈尊は法華経迹門においても文殊菩薩や薬王菩薩らにも付嘱されることはなかったから、ましてそれ以下の菩薩らに付嘱されるわけもなかった。そうして、ただ本門に入って、地涌千界の菩薩たちを召し出して、(従地涌出品第十五から虚空での説法を終えた嘱累品第二十二に至る)八品の間にこのことを説いて、地涌の菩薩に(末法の世にこれを広く説き伝えるように)付嘱されたのである。
[51]その(本門八品に付嘱された南無妙法蓮華経の)本尊の相貌(かたち)を仰ぎ見ると、久遠実成の本師釈尊がおわして(常楽我浄の理想境が実現した)娑婆世界の上に、多宝塔が虚空(おおぞら)に浮かび、その多宝塔の中央の南無妙法蓮華経の左に釈迦牟尼仏(釈尊)、右に多宝如来、さらにその両側に釈尊の脇士である上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩らの地涌の菩薩の代表である四大菩薩がいらっしゃる。文殊菩薩、弥勒菩薩ら(迹化の代表の四菩薩)はその眷属として末座に坐し、その他の迹化の菩薩、他方から来訪した大小さまざまな菩薩たちは、さながら万民が大地に坐って、雲閣(雲のうえびと)月卿(公家)を仰ぎ見るようであった。そして十方の世界から釈尊の説法を讃歎するために集い来った釈尊の分身仏たちは大地の上に身を置いておられた。(それは、虚空会上において多宝塔中の釈尊・多宝如来のもとに多くの菩薩・諸尊などが集った本時の浄土である娑婆世界に対して)迹仏が迹土にいる姿を表わしているのである。
[52]このような本尊は、釈尊一代の説法五十数年の間にも、ほかに例を見ないところであって、ただ法華経が説かれた八年間のうち、しかもその中でも従地涌出品第十五から属累品第二十二まで(すなわち虚空会の後半)の間に集中して説かれた姿なのである。そして釈尊入滅後、正法一千年・像法一千年の計二千年の間には、迦葉尊者・阿難尊者を左右に脇士として従える小乗の教主釈尊を本尊として仰ぐ者、あるいは文殊(師利)菩薩・普賢菩薩を左右に脇士として従える権大乗ならびに涅槃経の釈尊を本尊とする者、法華経の迹門などの教主である釈尊を本尊として仰ぐ者もあった。(このように釈尊を本尊と仰ぎながら)あるいは小乗経典を説く釈尊として、あるいは権大乗経などを説く釈尊として、木像に造り上げたり、画像に描いたりすることは盛んに行なわれたが、いまだかつて如来寿量品で明らかにされた久遠実成の教主釈尊が造立されたことはなかった。そして今、末法という予告された時代に入り込んで、はじめてこの久遠実成の教主釈尊の「すがた」が現わし出される時機に至ったのであろうか。
〔第六章〕 末法に弘められねばならない法華経
[53]〔第二十一番問答〕問うていう。正法・像法あわせて二千年の間に出た四依の菩薩(それぞれの機根に応じて導く菩薩)ならびに学僧たちは、釈尊以外の(阿弥陀如来・大日如来・薬師如来などの)仏や、そして小乗経・権大乗経・法華経以前の経典・法華経の迹門を説く釈尊などを本尊として奉安する寺院や仏塔を建立する者はあったが、法華経本門の如来寿量品を説く釈尊を本尊とし、上行菩薩らの本化の四大菩薩が脇士として付き随うすがたを、インド・中国・日本の三国のいかなる国王も臣下も、誰一人として崇め尊んだ者はいなかったということを申される。その内容のあらましは聞いたが、しかし前代未聞の教えであるので、耳や目を驚かすばかりか、非常に心が迷わされてしまう。だからもう一度くわしく説き明かしていただきたい。是非ともくわしくお聞きしたいところである。
[54]答えていう。(くわしく本門寿量の教主釈尊について述べるためには、その本尊が釈尊一代五十年の経典のなかでどのような理論的根拠を持つのか、なぜそのようなことが説かれるのか、また本門寿量の本尊はどの時代に弘められねばならないのか、などについて順序立てて述べねばならない。そこでまず、それら経典の位置づけから明らかにしよう。)法華経の全体は八巻に編まれ、二十八品から成り立っており、法華経(醍醐味)以前には乳味(華厳経)・酪味(阿含経)・生蘇味(方等経典)・熟蘇味(般若経)という(牛乳の精製品を五味に喩えて経典を位置づける中の)前の四味(五時のうち第一時から第四時までの諸経)が説かれており、法華経以後には涅槃経などが説かれるが、それら釈尊一代五十年間に説かれた諸経典は、総括すれば一つの体系をなす経典である。すなわち、始めブッダガヤで成道の直後に説かれた華厳経から(阿含経、方等部諸経典、そして)般若経までは序分になる。無量義経・法華経・普賢経(の法華三部経)合計十巻は正宗分にあたる。そして涅槃経などは流通分になる(以上を一代三段とよぶ)。
[55]次に(一代三段の)正宗分の十巻の中でもまた序分・正宗分・流通分に分けられる。すなわち、法華経の開経である無量義経と法華経の序品は序分に相当する。法華経方便品第二から分別功徳品第十七の十九行の偈までの前半に至る十五品半は正宗分に相当する。分別功徳品の現在の四信を説く後半より、普賢菩薩勧発品第二十八までの十一品半と、さらに法華経の結経である普賢菩薩行法経一巻とは流通分に相当する(これを十巻三段という)。
