南部六郎殿御書
書下し
南部六郎殿御書
[1](前欠)眠れる師子に手を付けざれば瞋らず、流れにさをを立てざれば浪立たず、謗法を呵嘖せざれば留難なし。「〔もし善比丘、壊法の者を見て、置きて呵嘖せず〕」の「置」の字をそれずんば今は吉し。後を御らんぜよ。無間地獄は疑ひ無し。故に南岳大師の四安楽行に云はく「〔もし菩薩有りて悪人を将護して治罰することあたはず、それをして悪を長ぜしめ、善人を悩乱し、正法を敗壊せば、この人は実に菩薩にあらず。外には詐侮を現し常にこの言をなさん、我は忍辱を行ずと。その人、命終して諸の悪人と倶に地獄に堕ちなん〕」云云。十輪経に云はく「〔もし誹謗の者ならば共住すべからず、また親近せざれ、もし親近し共住せば即ち阿鼻地獄に趣かん〕」云云。栴檀の林に入りぬれば、たをらざるにその身に薫ず。誹謗の者に親近すれば所修の善根ことごとく滅して倶に地獄に堕落せん。故に弘決の四に云はく「〔もし人もと悪無けれども悪人に親近すれば後に必ず悪人と成りて悪名天下に遍し〕」云云。
[2]およそ謗法に内外あり。国と家との二これなり。外とは日本六十六ケ国の謗法これなり。内とは王城九重の謗これなり。この内外を禁制せずんば宗廟社禝の神に捨てられて、必ず国家亡ぶべし。如何と云ふに宗廟とは国王の神を崇む。社とは地の神なり。禝とは五穀の総名、五穀の神なり。この両神法味に飢へて国を捨て給ふ故に国土既に日日衰減せり。故に弘決に云はく「〔地広くしてことごとく敬すべからず。封して社となす。禝とは謂はく五穀の総名にして即ち五穀の神なり。故に天子の居する所には、宗廟を左にし、社禝を右にし、四時五行を布き列ぬ。故に国の亡ぶるをもつて社禝を失うとなす〕」。
[3]故に山家大師は「国に謗法の声有るによて万民数を減じ、家に讃教の勤めあれば七難必ず退散せんと。」故に分分の内外有るべし。
[4]<日>五月十六日日>
[5]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
[6]<先>南部六郎殿先>
現代語訳
南部六郎殿御書
文永八年(一二七一)五月一六日、五〇歳、著作地不明、原和漢混淆文、定四八七—四八八頁。
[1](前欠)眠っている獅子は手を出さなければ怒りません。流れに棹をささなければ波は立ちません。そのように、正法を謗る者を黙って見過ごしておけば被害に会わないですみます。ところが涅槃経に「もし善比丘が、仏法を破壊する者を見て、放置して呵責しないならば、その人は仏法の怨敵である」とあります。この文中の「放置して」という言葉を謹んで受け止めないと、現世は何とか過ごせるにしても、来世には無間地獄に落ちること疑いありません。だから南岳大師は四安楽行儀の中で「もし菩薩がいて、悪人をかばい護って罰を加えることができず、その悪を増大させて善人を悩ませ、正法を破壊させるならば、その人は真の菩薩ではない。その人は外面は菩薩のようなふりをして他人を欺き、常にいうであろう、『私は忍辱の修行をしているのだ』と。その人は死んでから多くの悪人とともに地獄に落ちるであろう」と述べています。また大方広十輪経には「もし正法を誹謗する者ならば、ともに居住してはいけない。また親しみ近づいてもいけない。もし親しみ近づいてともに居住したならば、必ず阿鼻地獄に落ちるであろう」とあります。たとえば、栴檀の林に入れば、枝を折らなくても芳香が身につきます。そのように、正法を誹謗する者に親しみ近づけば、それまで修行して積んだ功徳が全部消滅して、相手とともに地獄に陥るでしょう。それで妙楽大師は摩訶止観弘決の四に「もし、人が、本来は悪人ではなくても、悪人に親しみ近づけば、後に必ず悪人となって、悪名が天下に広まるようになる」と警告しているのです。
[2]およそ正法の誹謗には内と外との二類があります。別のいい方をすれば、国と家との二類です。外というのは日本六十六か国の全人民による謗法です。内というのは王城宮中で行なわれる国政の主権者による謗法です。この内外両者の謗法を禁制しなければ、宗廟や社稷の神々に見捨てられて、必ず国家は亡びるでしょう。なぜかというと、宗廟とは国王の魂を崇めて祭るところであり、社とは地の魂、稷とは五穀の総名また五穀の魂なのですが、これら宗廟・社稷の魂が正しい仏法に欠乏して国を見捨てて去っておしまいになるので、日本の国土はもう日々に衰えていっているのです。だから弘決には「大地はあまりに広くてそのすべてに敬意を表することができない。よって地の神を崇めて社とするのである。稷とは五穀の総名であり五穀の魂である。ゆえに天子のいる所では、左に宗廟を、右に社稷を祭り、春夏秋冬の四季と木火土金水の五行が順調に運行されることを祈るのである。だから国が亡びることを社稷を失うというのである」と記されています。
[3]故に比叡山の伝教大師は「国に正法を誹謗する声があると人民はその数を減らし、家に正法を鑽仰する行ないがあると七種の災厄は必ず退けられる」といっているのです。そのようなわけで、それぞれにはそれぞれの内外があることに留意して励んでください。
[4]<日>五月十六日日>
[5]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[6]<先>南部六郎殿先>