妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

上野殿御返事

全集 第4巻 2段 定本: #20350(定本の該当ページへ)

書下し

上野殿御返事うえのどのごへんじ


[1]唐土もろこし門と申すたきあり。たかき事十丈、水の下ること、かんひやうがや(矢)をいをと(射落)すよりもはやし。このたきに、をゝくのふな(鮒)あつまりて、のぼらむと申す。ふなと申すいを(魚)ののぼりぬれば、りう(竜)となり候。百に一、千に一、万に一、十年二十年に一ものぼる事なし。
[2]あるいははやきせ(急瀬)にかへり、あるいははし(鷲)・たか・とび・ふくろうにくらわれ、あるいは十丁のたきの左右に漁人いをとるものどもつらなりいて、あるいはあみをかけ、あるいはくみとり、あるいはいてとるものもあり。いをのりうとなる事かくのごとし。
[3]日本国の武士の中に源平げんぺい二家と申して王の門守の犬二疋候。二家ともに王を守りたてまつる事、やまかつ(山人)が八月十五夜のみねよりいづるをあい(愛)するがごとし。んじやう(殿上)のなんによ(男女)のあそぶをみては、月と星とのひかりをあわせたるを、木の上にてさる(猿)のあいするがごとし。かゝる身にてはあれども、いかんがして我等てんじやうのまじわりをなさんとねがいし程に、平氏の中に貞盛*さだもりと申せし者、将門*まさかどを打ちてありしかども、しようでんをゆるされず。その子正盛まさもりまたかなわず。その子忠盛ただもりが時、始めて昇でんをゆるさる。その後清盛*きよもり重盛しげもり等、てんじやうにあそぶのみならず、月をうみ、日をいだくみ(身)となりにき。
[4]仏になるみちこれにをとるべからず。いをの竜門をのぼり、地下*じげの者のてんじやうへまいるがごとし。
[5]身子しんじと申せし人は仏にならむとて六十劫が間、菩の行をみてしかども、こらへかねて二乗の道に入りにき。
[6]大通結縁*だいつうけちえんの者は千塵点劫、久遠下種くおんげしゆの人の五百塵点劫、生死にしづみし。これ等は法華経を行ぜし程に六天の魔王まおう・国主等の身に入りてとかうわづらわせしかば、たい(退)してすてしゆへに、そこばくの劫に道にはめぐりしぞかし。
[7]かれは人の上とこそみしかども、今は我等がみ(身)にかかれり。願くは我弟子等、大願ををこせ。去年去々年のやくびやうに死にし人々のかずにも入らず。また当時蒙古もうこのせめにまぬかるべしともみへず。とにかくに死は一定なり。その時のなげきはたうじ(当時)のごとし。をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ。
[8]つゆを大海にあつらへ、ちりを大地にうづむとをもへ。法華経の第三に云く〔「願くはこの功徳をもつあまねく一切におよぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」〕云云。恐々謹言。
[9]<日>十一月六日
[10]<人>日 蓮 <花押>花押
[11]<先>上野賢人殿 御返事
[12]これはつわら(熱原)の事のありがたさに申す御返事なり。
現代語訳

上野殿御返事


弘安二年(一二七九)一一月六日、五八歳、南条時光宛、和文、定一七〇七—一七〇九頁。

一 中国の竜門りゆうもん


[1]中国に竜門という大きな滝がある。高さが十丈(約三十メートル余)もあり、水の落ちる早さは、強兵が矢で射落とすよりも早い。この滝に数多くの鮒が集まって来て、滝の上にのぼろうとする。鮒という魚はこの滝をのぼりきると竜になることができるのである。しかし百に一、千に一、万に一、また十年二十年に一ものぼりきるものはない。
[2]あるいは水の早さに途中で押し流されたり、あるいは鷲や鷹・とびふくろうといった鳥類に食われてしまったり、あるいは滝の左右両側十丁(約一〇九〇メートル)くらいに漁師が並んで、或る者は網をかけ、或る者は汲み取り、また或る者は射とめて取る方法を用い、魚が竜になることはこのようにとても困難至極のことである。

二 源平の二家


[3]さて、日本国の武士の中で源氏と平家の二家といって、天皇の御門をお守りする番兵二人のようにいわれているものがいる。二家ともに天皇をお守りすることは、ちょうどきこりが八月十五日の満月を、峰から昇ってくるのを一心に愛し讃するようであり、また宮中に仕える殿上人てんじようびと女官によかんたちとお付き合いする様子を見ては、月と星が光を合わせ照らしているのを、遠く木の上で猿がうらやましそうに眺めているみたいであった。このような身分ではあったが、なんとかしてわれらも殿上人との交際がしてみたいと願っていた。そのおり平家の中に貞盛という人がいて謀を企てた将門を打ちほろぼして功績を立てたが、昇殿することが許されず、その子の正盛もまた昇殿できなかった。そしてその子の忠盛の時にようやく初めて昇殿することが許されたのであった。その後は清盛や重盛等が殿上人として御殿で遊ぶことが許されたうえに、さらに自分たちの娘を皇后に推し、王子をもうけたことは、ちょうど樵が月を産み日を抱くような身分になったようなものである。

三 仏に成る道


[4]仏に成る道もこれに劣らぬものである。魚が竜門を昇り、身分の低い者が殿上人となるようなものである。
[5]仏の弟子の身子(舎利弗しやりほつ)という人は、仏に成ろうとして六十劫という永い間、菩の修行を積み努力してきたのだが、ついに耐えられず途中で止めて声聞・縁覚の二乗の道へ移ってしまった。
[6]化城けじようゆほんに説かれているように、その昔大通智勝仏だいつうちしようぶつのもとで、仏に成るための縁を結んだ者は、三千塵点劫という永い間、さらに久遠の昔に下種げしゆされ縁を結んだ者は五百塵点劫という長期にわたり、ともに生死の迷界に沈み浮かばれないでいた。これらの者は法華経を修行していたのであるが、第六天の魔王が国主等の身にとりついて、こうした修行者を煩わし悩まし邪魔をしたので、耐えられなくなりせっかくの修行を途中で捨てたり、やめてしまったので、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を輪廻し迷い続けてきたのである。

四 大願を起こせ


[7]こうしたことは他人の身の上のことだと思っていたが、今はわれらの身の上にふりかかってきたことである。願わくは我が弟子の諸師よ、大願を起こすべき時である。昨年や一昨年からの疫病で大量の人々が亡くなったが、幸いにもその数の中に入らずよかったと思うが、しかしまた今日では蒙古の大軍がいつ攻めて来るかわからないので、この難をまぬがれることはできそうにもない。いずれにしても人は一度は必ず死ぬことが決まっており、例外は認められない。自然に死ぬ時の嘆き悲しみは、現在のように病気や蒙古に攻められて死ぬのと全く同じである。同じ死ぬのであれば法華経のために命を捨てるべきである。
[8]一滴の露を大海にもどし、一つの塵を大地に埋めるのと同様であると思え。法華経の第三巻化城品には、「願わくば此の功徳をもって、あまねくすべての衆生に及ぼし、自分と衆生とが皆ともに仏道を成就することができますように」とある通りである。恐れながら謹んで申し上げる。
[9]<日>十一月六日
[10]<人>日 蓮 <花押>花押
[11]<先>上野賢人殿 御返事
[12]このふみは、あなたが熱原あつわら法難の事件について種々尽力して下さったので、有難く思って記した返事である。