本尊問答抄
307 本尊問答抄
問云、末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定べきや。答云、法華経の題目を以て本尊とすべし。
問云、何の経文、何の人師の釈にか出たるや。答、法華経の第四法師品云、薬王在々処々若説若読若誦若書若経巻所住之処皆応起七宝塔極令高広厳飾。不須復安舎利。所以者何。此中已有如来全身等[云云]。涅槃経第四如来性品云復次迦葉諸仏所師所謂法也。是故如来恭敬供養。以法常故諸仏亦常[云云]。天台大師法華三味云於道場中敷好高座安置法華経一部亦未必須安形像舎利並余経典唯置法華経一部等[云云]。
疑云、天台大師の摩訶止観第二 四種三眛の御本尊は阿弥陀仏也。不空三蔵の法華経の観智の儀軌は釈迦多宝を以て法華経の本尊とせり。汝何此等の義に相違するや。答云、是私の義にあらず。上に出すところの経文並に天台大師の御釈也。
但摩訶止観の四種三眛の本尊は阿弥陀仏と者、彼は常坐・常行・非行非坐の三種の本尊は阿弥陀仏也。文殊問経・般舟三眛経・請観音経等による。是爾前の諸経の内未顕真実の経也。半行半坐三眛には二あり。一には方等経七仏八菩薩等を本尊とす。彼経による。二には法華経釈迦多宝等を引奉れども、法華三味を以て案に法華経を本尊とすべし。不空三蔵法華儀軌は宝塔品の文によれり。此は法華経の教主を本尊とす。法華経の正意にはあらず。上に拳る所の本尊は釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意也。
問云、日本国に十宗あり。所謂倶舎・成実・律・法相・三論・華厳・真言・浄土・禅・法華宗也。此宗は皆本尊まちまちなり。所謂倶舎・成実・律の三宗は劣応身の小釈迦也。法相・三論の二宗は大釈迦仏を本尊とす。華厳宗は台上のるさな報身の釈迦如来、真言宗は大日如来、浄土宗は阿弥陀仏、禅宗にも釈迦を用たり。何天台宗に法華経を本尊とするや。答、彼等は仏を本尊とするに是は経を本尊とす。其義あるべし。
問、其義如何。仏と経といづれか勝たるや。答云、本尊と者勝たるを用べし。例ば儒家には三皇五帝を用て本尊とするが如く、仏家にも又釈迦を以て本尊とすべし。
問云、然者汝云何釈迦を以て本尊とせずして、法華経の題目を本尊とするや。答、上に拳るところの経釈を見給へ。私の義にはあらず。釈尊と天台とは法華経を本尊と定給へり。末代 今の日蓮も仏と天台との如く、法華経を以て本尊とする也。其故は法華経は釈尊の父母、諸仏の眼目也。釈迦大日総十方諸仏は法華経より出生し給へり。故に今能生を以て本尊とする也。
問、其証拠如何。答、普賢経云此大乗経典諸仏宝蔵。十方三世諸仏眼目。出生三世諸如来種等[云云]。又云此方等経此諸仏眼。諸仏因是得具五眼。仏三種身従方等生。是大法印印涅槃海。如此海中能生三種仏清浄身。此三種身人天福田応供中最等[云云]。此等の経文、仏は所生・法華経は能生、仏は身也、法華経は神也。然則木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし。而今木画の二像をまうけて、大日仏眼の印と真言とを以て開眼供養をなすは、もとも逆なり。
問云、法華経を本尊とすると、大日如来を本尊とすると、いづれか勝るや。答、弘法大師・慈覚大師・智証大師の御義の如くならば、大日如来はすぐれ、法華経は劣也。問、其義如何。答、弘法大師の秘蔵宝鑰・十住心に云、第八法華、第九華厳、第十大日経等[云云]。是は浅より深に入。慈覚大師の金剛頂経疏・蘇悉地経疏、智証大師の大日経旨帰等云、大日経第一、法華経第二等[云云]。問、汝意如何。答、釈迦如来多宝仏総十方の諸仏の御評定云、已今当一切経中法華最為第一[云云]。
