諫暁八幡抄
書下し
諫暁八幡抄
[1]それ馬は一歳二歳の時は、たとひつがいのび、まろすね(円脛)にすねほそく、うでのびて候へども、病あるべしとも見えず。しかれども七、八歳なんどになりて、身もこへ、血ふとく、上かち下をくれ候へば、小船に大石をつめるがごとく、小き木に大なる菓のなれるがごとく、多くのやまい出来して人の用にもあわず、力もよわく、寿もみじかし。天神等もまたかくのごとし。成劫の始には、先生の果報いみじき衆生生れ来る上、人の悪も候はねば、身の光もあざやかに、心もいさぎよく、日月のごとくあざやかに、師子・象のいさみをなして候し程に、成劫やうやくすぎて住劫になるまゝに、前の天神等は年かさなりて下旬の月のごとし。今生れ来れる天神は、果報下劣の衆生多分は生来す。しかる間、一天に三災やうやくをこり、四海に七難ほぼ出現せしかば、一切衆生始て苦と楽とををもい知る。この時、仏出現し給ひて、仏教と申す薬を天と人と神とにあたへ給ひしかば、燈に油をそへ、老人に杖をあたへたるがごとく、天神等還つて威光をまし、勢力を増長せし事、成劫のごとし。
[2]仏経にまた五味のあぢわひ分れたり。在世の衆生は成劫ほどこそなかりしかども、果報いたうをとろへぬ衆生なれば、五味の中に何の味をもなめて威光勢力をもまし候ひき。仏滅度の後、正像二千年過て、末法になりぬれば、本の天も神も阿修羅・大竜等も年もかさなりて、身もつかれ、心もよはくなり、また今生れ来る天・人・修羅等は、或は小果報、或は悪天・人等なり。小乗・権大乗等の乳・酪・生蘇・熟蘇味を服すれども、老人に麁食をあたへ、高人に麦飯等を奉るがごとし。しかるを当世これを弁へざる学人等、古にならいて日本国の一切の諸神等の御前にして、阿含経・方等・般若・華厳・大日経等を法楽し、倶舎・成実・律・法相・三論・華厳・浄土・禅等の僧を護持僧とし給へる。ただ老人に麁食を与え、小児に強飯をくゝめるがごとし。いかにいわんや、今の小乗経と小乗宗と大乗経と大乗宗とは、古の小・大乗の経・宗にはあらず。天竺より仏法漢土へわたりし時、小・大の経々は金言に私の言まじはれり。宗宗はまた天竺・漢土の論師・人師、或は小を大とあらそい、或は大を小という。或は小に大をかきまじへ、或は大に小を入れ、或は先の経を後とあらそい、或は後を先とし、或は先を後につけ、或は顕経を密経といひ、密経を顕経という。譬へば乳に水を入れ、薬に毒を加ふるがごとし。涅槃経に仏未来を記して云く、〔「その時に諸の賊、醍醐をもつての故に、これに加うるに水をもつてす。水をもつてすること多きが故、乳・酪・醍醐、一切倶に失ふ」〕等云云。阿含小乗経は乳味のごとし。方等・大集経・阿弥陀経・深密経・楞伽経・大日経等は酪味のごとし。般若経等は生蘇味のごとく、華厳経等は熟蘇味のごとく、法華・涅槃経等は醍醐味のごとし。たとひ小乗経の乳味なりとも、仏説のごとくならば、いかでか一分の薬とならざるべき。いわんや、諸の大乗経をや。いかにいわんや、法華経をや。しかるに月氏より漢土に経を渡せる訳人は一百八十七人なり。その中に羅什三蔵一人を除きて、前後の一百八十六人は純ら乳に水を加へ、薬に毒を入れたる人々なり。この理を弁へざる一切の人師・末学等、たとひ一切経を読誦し、十二分経を胸に浮べたる様なりとも、生死を離るる事かたし。また一分のしるしある様なりとも、天地の知る程の祈りとは〔成るべからず〕。魔王・魔民等、守護を加へて法に験ある様なりとも、終にはその身も檀那も〔安穏なるべからず〕。譬へば旧医の薬に毒を雑へてさしをけるを、旧医の弟子等、或は盗み取り、或は自然に取りて、人の病を治せんがごとし。いかでか安穏なるべき。
