松野殿御返事
274 松野殿御返事
種種物送給候畢。山中のすまゐ思遺せ給て、雪の中ふみ分て御訪候事、御志定て法華経十羅刹も知食候覧。さては涅槃経云 人命不停過於山水今日雖存明日難保文。摩耶経云 譬如旃陀羅駈羊至屠家 人命亦如是歩歩近死地文。法華経云 三界無安 猶如火宅 衆苦充満 甚可怖畏等[云云]。此等の経文は我等が慈父大覚世尊 末代の凡夫をいさめ給、いとけなき子どもをさし驚かし給へる経文也。
雖然須臾も驚く心なく、刹那も道心を発さず、野辺に捨られなば一夜の中にはだかになるべき身をかざらんがために、いとまを入れ衣を重んとはげむ。命終なば三日の内に水と成て流れ、塵と成て地にまじはり、煙と成て天にのぼりあともみへずなるべき身を養はんとて、多の財をたくはふ。此ことはりは事ふり候ぬ。
但当世の体こそ哀れに候へ。日本国数年の間、打続きけかちゆきゝて衣食たへ、畜るひをば食つくし、結句人をくらう者出来して、或は死人・或は小児・或は病人等の肉を裂取て、魚鹿等に加へて売しかば人是を買くへり。此国存の外に大悪鬼となれり。又去年の春より今年の二月中旬まで疫病国に充満す。十家に五家、百家に五十家、皆やみ死、或は身はやまねども心は大苦に値へり。やむ者よりも怖し。たまたま生残たれども、或は影の如くそゐ(添)し子もなく、眼の如く面をならべし夫妻もなく、天地の如く憑し父母もおはせず、生ても何にかせん。心あらん人々争か世を厭はざらん。三界無安とは仏説給て候へども法に過て見え候。
然るに予は凡夫にて候へども、かゝるべき事を仏兼て説をかせ給て候を、国主に申きかせ進せ候ぬ。其につけて御用は無して弥怨をなせしかば力及ばず。此国既に謗法と成ぬ。法華経の敵に成り候へば三世十方の仏神の敵と成れり。御心にも推せさせ給候へ。
日蓮何なる大科有とも法華経の行者なるべし。南無阿弥陀仏と申さば何なる大科有とも念仏者にて無とは申がたし。南無妙法蓮華経と我口にも唱へ候故に、罵られ、打はられ、流され、命に及びしかども、勧め申せば法華経の行者ならずや。法華経には行者を怨む者は阿鼻地獄の人と定む。四巻には仏を一中劫罵るよりも末代の法華経の行者を悪む罪深しと説れたり。七巻には行者を軽めし人々、千劫阿鼻地獄に入ると説給へり。五巻には我末世末法に入て法華経の行者有べし。其時其国に持戒破戒等の無量無辺の僧等集て国主に讒言して、流し失ふべしと説れたり。然るにかゝる経文かたがた符合し候了。未来に仏に成候はん事疑なく覚え候。委細は見参の時申べし。 建治四年[戊寅]二月十三日 日蓮 [花押] 松野殿 [御返事]