妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

富木殿御返事

全集 第2巻 2段 定本: #101(定本の該当ページへ)

書下し

富木殿御返事ときどのごへんじ


[1]鵞目がもく員数のごとくび候いおわんぬ。御志し申し遂げがたく候。法門の事、先度条三郎左衛門尉殿に書持しよじせしむ。その書よくよく御覧あるべし。ほぼ経文をかんがえ見るに、日蓮華経の行者たること疑いなきか。ただ今に天の加護をこうむらざるは、一には諸天善神この悪国を去る故か。二には善神 法味ほうみを味わざるゆえに、威光勢力いこうせいりきなきか。三には大悪鬼 三類の心中に入り、梵天*ぼんてん帝釈たいしやくも力およばざるか等。一々証文道理、追ていらせしむべく候。ただ生涯もとより思い切つて候。今に翻返ひるがえるなく、その上また遺恨なし。もろもろの悪人はまた善知識なり。受・折伏の二義、仏説にる。あえて私曲にあらず。万事霊山浄土*りようぜんじようどを期す。恐恐謹言
[2]<日>卯月十日
[3]<人>日蓮 <花押>花押
[4]<先>土木殿
[5]<先>御返事
[6]<人>日蓮
[7]日蓮臨終一分りんじゆういちぶんも疑いなし。刎頭ふんとうの時はことに喜悦あるべく候。大賊にうて大毒を宝珠ほうじゆうと思うべきか。
現代語訳

富木殿御返事


文永九年(一二七二)、五一歳、於佐渡一谷、富木常忍宛、原漢文、定六一九—六二〇頁。

[1]御志の金子きんす、御手紙の通りに確かに頂戴しました。ありがたいお心持ち、とても筆にはつくせません。法門のことは先日、四条金吾殿(四条三郎左衛門尉)のお使者に書き持たせました。その書をよく御覧になって下さい。あらかた経文を拝読してみました結果、日蓮が法華経の行者であることは疑いのないことではありませんか。ただいまだに天の御加護がないのは、次の三つの理由によるものと思われましょうか。一には諸天善神が法華経不信の者があふれているこの悪国を捨て去ってしまったからでしょうか。二には善神が法華経の法味を御賞味にならないので威光勢力を失われたためでしょうか。三には、大悪鬼が法華経修行者をさまたげる俗衆増上慢・道門増上慢・僭聖増上慢という三類さんるい強敵ごうてきの心の中にとりついて梵天・帝釈も力がおよばないからでありましょうか、などと思いめぐらします。これらそれぞれの点について証拠の経文や道理については追って書き進ぜましょう。ただし日蓮自身の生涯については、すでに思い切っておりますから、たとえどんな迫害に遭おうともいまさら心をひるがえすはずもなく、いささかの恨みもありません。いろいろな悪人は日蓮にとって、かえって真の仏道に導く善き友、善き師です。仏法を弘めるのには摂受と折伏の二通りがあって、時と場合によってその布教法をわきまえるということは仏説にお任せしていることです。あえて日蓮の勝手な考えによるものではありません。万事は霊山浄土でお会いすることを約束しましょう。敬具
[2]<日>四月十日
[3]<人>日蓮 <花押>花押
[4]<先>土木殿御返事
[5]<人>日蓮(上書)
[6]
[7]日蓮が死の危機に直面していることは疑いようがありません。こうべを刎ねられるようなことになった時は悲しむ必要はありません。喜んでください。なぜなら、尊い法華経のために命を捨てるのですから、ちょうど賊におそわれて大毒を奪われ、かえって宝珠を得たと思うべきでありましょう。