大善大悪御書
書下し
大善大悪御書
[1]大事には小瑞なし。大悪をこれば大善きたる。すでに大謗法国にあり、大正法必ずひろまるべし。各々なにをかなげかせ給ふべき。迦葉尊者にあらずとも、まいをもまいぬべし。舎利弗にあらねども、立ちてをどりぬべし。上行菩薩の大地よりいで給ひしには、をどりてこそいで給ひしか。普賢菩薩の来るには、大地を六種にうごかせり。事多しといへども、しげきゆへにとゞめ候。又々申すべし。
現代語訳
大善大悪御書
文永一二年(一二七五)、五四歳、対告不明、和文、一紙断簡、定八七七頁。
[1]大事件の起こる前には善かれ悪しかれ大瑞があるもので、小瑞はない。そして大悪の後には大善が起こるものである。今の日本国はすでに大謗法の国となっているから、やがて大正法が必ず弘まるであろう。おのおの方は何もお嘆きになることはない。迦葉尊者ではないが、舞って悦ぶべきである。舎利弗尊者ではないが、踊りあがって歓喜すべきである。上行菩薩が大地から涌出された時には、踊躍して出現されたではないか。普賢菩薩が出現された時には、大地を六種に震動させている。申し述べたいことはたくさんあるけれども、忙しいので筆をおく。またの機会に申したい。