[56]さらにまた法華経と無量義経・普賢経とを含めて十巻について迹門と本門との二門に分けられる。二門のそれぞれが序分・正宗分・流通分を具えている。その分科について、(まず迹門について言うと)無量義経と序品第一とは序分に、方便品第二から授学無学人記品第九に至るまでの八品は正宗分に、法師品第十から安楽行品第十四までの五品は流通分に当たる。ここまでの迹門を説いた教主を論じるならば、(まだ久遠実成の釈尊であることを明らかにしないから)ブッダガヤの菩提樹の下で始めて正覚を成じたとされる始成正覚の仏であって、その説法の内容はかつて明らかにされたことのない百界・千如具足の法門であり、法師品に示されるように、已に説き(法華経以前の諸経典)、今説き(無量義経)、当に説くであろう(涅槃経等)諸経典に超過した仏の随自意(ありのままの心)に基づく信じがたく理解しがたい正法なのである。(このような迹門の教えについて)釈尊が衆生を導くために結んだ過去のゆかりをさかのぼって求めると、(化城喩品に説かれるように)釈尊が、大通智勝仏がまだ国王であった時の十六人の王子の末の王子として生を享けた時、(衆生を導くことを菩薩として発願して)衆生に仏のさとりの仏種を植えつけたのであった。その後、華厳経をはじめとして阿含経・方等部諸経典・般若経という、すなわち五味のうち乳味・酪味・生蘇味・熟蘇味という前四味の説法を助縁として、今述べた大通智勝如来の示す仏種を悟り知らしめたのである。しかし、まだ釈尊の真意を明らかにするには至らない。言うならば、法華経の開顕を待つことなく、あたかも毒が発して煩悩の身を滅し、解脱を得るように、法華経の成仏を得た少数の例にすぎない。声聞乗・縁覚乗の二乗や凡夫などは、このような前四味の説法を助縁としてだんだんにその機根を調え、法華経の説法の場に至って過去の下種が実を結ぶように開き顕わすことを実現する機根なのである。また、釈尊が霊鷲山で法を説いた時、初めて迹門の八品を聞いた人間や天人たちは、ある者は一句・一偈を聞いて下種の利益を得る順機もある。ある者は過去に下種された仏種をよく調え、ある者は過去に受けた下種によって解脱を達成し、ある者は(法華経の結経である)普賢経、さらに涅槃経などの説法を聞くに至って成熟したり、解脱の益を得るのである。これに遅速があって、ある者は釈尊入滅後の正法・像法・末法などの時代になってから小乗経や権大乗経の教えを助縁として法華経のさとりに入るものもある。それはあたかも前に述べたように、釈尊の在世に五味のうちの醍醐味以前(つまり法華経以前の経典)の教えをそれぞれに受けて解脱を得た者と同様である(これを迹門三段という)。
[57]また本門十四品を一経として取り上げると、そこに序分・正宗分・流通分がある。すなわち、従地涌出品の前半品を序分とし、その後半と如来寿量品の一品、ならびに分別功徳品の前半までの、寿量品の一品と涌出品の後半と分別功徳品の前半という二つの半品とを正宗分とする。以下、分別功徳品の後半から普賢菩薩勧発品に至る十一品半と観普賢経一巻とは、流通分になる。その本門の教えを説く教主釈尊は、もはやただ単にブッダガヤの菩提樹の下で始めて正覚を成じた始成正覚の釈尊ではなく実には久遠実成の教主釈尊であることが明らかにされ、したがって本門で説かれた法門の内容も、それ以前の迹門や、まして法華経以前の諸経とは天と地のような大きな隔たりがある。すなわち、正報の十界が久遠常住であることが明らかにされただけでなく、依報の国土世間までが常住であることが明らかにされて、もはや竹の内側の薄い膜ほどの隔たりを残すのみで、一念三千の法門が明らかにされようとしている。また、迹門ならびに五味の中の四味、無量義経・涅槃経などの已説・今説・当説の三説は、このような本門の教主と本門の法門と比較すると、すべて随他意(凡夫らの受容能力に対応した方便の教え)、易信易解(難信難解の真実に至らない教え)と非難された。これに対して本門の説示は、已説・今説・当説の三説を超過したものであり、難信難解(非常に信奉することが困難で)、随自意(釈尊の本意の教え)であることが説かれているのである(以上、本門三段)。
[58]また本門において、(今述べた二経六段の中の、〔文上の本門三段〕ではなく、さらに一歩を進めた〔文底の観心三段〕があり)序分・正宗分・流通分がある。すなわち迹門において化道の根本となる過去三千塵点劫の時の大通智勝仏の法華経、大通智勝仏以後、今の釈尊に至るまでの一切の経々。釈尊がインドに応現され、ブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開き、直ちに示された華厳経、そして阿含経・方等部諸経典・般若経、法華経迹門の十四品、涅槃経など釈尊御一代に説かれた多くの経典、そしてさらに空間的には十方の、時間的には過去世・現在世・未来世という三世にわたってのもろもろの仏たちが説かれた微塵にも喩えられる数多くの経典——これらすべての経典は法華経の寿量文底の大法(久遠釈尊の内証の法門である妙法蓮華経の五字)の序分なのである。つまり、如来寿量品第十六の一品を中心として、その前後の従地涌出品第十五の後半と分別功徳品第十七の前半との二半(いわゆる一品二半)以外はすべて、久遠本法の大教とは異なる小乗教であり、如来如実の正見ではない邪見教であり、久遠実成の因果を成就しない未得道教であり、久遠本覚を開顕しない覆相教(釈尊の真実の世界を覆いかくしている教え)である。