妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

清澄寺大衆中

第二巻 定本番号 20205 建治2(1276) 分類: 真蹟曽存

祖寿: 55 著作地: 身延 真蹟: 身延山(曽) 

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    205   清澄寺大衆中
新春の慶賀自他幸甚幸甚。去年不来如何。定有子細歟。抑企参詣候ば伊勢公御房に十住心論・秘蔵宝鑰・二教論等の真言の疏を借用候へ。如是真言師蜂起之故申之。又止観第一第二御随身候へ。東春・輔正記なんどや候らん。円智房の御弟子に観智房の持て候なる宗要集かし(貸)たび候へ。それのみならず、ふみ(文)の候由も人々申候し也。早々に返すべきのよし申させ給へ。今年は殊に仏法の邪正たださるべき年歟。
浄顕御房・義城房等には申給べし。日蓮が度々殺害せられんとし、並に二度まで流罪せられ、頸を刎られんとせし事は別に世間の失に候はず。生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給りし事ありき。日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思食けん。明星の如なる大宝珠を給て右の袖にうけとり候し故に、一切経を見候しかば八宗並に一切経の勝劣粗是を知りぬ。
其上、真言宗は法華経を失宗也。是は大事なり。先序分に禅宗と念仏宗の僻見を責て見んと思ふ。其故は月氏漢土の仏法の邪正は且置之。日本国の法華経の正義を失て、一人もなく人の悪道に堕る事は、真言宗が影の身に随がごとく、山々ごとに法華宗に真言宗をあひそひ(副)て、如法の法華経に十八道をそへ、懺法に阿弥陀経を加へ、天台宗の学者の灌頂をして真言宗を正とし法華経を傍とせし程に、真言経と申は爾前権経の内の華厳・般若にも劣るを、慈覚・弘法これに迷惑して、或は法華経に同じ或は勝たりなんど申て、仏を開眼するにも仏眼大日の印真言をもつて開眼供養するゆへに、日本国の木画の諸像皆無魂無眼の者となりぬ。結句は天魔入替て檀那をほろぼす仏像となりぬ。王法の尽んとするこれなり。此悪真言かまくら(鎌倉)に来て、又日本国をほろぼさんとす。其上、禅宗・浄土宗なんどと申は又いうばかりなき僻見の者なり。
此を申さば必日蓮が命と成べしと存知せしかども、虚空蔵菩薩の御恩をほう(報)ぜんがために、建長五年四月二十八日、安房国東條郷清澄寺道善之房持仏堂の南面にして、浄円房と申者並に少々大衆にこれを申しはじめて、其後二十余年が間退転なく申。或は所を追出され、或は流罪等、昔は聞く不軽菩薩の杖木等。今は見る日蓮が刀剣に当る事を。
日本国の有智無智上下万人の云、日蓮法師は古の論師・人師・大師・先徳にすぐるべからずと。日蓮この不審をはらさんがために、正嘉・文永の大地震大長星を見て勘云、我朝に二の大難あるべし。所謂自界叛逆難・他国侵逼難也。自界は鎌倉に権の大夫殿御子孫どしうち(同士打)出来すべし。他国侵逼難は四方よりあるべし。其中に西よりつよくせむべし。是偏に仏法が一国挙て邪なるゆへに、梵天帝釈の他国に仰つけてせめらるるなるべし。日蓮をだに用ぬ程ならば、将門・純友・貞任・利仁・田村のやうなる将軍百千万人ありとも叶ふべからず。これまことならずば真言と念仏等の僻見をば信ずべしと申ひろめ候き。
就中、清澄山の大衆は日蓮を父母にも三宝にもをもひをとさせ給はば、今生には貧窮乞者とならせ給ひ、後生には無間地獄に堕させ給べし。故いかんとなれば、東條左衛門景信が悪人として清澄のかいしゝ(飼鹿)等をかり(狩)とり、房々の法師等を念仏者の所従にしなんとせしに、日蓮敵をなして領家のかたうどとなり、清澄・二間の二箇の寺、東條が方につくならば日蓮法華経をすてんと、せいじやう(精誠)の起請をかいて、日蓮が御本尊の手にゆい(結)つけていのりて、一年が内に両寺は東條が手をはなれ候しなり。此事は虚空蔵菩薩もいかでかすてさせ給べき。大衆も日蓮を心へずにをもはれん人々は、天にすてられたてまつらざるべしや。かう申せば愚痴の者は我をのろう(呪咀)と申べし。後生に無間地獄に堕んが不便なれば申なり。
領家の尼ごぜんは女人なり、愚痴なれば人々のいひをど(嚇)せばさこそとましまし候らめ。されども恩をしらぬ人となりて、後生に悪道に堕させ給はん事こそ、不便に候へども、又一には日蓮が父母等に恩をかほらせたる人なれば、いかにしても後生をたすけたてまつらんとこそいのり候へ。
法華経と申御経は別の事も候はず。我は過去五百塵点劫より先の仏なり。又舎利弗等は未来に仏になるべしと。これを信ぜざらん者は無間地獄に堕べし。我のみかう申にはあらず、多宝仏も証明し、十方の諸仏も舌をいだしてかう候。地涌千界・文殊・観音・梵天・帝釈・日・月・四天・十羅刹、法華経の行者を守護し給はんと説れたり。されば仏になる道は別のやうなし。過去の事、未来の事を申あてて候がまことの法華経にては候なり。
日蓮はいまだつくし(筑紫)を見ず、えぞ(西戎)しらず。一切経をもて勘へて候へばすでに値ぬ。もししからば、各々不知恩の人なれば無間地獄に堕給べしと申候はたがひ候べき歟。今はよし、後をごらんぜよ。日本国は当時のゆき(壱岐)対馬のやうになり候はんずるなり。其後、安房国にむこ(蒙古)が寄せて責候はん時、日蓮房の申せし事の合たりと申は、偏執の法師等が口すくめて無間地獄に堕ん事、不便なり不便なり。  正月十一日   日蓮  [花押]   安房国清澄寺大衆中
このふみは、さど(佐渡)殿とすけあさり(助阿闍梨)御房と虚空蔵の御前にして大衆ごとによみきかせ給へ。