南條殿御返事(初春書)
206 南條殿御返事
はる(春)のはじめの御つかひ、自他申こめまいらせ候。さては給はるところのすずの物の事、もちゐ(餅)七十まい・さけひとつゝ(酒一筒)・いも(芋)いちだ・河のりひとかみぶくろ(一紙袋)・だいこんふたつ・やまのいも七ほん等也。ねんごろの御心ざしはしなじなのものにあらはれ候ぬ。
法華経の第八巻云所願不虚亦於現世得其福報。又云当於現世得現果報等[云云]。天台大師云天子一言不虚。又云法王不虚等[云云]。賢王となりぬればたとひ身をほろぼすともそら事せず。いわうや釈迦如来は普明王とおはせし時は、はんそく(班足)王のたて(館)へ入せ給き。不妄語戒を持せ給しゆへ也。かり(迦梨)王とおはせし時は、実語少人大妄語入地獄とこそおほせありしか。いわうや法華経と申は、仏、我と要当説真実となのらせ給し上、多宝仏十方の諸仏あつまらせ給て、日月衆星のならばせ給がごとくに候しざせき(座席)也。法華経にそら事あるならば、なに事をか人信べき。
かゝる御経に一華一香をも供養する人は、過去に十万億の仏を供養する人也。又釈迦如来の末法に世のみだれたらん時、王臣万民心を一にして一人の法華経の行者をあだまん時、此行者かんぱち(旱魃)の少水に魚のすみ、万人にかこ(囲)まれたる鹿のごとくならん時、一人ありてとぶらはん人は生身の教主釈尊を、一劫が間、三業相応して供養しまいらせたらんよりなを功徳すぐるべきよし、如来の金言分明也。日は赫赫たり、月は明明たり。法華経の文字はかくかくめいめいたり。めいめいかくかくたる、あきらかなる鏡にかを(顔)をうかべ、すめる水に月のうかべるがごとし。
しかるに亦於現世得其福報の勅宣。当於今世得現果報の鳳詔。南條の七郎次郎殿にかぎりてむなしかるべしや。日は西よりいづる世、月は地よりなる時なりとも、仏言むなしからじとこそ定させ給しか。これをもておもふに、慈父過去の聖霊は教主釈尊の御前にわたらせ給、だんな(檀那)は又現世に大果報をまねかん事疑あるべからず。かうじん(幸甚)かうじん。 正月十九日 日蓮 [花押] 南條殿 [御返事]