法衣書
書下し
法衣書
[1]御衣布並びに単衣布給給び候ひ了んぬ。
[2]そもそも食は命をつぎ、衣は身をかくす。食を有情に施すものは長寿の報をまねき、人の食を奪ふものは短命の報をうく。
[3]衣を人にほどこさぬ者は世々所生に裸形の報をかん(感)ず。六道の中に人道以下は皆形裸にして生まる。天は随生衣なり。その中の鹿等は無衣にして生まるのみならず、人の衣をぬすみしゆへに、身の皮を人にはがれて盗みし衣をつぐのうほう(報)をえたり。
[4]人の中にも鮮白比丘に(尼)は生ぜし時、衣を被りて生まれぬ。仏法の中にも裸形にして法を行ずる道なし。故に釈尊は摩訶大母比丘尼の衣を得て正覚をなり給ひき。諸の比丘には三衣をゆるされき。鈍根の比丘は衣食ととのわざれば阿羅漢果を証せずとみへて候ふ。殊に法華経には「〔柔和忍辱の衣〕」と申して衣をこそ本とみへて候へ。また法華経の行者をば衣をもつて覆はせ給ふと申すもねんごろなるぎ(義)なり。
[5]日蓮は無戒の比丘、邪見の者なり。故に天これをにくませ給ひて食衣ともしき身にて候ふ。しかりといえども法華経を口に誦し、ときどきこれをとく。譬へば大蛇の珠を含み、いらん(伊蘭)よりせんだん(栴檀)を生ずるがごとし。いらんをすててせんだんまいらせ候ふ。蛇形をかくして珠を授けたてまつる。
[6]天台大師云はく「〔他経はただ男に記して女に記せず〕」等云云。法華経にあらざれば女人成仏は許されざるか。具足千万光相如来と申すは摩訶大比丘尼のことなり。これ等もつてをしはかり候ふに、女人の成仏は法華経により候ふべきか。
[7]「〔必ず、まさに真実を説きたまうべし〕」は教主釈尊の金言、「〔皆これ真実なり〕」は多宝仏の証明、「〔舌相、梵天に至る〕」は諸仏の誓状なり。日月は地に落つべしや、須弥山はくづるべしや、大海の潮は増減せざるべしや、大地は翻覆すべしや。
[8]この御衣の功徳は法華経にとかれて候ふ。ただ心をもつてをもひやらせ給ひ候へ。言にはのべがたし(後欠)
現代語訳
法衣書
弘安三年(一二八〇)、五九歳、於身延、和文、定一八五四—一八五五頁。
[1]ご法衣用の布ならびに単衣用の布を頂戴いたしました。お礼申し上げます。
[2]そもそも食物は命をつなぐものであり、衣類は身をかくすもので、生活上の最低の必需品です。だから、食物を生類に施すものは長寿という善果を得、他人の食物を奪うものは短命という悪報を受けるのです。
[3]衣を人に施さない者は、いくら生まれ変わっても裸でいるという悪報を受けます。六道の中で、人道以下の五道のものは、みな裸で生まれます。天人だけは生まれながらに衣を着けています。人道以下の五道の中の鹿などは裸で生まれるだけではありません。他人の衣を盗んだ罪によって、身の皮を他人に剥がれてその罪をつぐなうという報いを受けています。
[4]また、衣を人に施すことは大切で、それを実践した鮮白比丘尼は生まれた時から衣を身につけていました。仏法の修行は数多くありますが裸で行なうことはありません。ですから釈尊は養母の摩訶大母比丘尼から衣をもらって悟りをお開きになりました。そして比丘たちに三衣を着ることを許されたのです。鈍根の比丘は衣食が不足すると阿羅漢果を達成しないといわれています。ことに法華経には「柔和忍辱の衣」といって、衣を着ることこそが修行の本であると記されています。また法華経には、仏が法華経の行者を衣で覆いなさると説かれていますが、これもありがたい教えです。
[5]私は、無戒の僧であり、邪見の者です。だから天が私の不徳をお憎みになり、私は食にも衣にも事欠く身となっているのです。しかし、他の修行はさておき、法華経を口にとなえ、時々は人に説き示しています。無戒・邪見の私が法華経を受持しているのは、たとえば、畜生である大蛇が宝珠をくわえているようなものであり、また悪臭を放つ伊蘭の群生地に香木の栴檀が生えているようなものです。伊蘭を捨てて栴檀を差し上げます。蛇の身を隠して宝珠をお授けいたします。
[6]天台大師は法華文句で「法華経以外の諸経は、男性の成仏だけを認めて、女の成仏を認めていない」といっています。法華経でなければ女人成仏は許されないというわけでしょう。法華経の勧持品に登場する具足千万光相如来というお方は、釈尊の義母の摩訶大母比丘尼のことです。これらのことから推し量りますと、女性の成仏は法華経によらなければ不可能だということになりましょう。
[7]法華経の方便品にある通り「かならず、まさに真実を説かれるであろう」とは教主釈尊ご自身のおことばですが、それを見宝塔品で多宝如来が「みなこれ真実である」と証明し、如来神力品では諸仏が「舌相、梵天に至る」という讃歎の表現をなさいました。日や月が地に落ちることがあるでしょうか、須弥山がくずれることがあるでしょうか、大海の水が満ちたり干たりしないことがあるでしょうか、大地が転覆することがあるでしょうか——それらが決してないように、法華経の教えは絶対不動の真理なのです。
[8]あなたがご供養くださった衣の功徳のことは、その法華経の中に説かれているのですから間違いありません。詳細についてはいろいろと思いをめぐらしてください。このことばで言いつくせませんので。(後欠)