真言諸宗違目
書下し
真言諸宗違目
[1]<先>土木殿等人々御中先> <人>日蓮人>
[2]真言宗は天竺よりは、これなし。開元の始に善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等、天台大師の己証、一念三千の法門を盗んで大日経に入れ、これを立てて真言宗と号す。華厳宗は則天皇后の御宇にこれ始れり。澄観等天台の十乗の観法を盗んで華厳経に入れ、これを立てて華厳宗と号す。法相・三論は言うに足らず。禅宗は梁の世に達磨大師
楞
伽経等大乗の空の一分を以てせしなり。その学者等大慢を成じて教外別伝等と称し、一切経を蔑如するは天魔の所為なり。浄土宗の善導等、観経等を見て一分の慈悲を起し、摂地二論の人師に向て一向専修の宗義を立ておわんぬ。日本の法然これを誤り、天台真言等を以て雑行に入れ、末代不相応の思をなして、国中を誑惑して長夜に迷わしむ。これを明めし導師ただ日蓮一人なるのみ。
[3]涅槃経に云く、もし善比丘法を壊る者を見て置て呵嘖し駈遣し挙処せざれば、まさに知るべし、この人は仏法の中の怨なり等云云。灌頂章安大師云く、仏法を壊乱するは仏法の中の怨なり。無慈詐親するは即ちこれかれが怨なり。かれがために悪を除くは即ちこれかれが親なり等云云。法然が捨閉閣抛、禅家等が教外別伝、もし仏意に叶わずば、日蓮日本国の人のためには賢父なり・聖親なり。導師なり。これを言わざれば一切衆生のために、無慈詐親するは即ちかれがあだなり、の重禍脱れがたし。日蓮すでに日本国の王臣等のためには、かれがために悪を除くは即ちこれかれが親なり、に当れり。この国すでに三逆罪を犯す。天あにこれを罰せざらんや。
[4]涅槃経に云く、その時に世尊、地の少しの土を取りてこれを抓上に置きて迦葉に告げて言わく、この土多きや十方世界の地の土多きや。迦葉菩薩、仏に白して言さく、世尊抓上の土は十方の所有の土に比せざるなり。○四重禁を犯し、五逆罪を作り○一闡提と作り諸の善根を断じ、この経を信ぜざるは、十方界の所有の地土のごとし。○五逆を作らず○一闡提とならず。善根を断ぜずして、このごとき等の涅槃経典を信ずるは、抓上の土のごとし等云云。経文のごとくんば、当世日本国は十方の地土のごとく、日蓮は抓上の土のごとし。
[5]法華経に云く、諸の無智の人ありて悪口罵詈等す云云。法滅尽経に云く、われ般泥洹の後、五逆濁世魔道興盛なり。魔沙門と作てわが道を壊乱し○悪人転た多くして海中の沙のごとく劫尽んと欲せん時、日月転た短く善者甚だ少くもしは一もしは二人等云云。又云く、衆魔の比丘命終の後、精神まさに無択地獄に堕すべし等云云。今道隆が一党・良観が一党・聖一が一党・日本国の一切四衆等はこの経文に当るなり。
[6]法華経に云く、仮使え劫焼に乾草を擔い負て中に入て焼けざらんも、またいまだかたしとせず、わが滅度の後にもしこの経を持ち一人のために説かん、これ則ちこれかたし等云云。日蓮はこの経文に当る。諸の無智の人有て悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者あらん等云云。仏陀記して云く、後の五百歳に法華経の行者有て、諸の無智の者のために必ず悪口罵詈・刀杖瓦石・流罪死罪せられん等云云。日蓮なくんば釈迦・多宝・十方諸仏の未来記は、まさに大妄語なるべきなり。
[7]疑て云く、汝当世の諸人に勝るることは一分しかるべし。真言・華厳・三論・法相等の元祖に勝れんことは、あに慢過慢者にあらずや。過人法とはこれなり。汝必ず無間大城に堕すべし。故に首
楞
厳経に説て云く、譬ば窮人妄りに帝王と号して自ら誅滅を取るがごとし。いわんやまた法王いかんぞ妄りに竊まん。因地直からざれば果紆曲を招かん等云云。涅槃経に云く、いかなる比丘 過人法に堕する○いまだ四沙門果を得ざれど、いかんぞまさに諸の世間の人をして我は已に得たりといわしむべき等云云。
[8]答て云く、法華経に云く、又大梵天王の一切衆生の父なるがごとく。又云く、この経○諸経の中、最もこれ第一なり。よくこの経典を受持することを有らん者は、またまたかくのごとし。一切衆生の中においてまたこれ第一なり等云云。伝教大師の秀句に云く、天台法華宗の諸宗に勝れたるは、所依の経に拠る。故に自讃毀他ならず、庶くは有智の君子は経を尋ねて宗を定めよ等云云。星の中に勝れたるは月、星月の中に勝れたるは日輪なり。小国の大臣は大国の無官より下る傍例なり。外道の五通を得るは仏弟子の小乗の三賢の者のいまだ一通を得ざるも天地なお勝れり。法華経の外の諸経の大菩薩は法華の名字即の凡夫より下れり。なんぞ汝始てこれを驚んや。教に依て人の勝劣を定む。まず経の勝劣を知らずして、なんぞ人の高下を論ぜんや。
