千日尼御前御返事
302 千日尼御前御返事
弘安元年[太歳戊寅]七月六日、佐渡国より千日尼と申人、同日本国甲州波木井郷身延山と申深山、同夫阿仏房を使として送給御文云、女人の罪障いかがと存候へども、御法門に法華経は女人の成仏をさきとするぞと候しを、万事はたのみまいらせ候て等[云云]。
夫法華経と申候御経は誰れ仏の説給て候ぞとをもひ候へば、此の日本国より西、漢土より又西、流沙・葱嶺と申よりは又はるか西、月氏と申国に浄飯王と申ける大王の太子、十九の年位をすべらせ給て檀どく山と申山に入御出家、三十にして仏とならせ給、身は金色と変じ、神は三世をかがみさせ給。すぎにし事、来べき事、かがみにかけさせ給てをはせし仏の、五十余年が間一代一切経々を説をかせ給。
此一切の経々、仏の滅後一千年が間月氏国にやうやくひろまり候しかども、いまだ漢土日本国等へは来り候はず。仏滅度後一千十五年と申せしに漢土へ仏法渡はじめて候しかども、又いまだ法華経はわたり給はず。仏法漢土にわたりて二百余年に及で、月氏と漢土との中間に亀茲国と申国あり。彼国の内に鳩摩羅えん三蔵と申せし人の御子鳩摩羅什と申せし人、彼国より月氏に入、須利耶蘇磨三蔵と申せし人に此法華経をさづかり給き。其授給し時の御語云、此法華経は東北の国に縁ふかしと[云云]。此御語を持て月氏より東方漢土へはわたし給候なり。漢土には仏法わたりて二百余年、後秦王の御宇に渡て候き。
日本国には人王第三十代欽明天皇の御宇、治十三年[壬申]十月十三日[辛酉]日、此より西百済国と申す国より聖明皇、日本国に仏法をわたす。此は漢土に仏法わたて四百年、仏滅後一千四百余年也。其中にも法華経はましまししかども人王第三十二代用明天皇の太子、聖徳太子と申せし人、漢土へ使をつかわして法華経をとりよせまいらせて日本国に弘通し給き。それよりこのかた七百余年なり。
仏滅度後はすでに二千二百三十余年になり候上、月氏・漢土・日本、山々・河々・海々遠くへだたり、人々・心々・国々・各々別にして語かわり、しなことなれば、いかでか仏法の御心をば我等凡夫は弁候べき。ただ経々の文字を引合てこそ知べきに、一切経はやうやうに候へども法華経と申御経は八巻まします。流通に普賢経、序分無量義経、各一巻已上。此御経を開見まいらせ候へば明なる鏡をもつて我が面を見るがごとし。日出て草木の色を弁るににたり。序品の無量義経を見まいらせ候へば、四十余年未顕真実と申経文あり。法華経の第一の巻方便品の始に世尊法久後要当説真実と申経文あり。第四の巻宝塔品には妙法華経皆是真実と申明文あり。第七の巻には舌相至梵天と申経文赫々たり。其外は此経より外のさきのち(前後)ならべる経々をば星に譬へ、江河に譬へ、小王に譬へ、小山に譬へたり。法華経をば月に譬へ、日に譬へ、大海・大山・大王に譬へ給へり。此語私の言には有ず。皆如来の金言也。十方の諸仏の御評定の御言也。一切の菩薩・二乗・梵天・帝釈今の天に懸て明鏡のごとくまします 日月も見給き聞給き。其日月の御語も此経にのせられて候。月氏・漢土・日本国のふるき神たちも皆其座につらなりし神々なり。天照太神・八幡大菩薩・熊野・すずか等の日本国の神々もあらそい給べからず。此経文は一切経に勝たり。地走る者の王たり。師子王のごとし。空飛者の王たり。鷲のごとし。南無阿弥陀仏経等はきじのごとし。兎のごとし。鷲につかまれては涙をながし、師子にせめられては腹わたをたつ。念仏者・律僧・禅僧・真言師等又かくのごとし。法華経の行者に値ぬればいろを失魂をけすなり。