したがってそれらの教えを受けた機根は仏の下種を忘失した徳薄き者、垢重く根本の無明から抜け出せない者、久遠釈尊こそ真の父であることを知らない幼稚の者、久遠釈尊の御意を知らない心の貧しい者、仏の久遠を知らず頼りになる人とてない<傍>みなしご傍>であって、結局は久遠釈尊が父であることを知らず鳥や獣のように道理をわきまえない者なのである。(今まで述べてきたように)法華経以前の経典や法華経の迹門の中に説かれた円教(円満な教え)ですら成仏の正因とはならないことは明らかである。だから、大日経など、(前述した意味で)小乗教と一括りにされる経典や、ましていわんや華厳宗・真言宗などの七宗などを伝えたインドの論師や中国・日本の人師が自己の見解によって立てた宗旨については言うまでもない。最大限にその内容を容認しようとしても、四教の中の蔵教・通教・別教の内容を出ることはなく円教が内包されていることを認めることはできない。きびしくいえば蔵教・通教にとどまるのである。また、たとえそれぞれの段階で甚だ深い教えだと言ったとしても、いまだ下種・成熟・脱益の三益について論ずるところがないから、かえって小乗が求めた灰身滅智(煩悩を断とうとするあまり心の働きまで否定してしまう)ということと同じような結果になってしまう。三種教相の第二に「法華経以前には釈尊の化導が一貫しているという全容を明らかにしていない」とあるのは、このようにまだ過去の下種を明らかにするには至っていないということである。たとえば、高貴な王女であっても<傍>けだもの傍>の子を宿したとすれば、その子は人として尊重されないようなものである。これらについてはしばらくおくこととしよう。
[59]法華経の迹門十四品の正宗分の八品(方便品第二から授学無学人記品第九まで)はひとまずこれを見ると、声聞乗・縁覚乗の二乗を中心として法を説き、菩薩や凡夫をかたわらに置いている。しかし、もう一度考えなおしてみると、実際は凡夫——それも釈尊入滅後、正法・像法・末法の——をまさしく対象としている。さらに正法・像法・末法の三時の中でも末法の初めをもっとも中心の対象としているのである(本法三段)。
[60]〔第二十二番問答〕問う。それならばその証拠はどこに示されているのか。答えていう。(迹門流通分の)法師品第十では「この法華経を説けば、釈尊が説法なさっている在世ですらうらみやねたみが激しいのであるから、まして釈尊入滅後にはさまざまな法難が待ち受けている」と説かれ、見宝塔品第十一では「(多宝如来・十方分身諸仏は、この法華経が真実の教えであることを証明・讃歎し、それによって)法華経の教えが未来永劫にわたって人々を照らしつづけるように今この法華経が説かれる会座に来至された。……(誰か我れ釈尊の入滅の後にこの経を弘通することを誓いなさい。)多宝如来と十方から来れる釈尊の分身の化仏は、まさにこの深きいわれを説く法華経の教えを永えにこの娑婆世界にあらしめようとする意を知りなさい」と説かれる。(これらによってこの法華経が釈尊入滅後に向かって説かれていることを知るであろう。)さらに勧持品第十三・安楽行品第十四などに、同様の経文が見られる。迹門にさえこのように説かれているのである。
[61]そうして、さらに本門について論ずるならば、ひたすら末法の初めの人々を対象の中心としているのである。つまり、ひとまずこれを見ると、久遠の過去に仏種を下したことを「下種」とし、その後、三千塵点劫の過去の大通智勝仏の第十六王子の釈迦菩薩の法華経説法を経て、今、釈尊の御一代五十年の説法のうち法華経以前の四十二年間の諸経典、それに法華経の迹門——これを「成熟」の利益を与えるものとし、そしてついに法華経の本門に至って等覚・妙覚の最高のさとりを得さしめたのである(脱益)、ということになる。ところが再びこれを見ると、迹門の見方とはまったく違うのであって、本門の教えは序分・正宗分・流通分の三段がそれぞれ末法の初めのために説かれているのである。釈尊が霊鷲山で説かれた法華経の本門の教えと末法の初めに弘まるべき本門の教えとは同じように純円の(完全に円満な)教えである。ただ前者の釈尊在世の本門は「脱」の教えである——解脱を得させる教えであるのに対して、後者の末法の初めの本門の法華経は「下種」の教えなのである。(別な表現でいえば)前者は従地涌出品第十五の後半・如来寿量品第十六の一品・分別功徳品第十七の前半に集約された教えであるのに対して、後者は、ただひたすら南無妙法蓮華経の<傍>五字傍>を受けたもつ教えなのである。
[62]〔第二十三番問答〕問うていう。(法華経の本門は、序分・正宗分・流通分の三段のそれぞれが皆、ひたすら末法をめざしているという)その証拠の経文はあるのか。答えていう。法華経の従地涌出品第十五には次のように説かれている——「その時に、他方の国土からお出でになった八恒河沙どころかもっと多くのもろもろの菩薩が、人々の中より立ち上がって合掌し、礼拝をして仏陀に申されるのには、『世間・出世間にわたって尊敬される仏陀よ、もし釈尊ご入滅後、この娑婆世界で一生懸命につとめ励んで、この法華経を護持し、読誦し、書写し、供養しようとすることをお許しになるならば、私たちはまさにこの現実の国土(娑婆世界)で広くこの教えを説きましょう』と。するとその時、釈尊は、それら多くの菩薩たちに語り聞かせて、『やめなさい、善男子よ、汝等がこの法華経を護持する必要はない』と押しとどめられているのである」と。
