妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

上野殿御返事

全集 第4巻 2段 定本: #20246(定本の該当ページへ)

書下し

上野殿御返事うえのどのごへんじ


[1]五月十四日にいも(芋)のかしら一、わざとをくりたびて候。当時とうじのいもは人のいとまと申し、たまのごとし、くすりのごとし。さてはおほせつかはされて候事、うけ給はり候ひぬ。
[2]尹吉甫*いんきつぽと申せし人はただ一人子あり、伯奇はくきと申す。をやも賢也けんなり、子もかしこし。いかなる人かこの中をば申したがふべきとおもひしかども、継母けいぼよりよりうた(訴)へしに用ひざりしほどに、継母すねん(数年)が間やうやうのたばかりをなせし中に、はちと申すむしをわがふところに入れて、いそぎ伯奇にとらせて、しかも父にみせ、われをけさう(懸想)すると申しなしてうしなはんとせし也。
[3]んばさら王と申せし王は賢王けんのうなる上、仏のおんだんなの中に閻浮第一えんぶだいいち也。しかもこの王は摩竭提国まかだこくしゆ也。仏は又此国このくににして法華経をとかんとおぼししに、王と仏と一同なれば、一じよう法華経とかれなんとみへて候しに、提婆達多だいばだつたと申せし人、いかんがして此事をやぶらんとおもひしに、すべてたよりなかりしかば、とかうはかりしほどに、頻婆沙羅王*びんばしやらおう太子阿闍世王たいしあじやせおうを、としごろとかくかたらひて、やうやく心をとり、をやと子とのなかを申したがへて、阿闍世王をすかし、父の頻婆沙羅王をころさせ、阿闍世王と心をいつにし、提婆と阿闍世王と一となりしかば、五天竺てんじく外道悪人げどうあくにん雲かすみのごとくあつまり、国をたび(給)たからをほどこし、心をやわらげ、すかししかば、一国の王すでに仏の大怨敵おんてきとなる。欲界*よくかい第六天の魔王まおう、無量のけんぞく具足ぐそくしてうちくだり摩竭提まかだ国の提婆・阿闍世・六大臣等の身に入りかはりしかば、形は人なれども力は第六天の力なり。大風たいふうの草木をなびかすよりも、大風の大海の波をたつるよりも、大地震だいじしんの大地をうごかすよりも、大火だいか連宅れんたくをやくよりも、さはがしくをぢ(畏)わなゝきし事也。
[4]さればるり王と申せし王は阿闍世王にかたらはれ、釈仏の御身おんみしたしき人数百人切りころす。阿闍世王は酔象すいぞうを放ちて弟子を無量無辺むりようむへんふみころさせつ。或は道に伏兵ふくへいをすへ、或はいどふんを入れ、或は女人をかたらひてそら事いひつけて仏弟子をころす。舎利弗しやりほつ目連もくれんが事にあひ、るだい(加留陀夷)が馬のくそにうづまれし、仏はせめられて一夏いちげ九十日、馬のむぎをまいりしこれ也。世間の人のおもはく、悪人には仏の御力おんちからもかなはざりけるにやと思ひ、信じたりし人々もこえをのみてもの申さず、まなこをとぢてものをみる事なし。ただ舌をふり、手をかきしばかり也。結局けつくは提婆達多、釈如来の養母蓮華比丘尼れんげびくにを打ちころし、仏の御身より血をいだせし上、だれの人かかたうどになるべき。
[5]かくやうになりての上、いかがしたりけん、法華経をとかせ給ひぬ。この法華経に云く、〔「しかも此経は如来の現在にすら猶怨嫉なおおんしつ多し、いわんや滅度めつどの後をや」〕と云云。もんの心は、我が現在して候だにも、此経の御かたきかくのごとし。いかにいわうや末代に法華経を一字一点もとき信ぜん人をや、と説かれて候也。
[6]これをもておもひ候へば、仏、法華経をとかせ給ひて今にいたるまでは二千二百二十余年になり候へども、いまだ法華経を仏のごとくよみたる人は候はぬか。大難だいなんをもちてこそ、法華経しりたる人とは申すべきに、台大師・教大師こそ法華経の行者とはみへて候ひしかども、在世のごとくの大難なし。ただ南三なんさん北七ほくしち南都なんと大寺だいじ小難しようなんなり。いまだ国主こくしゆかたきとならず、万民ばんみんつるぎをにぎらず、一国悪口あつくをはかず。滅後めつごに法華経を信ぜん人は在世ざいせの大難よりもすぐべく候なるに、同じほどの難だにも来らず、いかにいはんやすぐれたる大難多難をや。とらうそぶけば大風たいふうふく、りゆうぎん(吟)ずれば雲をこる。野兎うさぎのうそぶき、驢馬ろばのいはうるに風ふかず、雲をこる事なし。愚者ぐしやが法華経をよみ、賢者けんじやだんずる時は国もさわがず、事もをこらず。聖人しようにん出現して仏のごとく法華経を談ぜん時、一国もさわぎ、在世にすぎたる大難をこるべしとみえて候。
