上野殿御返事
402 上野殿御返事
蹲鴟一俵給了。又かうぬし(神主)のもとに候御乳塩一疋、並口付一人候。さては故五郎殿の事はそのなげき(歎)ふり(古)ずとおもへども、御けさんははるかなるやうにこそおぼえ候へ。
なおもなおも法華経をあだむ事はたえつとも見候はねば、これよりのちもいかなる事か候はんずらめども、いまゝでこらへさせ給へる事まことしからず候。仏の説ての給はく、火に入てやけぬ者はありとも、大水に入てぬれぬ者はありとも、大山は空へとぶとも、大海は天へあがるとも、末代悪世に入ば須臾の間も法華経は信がたき事にて候ぞ。
徽宗皇帝は漢土の主じ、蒙古国にからめとられさせ給ぬ。隠岐法王は日本国のあるじ、右京の権大夫殿にせめられさせ給て、島にてはてさせ給ぬ。法華経のゆへにてだにもあるならば、即身に仏にもならせ給なん。わづかの事には身をやぶり命をすつれども、法華経の御ゆへにあやしのとがにあたらんとおもふ人は候はぬぞ。身にて心みさせ給候ぬらん。たうとしたうとし。恐恐謹言。 三月十八日 日蓮 花押 上野殿 御返事