是日尼御書
書下し
是日尼御書
[1](前欠)ぬ。さどの国よりこの甲州まで入道の来たりしかば、あらふしぎやとをもひしに、また今年来て「な(菜)つみ、水くみ、たきぎこり」。だん(檀)王の阿志仙人につかへしがごとくして一月に及びぬる不思議さよ。ふで(筆)をもちてつくしがたし。これひとへにまた尼ぎみの御功徳なるべし。また御本尊一ふくかきてまいらせ候ふ。霊山浄土にてはかならずゆきあひたてまつるべし。恐恐謹言。
[2]<日>卯月十二日日>
[3]<先>尼是日先>
現代語訳
是日尼御書
弘安元年(一二七八)四月一二日、五七歳、於身延、和文、定一四九四頁。
[1](前欠)た。去年、佐渡の国からこの甲州身延山まで、入道がおいでになったので、ほんとうに奇特なことだと思っていましたところ、また今年も来山して、法華経・提婆達多品の、須頭檀王が阿私仙人に長いあいだ仕えた話のように、「菜摘み、水汲み、薪樵り」して一か月間も奉仕してくださったのは、常識では考えられないほどありがたいことです。感謝の気持ちは筆舌に尽くせません。これもひとえに、尼君の厚いご信仰心があったから実現したことでありましょう。それにつけても御本尊を一幅書いて進呈いたします。この世ではお会いできそうにもありませんが、来世には必ず霊山浄土でお目にかかりましょう。恐恐謹言。
[2]<日>四月十二日日>
[3]<先>尼是日先>