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日眼女釈迦仏供養事

全集 第7巻 2段 定本: #20327(定本の該当ページへ)

書下し

日眼女釈仏供養事にちげんによしやかぶつくようじ


[1]御守書きてまいらせ候ふ。
[2]界のあるじ、教主釈尊一体三寸の木像造立の檀那日眼女にちげんによ。御供養の御布施、前に二貫今一貫云云。
[3]法華経の寿量品に云はく、「〔或は己身こしんを説き、或は他身を説く〕」等云云。東方の徳仏・中央の大日如来・十方の諸仏・過去の七仏・三世の諸仏、行菩等、殊師利・舎利弗*しやりほつ等、大梵天王*だいぼんでんのう・第六天の王・釈提桓因王*しやだいかんにんおう日天*につてん月天*がつてん明星天*みようじようてん・北斗七星・二十八宿・五星・七星・八万四千の無量の諸星、阿修羅王・天神・地神・山神・海神・宅神・里神・一切世間の国々の主とある人、何れか教主釈尊ならざる。天照太神・八幡大菩もその本地は教主釈尊なり。例せば釈尊は天の一月、諸仏菩等は万水に浮かぶる影なり。釈尊一体を造立する人は十方世界の諸仏を作り奉る人なり。譬へば頭をふればかみ(髪)ゆるぐ、心はたらけば身うごく。大風吹けば草木しづかならず、大地うごけば大海さはがし。教主釈尊をうごかし奉れば、ゆるがぬ草木やあるべき、さわがぬ水やあるべき。
[4]今の日眼女は三十七のやく(厄)と云云。やくと申すは譬へばさい()にはかど、ます(升)にはすみ、人にはつぎふし(関節)、方には四維よすみのごとし。風は方よりふけばよはく、角より吹けばつよし。病は肉より起これば治しやすし、ふしより起これば治しがたし。家にはかきなければ盗人いる、人にはとがあれば敵便たよりをうく。やくと申すはふしぶしのごとし。家にかきなく、人にとがあるがごとし。よきひやうし(兵士)をもつてまほらすれば、盗人をからめとる。ふしの病をかねて治すれば命ながし。
[5]今教主釈尊を造立し奉れば、下女が太子をうめるがごとし。国主なおこの女を敬ひ給ふ。何にいわんや大臣以下をや。大梵天王・釈提桓因王・日・月等、この女人を守り給ふ。いわんや大小の神をや。
[6]*うでん大王、釈仏を造立し奉りしかば、大梵天王・日・月等、木像を礼しに参り給ひしかば、木像説きて云はく、「我を供養せんよりは優大王を供養すべし」等云云。影堅ようけん王の画像の釈尊を書き奉りしもまたまたかくのごとし。
[7]法華経に云はく「〔もし人、仏のための故に諸の形像を建立す。かくのごとき諸人等、皆すでに仏道を成しき〕」云云。文の心は「一切の女人釈仏を造り奉れば、現在には日々月々の大小の難を払ひ、後生には必ず仏になるべし」と申す文なり。
[8]そもそも女人は一代五千七千余巻の経々に、仏にならずときらはれまします。ただ法華経ばかりに、「女人仏になる」と説かれて候ふ。
[9]台智者大師の釈に云はく「〔女に記せず〕」等云云。釈の心は「一切経には女人仏にならず」と云云、次下に云はく「〔今経は皆記す〕」と云云。「今の法華経にこそ竜女*りゆうによ仏になれり」と云云。天台智者大師と申せし人は、仏滅度の後一千五百年に、漢土と申す国に出でさせ給ひて、一切経を十五返まで御覧あそばして候ひしが、「法華経より外の経には女人仏にならず」と云云。妙楽*みようらく大師と申せし人の釈に云はく、「〔一代に絶えたる所なり〕」等云云。釈の心は「一切経にたえたる法門なり。」
[10]法華経と申すは星の中の月ぞかし、人の中の王ぞかし。山の中の須弥山*しゆみせん、水の中の大海のごとし。これ程いみじき御経に、「女人仏になる」と説かれぬれば、一切経にはれたるになにかくるしかるべき。譬へば盗人・夜打・強盗・乞食・渇体かつたいにきらはれたらんと、国の大王にほめめられたらんと、何れかうれしかるべき。
[11]日本国と申すは女人の国と申す国なり。天照太神と申せし女神めがみのつきいだし給へる島なり。この日本には男は十九億九万四千八百二十八人、女は二十九億九万四千八百三十人なり。この男女は皆念仏者にて候ふぞ。皆念仏なるが故に阿弥陀仏を本尊とす。現世の祈りもまたかくのごとし。たとひ釈仏をつくりかけども、阿弥陀仏の浄土へゆかんと思ひて、本意の様には思ひ候はぬぞ。中々つくりかかぬにはをとり候ふなり。
[12]今日眼女は今生の祈りのやうなれども、教主釈尊をつくりまいらせ給ひ候へば、後生も疑ひなし。二十九億九万四千八百三十人の女人の中の第一なりとをぼしめすべし。くはしくはまたまた申すべく候ふ。恐恐謹言。
[13]<日>弘安二年〈己卯つちのとう〉二月二日
[14]<人>日 蓮<花押>花押
[15]<先>日眼女御返事
現代語訳

