九郎太郎殿御返事
書下し
九郎太郎殿御返事
[1]これにつけても、こうえのどの(故上野殿)の事こそ、をもひいでられ候へ。
[2]いも一駄・くり・やきごめ・はじかみ給ひ候ぬ。さてはふかき山にはいもつくる人もなし。くりもならず、はじかみもをひず。まして、やきごめみへ候はず。たといくりなりたりとも、さる(猿)のこすべからず。いえのいもはつくる人なし。たといつくりたりとも人にくみてたび候はず。いかにしてかかゝるたかき山へはきたり候べき。
[3]それ山をみ候へば、たかきよりしだい(次第)にしもえくだれり。うみをみ候へば、あそきよりしだひにふかし。代をみ候へば、三十年・二十年・十年・五年・四・三・二・一、次第にをとろへたり。人の心もかくのごとし。これはよのすへになり候へば、山にはまがれるきのみとゞまり、の(野)にはひきゝくさのみをひたり。よにはかしこき人はすくなく、はかなきものはをほし。牛馬のちゝをしらず、兎羊の母をわきまえざるがごとし。
[4]仏御入滅ありては二千二百二十余年なり。代すへになりて智人次第にかくれて、山のくだれるごとく、くさのひきゝににたり。念仏を申しかい(戒)をたもちなんどする人はをゝけれども、法華経をたのむ人すくなし。星は多けれども大海をてらさず。草は多けれども大内の柱とはならず。念仏は多けれども仏と成る道にはあらず。戒は持てども浄土へまひる種とは成らず。但南無妙法蓮華経の七字のみこそ仏になる種には候へ。
[5]これを申せば人はそねみて用ひざりしを故上野殿信じ給ひしによりて仏に成らせ給ひぬ。各々はその末にてこの御志をとげ給ふか。竜馬につきぬるだには千里をとぶ。松にかゝれるつたは千尋をよづと申すはこれか。各々主の御心なり。
[6]つちのもちゐを仏に供養せし人は王となりき。法華経は仏にまさらせ給ふ法なれば、供養せさせ給ひて、いかでか今生にも利生にあづかり、後生にも仏にならせ給はざるべき。その上、みひん(身貧)にしてげにん(下人)なし。山河わづらひあり。たとひ心ざしありともあらはしがたきに、いまいろをあらわさせ給ふに、しりぬ、をぼろげならぬ事なり。
[7]さだめて法華経の十羅刹まほらせ給ひぬらんとたのもしくこそ候へ。事つくしがたし。恐々謹言。
[8]弘安元年<日>十一月一日日>
[9]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[10]<先>九郎太郎殿 御返事先>
現代語訳
九郎太郎殿御返事
弘安元年(一二七八)十一月一日、五七歳、九郎太郎宛、和文、定一六〇二—一六〇四頁。
[1]この度の御供養につけても、故上野殿(南条兵衛七郎)のことが思い出されて懐しいことである。
[2]芋一駄・栗・焼米・生薑、送っていただきたしかに受領した。この奥深い身延の山には芋を作る人もいない。栗もならないし生薑も生いていない。ましてや焼米などは見ることもできない。たとえ栗がなったとしても猿が来て皆たべてしまって残すようなことはしない。里芋は作る人もいない。たとえ作ったとしても、人々は憎んでいるので届けてくれるような人は一人もいない。どうしてこのような高い山へ入って来てしまったのであろうか。
[3]山というものはよく見ると高い峰から次第に下へくだってきている。海についてみると浅い岸から次第に深い沖へ向かっている。世代についてみると三十年・二十年・十年・五年・四・三・二・一年と次第に衰えているが、人の心もまたこれと同様である。これから世の末になれば、山には曲った木ばかりが残り、野には雑草のみが生い茂るようになる。そして世間には賢い人は少なくなり、頼りにならない者が多くなる。例えば牛や馬が父を知らず、兎や羊が母をわきまえないようなものである。
[4]釈尊が御入滅になられてから、二千二百二十余年になるが、世も末になって智恵の優れた人が次第に減り、ちょうど山が低い方へ向かってくだっているようなものであり、野が雑草で占められているようなものだ。すなわち念仏を唱え、戒律をたもつ者は多くいるが、法華経を信仰する者は少ない。星はいくら多くても大海を照らすことはできない。草はいくら多くても御殿の柱とはならないように、念仏をいくら唱えてみても仏に成る道ではないし、戒律をたもってみても浄土へ参る種とはならない。ただ南無妙法蓮華経の七字のみが、仏になる種となるのである。
[5]この事を言えば人々は嫉んで信用せず、唱える人もなかったが、故上野殿は信じて唱えたので仏に成られたのである。あなた方はその殿の子孫であるので、殿の御志を受け継いで信じておられるのか、ちょうど竜馬に着いた虫は、一緒に千里を飛ぶことができるし、松の大樹にかかった蔦は、よく長大な谷をよじ登ることができると言うのはこのことを言うのであろうか。あなた方はそれぞれ御主人と同じ心である。
[6]昔、土の餅を仏に供養した人はその功徳で一国の王となった。法華経は仏よりも勝っている法なので、供養した者は今生では利生をえ、後生には仏に成ることは間違いのないことである。そのうえ、身分は貧しくて使用人もいない。山や河も難儀なことである。たとえ志があったとしても、それを表わすことはむずかしいのに、今こうして形に表わして御供養されたということは、なみたいていの事ではないとわかった。
[7]きっと法華経の守護神たる十羅刹女も御守護下さることであろうと、たのもしく思える。まだ申し上げたい事がたくさんあるが、限られた紙面では尽くしがたい。恐れながら謹んで申し上げる。
[8]弘安元年(<暦>一二七八暦>)<日>十一月一日日>
[9]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[10]<先>九郎太郎殿 御返事先>