かゝるいみじき法華経と申御経はいかなる法門ぞと申せば、一巻方便品よりうちはじめて菩薩・二乗・凡夫皆仏になり給やうをとかれて候へども、いまだ其しるしなし。設ば始たる客人が相貌うるわしくして心もいさぎよく、口もきいて候へばいう事疑なけれども、さきも見ぬ人なればいまだあらわれたる事なければ、語のみにては信がたきぞかし。其時語にまかせて大なる事度々あひ候へば、さては後の事もたのもしなんど申ぞかし。一切信て信ぜられざりしを第五巻に即身成仏と申一経第一の肝心あり。譬へばくろき物を白くなす事漆を雪となし、不浄を清浄になす事、濁水に如意珠を入たるがごとし。龍女と申せし小蛇を現身に仏になしてましましき。此時こそ一切の男子の仏になる事をば疑者は候はざりしか。されば此経は女人成仏を手本としてとかれたりと申。されば日本国に法華経の正義を弘通し始ましませし、叡山根本伝教大師の此事釈給には、能化所化倶無歴劫妙法経力即身成仏等。漢土の天台智者大師法華経の正義をよみはじめ給しには、他経但記男不記女乃至今経皆記等[云云]。此は一代聖教の中には法華経第一、法華経の中には女人成仏第一なりとことわらせ給にや。されば日本一切の女人は法華経より外の一切経には女人成仏せずと嫌とも、法華経にだにも女人成仏ゆるされなばなにかくるしかるべき。
しかるに日蓮はうけがたくして人身をうけ、値がたくして仏法に値奉る。一切の仏法の中に法華経に値まいらせて候。其恩徳ををもへば父母の恩・国主の恩・一切衆生の恩なり。父母の恩の中に慈父をば天に譬へ、悲母をば大地に譬へたり。いづれもわけがたし。其中悲母の大恩ことにほうじがたし。此を報ぜんとをもうに外典の三墳・五典・孝経等によて報ぜんとをもへば、現在をやしないて後生をたすけがたし。身をやしない魂をたすけず。内典仏法に入て五千七千余巻小乗大乗は、女人成仏かたければ悲母の恩報がたし。小乗は女人成仏一向に許れず。大乗経は或は成仏、或は往生を許たるやうなれども仏の仮言にて実事なし。但法華経計こそ女人成仏、悲母の恩を報ずる実の報恩経にては候へと見候しかば、悲母の恩を報ぜんために此経の題目を一切の女人に唱させんと願す。
其に日本国の一切女人は漢土の善導、日本慧心・永観・法然等にすかされて、詮とすべきに南無妙法蓮華経をば一国の一切の女人一人も唱ることなし。但南無阿弥陀仏と一日に一返十返百千万億反乃至三万十万反、一生が間昼夜十二時に又他事なし。道心堅固なる女人も又悪人なる女人も弥陀念仏を本とせり。わづかに法華経をこととするやうなる女人も月まつまでのてすさび、をもわしき男のひまに心ならず心ざしなき男にあうがごとし。されば日本国の一切女人法華経の御心に叶は一人もなし。我悲母詮とすべき法華経をば唱ずして弥陀に心をかけば、法華経は本ならねばたすけ給べからず。弥陀念仏は女人たすくる法にあらず。必地獄に堕給べし。いかんがせんとなげきし程に我悲母をたすけんために、弥陀念仏は無間地獄の業なり。五逆にはあらざれども五逆にすぎたり。父母を殺人は其の肉身をばやぶれども、父母を後生に無間地獄には入ず。今日本国の女人は必ず法華経にて仏になるべきを、たぼらかして一向に南無阿弥陀仏になしぬ。悪ならざればすかされぬ。仏になる種ならざれば仏にはならず。弥陀念仏の小善をもつて法華経の大善を失。小善の念仏は大悪の五逆罪にすぎたり。譬へば承平の将門は関東八箇国をうたへ(打平)、天喜の貞任は奥州うちとどめし。民を王へ通ぜざりしかば朝敵となりてついにほろぼされぬ。此等は五逆にすぎたる謀反なり。今日本国の仏法も又かくのごとし。色かわれる謀反なり。
法華経は大王、大日経・観無量寿経・真言宗・浄土宗・禅宗・律僧等は彼々の小経によて法華経の大怨敵となりぬ。而を、日本一切の女人等我心のをろかなるをば知ずして、我をたすくる日蓮をかたきとをもひ、大怨敵たる念仏者・禅・律・真言師等を善知識とあやまてり。たすけんとする日蓮かへりて大怨敵とをもわるゝゆえに、女人こぞりて国主に讒言して伊豆国へながせし上、又佐渡国へながされぬ。こゝに日蓮願云日蓮は全悞なし。設僻事なりとも日本国の一切の女人を扶と願せる志はすてがたかるべし。何況法華経のまゝに申。而を一切女人等信ぜずばさてこそ有べきに、かへりて日蓮をうたする、日蓮が僻事か。釈迦・多宝・十方諸仏・菩薩・二乗・梵釈・四天等いかに計給ぞ。日蓮僻事ならば其義を示し給へ。ことには日月天眼前の境界なり。又仏前にしてきかせ給る上、法華経の行者をあだまんものをば頭破七分等と誓せ給て候へばいかんが候べきと、日蓮強盛にせめまいらせ候ゆへに天此国を罰。ゆへに此疫病出現せり。他国より此国を天をほせつけて責らるべきに、両方の人あまた死べきに、天の御計としてまづ民を滅して人の手足を切がごとくして、大事の合戦なくして、此国の王臣等をせめかたぶけて、法華経の御敵を滅して正法を弘通せんとなり。