[3]当世日本国の真言等の七宗並に浄土・禅宗等の諸学者等、弘法・慈覚・智証等の法華経最第一の醍醐に法華第二第三等の私の水を入れたるを〔知らず〕。仏説のごとくならば、いかでか「一切倶失」の大科を脱れん。大日経は法華経より劣る事七重なり。しかるを弘法等顛倒して、大日経最第一と定めて日本国に弘通せるは、法華経一分の乳に大日経七分の水を入れたるなり。〔水にもあらず、乳にもあらず、大日経にもあらず、法華経にもあらず〕。しかも〔法華経に似て、大日経に似たり〕。大覚世尊これを集めて涅槃経に記して云く、〔「我が滅後において○正法まさに滅尽せんと欲せん。その時に多く悪を行ずる比丘あらん。乃至、牧牛女のごとく、乳を売るに多くの利を貪らんと欲するをもつての故に、二分の水を加う。乃至、この乳水多し。○その時にこの経閻浮提においてまさに広く流布すべし。この時にまさに諸の悪比丘ありて、この経を鈔略して分つて多分となし、よく正法の色・香・美味を滅すべし。この諸の悪人、またかくのごとき経典を読誦すといえども、如来の深密の要義を滅除せん。乃至、前を鈔て後に著け、後を鈔て前に著け、前後を中に著け、中を前後に著けん。まさに知るベし。かくのごとき諸の悪比丘は、これ魔の伴侶なり」等云云〕。
[4]今日本国を案ずるに、代始まりて已に久しく成りぬ。旧き守護の善神は定めて福も尽き、寿も減じ、威光勢力も衰へぬらん。仏法の味をなめてこそ威光勢力も増長すべきに、仏法の味は皆たがひ(違)ぬ、齢はたけぬ。いかでか国の災を払ひ、氏子をも守護すべき。その上、謗法の国にて候を、氏神なればとて大科をいましめずして守護し候へば、仏前の起請を毀つ神なり。しかれども、氏子なれば愛子の失のやうにすてずして守護し給ひぬる程に、法華経の行者をあだむ国主・国人等を対治を加へずして、守護する失に依りて、梵・釈等のためには八幡等は罰せられ給ひぬるか。この事は一大事なり、〔秘すべし、秘すべし〕。
[5]ある経の中に、仏この世界と他方の世界との梵・釈・日月・四天・竜神等を集めて、我が正・像・末の持戒・破戒・無戒等の弟子等を、第六天の魔王・悪鬼神が、人王・人民等の身に入りて悩乱せんを、〔見ながら聞きながら〕治罰せずして須臾もすごすならば、必ず梵・釈等の使をして四天王に仰せつけて治罰を加ふべし。もし氏神治罰を加へずば、梵・釈・四天等も守護神に治罰を加ふべし。梵・釈またかくのごとし。梵・釈等は必ずこの世界の梵・釈・日月・四天等を治罰すべし。〔もししからずんば〕三世の諸仏の出世に漏れ、永く梵・釈等の位を失ひて、無間大城に〔沈むべし〕と、釈迦・多宝・十方の諸仏の御前にして起請を書き置かれたり。
[6]〔今これを案ずるに〕日本小国の王となり、神となり給ふは、小乗には三賢の菩薩、大乗には十信、法華には名字・五品の菩薩なり。何なる氏神ありて、無尽の功徳を修すとも、法華経の名字を〔聞かず〕、一念三千の観法を〔守護せずんば〕、退位の菩薩と成りて永く無間大城に沈み候べし。故に扶桑記に云く、〔「また伝教大師、八幡大菩薩の奉為に神宮寺において自ら法華経を講ず。すなわち聞き竟りて大神託宣すらく、我れ法音を聞かずして久しく歳年を歴たり。幸ひに和尚に値遇して、正教を聞くことを得たり。兼て我がために種種の功徳を修す。至誠随喜す。何ぞ徳を謝するに足らん。兼て我が所持の法衣ありと。すなわち託宣の主、自ら宝殿を開きて、手ずから紫の袈裟一・紫の衣一を捧げて、和尚に奉上す。大悲力の故に幸いに納受を垂れたまえと。この時、禰宜・祝等各歎異して云く、元来見ず聞かず、かくのごときは奇事なるかな。この大神の施すところの法衣、今山王院に在るなり〕と云云。
[7]今謂く、八幡は人王第十六代応神天皇なり。その時は仏経なかりし。ここに袈裟・衣あるべからず。人王第三十欽明の治三十二年に神と顕はれ給ひ、それより已来弘仁五年までは禰宜・祝等次第に宝殿を守護す。何の王の時、この袈裟を納めけると意うベし。しかして禰宜等云く、〔元来見ず聞かず〕等と云云。この大菩薩いかにしてかこの袈裟・衣は持ち給ひけるぞ。不思議なり不思議なり。また欽明より已来弘仁五年に至るまでは王は二十二代、仏法は二百六十余年なり。その間に三論・成実・法相・倶舎・華厳・律宗・禅宗等の六宗七宗日本国に渡りて、八幡大菩薩の御前にして経を講ずる人々、その数を〔知らず〕。また法華経を読誦する人もいかでかなからん。また八幡大菩薩の御宝殿の傍には、神宮寺と号して法華経等の一切経を講ずる堂、大師より已前にこれあり。