[63]これは、法師品第十から見宝塔品第十一、提婆達多品第十二、勧持品第十三、安楽行品第十四まで(迹門流通分)の五品の経文に継続して釈尊入滅後の弘経を勧募してきたのと、まったく水と火のように相違した内容である。というのは、見宝塔品第十一のなかで「大音声で釈尊が広く比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆に告げられた——『誰か困難を押しきってこの娑婆世界に広く妙法蓮華経の教えを説く者はいないのか』」と。たとえ、教主釈尊お一人のお言葉であっても、薬王菩薩らの大菩薩や、大梵天王・帝釈天王・日天・月天、それに四天王たちはこれを尊重するであろう上に、さらに東方の世界から法華経を真実の経典として証明するために出現された多宝如来や、また讃歎するために出現された十方分身諸仏が、客仏となって釈尊の勧募を助け、この娑婆世界で法華経を説き弘めるよう大衆を諫め暁されたのである。八十万億那由佗の菩薩たちはこうした丁重な法の付与・嘱託を聞いて、「我れ身命を愛せず、ただ無上道を惜しむ」と勧持品で誓願を表明し、ひたすら釈尊の御意思に応えようとした。それなのに瞬時の間に釈尊のお言葉は一転して、ガンジス河の砂の八倍を超えるほど多くの菩薩たちがせっかく釈尊入滅後に法華経を弘めることを願い出たにもかかわらず、「止みね、善男子、汝等がこの法華経を護持する願いをとりあげることはできない」と押しとどめられたのである。制止された菩薩たちは釈尊のお心を理解することに窮してしまい、凡人の智慧では理解できないことであった。天台智者大師智顗は「前三・後三の六釈」——つまり、八恒河沙以上の他方の菩薩が釈尊入滅後に法華経を弘めることを制止された三つの義(これを前三とする)、そして地涌の菩薩の出現を待つ三つの義(後三とする)を立て、合わせて六つの意義をもって経文を解釈している。そこで述べることは、結局、迹門の教化を受けた菩薩、他方の国土から来た大菩薩らには、我れ釈尊の内証(内心の高いさとり)の如来寿量品の教えを授与することはできないということである。つまり末法のはじめは正法(仏法)を誹謗する国であり、悪逆の機根が充満しているから、これに対応することのできない迹化の菩薩の発誓を押しとどめ、本化地涌の千世界の大いなる菩薩たちを召し出して、如来寿量品に説かれた重要な教えである妙法蓮華経の五字を、一閻浮提(世界中)の衆生に授生せしめる大切な役目を仰せつけられたのである。また、迹化の人々は釈尊の最初発心してからの弟子ではないこともその理由である。そのことを天台大師は法華文句に「この本化の菩薩たちは我れ釈尊の久遠からの弟子であって、我が法を弘めることであろう」といい、妙楽大師は法華文句記に「薬に中毒した子供たちが良医である父の調剤した薬を飲んで本復したように、久遠の弟子が久遠の仏陀の教えを弘めることは、世界悉檀の利益(世間の欲するところに応じて法を説き歓喜の益を与える。四悉檀の一)をもたらすであろう」といい、さらに道暹は法華天台文句輔正記に「法が久成の法なのであるから、久遠の弟子にこれを弘めるよう仰せつけられたのである」と解釈している。
[64]また本門の正宗分に入って、弥勒菩薩が「地涌の菩薩たちは久遠の弟子である」と仏陀が説くのを聞いて、その真意を確かめようとして、「われらはまた、仏陀が適切に説かれる法門や、仏陀が語り示される言葉が虚妄であるなどと思ったこともなく、仏陀がお示し下さるところは、われわれはすべてよく通じていると信じていますが、しかし、今あらたに発心した修行歴の浅いさまざまな菩薩たちが、仏陀入滅後に今お聞きした内容をもし聞いたならば、ある者はこれを信じ受けることがなく、仏法を破る罪深き因縁を起こすかもしれません。ただ願うところは、そのことをおもんばかり、われわれに解説してください。(未来にわたるまで)われわれの疑いをなくさせてください。そしてまた、未来世のもろもろの善男子も、この開顕を聞いて、また疑いを生じないでしょう」と申し上げた。この経文の意味は、〝如来寿量品の法門は、釈尊入滅後の人々の教化のために説くことを要請された〟ということである。
[65]如来寿量品に「(毒薬を飲んで)本心を失った者、また失わない者がいた。……そうした中で心を失わなかった者はこの良薬の色と香りがよろしいのを見て、これを飲んだところ、たちまちのうちに病いはすべて除かれて平癒した」と説かれている。これは如来寿量品に説かれるように「久遠の過去に仏種を下種された者」、迹門の化城喩品第七で示されるように「大通智勝仏の時代に仏法に縁を結ばれた者」、さらにはインドのブッダガヤで始成正覚を示されてから御一代五十年に及ぶ説教の中で、法華経以前の華厳経・阿含経・方等部諸経典・般若経という四段階や、法華経の迹門(前半部)等で教えを受けたすべての菩薩、声聞乗・縁覚乗の二乗、人天等が、法華経の本門(後半部)において得道することを意味している。また、同じ如来寿量品に次のように説く。「父の良薬を飲んで本復した者以外で、まだ心を失ったままになっている者は、父が(他国から帰って)来たのを見て、また歓喜し、問いたずねて病気がなおることを望んだけれども、それにこたえて父があたえた良薬を彼らは飲もうとはしなかった。なぜかといえば、人を害する気が深く入り込んでしまって、本心を失っていたために、この色や香りが素晴らしい薬を、彼らは飲もうとしなかった」。「さらに父は方便をもうけてこの良薬を子供たちに飲ませようと考えた。そこで『この素晴らしい、よく効く薬を今ここに置いていく。君たち自ら手に取って飲むがよい。決してもとどおりに本復しないなどと心に案じることはない』と、良医はこのように教え、さらにまた他の国に行って、そこから使者を手配して、自分の死を伝えさせたのである」と。次いで分別功徳品第十七には「悪世の末法の時」と説かれている。
