こう入道殿御返事
172 こう入道殿御返事
あまのりのかみぶくろ二、わかめ十でう、こも(小藻)のかみぶくろ一、たこひとかしら。人の御心は定なきものなれば、うつる心さだめなし。さどの国に候し時御信用ありしだにもふしぎにをぼへ候しに、これまで入道殿をつかわされし御心ざし、又国もへだたり年月もかさなり候へば、たゆむ御心もやとうたがい候に、いよいよいろ(色)をあらわし、こう(功)をつませ給事、但一生二生の事にはあらざるか。
此法華経は信がたければ、仏、人の子となり、父母となり、め(妻)となりなんどしてこそ信ぜさせ給なれ。しかるに御子もをはせず、但をやばかりなり。其中衆生悉是吾子経文のごとくならば、教主釈尊は入道殿・尼御前の慈父ぞかし。日蓮は又御子にてあるべかりけるが、しばらく日本国の人をたすけんと中国に候か。宿善たうとく候。
又蒙古国の日本にみだれ入る時はこれへ御わたりあるべし。又子息なき人なれは御としのすへには、これへとをぼしめすべし。いづくも定なし。仏になる事こそつゐのすみかにては候へとをもひ切せ給べし。恐恐謹言。 卯月十二日 日蓮[花押] こうの入道殿 [御返事]