日眼女釈仏供養事


弘安二年(一二七九)二月二日、五八歳、於身延、和文、定一六二三—一六二六頁。

[1]お守りを書いて進呈いたします。
[2]三界の教主釈尊のたけ三寸の御木像を一体お造りになった檀那日眼女から、ご供養の御布施として、前に銭二貫、今また銭一貫をお届けいただきました。お礼申し上げます。
[3]法華経の寿量品に「仏の教えは一切衆生の苦しみを除き、仏の道に導くためのものである。だから仏は、あるいは仏の身を説いたり仏以外の身を説いたりし、あるいは仏の身を示したり仏以外の身を示したりし、あるいは仏としての行ないを示したり仏以外のものの行ないを示したりして、いろいろな教化のしかたをする」と説かれています。したがって、東方無憂むう世界の善徳仏も、中央にいらっしゃる大日如来も、広く十方世界の諸仏も、遠く過去の世に出現された七仏も、さらに三世にわたる諸仏も、それから、上行菩ら本化地涌の菩たち、文殊師利のような迹化しやつけの菩、舎利弗らの声聞しようもん、三界の主である大梵天王、欲界に君臨する第六天の魔王、利天とうりてんを支配する帝釈天、あるいは日天・月天・明星天・北斗七星・二十八宿・五星・七星をはじめとする八万四千の数えきれないほどの諸星、その他、阿修羅王・天神・地神・山神・海神・宅神・里神といった世界中の諸所の主となっていらっしゃる神々、それら諸尊のどなたが、教主釈尊の垂迹すいじやくでないことがありましょうか。わが国の祖神おやがみ天照太神や守護神八幡大菩もみなその本地は教主釈尊なのですよ。たとえば、釈尊は天空に輝く一つの月、諸仏諸菩らはあちこちの水に浮かぶ月の影のようなものです。だから、釈尊のお像一体を造立する人は、十方世界に充満する諸仏をお作りする人に他ならないのです。たとえば、頭を振れば髪の毛がゆれるでしょう。心が起これば体もそれにつれて動きます。大風が吹けば草木はざわざわと音を立てますし、大陸に地震が起きれば大海は波立ちます。それと同じように、お像をお作りして釈尊に喜んでいただければ、諸仏・諸菩・天地神明のすべてが、あなたを護るために腰を上げてくださらないはずがありましょうか。
[4]今年、あなたは三十七歳のやくに当たるので、それが気がかりだということですね。そもそも厄というのは、たとえば賽子さいころでいえばかどますでいえばすみ、人体でいえば関節、東・南・西・北の四方しほうでいえば東南・南西・西北・北東という四維しいのようなものです。風は正面から吹けば弱く当たりますが角から吹けば強くなります。病気は体のふつうのところに起これば治しやすいのですが関節をおかされると治しにくくなります。家に垣根がないと盗人が入ります。人に過失があると敵はそれにつけこみます。そのような例に当てはめていうならば、厄というのは関節のようなもの、あるいは家に垣根がなく、人に過失があるようなものです。勇猛な兵士に家を守らせれば盗人を捕えます。関節の病気を治療すれば寿命は長くなります。
[5]このたび、あなたは教主釈尊のお像をお造り申し上げたのですから、卑しい下女が貴い王子を出産したようなものです。国王でもその女性を尊敬なさいます。まして大臣以下の人々が尊敬しないことがありましょうか。また、大梵天王・帝釈天・日天・月天らの天神がたがその女性をお守りくださいます。どうしてその他の大小の神々が守護なさらないことがありましょうか。
[6]昔、インドのうでん大王が、釈尊のお像をお造りになりましたので、大梵天王・日天・月天らの天神たちが、その木像を礼拝しにおいでになりましたところ、木像が「私を供養するよりは優大王を供養しなさい」とおっしゃいました。また影堅王が画像の釈尊をお書きになった時も同じでありました。