〔第七章〕 末法に法華経を伝える師とは
[66]〔第二十四番問答〕問うていう。今の経文で「使いを遣わして還って告ぐ」というのはどのようなことを意味するのか。答えていう。釈尊入滅後の四依の導師について説いているのである。四依には、初依・二依・三依・四依という四段階があり、衆生が依り所とする導師のことである。第一に小乗仏教の四依は、多く釈尊入滅後、正法一千年の中の前半五百年に出現する。第二に大乗仏教の四依は、多く正法一千年の後半五百年に出現する。第三に法華経に入って前半の迹門の四依は多く釈尊入滅後、正法一千年の後の像法一千年と、さらにわずかにその後、末法の初めに出現する。第四に法華経の後半、本門の四依とは地涌千界の菩薩であって、末法の初めに必ず出現するであろう。このように、今の経文の「使いを遣わして還って告ぐ」というのは地涌の菩薩を指すのである。そして「この好き良薬」という経文は、如来寿量品の肝要であり、名玄義(名が持つ深い意義)・体玄義・宗玄義・用玄義・教玄義を具備している南無妙法蓮華経を意味している。このような素晴らしい衆生救済の良薬を、釈尊は迹化の菩薩には授与なさらなかった。まして他方の世界から参集した菩薩に授与することはなかった。
[67]ところが本門の流通分に入って如来神力品第二十一には「そのときに本化地涌千世界の数多くの菩薩たちが大地から涌き出るように出現して、皆釈尊の前で一心に合掌し、釈尊の尊いお貎を仰ぎ見て申し上げた。『世尊、われわれは釈尊のご入滅後、釈尊の分身がまします国土、ご入滅なさったこの娑婆世界で、まさに広くこの妙法蓮華経を説きましょう』と」。天台大師はこの経文について法華文句に「ただ本化の菩薩が誓いを述べるだけであって、迹化の菩薩や他方の菩薩の発誓を見ることはない」と述べ、また道暹は「付属ということは、この妙法蓮華経の弘教を下方から涌出した菩薩だけに委嘱した。なぜそのようにしたのであろうか。それは『法が久遠実成の法であるから、久遠の本弟子に付属するのである』」と述べている。
[68]そもそも、文殊師利菩薩は東方の金色世界の不動仏の弟子であり、観世音菩薩は西方の安養世界の阿弥陀仏の弟子であり、また薬王菩薩は日月浄明徳仏の弟子であり、普賢菩薩は宝威徳浄王仏の弟子である。これらの菩薩たちはひとまず釈尊の教導を扶助するためにわれわれの住む娑婆世界においでになった(とりたててこの娑婆世界に深い縁由があるわけではない)。だから法華経が説法される前の経典や、法華経迹門に現われる他方世界の菩薩にすぎない。これらの菩薩たちは、もともと(久遠の)<傍>本法傍>を伝え持つ役割の方々ではないから、末法に法華経を弘め伝える任務には堪えることができない方々なのである。
[69]それに対して法華経の如来神力品には「その時に世に尊ばれる釈尊が(文殊師利など無数の古くからこの娑婆世界に住む菩薩たちをはじめとして……)すべての聴衆の前で大いなる神通力を現わされた。すなわち、釈尊は広く長い舌を天上高く梵世にまで届かせたり、(身体中の毛孔から無量無数の色の光を放って、遍ねく十方の世界を照らし出し)あらゆる菩提樹の下の金剛宝座の上にまします諸仏も広く長い舌を現わして無量の光を放たれた」と説く。
[70]そもそも、すべての仏教のなかで、顕教・密教にかかわらずあらゆる大乗経典・小乗経典の中で、この法華経如来神力品に説かれたように、釈尊と十方分身諸仏とが並び坐り(法華経が真実であることを証明したり)、舌相が梵天にまで到達する様相を現わして、(法が未来に付嘱されることを説いた)経文はいまだかつてなかった。阿弥陀経で六方の諸仏が広長舌を出して三千大千世界を覆ったと説くが、それは表現だけで実体がない。般若経でも釈尊が広長舌を出して三千大千世界を覆い、その舌から光明を放って般若経を説いたというが、それも般若経を讃える証明にとどまるのであって、法華経の説述のように本当の意味で真実なること、絶対なることの証明とはなり得ない。これは(一代五時八教の説によって理解できるように)法華経以前の諸経典が兼(円教に別教を兼ねる)、但(ただ小乗三蔵教のみ)、対(蔵教と通・別・円の三教とを対説する)、帯(円教に通教・別教を帯びる)という教えであって(真実に円教を説くものではなく)釈尊が久遠の仏陀であり、教えもまた久遠の教えであることが明らかにされていないためである。