問、今日本国中の天台・真言等の諸僧並に王臣万民疑云、日蓮法師めは弘法・慈覚・智証大師等に勝べきか。如何。答、日蓮反詰云、弘法・慈覚・智証大師等は釈迦多宝十方の諸仏に勝べき歟是一。今日本国の王より民までも教主釈尊の御子也。釈尊の最後の御遺言云、依法不依人等[云云]。法華最第一と申は法に依也。然に三大師等に勝べしやとの給ふ諸僧・王臣・万民・乃至所従・牛馬等にいたるまで不孝の子にあらずや是二。
問、弘法大師は法華経を見給はずや。答、弘法大師一切経を読給へり。其中に法華経・華厳経・大日経の浅深勝劣を読給に、法華経を読給様に云、文殊師利此法華経諸仏如来秘密之蔵。於諸経中最在其下。又読給様に云、薬王今告汝我所説諸経而於此経中法華最第三[云云]。又慈覚・智証大師読給様に云、於諸経中最在其中。又最為第二等[云云]。釈迦如来・多宝仏・大日如来・一切諸仏、法華経を一切経に相対して説ての給はく、法華最第一。又説云、法華最在其上[云云]。所詮釈迦十方の諸仏と慈覚・弘法等の三大師といづれを本とすべきや。但事を日蓮によせて釈迦十方の諸仏には永背て三大師を本とすべき歟如何。
問、弘法大師は讃岐国人、勤操僧正の弟子也。三論・法相の六宗を極む。去延暦二十三年五月、桓武天皇の勅宣を帯て漢土に入、順宗皇帝の敕に依て青龍寺に入て、慧果和尚に真言大法を相承し給へり。慧果和尚は大日如来よりは七代になり給。人はかはれども法門はをなじ。譬ば瓶の水を猶瓶にうつすがごとし。大日如来と金剛薩埵・龍猛・龍智・金剛智・不空・慧果・弘法との瓶は異なれども、所伝智水は同真言也。此大師彼真言を習て、三千波濤をわたりて日本国に付給に、平城・嵯峨・淳和の三帝にさづけ奉る。去弘仁十四年正月十九日に東寺を建立すべき敕を給て、真言秘法を弘通し給。然ば五畿七道・六十六箇国、二の島にいたるまでも鈴をとり杵をにぎる人たれかこの末流にあらざるや。又慈覚大師は下野国人、広智菩薩の弟子也。大同三年御歳十五にして伝教大師の御弟子となりて叡山に登て十五年之間、六宗を習、法華・真言の二宗を習伝、承和五年御入唐、漢土の会昌天子御宇也。法全・元政・義真・法月・宗叡・志遠等の天台・真言の碩学に値奉て、顕密の二道を習極給。其上殊に真言秘教は十年之間、功を尽給。大日如来よりは九代也。嘉祥元年仁明天皇の御師也。仁寿・斉衡に金剛頂経・蘇悉地経二経の疏を造、叡山に総持院を建立して、第三の座主となり給。天台の真言これよりはじまる。又智証大師は讃岐国人、天長四年御年十四、叡山に登、義真和尚御弟子となり給。日本国にては義真・慈覚・円澄・別当等の諸徳に八宗を習伝、去仁寿元年に文徳天皇の敕を給て漢土に入、宣宗皇帝大中年中に法全・良諝和尚等の諸大師に七年之間、顕密の二教習極給て、去天安二年に御帰朝、文徳・清和等皇帝の御師也。何れも為現為当如月如日代々明主時々臣民信仰有余帰依無怠。故に愚癡一切、偏に信ずるばかり也。誠依法不依人の金言を不背之外は争か仏によらずして弘法等の人によるべきや。
