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重須殿女房御返事

全集 第7巻 2段 定本: #20399(定本の該当ページへ)

書下し

重須殿女房御返事おもんすどのにようぼうごへんじ


[1]十字*むしもち一百まい・かしひとこ(菓子一籠)給ひ了んぬ。
[2]正月の一日は日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始め。これをもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく、とく(徳)もまさり人にもあいせられ候ふなり。
[3]そもそも地獄と仏とはいづれの所に候ふぞとたづね候へば、或は地の下と申す経もあり、或は西方等と申す経も候ふ。しかれども委細にたづね候へば、我等が五尺の身の内に候ふとみへて候ふ。さもやをぼへ候ふ事は、我等が心の内に父をあなづり、母ををろかにする人は、地獄その人の心の内に候ふ。譬へば蓮のたねの中に花と菓とのみゆるがごとし。仏と申す事も我等の心の内にをはします。譬へば石の中に火あり、たまの中に財のあるがごとし。我等凡夫はまつげのちかきと虚空のとをきとは見候ふ事なし。我等が心の内に仏はをはしましけるを知り候はざりけるぞ。
[4]ただし疑ひある事は、我等は父母の精血変じて人となりて候へば、毒の根本婬欲の源なり。いかでか仏はわたらせ給ふべきと疑ひ候へども、又うちかへしうちかへし案じ候へば、そのゆわれもやとをぼへ候ふ。蓮はきよきもの。泥よりいでたり。せんだんはかうばしき物、大地よりをいたり。さくらはをもしろき物、木の中よりさきいづ。やうきひ(楊貴妃)は見めよきもの、下女のはらよりむまれたり。
[5]月は山よりいでて山をてらす。わざわいは口より出でて身をやぶる。さいわいは心よりいでて我をかざる。今正月の始めに法華経をくやうしまいらせんとをぼしめす御心は、木より花のさき、池より蓮のつぼみ、雪山のせんだんのひらけ、月の始めて出づるなるべし。
[6]今日本国の法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねきよせぬ。これをもつてをもうに、今また法華経を信ずる人はさいわいを万里の外よりあつむべし。影は体より生ずるもの、法華経をかたきとする人の国は、体にかげのそうがごとくわざわい来たるべし。法華経を信ずる人はせんだんにかをばしさのそなえたるがごとし。またまた申し候ふべし。
[7]<日>正月五日
[8]<人>日 蓮<花押>花押
[9]<先>をもんすどのの女房御返事
現代語訳

重須殿女房御書


弘安四年(一二八一)正月五日、六〇歳、於身延、和文、定一八五五—一八五七頁。

[1]むし百枚、果物一かご頂戴いたしました。お礼申し上げます。
[2]正月の元日は、日の始め、月の始め、年の始め、春の始めです。この日を大切にする人は、たとえば月が西から東をさして満ちていくように、日が東から西に渡って照らすように、内には人徳を積み、外には人から敬愛されるのです。
[3]そもそも地獄と仏とはどこに存在するかと尋ねてみると、あるいは地獄は地の下にあるという経文も見出され、あるいは仏は西方の極楽浄土などにいらっしゃるという経文もあります。しかし、よくよく調べてみると、地獄も仏も私たち五尺の身体の内に存在するものだということが説かれています。その証拠になると思われることをいえば、私たちが心の中で父をあなどったり、母をおろそかにすることがありますが、それはその人の心の中の地獄が作用しているのです。それはたとえば、蓮華の種子の中に花と実とが宿っているようなものです。また仏も私たちの心の中にいらっしゃいます。それはたとえば、火打ち石には火が宿っており、宝石の中には財産が宿っているようなものです。私たち凡人は、あまりに近すぎる睫毛まつげと、あまりに遠すぎる宇宙の果てとを見ることができませんが、そのように、私たち自身の心の中にいらっしゃる仏を存じあげないでいるのです。
[4]ただ少し疑問に思われることは、私たちは父母の水から人間に生育するものですから、貪欲とんよく瞋恚しんに愚痴ぐちという三毒の根本にある欲を出発点としている存在だということです。したがって、こういう汚れた身の中に仏がいらっしゃるということが疑われるわけです。しかし、もう一度よくよく考え直してみると、それももっともなことだと思われます。蓮華は清らかな花ですが、泥沼に咲きます。栴檀せんだんは香ばしい木ですが、大地から生い立ちます。桜は春をいろどるものですが、つまらない木に花をつけます。楊貴妃は美女の代表とされる人ですが、身分の賤しい女の腹から生まれています。これらの例のように、劣っているものが優れているものを産み出すのはよくあることなのです。
[5]さて、たとえば、月は山から出てその山を照らします。悪い言葉は口から出てその身を破滅させます。善い行ないは心から出てその人を幸せにします。そのように、何ごともその原因を作ったところに結果が返ってくるものですが、いま、あなたの、正月の始めに法華経をご供養申し上げようとなさるお心は、つまらない木に美しい桜の花が咲き、汚ない池に蓮華がつぼみをつけ、雪山の栴檀が雪を割って育ち、月が始めて山から出るように、あなたご自身によい果報をもたらすでしょう。
[6]今、日本国の人々は、法華経を敵としたためにわずらいを千里の外から招き寄せてしまいました。このことから推し測ると、今、法華経を信じている人は、幸せを万里の外から集めることでしょう。影は体によってできるものですが、法華経を敵とする人の国は、体に影が付き添っているように、患いがいつもつきまとうことでしょう。その反対に、法華経を信ずる人は、ただでさえ香りのよい栴檀にいっそうの香ばしさを添えたように、すばらしい功徳を得られることと思います。今日はこの辺にして、またお便りします。
[7]<日>正月五日
[8]<人>日 蓮 <花押>花押
[9]<先>重須殿の女房御返事