乗明聖人御返事
書下し
乗明聖人御返事
[1]相州鎌倉より青鳧二結、甲州身延の嶺に送り遣わされ候い了んぬ。
[2]昔、金珠女は金銭一文を木像の薄となし、九十一劫金色の身となりき。その夫の金師は今の迦葉、未来の光明如来これなり。今、乗明法師妙日、並びに妻女は銅銭二千枚を法華経に供養す。彼は仏なり、これは経なり。経は師なり、仏は弟子なり。涅槃経に云く、「諸仏の師とする所は、いわゆる法なり。乃至、この故に諸仏恭敬供養す」と。法華経第七に云く、「もしまた人あつて七宝をもつて三千大千世界に満てて、仏及び大菩薩・辟支仏・阿羅漢を供養せん。この人の得る所の功徳は、この法華経の乃至一四句偈を受持する、その福の最も多きにはしかず」と。
[3]それ劣れる仏を供養するも、なお九十一劫に金色の身となりぬ。勝れたる経を供養する施主、一生に仏位に入らざらんや。ただ真言・禅宗・念仏者等の謗法の供養を除き去るべし。譬えば、修羅を崇重しながら、帝釈を帰敬するがごときのみ。恐々謹言。
[4]<日>卯月十二日日>
[5]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
[6]<先>乗明聖人御返事先>
現代語訳
乗明聖人御返事
建治三年(一二七七)四月一二日、五六歳、於身延、大田乗明宛、原漢文、定一三〇〇頁。
[1]相模の国鎌倉から、甲州身延の嶺まで、使者を遣わされて銭二結をお届け下さり、たしかに拝受いたしました。
[2]昔、金珠女という貧しい一人の女性が、黄金の銭一枚を仏像修補のための金箔のたすけとして奉納した功徳によって、九十一劫という永い間、金色の身に生まれた。その夫の鍛冶師は、いまの釈尊の弟子迦葉であり、法華経において未来は光明如来になるという予言を授けられている。今、乗明法師妙日とその妻女は、銅銭二千枚を法華経に供養された。かの金珠女は仏に供養し、貴殿は法華経に供養したのである。経は仏の師であり、仏はその弟子である。このことについて涅槃経では、「諸仏が師匠と仰ぐのは法である。それ故に諸仏が法を尊敬し供養するのである」と説かれている。また法華経第七巻の薬王品には、「もしある人が、金・銀・瑠璃・真珠などの七宝を、三千大千世界に充満するほど積み重ねて、仏や大菩薩・辟支仏・阿羅漢等の聖者に供養したとしても、その人が獲得する功徳は、この法華経のわずか一句や四句(一偈)を信受する人が得る大果報にはとても及ぶものではない」と説かれている。
[3]以上のように、法よりも劣った仏を供養してさえも、なお九十一劫の永い間、金色の身をもって生まれたのであるから、ましてや仏の師である勝れた法華経に対して供養された施主である貴殿方は、一生の間に成仏されないことがあろうか、いや必ず仏位に至ることができる。ただし真言宗や禅宗や念仏者等の、法華経を純粋に信受しない謗法の人々が法華経に供養したとしても、成仏することは不可能で、それから除かれるのである。それはたとえば、いつもは鬼神の修羅を崇めていながら、気まぐれに善神の帝釈天を敬うようなもので、帝釈天はそのような不純な帰依を受けるはずがない。以上、つつしんで申し上げる。
[4]<日>四月十二日日>
[5]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[6]<先>乗明聖人御返事先>