[7]法華経に「あるいは人が、仏のための故にもろもろの形像を建立する。このような諸人ら、みなすでに仏道を成じた」とあります。この経文は、「釈尊のお像をお造りするすべての女性は、現世では日々月々の大小の災難を払い、後生には必ず仏になるにきまっている」という内容の文です。
[8]そもそも女性は、釈尊が一生の間にお説きになった五千巻にも七千巻にも及ぶ経典の中で、成仏することができないものとして忌避されていますが、ただ法華経だけに「女性も仏に成る」と説かれているのです。
[9]天台智者大師の法華経の注釈には「女には授記しない」とあります。これは、「法華経以外のすべての経典は女性の成仏を認めない」ということです。また大師は前の句に続けて「今経こんきようみな授記する」といっています。これは、釈尊一代の説法のうちの最後に説かれた法華経によって、はじめて竜女も仏になり、すべての女性の成仏が保証された、ということです。天台智者大師という方は、釈尊が亡くなられて一千五百年の後に、漢土という国(中国)にお生まれになり、一切経を十五度までお読みになった結果、「法華経以外の経典には女性の成仏が説かれていない」ということを発見された方です。その説を受け継がれた妙楽大師という方の注釈に「一代に絶えたるところなり」とあります。これは、「法華経に説かれたところの、女性が成仏するという教えは、他のすべての経典には絶無のものだ」という文です。
[10]このように法華経という経典は、星の中の月のように輝くもの、人の中の王のように偉いものです。また、山の中では須弥山しゆみせんのように高く、水の中では大海のように深いものです。これほどすぐれたお経に「女性は仏になる」と説かれているのですから、ほかのすべての経典で忌避されたところで、何の苦痛もないでしょう。たとえば、盗人・夜打ようち・強盗・乞食・渇体かつたいといった多くのつまらない人々にけなされても、ただ一人しかいない偉大な国王にほめられれば、どれほど嬉しいか、いうまでもないことでしょう。
[11]日本国というのは〈女性の国〉ともいうべき国です。この国は天照太神と申し上げた女神が島をお造りになったところから始まりました。この日本には、男は百九十九万四千八百二十八人、女は二百九十九万四千八百三十人います。この男女は、みな念仏の信者です。みな念仏の信者だから阿弥陀仏を本尊としています。そして後世に極楽浄土へ往生することを願っているのです。現世安穏の祈願も同じように阿弥陀仏に対してしています。その人たちが、もしかりに釈尊のお像を造ったり描いたりしたとしても、結局は阿弥陀仏の極楽浄土に往生することを願っているのであって、釈尊の霊山りようぜん浄土での成仏を考えてはいません。つまり、本心からではなくて、一時的な現世利益のために釈尊像を利用しているだけなのですから、かえって、お像を造ったり描いたりしないよりも、もっと悪質なことなのです。
[12]ところで今のあなたは、三十七歳の厄を除けるためだというのですから、現世でのご利益を祈るだけのことのようですが、教主釈尊のお像をお造り申し上げなさったのですから、後世の成仏も間違いありません。二百九十九万四千八百三十人の日本女性の中の、第一の果報者になるとお思いください。委細はまたお便りいたします。恐恐謹言。
[13]弘安二年〈己卯〉<日>二月二日
[14]<人>日 蓮 <花押>花押
[15]<先>日眼女御返事