而に日蓮佐渡国へながされたりしかば彼国の守護等は国主の御計に随て日蓮をあだむ。万民は其の命に随う。念仏者・禅・律・真言師等は鎌倉よりもいかにもして此へわたらぬやう計と申つかわし、極楽寺の良観等は武蔵前司殿の私御教書を申て、弟子に持せて日蓮をあだみなんとせしかば、いかにも命たすかるべきやうはなかりしに、天の御計はさてをきぬ、地頭々々等念仏者々々々等日蓮が庵室に昼夜に立そいてかよ(通)う人あるをまどわさんとせめしに、阿仏房にひつ(櫃)をしをわせ、夜中に度々御わたりありし事、いつの世にかわすらむ。只悲母の佐渡国に生かわりて有か。漢土に沛公と申せし人、王相有とて秦始皇の勅宣下云、沛公打てまいらせん者には不次の賞を行べし。沛公は里中には隠れがたくして山に入て七日二七日なんど有しなり。其時命すでにをわりぬべかりしに、沛公の妻女呂公と申せし人こそ山中を尋て時時命をたすけしが、彼は妻なればなさけすてがたし。此は後世ををぼせずばなにしにかかくはをはすべき。又其故に或は所ををい、或はくわれう(科料)をひき、或は宅をとられなんどせしに、ついにとをらせ給ぬ。法華経には過去に十万億の仏を供養せる人こそ今生には退せぬとわみへて候へ。されば十万億供養の女人なり。
其上、人は見る眼前には心ざし有とも、さしはなれぬれば、心はわすれずともさてこそ候に、去文永十一年より今年弘安元年まではすでに五ケ年が間、此山中に候に、佐渡の国より三度まで夫をつかわす。いくらほどの御心ざしぞ。大地よりもあつく大海よりもふかき御心ざしぞかし。釈迦如来は我薩埵王子たりし時うへたる虎に身をかい(飼)し功徳、尸毘王とありし時鳩のために身をかへし功徳をば、我末の代かくのごとく法華経を信ぜん人にゆづらむとこそ、多宝・十方の仏の御前にては申せ給しか。
其上御消息云、尼が父の十三年は来八月十一日。又云ぜに一貫もん等[云云]。あまりの御心ざしの切に候へば、ありえて御はしますに随て法華経十巻をくりまいらせ候。日蓮がこいしくをはせん時は学乗房によませて御ちやうもんあるべし。此御経をしるしとして後生には御たづねあるべし。
抑去年今年のありさまはいかにかならせ給ぬらむと、をぼつかなさに法華経にねんごろに申候つれども、いまだいぶかし(不審)く候つるに、七月二十七日申時に阿仏房を見つけて、尼ごぜんはいかに、こう入道殿はいかにとまづといて候つれば、いまだやま(病)ず、こう入道殿は同道にて候つるが、わせ(早稲)はすでにちかづきぬ、こ(子)わなし、いかんがせんとてかへられ候つるとかたり候し時こそ、盲目の者眼のあきたる、死給る父母の閻魔宮より御をとづれの夢の内に有をゆめにて悦がごとし。あわれあわれふしぎなる事かな。此もかまくらも此方の者は此病にて死る人はすくなく候。同船にて候へばいづれもたすかるべしともをぼへず候つるに、ふねやぶれてたすけぶねに値るか。又龍神のたすけにて事なく岸へつけるかとこそ不思議がり候へ。
さわ(谷)の入道の事なげくよし尼ごぜんへ申つたへさせ給。ただし入道の事は申切り候しかばをもひ合せ給らむ。いかに念仏堂ありとも阿弥陀仏は法華経のかたきをばたすけ給べからず。かへりて阿弥陀仏の御かたきなり。後生悪道に堕てくいられ候らむ事あさまし。ただし入道の堂のらう(廊)にていのちをたびたびたすけられたりし事こそ、いかにすべしともをぼへ候はね。学乗房をもつてはか(墓)につねづね法華経をよませ給とかたらせ給。それも叶べしとはをぼえず。さても尼のいかにたよりなかるらむとなげくと申つたへさせ給候へ。又々申べし。 七月二十八日 日蓮 [花押] 佐渡国府阿仏房尼御前