所詮其心如何。答、夫教主釈尊の御入滅一千年之間、月氏に仏法の弘通せし次第は先五百年は小乗、後五百年は大乗、小大権実の諍はありしかども顕密の定はかすかなりき。像法に入て十五年と申せしに漢土に仏法渡る。始は儒道と釈教と諍論して定がたかりき。されども仏法やうやく弘通せしかば小大権実の諍論いできたる。されどもいたくの相違もなかりしに、漢土に仏法渡て六百年、玄宗皇帝の御宇善無畏・金剛智・不空の三三蔵月氏より入給て後、真言宗を立しかば、華厳・法華等の諸宗は以外にくだされき。上自一人下至万民真言には法華経は雲泥也と思しなり。其後徳宗皇帝の御宇に妙楽大師と申人真言は法華経にあながちにをとりたりとおぼしめしゝかども、いたく立る事もなかりしかば、法華・真言の勝劣を弁人なし。日本国は人王三十代欽明の御時百済国より仏法始て渡たりしかども、始は神と仏との諍論こわ(強)くして三十余年はすぎにき。三十四代推古天皇の御宇に聖徳太子始て仏法を弘通し給。慧観・観勒の二の上人、百済国よりわたりて三論宗を弘、孝徳御宇に道昭、禅宗をわたす。天武の御宇に新羅国の智鳳、法相宗をわたす。第四十四代元正天皇御宇に善無畏三蔵、大日経をわたす。然而不弘。聖武の御宇に審祥大徳・朗弁僧正等、華厳宗をわたす。人王四十六代孝謙天皇御宇に唐代の鑑真和尚、律宗と法華経をわたす。律をばひろめ、法華をば不弘。
第五十代桓武天皇御宇に延暦二十三年七月、伝教大師敕を給て漢土に渡り、妙楽大師の御弟子道邃・行満に値奉て法華宗の定慧を伝、道宣律師に菩薩戒を伝、順暁和尚と申せし人に真言の秘教を習伝て、日本国に帰給て、真言・法華の勝劣は漢土の師のおしへに依ては難定思食ければ、こゝにして大日経法華経、彼釈と此釈とを引並て勝劣を判給しに、大日経は法華経に劣たるのみならず、大日経の疏は天台の心をとりて我宗に入たりけりと勘給へり。其後弘法大師真言経を下されける事を遺恨とや思食けむ。真言宗を立てんとたばかりて、法華経は大日経に劣のみならず華厳経に劣れりと[云云]。あはれ慈覚・智証、叡山・園城にこの義をゆるさずば、弘法大師の僻見は日本国にひろまらざらまし。彼両大師華厳法華の勝劣をばゆるさねど、法華真言の勝劣をば永弘法大師に同心せしかば、存外に本伝教大師の大怨敵となる。
其後日本国諸碩徳等各智慧高有なれども彼三大師にこえざれば、今四百余年之間、日本一同に真言は法華経に勝れけりと定畢。たまたま天台宗を習へる人々真言は法華に不及之由存ども、天台座主・御室等の高貴におそれて申事なし。あるは又其義をもわきまへぬかのゆへに、からくして同の義をいへば、一向真言師はさる事おもひもよらずとわらふなり。然ば日本国中に数十万の寺社あり。皆真言宗也。たまたま法華宗を並とも真言は主の如く法華は所従の如也。若兼学人も心中は一同に真言也。座主・長吏・検校・別当、一向に真言たるうへ、上に好ところ下皆したがふ事なれば一人ももれず真言師也。されば日本国或は口には法華経最第一とはよめども、心は最第二最第三也。或は身口意共に最第二三也。三業相応して最第一と読る法華経の行者は四百余年が間一人もなし。まして能持此経の行者はあるべしともおぼへず。如来現在猶多怨嫉況滅度後の衆生は上一人より下万民にいたるまで法華経の大怨敵也。
然に日蓮は東海道十五ケ国内、第十二に相当安房国長狭郡東條郷片海の海人が子也。生年十二同郷の内清澄寺と申山にまかりて、遠国なるうへ、寺とはなづけて候へども修学人なし。然而随分諸国を修行して学問し候しほどに我身は不肖也、人はおしへず、十宗の元起勝劣たやすくわきまへがたきところに、たまたま仏菩薩に祈請して、一切経論を勘て十宗に合せたるに、倶舎宗浅近なれども一分は小乗経に相当するに似たり。成実宗は大小兼雑して謬誤あり。律宗は本は小乗、中比は権大乗、今は一向に大乗宗とおもへり。又伝教大師の律宗あり。別に習事也。法相宗は源権大乗経の中の浅近の法門にてありけるが、次第に増長して権実と並び結句は彼宗々を打破と存ぜり。