変毒為薬御書
書下し
変毒為薬御書
[1]今月十五日〈酉時〉御文、同じき十七日〈酉時〉到来。彼等御勘気を蒙るの時、南無妙法蓮華経と唱え奉ると云云。ひとえに只事にあらず。定めて平の金吾の身に十羅刹の入り易わりて、法華経の行者を試みたまうか。例せば雪山童子・尸毘王等のごとし。はたまた悪鬼その身に入る者か。釈迦・多宝・十方の諸仏・梵帝等、五々百歳の法華経の行者を守護なすべきの御誓はこれなり。
[2]大論に云く、「能く毒を変じて薬となす」。天台云く、「毒を変じて薬となす」。云云。妙の字虚からずんば、定めて須臾に賞罰あらんか。伯耆房等深くこの旨を存じて、問注を遂くべし。平の金吾に申すべき様は、去る文永の御勘気の時の聖人の仰せ忘れ給うか。その殃いまだおわらず。重ねて十羅刹の罰を招き取るか。最後に申し付けん。恐々。
[3]弘安二年<日>十月十七日日>戌時
[4]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
[5]<先>聖人等御返事先>
[6]この事のぶるならば、此方にはとがなりと、みな人申すべし。又大進房が落馬あらわるべし。あらはれば、人々ことにおづべし。天の御計らひ也。各々もおづる事なかれ。内よりもてゆかば、定めて子細いできぬとおぼふる也。今度の使には、あわぢ房を遣すべし。
現代語訳
変毒為薬御書
弘安二年(一二七九)一〇月一七日、五八歳、於身延、日興・日秀・日弁公宛、原漢文・追申和文、定一六八三—一六八四頁。
[1]十月十五日の夕方六時頃に出されたお手紙が、十七日の同じ夕方の六時頃に届きました。法華経の信者である熱原の神四郎らの農民たちが、理不尽にも投獄されたとき、身命を捨ててひたすら南無妙法蓮華経と題目を唱えられたと聞きましたが、これはまったくただ事ではありません。おそらく、取調べにあたった平頼綱の身に十羅刹女が入れかわって、農民たちが法華経の行者であるかどうかを試されたのでありましょうか。それはあたかも、釈尊が雪山童子や尸毘王として法を求められていたころ、帝釈天が大鬼と変じて出現し、その志を試したのと同じです。あるいはまた、平頼綱の身に悪鬼が入って法華経の行者を迫害したのでしょうか。いずれにしても、釈迦・多宝・十方の諸仏・梵天・帝釈天らが、末法の始めの第五の五百年に、法華経を弘める行者を守護すべき誓いを果たすのはこの時でなければなりません。
[2]龍樹や天台大師が妙の一字を釈して、「能く毒を変じて薬となす」といったことが偽りでなければ、必ずたちどころに賞罰が下り、この凶事は変じて法華経広布の端緒となりましょう。日興らも、この熱原の農民の強信ぶりを深く肝に命じて、裁判にあたらなければなりません。そして平の頼綱に対し、去る文永八年(<暦>一二七一暦>)九月十二日の咎めのとき、わが師日蓮聖人が貴殿にいった、法華経の行者を迫害すれば、その国は滅びその身に罰があるだろうという言葉を忘れられたか。それがまだ現われないうちに、今また罪を重ねて十羅刹女の罰を招き寄せたいのかと最後に申しつけなさい。恐々。
[3]弘安二年<日>十月十七日日>午後八時
[4]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[5]<先>聖人等御返事先>
[6]行智らの悪行を申し述べるならば、これによって当方が無罪であることが人びとにもわかるでしょう。また、大進房がなぜ落馬したかもわかるでしょう。そのことがわかれば、人びとは法罰を恐ろしいと思うでしょうが、これは天の決められた処置です。おのおの方は何も恐れることはありません。いよいよ信仰を強くもって対処すれば、必ずや何事も成就するでしょう。この次の鎌倉よりの使者には淡路房をよこして下さい。