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富木殿御返事

全集 第6巻 2段 定本: #20389(定本の該当ページへ)

書下し

富木殿御返事ときどのごへんじ


[1]鵞目一結がもくひとゆい、天台大師の御宝前を荘厳し候い了んぬ〕。
[2]〔経に云く、「法華最第一なり」と。また云く、「よくこの経典を受持することあらん者も、またまたかくのごとし。一切衆生の中において、またこれ第一なり」と。また云く、「その福、また彼に過ぎん」。妙楽云く、「もし悩乱する者は、こうべ七分にれ、供養することあらん者は、福、十号に過ぐ」。伝教大師も、「讃する者は福を安明あんみように積み、謗ずる者は罪を無間むけんに開く」等云云。記の十に云く、「方便の極位ごくいに居る菩、なお第五十の人に及ばず」等云云。華厳経のほうえ功徳林くどくりん、大日経の金剛こんごうさつた等、なお法華経の博地はくじに及ばず。いかにいわんや、その宗の元祖等、法蔵ほうぞう善無畏ぜんむい等においてをや。これはしばらくこれを置く〕。
[3]尼ごぜんの御所労しよろうの御事、我が身一身の上とをもひ候へば、昼夜に天に申し候也。此の尼ごぜんは法華経の行者をやしなう事、ともしびに油をそへ、木の根に土をかさぬるがごとし。願はくは日月天、其の命にかわり給へと申し候也。又をもいわするゝ事もやと、よ(伊予)房に申しつけて候ぞ。たのもしとをぼしめせ。恐々謹言。
[4]<日>十一月二十九日
[5]<人>日 蓮<花押>花押
[6]<先>木殿御返事
現代語訳

富木殿御返事


弘安三年(一二八〇)あるいは弘安四年の一一月二九日、五九歳あるいは六〇歳、於身延、和漢混淆文、定一八一八—一八一九頁。

[1]銭一貫文拝受いたし、天台大師への報恩供養のために御宝前におかざりいたしました。
[2]法華経法師品ほつしほんには、「すべての仏典の中で法華経は最第一の経典である」とあり、また薬王菩本事品やくおうぼさつほんじほんには、「よくこの法華経を受持信奉する者も、やはり同様であり、一切衆生の中にあって第一である」とあります。また法師品の中に、「仏滅後に法華経受持者を美する者は、仏を讃するよりも大きな福徳が得られる」と説かれています。妙楽大師は法華文句記の中で、「もし法華経の説法者を悩乱する者は、その頭が七分に割れ、供養を施す者は、如来の十号に超過するほどの福徳が得られる」と解釈し、伝教大師も依憑天台集えびようてんだいしゆうの中で、「法華経を讃する者は須弥山しゆみせんの高さほどの福徳を積み上げ、法華経を誹謗ひほうする者は無間地獄へ堕ちる罪業を開いてしまう」と解釈しております。さらに法華文句記第十巻には、「たとえ方便の教えの最高位に達した菩であっても、その人が得られる功徳は、真実の法華経が人から人へと語り伝えられたとして、五十番目に伝え聞いた人の功徳にも及ばない」と記されています。華厳経の法・功徳林菩、大日経の金剛等は、いずれもそれぞれの経を代表する高位の菩でありますが、とても法華経の凡夫の境界にさえ及びません。ましてや、それらの経典を拠り所としている各宗の元祖たち、華厳宗の法蔵三蔵や真言宗の善無畏三蔵などは、及びもつかないのであります。このことは今はこれ以上申しません。
[3]さて、それよりも奥様の御病気の御事、我が身同然のことと案じておりますので、昼夜に諸天善神に御祈願申し上げております。貴殿の奥様が法華経の行者である日蓮およびその一門に対して常に御供養下さることは、灯火に油を添加していただき、木の根に土をかぶせて養育してくださるようなものです。そこで、「どうか日天子・月天子よ、いのちに代えてもお助け下さい」とお祈り申し上げているところです。また、万一忘れてしまうようなことがあってはならないので、ご子息の伊予房に母上の御祈願を怠ることのないようにと申しつけております。どうか心強いことであるとお思い下さい。以上、つつしんで申し上げました。
[4]<日>十一月二十九日
[5]<人>日 蓮 <花押>花押
[6]<先>富木殿御返事