譬ば日本国の将軍将門・純友等のごとし。下に居て上を破。三論宗も又権大乗の空の一分也。此も我実大乗とおもへり。華厳宗は又権大乗と云ひながら余宗にまされり。譬ば摂政関白のごとし。然而法華経を敵となして立る宗なる故に、臣下の身を以て大王に順ぜんとするがごとし。浄土宗と申も権大乗の一分なれども、善導・法然がたばかりかしこくして、諸経をば上げ観経をば下、正像の機をば上げ末法の機をば下て、末法の機に相叶る念仏を取出て、機を以て経を打、一代の聖教を失て念仏の一門を立たり。譬ば心かしこくして身は卑者が、身上て心はかなきものを敬て賢人をうしなふがごとし。禅宗と申は一代聖教の外に真実の法有と[云云]。譬ばをやを殺て子を用、主を殺せる所従しかも其位につけるがごとし。
真言宗と申は一向に大妄語にて候が、深其根源をかくして候へば浅機の人あらはしがたし。一向誑惑せられて数年を経て候。先天竺に真言宗と申宗なし。然有と[云云]。其証拠を可尋也。所詮大日経こゝにわたれり。法華経に引向て其勝劣を見之処、大日経は法華経より七重下劣の経也。証拠彼経此経に分明也 此不引之。しかるを或云、法華経に三重の主君、或二重の主君也と[云云]。以外の大僻見也。譬ば劉聡が下劣の身として愍帝に馬の口をとらせ、超高が民の身として横に帝位につきしがごとし。又彼天竺の大慢婆羅門が釈尊を床として坐せしがごとし。漢土にも知人なく、日本にもあやめずして、すでに四百余年をおくれり。
如是仏法の邪正乱しかば王法も漸く尽ぬ。結句は此国他国にやぶられて亡国となるべきなり。此事日蓮独勘へ知れる故に、仏法のため王法のため、諸経の要文を集て一巻の書を造る。仍故最明寺入道殿に奉る。立正安国論と名けき。其書にくはしく申たれども愚人は難知。所詮現証を引て申べし。抑人王八十二代隠岐法皇と申王有き。去承久三年太歳辛巳五月十五日、伊賀太郎判官光末を打捕まします。鎌倉の義時をうち給はむとての門出也。やがて五畿七道の兵を召て、相州鎌倉の権太夫義時を打給はんとし給ところに、還て義時にまけ給ぬ。結句我身は隠岐国にながされ、太子二人は佐渡国・阿波国にながされ給。公卿七人は忽に頸をはねられてき。これはいかにとしてまけ給けるぞ。国王の身として、民の如なる義時を打給はんは鷹の雉をとり、猫の鼠を食にてこそあるべけれ。これは猫のねずみにくらはれ、鷹の雉にとられたるやうなり。
しかのみならず調伏力を尽せり。所謂天台座主慈円僧正・真言長者・仁和寺御室・園城寺長吏・総七大寺十五大寺、智慧戒行は日月の如く、秘法は弘法・慈覚等の三大師心中深密大法・十五檀の秘法也。五月十九日より六月の十四日にいたるまで、あせ(汗)をながし、なづき(頭脳)をくだきて行き。最後には御室、紫宸殿にして日本国にわたりていまだ三度までも行はぬ大法、六月八日始て行之程に、同十四日に関東の兵軍宇治勢多をおしわたして、洛陽に打入て三院生取奉て、九重に火を放て一時に焼失す。三院をば三国へ流罪し奉ぬ。又公卿七人は忽に頸をきる。しかのみならず御室の御所に押入て、最愛弟子の小児勢多伽と申せしをせめいだして、終に頸をきりにき。御室不堪思死給畢ぬ。母も死。童も死。すべて此いのりをたのみし人、いく千万といふ事をしらず死にき。たまたまいき(生)たるもかひなし。御室祈を始給し六月八日より同十四日まで、なかをかぞふれば七日に満じける日也。此十五檀の法と申は一字金輪・四天王・不動・大威徳・転法輪・如意輪・愛染王・仏眼・六字・金剛童子・尊星王・太元・守護経等の大法也。