[9]問て云く、汝法華経の行者たらば、なんぞ天汝を守護せざるや。
[10]答て云く、法華経に云く、悪鬼その身に入る等云云。首
楞
厳経に云く、修羅王有て世界を執持して、よく梵王及び天の帝釈四天と権を諍う。この阿修羅変化に因て有り天趣の所摂なり等云云。よく大梵天王・帝釈四天と戦う大阿修羅王有り。禅宗・念仏宗・律宗等の棟梁の心中に付入て、次第に国主国中に遷り入て賢人を失う。かくのごとき大悪は梵釈もなお防ぎがたきか。いかにいわんや日本守護の少神をや。ただし地涌千界の大菩薩・釈迦・多宝・諸仏の御加護にあらざれば叶いがたきか。日月は四天の明鏡なり。諸天定て日蓮を知らんか。日月は十方世界の明鏡なり。諸仏定て日蓮を知りたもうか。一分もこれを疑うべからず。ただし先業いまだ尽きざるなり。日蓮流罪に当れば教主釈尊衣を以てこれを覆いたまわんか。去年九月十二日の夜中には虎口を脱れたるか。必ず心の固きに仮りて神の守り即ち強し等とはこれなり。汝等努努疑うことなかれ、決定して疑いあるべからざるものなり。 恐々謹言
[11]<日>五月五日日>
[12]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[13]この書を以て諸人に触れ示して恨を残すことなかれ。
[14]<先>土 木 殿先>
[15]空に読み覚えよ。老人等は具に聞き奉れ。早々に御免を蒙らざる事は、これを歎くべからず。定て天これを抑るか。藤河入道を以てこれを知る。去年流罪あらば今年横死に値うべからざるか。かれを以てこれを推すに愚者は用いざる事なり。日蓮の御免を蒙らんと欲するの事を色に出す弟子は不孝の者なり。あえて後生を扶くべからず。各々この旨を知れ。
現代語訳
真言諸宗違目
文永九年(一二七二)、五一歳、於佐渡一谷、富木常忍宛、原漢文、定六三八—六四一頁。
[1]土木殿等の方々御中 日蓮
[2]真言宗はもともとはインドになかったものを、唐の玄宗皇帝の開元の始め頃に、善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵らが、天台大師が証得した法華経の一念三千の法門をたくみに取り入れて、大日経の中に組み込み真言宗を立てたものである。華厳宗は唐の則天武后の御代に出たもので、その第四祖といわれる澄観らが天台大師が摩訶止観の中で明らかにした十乗観法の極理をたくみに取り入れて、華厳経の中に組み込み華厳宗を立てたのである。その他、法相宗・三論宗は言及するほどのこともない宗旨である。禅宗は梁の時代に達磨大師が楞伽経によって立てた宗旨で、大乗の空理の一部分だけを明したものである。しかしながら、その学者達は、深い<傍>おごりたかぶり傍>の心を起こして、真の悟りは経文の中にあるのではなく、釈尊が心から心へと伝えた悟りがあるなどと主張して経典をないがしろにすることは、全く天魔の行為と言ってもよいであろう。浄土宗は善導らが観無量寿経等に基づき少々の慈悲の心を起こして、当時中国に行なわれた摂論宗や地論宗の学者に対抗して、念仏一行をひたすら専修する宗義を立てたものである。それを日本の法然房源空が誤解して、天台宗・真言宗等を正しい修行方法からはずれた雑行であると位置づけ、末法の人々にはふさわしくない教えときめつけて、日本国中の人々を惑わして迷いの暗の中にとじ込めてしまったのである。このような諸宗の誤りを正して衆生を導くのは日蓮ただ一人である。