[71]釈尊はこのようにして十の神通力を現わした後、大地から涌出した久遠の弟子たちに妙法蓮華経の五字を付託したのである。すなわち如来神力品第二十一には「その時、釈尊は上行菩薩をはじめとする地涌の菩薩大衆に告げられた。『諸仏の神通力というものはこのようにはかり知ることができないほど不可思議なのである。しかも、もし我れ釈尊がこのように神通力によって無量にして無辺なる百千万億の阿僧祇劫という思慮を絶する期間、この法を付託するために、法華経の功徳を説いたとしても、到底説きつくすことはできない。要点をかいつまんで言うならば、真理を体現している仏陀(如来)すべての法、如来のすべての自在なる神通力、如来がすべて秘要として蔵されている法、如来のすべてのはなはだ深い世界——これらは皆、法華経においてあきらかに説き示されたのである』」と説かれる。この経文について天台大師智顗は法華文句に「『その時、釈尊は上行菩薩をはじめとする地涌の菩薩大衆に告げられた』以下は、第三に肝要な法を結集して(末代のために)付嘱することを明らかにしたのである」と注釈を加え、伝教大師最澄は「如来神力品に『要点をつかんで言うならば、如来のすべて体現されている法……これらは皆、法華経において明らかに宣べ示された』とあるのは、如来の久遠のさとり(果分)をすべて体現されている法、久遠のさとりとしてのすべての自在なる神通力、久遠のさとりのすべてを秘要として蔵されている法、すべての久遠のさとりのはなはだ深い世界——これらが皆、法華経において明らかに説き示されている」と注釈している。
[72]如来神力品に示される十神力は、妙法蓮華経という五字を上行菩薩・安立行菩薩・浄行菩薩・無辺行菩薩という地涌の菩薩がたを代表する四大菩薩に授け与えることを説くものである。(さらにいえば)前半の五神力は釈尊がインドにお出ましになった時の人々のためであり、後半の五神力は釈尊入滅後の世の人々のために現わされたものとされるが、しかしながら、再度吟味するならば、前半の五神力、後半の五神力ともにすべて釈尊入滅後のために現わされたものである。だからこそ今掲げた経文につづいて「釈尊の入滅なさった後に、一心にこの法華経を護持することに対して、諸仏は皆大いに歓喜して無量の神通力を現わされたのである」と説き、さらに次章の嘱累品第二十二には「その時、釈迦牟尼仏(釈尊)が説法の座からお立ちになって大いなる神通力を現わされた。そして右の手でそこに来集した無量の菩薩たちの頭の頂をなでて『(我れ釈尊がはかり知れない長い間にわたって修習した、体得することが困難な法を)今、あなた方に付嘱する』」と説いた。このように、地涌の菩薩たちを先頭にして、次いで迹化の菩薩、他の世界から来た菩薩、さらには大梵天王や帝釈天や四天王などに法華経を嘱累されたのである。(このようにして法華経説法の目的である釈尊の入滅後の末法への付嘱の儀式が整ったので)「十方の世界から来集した釈尊の分身の仏陀がたは、それぞれの本土にお還りになった。そして多宝如来がまします多宝塔も、出現したとき(見宝塔品)のように扉を閉じるように」といわれたのである(これを聞いて一同は大いに歓喜したと説かれる)。さらに、薬王菩薩本事品第二十三以下、普賢菩薩勧発品第二十八までの説法(また観普賢菩薩行法経)そして涅槃経などは、本化地涌が付嘱を受けるという大役を果たして去られた後に、そこに残った迹化の菩薩、他方の世界から来た菩薩たちのために、もう一度この法華経を付嘱して、それぞれ未来に伝え弘めるよう命じたのである。これを、付嘱から漏れた者に、あらためて付嘱を遺すというのである。
〔第八章〕 末法衆生の救済はどのように約束されているのか
[73]〔第二十五番問答〕疑っていう。釈尊入滅後、正法一千年・像法一千年(計二千年)に至るまでの間に(法華経の如来神力品に予言された)釈尊の本弟子である地涌千界の菩薩たちがわれわれの住む世界に出現して、この法華経を世間に広く宣べ伝えたことがあるだろうか。答えていう。そのように出現したことも、宣べ伝えたこともない。
[74]〔第二十六番問答〕それは大変な驚きであるとして、次のようにいう。法華経、特にその本門の教えは、明らかに釈尊入滅後に宣べ伝えることを根本の課題としているのであって、そのためにまず地涌千界の菩薩に授け与えたのである。それなのに、どうして正法・像法の時代に出現して法華経を弘めなかったのであろうか(いかにも疑問とするところである)。答えていうには、そのことについては宣べない、と。
[75]〔第二十七番問答〕さらに重ねて問うていう。それはどうしてなのか。答える。そのことは述べない、と。
[76]〔第二十八番問答〕またそのうえに重ねて問う。いったいどうして述べないのか。答えていう。このことについて述べるならば、(常不軽菩薩品に説かれるように)かつて威音王仏の入滅後、末法の時代に、増上慢(思いあがり)の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆が不軽菩薩をののしったり妨害したりして謗法の罪を犯し、そのため大地獄の苦しみを招いたと同様な結果にすべて世間の人々がなることを恐れるのである。また日蓮の弟子たちの中にも、本門法華経の弘通の必然をおおよそのところ説くのを聞いただけで、皆、誹謗することであろう。(それを恐れるから)だまって口をつぐむ以外に方法がない。
