上野殿御返事(竜門書)
350 上野殿御返事
唐土に龍門と申たきあり。たかき事十丈、水の下こと、かんひやうがや(矢)をいとをと(射落)すよりもはやし。このたきに、をゝくのふな(鮒)あつまりて、のぼらむと申。ふなと申いを(魚)ののぼりぬれば、りう(龍)となり候。百に一、千に一、万に一、十年二十年に一ものぼる事なし。或ははやきせ(急瀬)にかへり、或ははし(鷲)・たか・とび・ふくろうにくらわれ、或は十丁のたきの左右に漁人どもつらなりゐて、或はあみをかけ、或はくみとり、或はいてとるものもあり。いをのりうとなる事かくのごとし。
日本国の武士の中に源平二家と申て王の門守の犬二疋候。二家ともに王を守たてまつる事、やまかつ(山人)が八月十五夜のみねよりいづるをあい(愛)するがごとし。てんじやう(殿上)のなんによ(男女)のあそぶをみては、月と星とのひかりをあわせたるを、木の上にてさる(猨)のあいするがごとし。かゝる身にてはあれども、いかんがして我等てんじやうのまじわりをなさんとねがいし程に、平氏の中に貞盛と申せし者、将門を打てありしかども、昇でんをゆるされず。其子正盛又かなわず。其子忠盛が時、始て昇でんをゆるさる。其後清盛・重盛等、てんじやうにあそぶのみならず、月をうみ、日をいだくみ(身)となりにき。
仏になるみちこれにをとるべからず。いをの龍門をのぼり、地下の者のてんじやうへまいるがごとし。身子と申せし人は仏にならむとて六十劫が間、菩薩の行をみてしかども、こらへかねて二乗の道に入にき。大通結縁の者三千塵点劫、久遠下種の人の五百塵点劫、生死にしづみし。此等は法華経を行ぜし程に第六天の魔王・国主等の身に入てとかうわづらわせしかば、たい(退)してすてしゆへに、そこばくの劫に六道にはめぐりしぞかし。
かれは人の上とこそみしかども、今は我等がみ(身)にかかれり。願くは我弟子等、大願ををこせ。去年去々年のやくびやうに死し人々のかずにも入ず。又当時蒙古のせめにまぬかるべしともみへず。とにかくに死は一定なり。其時のなげきはたうじ(当時)のごとし。をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ。つゆを大海にあつらへ、ちりを大地にうづむとをもへ。法華経第三云願以此功徳普及於一切我等与衆生皆共成仏道[云云]。恐々謹言。 十一月六日 日蓮 [花押] 上野賢人殿 [御返事] 此はあつわら(熱原)の事のありがたさに申御返事なり。