弁殿御消息
書下し
弁殿御消息
[1]たきわう(滝王)をば、いえふく(家葺)べきよし候けるとて、まか(退)るべきよし申し候へば、つかわし候。えもん(衛門)のたいう(大夫)どのゝ、かへせに(改心)の事は、大進の阿闍梨のふみに候らん。
[2]一 十郎入道殿の御けさ。悦び入つて候よしかたらせ給へ。
[3]一 さぶらうざゑもん(左衛門)どのゝ、このほど人をつかわして候しが、をほせ候し事、あまりにかへす〴〵をぼつかなく候よし、わざと御わたりありて、きこしめして、かきつかわし候べし。又さゑもんどのにもかくと候へ。
[4]かわのべ(河辺)どの等の四人の事。はるかにうけ給はり候はず。おぼつかなし。かの辺になに事か候らん。一々にかきつかはせ。度々この人々の事はことに一大事と、天をせめまいらせ候なり。さだめて後生はさてをきぬ、今生にしるしあるべく候と存ずべきよし、したたかにかたらせ給へ。
[5]伊東の八郎ざゑもん、今はしなの(信濃)のかみ(守)は、げん(現)にしに(死)たりしを、いのりいけ(活)て、念仏者等になるまじきよし、明性房にをくりたりしが、かへりて念仏者真言師になりて無間地獄に堕ちぬ。のと房はげんに身かたで候しが、世間のをそろしさと申し、よく(慾)と申し、日蓮をすつるのみならず、かたき(敵)となり候ぬ。せう房もかくの如し。
[6]おの〳〵は随分の日蓮がかたうど(方人)なり。しかるに、なづき(頭脳)をくだきていの(祈)るに、いまゝでしるしのなきは、この中に心のひるがへる人の有るとをぼへ候ぞ。をもいあわぬ人をいのるは、水の上に火をたき、空にいえ(舎)をつくるなり。此由を四人にかたらせ給ふべし。むこり(蒙古)国の事のあうをもつてをぼしめせ、日蓮が失にはあらず。ちくご房・三位・そつ等をば、いとまあらばいそぎ来るべし。大事の法門申すべしとかたらせ給へ。
[7]十住毘婆沙等の要文を大帖にて候と、真言の表のせうそくの裏にさど房のかきて候と、そう(総)じてせゝとかきつけ(書付)て候ものゝかろきとりてたび候へ。紙なくして一紙に多人の事を申すなり。
[8]<日>七月二十一日日>
[9]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
[10]<先>弁殿先>
現代語訳
弁殿御消息
建治二年(一二七六)七月二一日、五五歳、於身延、弁殿宛、和文、定一一九〇—一一九一頁。
[1]滝王を、自分の家の屋根を葺くために帰りたいというので帰しました。池上宗仲殿の改心のことについては、大進阿闍梨への手紙に書き記してあります。
[2]一、十郎入道殿から袈裟の御供養を頂戴いたしましたが、たいへん喜んでいたとお伝え下さい。
[3]一、四条頼基殿から、近ごろ人を遣わされましたが、その使者の話の内容は、いかに考えても気がかりですので、四条殿を訪ねて直接お聞きになった上でお知らせ下さい。また、四条殿にもこの由をお伝え下さい。
[4]河辺殿らの四人のことは、その後、消息を聞いていませんので心配しています。この人たちに何か変事があったのでしょうか。くわしく書き送って下さい。この人たちのことはとりわけ大事と思って、たびたび諸天を責めています。後生のことはおき、今生にその験がありましょうと貴僧から強く言い聞かせて下さい。
[5]伊東八郎左衛門は、今は信濃守ですが実際に息が絶えましたのを、日蓮が祈って蘇生させた人です。そして、今後は決して念仏者になりませんと明性房に書き送ったにもかかわらず、それに反して念仏を唱え、真言の法を信奉したため無間地獄に堕ちたのです。また、能登房は実際に法華経の信奉者でしたが、世間から責められるのが恐ろしいのと欲望にまけ、この日蓮を捨てただけでなく、今はかえって敵となっています。少輔房もまた能登房と同様です。
[6]河辺殿ら四人の方々は、熱心な日蓮の信奉者です。しかるに日蓮が頭を砕くようにして祈っておりますのに、今までその験がないのは、この中に法華経信仰から退転した人がいるからだと思われます。救済しようと祈っても、それに応ずる心のない人を祈るのは、あたかも水の上で火を焚き、空中に家をつくるようなものだからです。どうか、この事情を四人にお聞かせ下さい。蒙古国が襲来するという日蓮の予言が、的中したことからも考えてごらんなさい。これは日蓮の祈りの過ちではなく、祈られる人に応ずる心がなかったからです。筑後房日朗・三位房・帥公日高たちに暇があれば、大事の法門を申し伝えたいのですぐ来るように伝えて下さい。
[7]なお、十住毘婆沙論などの要文を書きつけた大帖と、真言の要領を消息の裏に日向が書き写したものと、そのほかすべてを書きつけた写本の重要でないものから送って下さい。紙がないので一枚の紙に多くの人のことどもを書き記しましたが御了承下さい。
[8]<日>七月二十一日日>
[9]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[10]<先>弁日昭殿先>