妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

上野殿御返事

第二巻 定本番号 20394 弘安3(1280) 分類: その他

祖寿: 59 著作地: 身延 写本: 日興筆富士大石寺蔵

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    394   上野殿御返事
鵞目一貫文送給了。御心ざしの候へば申候ぞ。よく(慾)ふかき御房とおぼしめす事なかれ。仏にやすやすとなる事の候ぞ。をしへまいらせ候はん。人のものををしふると申は、車のおも(重)けれども油をぬればまわり、ふね(船)を水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり。仏になりやすき事は別のやう候はず。旱魃にかわ(渇)けるものに水をあたへ、寒氷にこごへ(凍)たるものに火をあたふるがごとし。又、二なき物を人にあたへ、命のたゆるに人のせ(施)にあふがごとし。
金色王と申せし王は其国に十二年の大旱魃あて、万民飢死ぬ事かずをしらず。河には死人をはし(橋)とし、陸にはがいこつ(骸骨)をつか(塚)とせり。其時、金色大王、大菩提心ををこしておほきに施をほどこし給き。せすべき物みなつきて、蔵の中にただ米五升ばかりのこれり。大王の一日の御くご(供御)なりと、臣下申せしかば、大王五升の米をとり出て、一切の飢たるものに、或は一りう(粒)二りう、或は三りう四りうなんど、あまねくあたへさせ給てのち、天に向せ給て、朕は一切衆生のけかち(飢渇)の苦にかはりてうえじに候ぞ、とこえをあげてよばはらせ給しかば、天きこしめして甘露の雨を須臾に下給き。この雨を手にふれ、かを(顔)にかかりし人、皆食にあきみちて、一国の万民、せちな(刹那)のほどに命よみがへりて候けり。月氏にす(須)達長者と申せし者は、七度貧になり、七度長者となりて候しが、最後の貧の時は万民皆にげ(逃)うせ、死をはりて、ただめおとこ(夫婦)二人にて候し時、五升の米あり。五日のかつて(糧)とあて候し時、迦葉・舎利弗・阿難・羅・羅・釈迦仏五人、次第に入せ給て、五升の米こひとらせ給き。其日より五天竺第一の長者となりて、祇園精舎をばつくりて候ぞ。これをもてよろづを心へ(得)させ給へ。
貴辺はすでに法華経の行者に似させ給へる事、さる(・)の人に似、もちゐ(餅)の月に似たるがごとし。あつはら(熱原)のものどものかくをしませ給へる事は、承平の将門、天喜の貞任のやうに、此国のものどもはおもひて候ぞ。これひとへに法華経に命をすつるゆへ也。またく主君にそむく人とは、天御覧あらじ。其上わづかの小郷にをほくの公事せめにあてられて、わが身はのるべき馬なし、妻子はひきかくべき衣なし。かゝる身なれども、法華経の行者の山中の雪にせめられ、食ともしかるらんとおもひやらせ給て、ぜに一貫をく(送)らせ給へるは、貧女がめおとこ二人して一の衣をきたりしを乞食にあたへ、りだ(利・)が合子の中なりしひえ(稗)を、辟支仏にあたへたりしがごとし。たうとしたうとし。くはしくは又々申べし。恐恐謹言。   十二月二十七日   日蓮  花押   上野殿  御返事