[77]〔第二十九問答〕求めていう。もし、知っていながらそれを説かないのならば、法門を説くことを惜しむ慳貪という罪に堕ちることになろう。答えていう。(そのように言われると)進むことも退くこともできず途方にくれてしまう。試みにおおよそのことを説くことにしよう。法師品には「法華経は釈尊の在世にすら、弘めようとして法難を受けられた。まして入滅後に法華経を弘めることはもっと多くの怨嫉をこうむる。しかし法華経は真実この上ない教えであるから、さまざまな法難を耐え忍んで法華経を未来に流布しなければならない」と説かれている。如来寿量品第十六には「(この素晴らしい良薬を)今留めてこのところに置いておく(子供たちよ、服用しなさい)」といい、分別功徳品第十七には「悪世末法の時に(よくこの経典を護持する者は……諸の供養を具足するのである)」といい、薬王菩薩本事品第二十三には「(如来の滅度の)後の五百歳の中で、閻浮提(この世界)に広宣流布するであろう」といい、涅槃経梵行品には「たとえば七人の子供がいるとする。父母の愛情は平等であるが、病に悩む子があれば、その子に対して心がもっぱら重点的に向けられるようなものである」と説く。これまでに挙げた曇りのない(経典という)鏡によって釈尊の御心を推察申し上げると、釈尊がこの世にお出ましになったのは、霊鷲山において法華経を説いた八年間の多くの聞法者(説法を受けた人々)のためではない。(そうではなくて)まさに釈尊が入滅した後の正法一千年・像法一千年・末法万年の人々のためなのである。また、さらにつきつめて言えば、正法時・像法時の二千年間の人々のためというよりも、末法の初めの私のような者のためである。前掲の「(七人の子供があっても)病に悩む子に対して心がもっぱら重点的に向けられる」という涅槃経の経文の意味は、釈尊入滅後に法華経を誹謗する者を指すのである。「(この素晴らしい良薬を)今留めてこのところに置く」という如来寿量品の経文は「(せっかく良医なる父が留め置いた)この素晴らしい色や香りをもつ薬をはっきり認識できないでいる」という状態を意味している(つまり、せっかく釈尊が遺された妙法蓮華経の教えの琴線にふれようとしない末代の凡夫を意味している)。
[78](こう考えてみると)地涌千界の菩薩たちが釈尊滅後、正法や像法の時代に出現しなかったわけは、正法一千年間は小乗の教え・権大乗の教えが伝えられる時代である。対<傍>機傍>説法の意味においても、<傍>時傍>との照合の意味においても、条件が調わない。初依・二依・三依・四依の大菩薩たちが小乗教や権教(真理を説くに至らぬ経典)を説き、これを縁として、かつて釈尊在世の折に下された仏種を成熟して人々に解脱を得さしめた。もしこの時にこの人々に対して法華経を説いたとしても、誹謗する者が多くて、せっかく下種した仏種が成熟することができないので説かなかったのである。たとえば、釈尊在世の一代五十余年の五段階にわたる説教のうち、はじめから第四段階までは機根を調える期間であったから法華経が説かれなかったのと同じである。像法一千年の中末に観世音菩薩が南岳大師慧思として示現し、薬王菩薩が天台大師智顗として示現して法華経を弘め、迹門を表とし、本門を裏として百界千如・一念三千の実義を究めたのだが、ただそれは理具・理行の法門を論じるのにとどまって、事具・事行の南無妙法蓮華経の五字、および本門の本尊については、いまだ広くこれを自行・化他にわたって行じることはなかった。つまりこれは、たとえ本門の教えを一心に聞く円満な機根があったとしても、時代社会そのものが円教(完全な教え)である本門の教えを明らかにするに充分に適合した時ではなかったためである。
[79]それに対して、今は末法の初めにあたり、小乗の教えが大乗の教えを打倒し、方便の教えが真実の教えを破り、東を西と、西を東といって東西の両方を見失い、天と地とがさかさまに認識されるような世の中である。このような状態の中で、法華経の迹門の教えを弘める四依の導師はもはやその力が及ばないから、隠れたままで出現することはない。また諸天善神もそのような状態に陥ってしまった国を見捨てて、守護することはない。こうした時に釈尊の本弟子である本化地涌の菩薩が初めて世に出現し、ひたすら妙法蓮華経の五字(末法の良薬)をいとけない凡愚の衆生に服用させようとするのである(それに対して反逆し、誹謗する多くの者は重い罪を犯すが、後にそれは救いを受ける縁を結ぶこととなる)。つまり妙楽大師湛然が法華文句記において、「法華経という正法を誹謗した罪によって地獄に堕ちた者は、それによって逆縁に結ばれ、かならず後に利益を受ける」と論じたのはこのことである。
[80]日蓮の弟子たちよ、本化地涌の菩薩の出現の意味をよく嚙みしめよ。地涌千界の菩薩は教主釈尊の初発心して以来の弟子なのである。けれどもこの地涌の菩薩たちは、釈尊が菩提樹の下で成道した直後の華厳経説法の道場にも来なかったし、涅槃の直前に沙羅双樹林で涅槃経が説かれた時にも訪れることがなかった。このように釈尊の成道の時にも涅槃の時にも訪れなかったので不孝だと非難されても仕方がない行動があった。また法華経の迹門の十四品が説かれた間にも説法の場にも現われることがなかった。本門十四品のうち(虚空会での説法が終わった後)薬王菩薩本事品第二十三以降、普賢菩薩勧発品第二十八までの六品の間は説法の場から立ち去ってしまって、ただ法華経のうちでも、従地涌出品第十五から嘱累品第二十二までのわずか八品の間にだけ来り、そして還っているのである。このような高貴な大菩薩が、教主釈尊、証明仏の多宝如来、十方から法華経を讃歎するために来集した分身仏という三仏がうち揃った場で、末法に法華経の救いを弘め伝えることを約束し、これを受持したのである。であれば、末法の初めに出現しないはずはない。まさに知るがよい。地涌の菩薩たちの首導である上行・無辺行・浄行・安立行の四大菩薩は、折伏を表にして法華経を弘める時には、世間の賢い国王の姿で愚かな国王を誡め、摂受を表とする時には、出世間の僧の姿で正法を受持し弘めるのである。