此法の詮は国敵王敵となる者を降伏して、命を召取て其魂を密厳浄土へつかはすと云法也。其行者の人々又不軽、天台座主慈円・東寺・御室・三井常住院僧正等の四十一人並伴僧等三百余人也[云云]。法と云ひ、行者と云ひ、又代も上代也。いかにとしてまけ給けるぞ。たとひかつ(勝)事こそなくとも、即時にまけおはりてかゝるはぢにあひたりける事、いかなるゆへといふ事を余人いまだしらず。国主として民を討事、鷹の鳥をとらんがごとし。たとひまけ給とも、一年二年十年二十年もさゝうべきぞかし。五月十五日におこりて六月十四日まけ給ぬ。わづかに三十余日也。権大夫殿は此事兼てしらねば祈祷もなし。かまへ(構)もなし。
然而日蓮小智を以て勘たるに其故あり。所謂彼真言邪法の故也。僻事は一人なれども万国のわづらひ也。一人として行とも一国二国やぶれぬべし。況や三百余人をや。国主とともに法華経の大怨敵となりぬ。いかでかほろびざらん。かゝる大悪法とし(年)をへて、やうやく関東におち下て、諸堂の別当・供僧となり連々と行。本より辺域の武士なれば教法の邪正をば不知。ただ三宝をばあがむべき事とばかり思ふゆへに、自然としてこれを用きたりてやうやく年数を経程に、今他国のせめをかうふりて此国すでにほろびなんとす。関東八ケ国のみならず、叡山・東寺・園城・七寺等座主・別当、皆関東の御はからひとなりぬるゆへに、隠岐法皇のごとく、大悪法の檀那と成定まり給ぬる也。
国主となる事は大小皆梵王・帝釈・日月・四天の御計也。法華経の御敵となり定給はば忽に治罰すべきよしを誓給へり。随て人王八十一代安徳天皇太政入道一門与力して、兵衛左頼朝を調伏せんがために、叡山を氏寺と定山王を氏神とたのみしかども、安徳は西海に沈み、明雲は義仲に殺る。一門皆一時にほろび畢。第二度也。今度は第三度にあたる也。日蓮がいさめを御用なくて真言の悪法を以て大蒙古を調伏せられば、日本国還て調伏せられなむ。還著於本人と説けりと申也。
然則罰を以て利生を思に、法華経にすぎたる仏になる大道はなかるべき也。現世の祈祷兵衛左殿、法華経を読誦する現証也。此道理を存ぜる事は父母と師匠との御恩なれば、父母はすでに過去し給畢。故道善御房は師匠にておはしまししかども、法華経の故に地頭におそれ給て、心中には不便とおぼしつらめども、外にはかたきのやうににくみ給ぬ。後にはすこし信給たるやうにきこへしかども、臨終にはいかにやおはしけむ。おぼつかなし。地獄まではよもおはせじ。又生死をはなるゝ事はあるべしともおぼへず。中有にやただよひましますらむとなげかし。
貴辺は地頭のいかりし時、義城房とともに清澄寺を出でておはせし人なれば、何となくともこれを法華経の御奉公とおぼしめして、生死をはなれさせ給べし。
此御本尊は世尊説おかせ給後、二千二百三十余年が間、一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず。漢土の天台・日本の伝教ほぼしろしめして、いさゝかひろめさせ給はず。当時こそひろまらせ給べき時にあたりて候へ。経には上行・無辺行等こそ出でてひろめさせ給べしと見へて候へども、いまだ見へさせ給はず。日蓮は其人には候はねどもほぼこゝろえて候へば、地涌の菩薩の出させ給までの口ずさみに、あらあら申て況滅度後のほこさきに当候也。
願は此功徳を以て父母と師匠と一切衆生に回向し奉と祈請仕候。其旨をしらせまいらせむがために御不審を書おくりまいらせ候に、他事をすてて此御本尊の御前にして一向に後世をもいのらせ給候へ。又これより申さんと存候。いかにも御房たちはからい申させ給へ。 日蓮 花押