[3]涅槃経には、「末代に善き僧があったとしても、仏法を壊る者を見ても、そのままにしておき、罪を責めず、居所から追い払おうとしなければ、善い僧といえどもその人はかえって仏法の中の怨敵となる」とある。章安大師灌頂はこの涅槃経の経文を解釈して、「仏法を壊り乱す者は、仏法の中の怨敵である。またそのような人々を見て責めることなく返って親しむようなそぶりを示す者は、その人々の怨敵となる。仏法を壊る人々を責め悪心を取り除く者こそ、本当の親切の者である」と述べている。もし、法然が念仏を尊重するがために法華経を捨てよ、閉じよ、閣けよ、抛てよと言ったことや、禅宗で経典以外に仏の心の中に真実の教えがある、などといった主張が釈尊のお心にかなわなかったとすれば、これらの問題点を指摘する日蓮は、日本国の人々にとって賢明な父であり、尊い親・導く師ということになろう。しかし、もしこれを言わなければ、日蓮はすべての衆生のためには「慈悲もなくいつわり親しむ怨敵」(章安大師)という重い過を脱れることはできないであろう。しかし、日蓮はすでに建長五年に法華経信仰への回帰を宣言してよりこのかた、仏法の正邪を明らかにしてきているので、日本国の王臣一同にとっては「彼らのために悪を除いた親である」という言葉にあてはまる。日本の国は法華経を信じようとしないで、三逆罪という重い罪を犯しているのだから、天は必ずこれを罰するであろう。
[4]また涅槃経には「ある時に釈尊が少量の土を取って爪の上に置き、迦葉菩薩にこの爪の上の土と、世界全体の土とどちらが多いかを問うた。すると迦葉菩薩は爪の上の土は世界全体の土と比べるもなく少ないことが明白であると答えた。すると釈尊は、四重禁や五逆罪の重い罪を犯したり、成仏の可能性となる善根を断ち切ってしまった一闡提となって、この涅槃経の教えを信奉しない者は世界中の土ほど多いが、五逆罪を犯さず、一闡提とならず、善根を断ち切らずに涅槃経を信奉する者は爪の上の土ほども少ない、と述べ信仰を貫くことのきびしさを説いた」とある。この経文の通りだとすれば、涅槃経は法華経を補足する経典なのだから、現在の日本国の人々は法華経を信奉しないこと世界中の土ほど多く、日蓮のように正しく信仰する者は爪の上の土ほど少ない。
[5]法華経の勧持品には「悪世の中には多くの無智の人があって、悪口罵詈してそしる」とあり、法滅尽経には「私の入滅の後に、五逆罪が平気で行なわれる濁った時代が来て、魔道・邪道が盛んに行なわれ、悪魔が僧の形となって現われ仏法を破壊するが、その時悪人は海の砂のようにはかり知れなく多く、世界も終末をむかえようとする時には太陽や月の現われる時間が次第に短くなり、善人も少なくなって一人二人になってしまうであろう」とあり、また「このような悪魔のような僧は死して後、魂が無間地獄に堕ちる」とある。今の建長寺の道隆の一門、極楽寺の良観の一門、寿福寺の聖一の一門、および日本国のすべての僧侶は、これらの経文に説くとおりである。
[6]また法華経の見宝塔品には「たとえば世界が滅亡する壊劫の時、これを焼き払う劫火のはげしい火の中に乾いた草を背負って入って焼けないことはとても困難なことである。しかし、仏の滅後にこの経を受持してたった一人のためにでも説くという大きな困難を考えれば、たやすいことになってしまうのである。それほどに滅後の法華経の布教は難しいのである」とあるが、日蓮の行動とそれに起因する迫害はまさにこの経文と符合している。勧持品には「多くの無智の人があって、末法の法華経の行者を悪口したり罵詈したり、そのうえ刀や杖を用いて迫害する」とあり、また、法華経の薬王菩薩本事品・勧持品に釈尊が未来の世の様子を予言して言うには「仏の入滅後の第五の五百歳、すなわち二千年を経た後の末法の世に法華経の行者が出現して、多くの無智の者に悪口罵詈され、刀や杖によって迫害されたり瓦や石を投げつけられ、流罪や死罪にされるであろう」とある。もし日蓮がいなかったならば、釈尊・多宝如来・十方の諸仏が未来を予見されたことばは根拠のない言葉になってしまう(日蓮こそ法華経の行者なのだ)。
[7]ある学者が疑って言うには、貴殿が世の中の人々に勝れているという意見には、少しは理があるとも思われるが、真言・華厳・三論・法相などの元祖に勝れているとは<傍>おごりたかぶり傍>の心がはなはだしい。仏は諸戒の中で「過人法戒」を説いて、自讃のあまりに他人を毀る者は必ず無間地獄に堕ちると説いているが、貴殿がまさにそれに違いない。このため首楞厳経には「貧しい者がみだりに自分が帝王などと言って、自分から王に殺してくれと言っているようなものである。その上、仏すなわち法王になろうと思う者が、因位の修行が正しくなく、しかも仏に等しいなどと詐称するならば、決して善い果報を招くことはできない」とあり、涅槃経には「どのような僧が過人法の罪を犯すかと言えば、いまだに聖者の位である阿羅漢果の位に至らないのに、詐って世の人々に悟った聖者であると思わせる者が犯すのである」とあるのが、貴殿の行為と一致しているではないか。