[81]〔第三十番問答〕問うていう。このようなことを、釈尊は法華経に未来記としてどのように予言しているのか。答えていう。薬王菩薩本事品第二十三に「(法華経は)後の五百歳(すなわち末法に入って初めの五百年の間)にこの世界で広く宣べ伝えられ流布するであろう」と説かれる。天台大師は法華文句に「法華経は後の五百歳に南閻浮提(われわれの住む世界)に伝えられ、人々を妙なる道に導き感激を与えるであろう」と解釈し、妙楽大師は天台の解釈について法華文句に「末法の初めにも法華経が知らず識らずの間に与える利益がある」と解釈し、伝教大師最澄は「正法・像法の時代はほぼ過ぎおわっていよいよ末法に近づいている」という。ここに「いよいよ末法に近づいている」と解釈するのは、伝教大師が自分の時代はまだ法華経の真髄が流布すべき時代にはなっていないという意味なのである。伝教大師は法華秀句に、日本における末法の初めを予言して「今や時代を語れば像法の終わり、末法の初めであり、国土の位置を考察すれば唐の東、また羯の西にあたり、人々の状態を尋ねれば五濁にまみれた人生であり、闘争に明け暮れる時代である。法華経の法師品第十を見よ。『法華経を説けば釈尊の在世ですら、なお怨嫉や迫害が多いのであるから、まして釈尊の入滅後においては迫害が多いのは言うまでもない』と説かれているではないか。この言葉には実に意味がある」と述べている。この解釈に「闘争に明け暮れる時代」というのは、今直面している自界叛逆(国の内乱)と、日本の西海へ蒙古が攻撃をかけて来る他国侵逼の二つの国難を指している。
[82]まさにこの闘諍堅固の時代に、本化地涌千界の菩薩が出現し、本門の教主釈尊の左右に立つ脇士となって、世界第一の本尊がわが国に建てられるであろう。大インド・中国にもいまだかつてこのような御本尊は建立されなかったのである。ふりかえってみると、わが日本国においては斑鳩の時代に上宮聖徳太子が四天王寺を建立なさった。が、まだ時が整わなかったので、他方の西方極楽浄土におわし、娑婆世界の衆生にとっては無縁の阿弥陀仏を本尊とされた。その後、聖武天皇が東大寺を建立されたが、その本尊は華厳経の教主である盧遮那仏であって、まだ法華経の実義が明らかにされた本仏釈尊は顕わされなかった。その後、伝教大師に至ってほぼ法華経の真実義が明らかにされたが、しかしながら時がいまだ整わなかったから、東方の薬師如来を根本中堂一乗止観院の本尊として建立して、まだ法華経の本門の四菩薩を脇士とする本尊を明らかにしなかった。考えてみるまでもなく、結局、末法に法華経を弘めることを任された地涌の菩薩に譲り残したのである。この地涌の菩薩は釈尊からの使命の伝達を受けて、近く大地の下に待機しているのである。それゆえに、正法・像法の時代には出現しなかった。もし末法に入っても出現しないならば、地涌の菩薩は大妄語の菩薩となる。そうなっては釈尊・多宝如来・十方分身諸仏という三仏の未来記(予言)もまた、<傍>うたかた傍>と同様となってしまうこととなろう。
[83]これらのことどもを思い合わせると、正法・像法の時代にはなかった大地震・大彗星などが現われるのは、ただ単に金翅鳥や修羅や竜神などが変動したためではないのであって、もっぱら地涌の四大菩薩が出現せられるという瑞相(よい兆候)なのであろうか。天台大師は法華文句に「雨が激しく降るのを見て、それを降らす竜が大きいことを知り、蓮華の花が盛んに咲くのを見てその池が深くて肥沃であることを知ることができる」と述べ、妙楽大師はそれを承けて法華文句記に「智人はこれから起こることを予見し、蛇は自らが蛇であることを識る」と述べている。天が晴れれば地が非常に明るくなる。それと同様に法華経の真髄を識る者は、天変地夭などの世法(世間法)における出来事の由来の根本を知ることができるのである。
〔結び〕 末法衆生救済の確信
[84]「一念三千」の法門を識ることができない者に対しては、教主釈尊が大いなる慈非の手を差し伸べ、妙法蓮華経という五字のなかにこの珠をつつみ、末代のいとけなき凡愚の衆生の頸に懸けさせたもうたのである。四大菩薩がこの人を守護するゆえんは、中国古代において(周の武帝の臣下であった)太公望や周公旦が(幼い)成王(の臣下となって政務)を助け、商山に隠れ住んだ四人の白髪の賢者(東園公・綺里季・夏黄公・<CTS外字>&8CCB;CTS外字><コード表示>8CCBコード表示>里先生)が(漢の髙祖から譲位されて第二祖となった)幼い恵帝に仕えたのとまったく異なることがないのである。
[85]文永十年癸酉の歳(西暦<暦>一二七三暦>)<日>四月二十五日日>
[86]<人>日蓮これを註する人>