妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

妙一尼御返事

全集 第7巻 2段 定本: #120(定本の該当ページへ)

書下し

妙一尼御返事みよういちあまごへんじ


[1]瀧王丸*たきおうまるこれを遣使けんしす。
[2]昔国王は自身をもつて床座となし、千歳の間阿私仙*あしせんに仕へ奉り、妙法蓮華経の五字を習ふ。今の釈尊これなり。
[3]今の施主妙一比丘尼は道の身を扶けんとして小童に命じ、これを使ひとして法華経の行者に仕へ奉りし。
[4]彼は国王これは卑賤、彼は国に畏れなし、これは勘気を被るの身、これは末代の凡女かれは上代の聖人なり。志しに彼に越過す。来果何ぞ斎等ならざらんや。
[5]殿は今年は鎌倉に住むか。衆生を教化すか。恐恐謹言。
[6]<日>卯月二十六日
[7]<人>日 蓮<花押>花押
[8]<先>さじき妙一尼御前
現代語訳

妙一尼御返事


文永一〇年(一二七三)四月二六日、五八歳、於佐渡一谷、原漢文、定七二二頁。

[1]滝王丸を私への給仕のために遣わしてくださってありがとうごさいます。
[2]昔、国王が自分の身を床座として提供し、千年もの長い間阿私仙人にお仕えして妙法蓮華経の五字に込められた真理を習得した、それが今の釈尊であるということが法華経の提婆品だいばほんに記されています。
[3]今日の施主妙一比丘尼は、しい私の仏道修行を援助するために小童滝王丸を佐渡まで遣わしてくださるという方法で法華経の行者に奉仕なさったのですから、その行ないは前の提婆品の話に類するものともいえます。
[4]しかし、提婆品の話とこのたびのこととを細かく観察して、給仕する者を比べれば、あちらは裕福な国王であり、こちらは卑賤な小童です。給仕される者を比べれば、あちらは国家に護られた仙人であり、こちらは国家から罰せられている日蓮です。時代と施主について比べれば、こちらは末法濁悪の世の凡女であり、あちらは正法清浄の世の聖人です。経済力も身分も地位も時代も、あらゆる面にわたってあちらの方がすぐれています。だからこそかえって、誠意についてはこちらの方がまさっていることが明白なのです。したがって、果報も、あちらとこちらとが同じであるはずはありません、あなたの方がまさっているに決まっています。
[5]弁殿日昭は、今年は鎌倉に住んで衆生を教化することになると思います。お会いになる機会もありましょう。恐恐謹言。
[6]<日>卯月二十六日
[7]<人>日 蓮 <花押>花押
[8]<先>桟敷妙一尼御前