[7]今、日蓮は賢人にもあらず、まして聖人しようにんはおもひもよらず。天下第一の僻人びやくにんにて候が、ただ、経文計りにはあひて候やうなれば、大難来り候へば、父母のいきかへらせ給ひて候よりも、にくきもののことにあふよりもうれしく候也。愚者にてしかも仏に聖人とおもはれまいらせて候はん事こそ、うれしき事にて候へ。智者ちしやたる上、二百五十戒かたくたもちて、万民には諸天しよてんの帝釈をうやまふよりもうやまはれて、釈仏・法華経に不思議なり提婆がごとしとおもはれまいらせなば、人目ひとめはよきやうなれども後生はおそろし
[8]さるにては、殿とのは法華経の行者ににさせ給へりとうけ給はれば、もつてのほかに人のしたしきもうときも、日蓮ぼうを信じてはよもまどいなん。上の御気色みけしきもあしかりなんと、かたうど(方人)なるやうにてけうくむ候なれば、賢人までも人のたばかりはをそろしき事なれば、一定いちじよう法華経すて給ひなん。なか色みへてありせばよかりなん。大魔だいまのつきたる者どもは、一にんをけうくんし、をとしつれば、それをひつかけにして多くの人をせめをとすなり。
[9]日蓮が弟子にせう(少輔)ぼうと申し、のと(能登)房といゐ、なごえ(名越)のあまなんど申せし物どもは、よくふかく、心をくびやうに、愚癡ぐちにしてしかも智者となのりしやつばらなりしかば、事のをこりし時、たよりをえておほくの人をおとせしなり。殿もせめをとされさせ給ふならば、するがにせう信ずるやうなる者も、又、信ぜんとおもふらん人々も、皆法華経をすつべし。
[10]さればこの甲斐かいの国にも少々信ぜんと申す人々候へども、おぼろげならではれまいらせ候はぬにて候。なかしき人の信ずるやうにて、なめり(乱語)て候へば、人の信心をもやぶりて候也。ただをかせ給へ。梵天ぼんてん帝釈*たいしやく等の御計おんはからひとして、日本国一に信ずる事あるべし。爾時そのとき、我も本より信じたりと申す人こそ、をゝくをはせずらんめとおぼえ候。
[11]御信用ごしんようあつくをはするならば、人のためにあらず。我故父わがこふの御ため、人はわがをやの後世にはかはるべからず。子なればわれこそをやの後世をばとぶらふべけれ。ごう一郷知るならば、半郷はんごうは父のため、半郷は妻子さいしけんぞくをやしなふべし。我命わがいのち事出こといできたらばかみにまいらせ候べしと、ひとへにおもひきりて、何事なにごとにつけてもことばをやわらげて、法華経の信をうすくなさんずるやうをたばかる人出来しゆつらいせば、が信心をこゝろむるかとおぼして、各々おのおのこれをけうくんあるはうれしき事也。ただし、御身おんみのけうくんせさせ給へ。かみの御信用なき事はこれにもしりて候を、上をもておどさせ給ふこそをかしく候へ。参りてけうくん申さんとおもひ候ひつるに、うわて(上手)うたれまいらせて候。閻魔王*えんまおうに、我身わがみといとをしとおぼすおんめ(妻)と子とをひつぱられん時は、時光ときみつに手をやすらせ給ひ候はんずらんと、にくげにうちいひておはすべし。
[12]にいた(新田)殿の事、まことにてや候らん。をきつ(沖津)の事、きこへて候。殿もびんぎ候はば、其義そのぎにて候べし。かまへておほきならん人申しいだしたるらんは、あはれ法華経のよきかたきよ。優曇華うどんげか、盲亀もうき浮木うききかとおぼしめして、したたかに御返事あるべし。千丁万丁せんちようまんちようしる人も、わづかの事にたちまちに命をすて所領をめさるる人もあり。
[13]今度このたび法華経のために命をすつる事ならば、なにはをしかるべき。王菩は身を千二百さいが間やきつくして仏になり給ひ、檀王*だんのうは千歳が間身をゆか(床)となして今の釈仏といわれさせ給ふぞかし。
[14]さればひが事をすべきにはあらず。今はすてなば、かへりて人わらわれになるべし。かたうど(方人)なるやうにてつくりおとして、我もわらい、人にもわらわせんとするがきくわひなるに、よくけうくわんせさせて、人の多くきかんところにて人をけうくんせんよりも、我身をけうくんあるべしとて、かつぱとたたせ給へ。
[15]にちが内にこれへきこへ候べし。事おほければ申さず、又々申すべし。恐恐謹言。
[16]<日>五月十五日
[17]<人>日 蓮 <花押>花押
[18]<先>上野殿御返事
現代語訳

