妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

妙法尼御前御返事

第二巻 定本番号 20301 弘安1(1278) 分類: 真蹟断片現存

祖寿: 57 著作地: 身延 真蹟: 池上本門寺 千葉福正寺断片 

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    301   妙法尼御前御返事
御消息云、めうほうれんぐゑきやう(妙法蓮華経)をよるひる(夜昼)となへまいらせ、すでにちかくなりて二声かうしやう(高声)にとなへ、乃至いきて候し時よりもなをいろもしろく、かたちもそむせずと[云云]。
法華経云如是相乃至本末究竟等[云云]。大論云臨終之時色黒者堕地獄等[云云]。守護経云地獄に堕に十五の相・餓鬼に八種の相・畜生に五種の相等[云云]。天台大師の摩訶止観云身黒色譬地獄陰等[云云]。
夫以ば日蓮幼少の時より仏法を学し候しが念願すらく、人の寿命は無常也。出る気は入る気を待事なし。風の前の露、尚譬にあらず。かしこきも、はかなきも、老たるも、若きも定め無き習也。されば先臨終の事を習て後に他事を習べしと思て、一代聖教の論師・人師の書釈あらあらかんがへあつめ(勘集)て、此を明鏡として、一切の諸人の死する時と並に臨終の後とに引向てみ候へば、すこしもくもりなし。此人は地獄に堕ぬ乃至人天とはみへて候を、世間の人々或は師匠父母等の臨終の相をかくして西方浄土往生とのみ申候。悲哉、師匠は悪道に堕て多苦しのびがたければ、弟子はとゞまりゐて師の臨終をさんだんし、地獄の苦を増長せしむる。譬へばつみ(罪)ふかき者を口をふさいできうもん(糾問)し、はれ物のの口をあけずしてやま(病)するがごとし。
しかるに今の御消息に云、いきて候し時よりもなをいろしろく、かたちもそむせずと云云。天台云 白白譬天。大論云 赤白端正者得天上[云云]。天台大師御臨終記云 色白。玄奘三蔵御臨終を記云 色白。一代聖教の定る名目云黒業は六道にとどまり、白業は四聖となる。此等の文証と現証をもんてかんがへて候に、此人は天に生ぜるか、はた又法華経の名号を臨終に二反となうと云云。法華経の第七の巻云 於我滅度後 応受持此経 是人於仏道 決定無有疑[云云]。
一代の聖教いづれもいづれもをろかなる事は候はず。皆我等が親父、大聖教主釈尊の金言也。皆真実也。皆実語也。其中にをいて又小乗・大乗・顕教・密教・権大乗・実大乗あいわかれて候。仏説と申は二天・三仙・外道・道士の経々にたいし候へば此等は妄語、仏説は実語にて候。此実語の中に妄語あり、実語あり、綺語も悪口もあり。其中に法華経は実語の中の実語なり。真実の中の真実なり。真言宗と華厳宗と三論と法相と倶舎・成実と律宗と念仏宗と禅宗等は実語の中の妄語より立出せる宗々なり。法華宗は此等の宗々にはにるべくもなき実語なり。法華経の実語なるのみならず、一代妄語の経々すら法華経の大海に入ぬれば、法華経の御力にせめられて実語となり候。いわうや法華経の題目をや。白粉の力は漆を変じて雪のごとく白くなす。須弥山に近づく衆色は皆金色なり。法華経の名号を持人は、一生乃至過去遠々劫の黒業の漆変じて白業の大善となる。いわうや無始の善根皆変じて金色となり候なり。
しかれば故聖霊、最後臨終に南無妙法蓮華経ととなへさせ給しかば、一生乃至無始の悪業変じて仏の種となり給。煩悩即菩提、生死即涅槃、即身成仏と申法門なり。かゝる人の縁の夫妻にならせ給へば又女人成仏も疑なかるべし。若此事虚事ならば釈迦・多宝・十方分身の諸仏は妄語の人、大妄語の人、悪人也。一切衆生をたぼらかして地獄におとす人なるべし。提婆達多は寂光浄土の主となり、教主釈尊は阿鼻大城のほのをにむせび給べし。日月は地に落ち、大地はくつがへり、河は逆に流れ、須弥山はくだけをつべし。日蓮が妄語にはあらず、十方三世の諸仏の妄語也。いかでか其義候べきとこそをぼへ候へ。委は見参の時申べく候。   七月十四日   日蓮 [花押]  妙法尼御前申させ給へ