[8]これに答えると、法華経の薬王菩薩本事品には「大梵天王がすべての衆生の父であるように、この法華経もまたすべての衆生の賢い父である」とあり、また「この法華経は諸経の中でもっともすぐれている。すなわちこの経典を受持する者もまたすべての衆生の中でも第一にすばらしい人々である」とある。さらには伝教大師最澄は法華秀句の中で「天台法華宗が他の諸宗に勝れているのは、その拠りどころとしている法華経がすぐれているためであり、あながち自分を讃めて他をそしるのではない。このために見識ある者はどの経典が最もすばらしいかを見極めた上で宗旨を建立しなければならない」と述べている。星の中でも最も美しく輝くのは月、星や月の輝きをもおおいつくすのが太陽である。また小さな国の大臣は、はるか大きな国の無官の臣よりも位がおとるように、外道と称されるインドの仏教以外の宗教を修行して五神通の不思議な力を得た者であっても、仏教の信奉者の中でも初心の位である小乗の教えの修行者が悟りも得ず一つの神通さえ得ない者に比べれば、天地のごとく劣っていることがはっきりとしてしまうのである。これと同様に、法華経以外の諸経を修行する大菩薩であっても、法華経の題名を聴いて感動を得た初心の凡夫の修行者に比べても、とても及ばないのである。質問をしたあなたも、このことを聞いて驚いたことであろうが、教えの尊さによって人の勝劣を考えなければならないのであるから、人の高下は問題とはならないのである。
[9]問うていうには、貴殿が法華経の行者であるというならば、どうして諸天の守護がないのであろうか。
[10]答えれば、法華経の勧持品には「悪鬼が法華経をそしる者の身に入って、法華経の行者を迫害する」とあり、首楞厳経には「阿修羅王が世界を支配しようとして、大梵天王や帝釈天王や四天王と戦いを行なう。この阿修羅王は諸天が変化してできたもので諸天と同類である」と説く。このように大梵天王や帝釈天王や四天王の善神と戦うほどの力のある大阿修羅王があって禅宗・念仏宗・律宗などの指導者の心の中に憑き入って、次第に国主や国中の人々のすべてにとりついて、賢人をなきものにしようとするのである。このような大悪の魔王は強い力を持っているので、梵天や帝釈天でも防ぎかねるのであるから、ましてや日本国の守護の小神など到底力の及ぶところではない。涌出品で大地から涌き出てきたことが説かれているところの地涌の大菩薩・釈尊・多宝如来などの諸仏の御加護でなければ防ぐことはできない。日月は四天・十方世界を照らす明鏡であるのに、日蓮を知っておられようか、知っておられるのに間違いはない。だから、いささかでも諸天の守護を疑ったり、不安に思ってはならない。ただし日蓮が今迫害にあうのは、前世に作った罪がまだ消え去っていないからである。日蓮が法華経を信奉したことによって迫害にあえば、その罪の幾分かでもあがなうことになるから、教主釈尊はその衣によって日蓮をおおいかくまって下さるであろう。去年の九月十二日の夜中に竜の口にて、危うく断罪の虎口を脱れたのも仏の守護である。妙楽大師が摩訶止観輔行伝弘決に「信心が固ければ神の守りも強い」と述べたのはこのことである。あなたがたはこの事を決して疑ってはならない。心を強く定めて、諸天の守護が必ずあると信じて疑うべきではない。 敬具。
[11]<日>五月五日日>
[12]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[13]この書を人々に触れ示して、後悔することがないようにしなければなりませんぞ。
[14]<先>土 木 殿先>
[15]この書を何度も読み誦んじて、老人たちにもよく聞かせて下さい。日蓮がなかなか流罪を赦されないのを歎いてはなりません。これはおそらく諸天が抑えておられるからであろう。藤河の入道(富木氏の関係者か、不詳)の事でもわかるように、日蓮と同じように藤河の入道も去年流罪になっていたならば、あのように無残な死をとげることはなかったであろう。このようなことから考えてみると、早く赦免とならないのは、かえって諸天の思し召しなのであるが、愚かな者には信ずることはできまい。このため、日蓮が赦免を蒙りたいなどということを、少しでも表情に出す弟子は不孝者である。決して後生を助けることはできません。一同このことをよく承知しておくがよい。