上野殿御返事


建治三年(一二七七)五月一五日、五六歳、南条時光宛、和文、定一三〇五—一三一一頁。

一 法華経行者の受難


[1]五月十四日に芋の八頭やつがしらを一駄分、わざわざ送り届けていただいて、まことに有難いことであった。いまの芋は人手が忙しい時期なので、さながら珠のごとく、また薬のごとくに尊いものである。さて、お送り下さったお手紙の内容について、よくわかったのでご返事いたしたい。
[2]その昔、中国に尹吉甫という人が住んでいた。この人には伯奇はくきという一人の子があり、父も子もともに賢い人たちであった。だれもこの二人の仲を引きさく者はいないであろうと思っていたのに、継母がことあるごとに訴えて仲たがいを起こさせようとしたが、二人とも取りあげなかったので、その継母は数年来なんとか機会をねらっていたが、或る時、蜂を自分のふところにわざと入れて、いそいで伯奇のところへ行き、その蜂を取らせる仕ぐさを父の前でしてみせ、伯奇は私に懸想していると言い、父と子の仲を失わせようとしたということである。
[3]また、インドの頻婆沙羅王びんばさらおうは大変に賢い王のうえに、仏のお檀家の中でも世界で第一番の信徒であった。しかもこの王は摩竭提国という大国の王であった。仏はまたこの国で法華経をお説きになろうとお考えになられた。王と仏とは同じ心持であったので、きっと法華経が説かれるものと思っていたのに、提婆達多という人がなんとかしてこのことを中止させようと思い、いろいろと考えてみた。しかしよい方法がなかったので、仕方なく頻婆沙羅王の太子である阿闍世王と近年親しくして、彼と語り合い心を通じ合って、父と子の仲を悪くさせてしまった。阿闍世王をおだてて、ついに父の頻婆沙羅王を殺させ、阿闍世王と心を一つにし、提婆と阿闍世王とが一緒になってしまったので、インド中の外道や悪人たちが雲や霞のように集まってきた。そしてそれらの者たちに国を与え、宝物を施してご気嫌をとったので、この国の王はたちまち仏の大怨敵となってしまった。それゆえに欲界第六天の魔王は、数多くの属をつれて天からくだり、摩竭提国の提婆や阿闍世や六人の大臣等の身に入り込んでしまった。形は人間のようでも力は第六天の魔力であった。したがって大風が草木をなびかせるよりも、また大風が大海に大波を立たせるよりも、さらに大地震が生じて大地を動かすことよりも、大火が発生していくつもの家屋を焼失してしまうよりも、一層さわがしく恐ろしいことであった。
[4]そこで波瑠璃王はるりおうという王は、阿闍世王のためにだまされて、釈仏の御身に従っておられた数百人の仏教徒らを切り殺してしまった。阿闍世王はまた或る時、酒を飲ませて酔わせた象を仏弟子の列に放ち、多数の死傷者を出した。さらに道路に伏兵を配置したり、井戸の中へ糞を入れて飲めなくさせたり、あるいは女性を仲間に引き入れて虚の罪をつくり、仏弟子を殺害してしまったりした。舎利弗や目連はこうしたさまざまな難にあい、加留陀夷かるだいもまた馬の糞に埋められ、仏自身も迫害されてひと夏九十日の間、馬のにする麦をたべさせられたのもこのためである。世間の人々の思うには、悪人たちには仏のお力もかなわないことなのであろうと思って、今まで仏を信じていた人々も声をのみ、言葉を出す人もなくなってしまった。眼を閉じて、ものを見ようとする者もいなくなってしまった。ただ舌を巻き手を振って驚き入るのみであった。しまいには提婆達多が釈如来の養母である蓮華比丘尼を打ち殺し、さらに仏の御身から血を流させるという悪事をしたが、だれ一人として仏の味方をする者もないしまつであった。

二 にせの教訓者に迷わされぬように


[5]このようにさまざまな迫害を受けてきたのだが、不思議にも生命をたもち法華経を説かれるところまできたのである。この法華経には「この経は如来のおられる現在でも、ねたみそねみから迫害を加える者が多く出てくるであろうから、まして仏の滅後の末の世においてはなおさらのこと激しくなるであろう」とある。この経文の意味は我が現在でも怨嫉おんしつがあり仇のごとくであるのだから、いわんや末代に法華経をたとえ一字一点でも、説き示したり信じたりする人には、大変な迫害者が現われるであろうと説かれているのである。
[6]この経文から考えてみるのに、仏は法華経をお説きになられてから今日に至るまで、二千二百二十余年になるけれども、いまだに法華経を仏の説のごとくに読み実行した人はいないのではないか。大難に会ってこそ法華経を実践した人というべきなのに、天台大師・伝教大師こそは法華経の行者であると見られているが、しかし仏の在世の時のような大難には会っておられない。ただ江南の三師と江北の七師から反対された天台大師や、奈良の七大寺から反対された伝教大師など、それぞれに小難はあったものの、いまだ国主が仇となり、万民が刀を向けたり、国中の者から悪口をいわれるというような大難には会っていない。仏の滅後に法華経を信ずる人は、仏の在世の時の大難よりも強烈であるはずなのに、同じ程度の難でさえも生起していない。ましてや強烈な大難や多難は少しも起きていない。虎がほえれば大風が吹き、竜がうなれば雲が巻き起こるが、野が鳴いてみても驢馬が鳴いてみても、風も吹かず雲も湧くことはない。同じように愚者おろかものが法華経を読み、賢者かしこいものが法華経の講義をしてみても、国中の人々はさわぎもしなければ特になに事も起きてこない。しかし、聖人が出現して仏のように法華経を講義した時は、一国のさわぎとなり、仏の在世の時よりも大きな法難が生起してくると考えられる。
[7]いま日蓮は賢人ではなく、ましてや聖人などと考えたこともない。天下第一のかわり者であるが、ただ法華経の文に説かれている通りに、あてはまるようなので、大難が生起してくると、ちょうど父母が生まれ返ってこられたように、また憎い者が災難にあったように悦ばしく思えるのである。愚者であってしかも仏からは聖人と思われることが、最も悦ばしいことである。智者であって二百五十戒をかたくたもち、万民からは諸天が帝釈をうやまうよりも、もっと尊くあつかわれたとしても、釈仏や法華経から不思議なことに提婆のごとく思われたとしたら、人目にはよいようであるが、後生は恐ろしいことこのうえもない。
[8]それにつけても、あなたは法華経の行者に似ていると受け取れることにより、とても親しくしている人であっても、またそれほど親しくしていない人であってもともに、「日蓮房を信じ帰依しては、まことにうまくないことになるであろう。ご主君のご気嫌もわるくなることだから」と親切らしく味方のような注意をされると、賢人のような人までも計略にのせられてしまう恐ろしいことなので、きっと法華経を捨ててしまうことであろう。そんなわけなので充分に様子を見きわめて、簡単に自分の立場・色合いを見せてしまわないほうがよろしかろう。大魔のとり付いた者たちは一人を説得して落とし入れると、それをきっかけにして大勢の人々を攻め落とし、法華経を捨てさせてしまうのである。
[9]日蓮の弟子に少輔房しようぼうという人があり、また能登房のとぼうといい名越なごえの尼といった人々は、欲も深く臆病でそのうえ愚癡であり、しかも智者であると名乗っていたので、法難が起きた時に、便りをえて多くの人々を説き落としてしまったのである。あなたもにせの教訓によって、説き落とされるようなことがあれば、駿河に少々法華経を信ずるような人々がいたとしても、また信じようと思っている人々も、皆法華経を捨ててしまうことになる。
[10]したがってこの甲斐の国にも少しばかり法華経を信じようといっている人々もいるが、はっきりと決心がついていない人は入信させないことにしている。生半可な人がいかにも正しく信じているようなふりをして、無礼にも人々を軽視しているから、人の信心をも破ることになってしまうのである。そのような人はただ放ってそのままにしておきなさい。梵天・帝釈等の御計らいで日本国中の人々が一時に法華経を信ずることがあるにちがいない。その時に、「私はもともとから信じていました」「信じていました」という人が数多くいることであろうと思う次第である。

三 法華経行者は強い態度を持て


[11]法華経を厚くご信仰なされるのは、決して人のためではなく、亡くなられた父の御ためである。他人はわが親の後世についてまでかかわってはくれない。子なるがゆえに我が親の後世を弔うのであろう。たとえば一郷を領有したならば、その中の半郷は父のため、残りの半郷は妻子や郎党を養うために用いるべきである。我が命は一大事が出来したならば、いさぎよく主君に捧げる覚悟を持って、平素は何事につけても言葉をやわらげ、法華経の信心を薄くしようとたくらむ者がでてきたら、我が信心の度合いをためすものと心得て、「皆さんがご教訓くださることはまことに嬉しいことである。ただしご自分のご教訓もなされるように。ご主君が法華経をご信用されていないことは、私も充分承知しておりますが、主君をだしに使っておどかすことはおかしくてたまらない。参上してこちらからご忠告申し上げようと思っていたところへ、先を越されてしまった。やがて閻魔王のもとへ我が身といとおしく思う妻子らが引き出された時に、時光に手を合わせて助けてほしいと言わないようにしなさい」と憎らしげに言ってやりなさい。
[12]新田殿のことは事実であろう。興津おきつにおられる人々のことも聞き知っている。あなたも便宜があったならば、このことを知らせておやりなさい。こしらえごとの大きな人が言ってきたことは、まことに法華経のよい敵である。千年に一度咲くという優曇華にあい、また目の不自由な亀が大海で浮き木に出会ったと同じくらいに、めったにないことだとお考えになられて、強く御返事をしてあげなさい。千丁・万丁の広い領地を持った人であっても、わずかな小さいことでたちまちに命を捨て、所領を召し取られてしまう人もある。
[13]このたび法華経のために、もしも命を捨てることになったならば、何も惜しむことはない。昔薬王菩はわが身を千二百歳の長い間、焼いて修行し仏になられた。須頭檀王すずだんおうは千歳の間、わが身をゆかとして阿私仙人あしせんにんに仕え、その功徳でいまの釈仏といわれるようになられたのである。
[14]だからといって、道理にそむくようなことをすべきではない。今に至って法華経を捨てるようなことをすれば、かえって人から笑い者にされてしまうであろう。味方として為になるようにみせかけて落とし入れ、自分も笑い他人にも笑わせてやろうとする奇怪な者たちには、よくよく言いたいだけ言わせておいて、そのうえで「大勢の人が聞いている所で人を教訓するよりも、自分自身のことをよく考えて教訓したほうがよい」ときっぱり言って座をお立ちなさい。
[15]一日か二日のうちに、こちらへその後のことを知らせなさい。申し上げることがまだたくさんあるが、後は省略する。また次の機会に申し上げることにしたい。恐れながら謹んで申し上げる。
[16]<日>五月十五日
[17]<人>日 蓮 <花押>花押
[18]<先>上野殿御返事