その時定めて仏法を聴聞し給ひぬらん。何ぞ今始めて、〔我れ法音を聞かずして久しく歳年を歴る〕等と託宣し給ふべきや。幾くの人々か、法華経・一切経を講じ給ひけるに、何ぞこの御袈裟・衣をば進らさせ給はざりけるやらん。まさに知るべし、伝教大師已前は法華経の文字のみ読みけれども、その義はいまだ顕れざりけるか。去ぬる延暦廿年十一月の中旬の比、伝教大師比叡山にして、南都七大寺の六宗の碩徳十余人を奉請して、法華経を講じ給ひしに、弘世・真綱等の二人の臣下〔この法門を聴聞〕してなげいて云く、〔一乗の権滞を慨き、三諦の未顕を悲しむ〕と。また云く、〔長幼三有の結を摧破し、なおいまだ歴劫の轍を改めず〕等と云云。その後延暦廿一年正月十九日に高雄寺に主上行幸ならせ給ひて、六宗の碩徳と伝教大師とを召し合せられて宗の勝劣を聞し食ししに、南都十四人皆口を閉じて鼻のごとくす。後に重ねて怠状を捧げたり。〔その状に云く、「聖徳の弘化より以降今に二百余年の間、講ずるところの経論その数多し。彼此理を争い、その疑いいまだ解けず。しかもこの最妙の円宗なおいまだ闡楊せず」〕等と云云。これをもつて思ふに、伝教大師已前には法華経の御心いまだ顕れざりけるか。八幡大菩薩の「見ず聞かず」と御託宣ありけるは指すなり、指すなり。白なり、白なり。
[8]法華経の第四に云く、〔「我が滅度の後に能く窃かに一人のためにも法華経を説かん。まさに知るべし、この人はすなわち如来の使なり。乃至、如来すなわち衣をもつてこれを覆いたまうべし」〕等と云云。当来の弥勒仏は法華経を説き給ふべきゆへに、釈迦仏は大迦葉尊者を御使として衣を送り給ふ。また伝教大師、仏の御使として法華経を説き給ふべきゆへに、八幡大菩薩を使として衣を送り給ふか。
[9]またこの大菩薩は伝教大師已前には、加水の法華経を服してをはしましけれども、先生の善根に依りて大王と生れ給ひぬ。その善根の余慶、神と顕れてこの国を守護し給ひけるほどに、今は先生の福の余慶も尽きぬ。正法の味も失ひぬ。謗法の者等国中に充満して年久けれども、日本国の衆生に久しく仰がれてをわせし。大科あれども捨てがたくをぼしめし、老人の不孝の子を捨てざるがごとくして、天のせめに合ひ給ひぬるか。
[10]またこの袈裟は法華経最第一と説かん人こそかけまいらせ給ふべきに、伝教大師の後は第一の座主義真和尚、法華最第一の人なればかけさせ給ふ事、その謂あり。第二の座主円澄大師は伝教大師の御弟子なれども、また弘法大師の弟子なり。すこし謗法ににたり。この袈裟の人にはあらず、かけがたし。第三の座主円仁慈覚大師は名は伝教大師の御弟子なれども、心は弘法大師の弟子、大日経第一、法華経第二の人なり。この袈裟は一向にかけがたし。たとひかけたりとも法華経の行者にはあらず。その上、また当世の天台座主は一向真言の座主なり。また当世の八幡の別当は、或は園城寺の長吏、或は東寺の末流、これらは遠くは釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵、近くは伝教大師の讐敵なり。譬へば提婆達多が大覚世尊の御袈裟をかけたるがごとし。また猟師が仏衣を被て師子の皮をはぎしがごとし。当世、叡山の座主は伝教大師の八幡大菩薩より給ひて候し御袈裟をかけて、法華経の所領を奪ひ取りて真言の領となせり。譬へば阿闍世王の提婆達多を師とせしがごとし。しかるを大菩薩のこの袈裟をはぎかへし給はざるは一の大科なり。
[11]この大菩薩は法華経の御座にして行者を守護すべき由の起請をかきながら、数年が間、法華経の大怨敵を治罰せざる事不思議なる上、たま〳〵法華経の行者の出現せるを、来りて守護こそなさざらめ、我前にして国主等の怨する事、犬の猿をかみ、蛇の蝦をのみ、鷹の雉を、師子王の兎を殺すがごとくするを、一度もいましめず。たとひいましむるやうなれども、いつわりをろかなるゆへに、梵・釈・日月・四天等のせめを、八幡大菩薩かほり給ひぬるにや。例せば、欽明天皇・敏達天皇・用明天皇、已上三代の大王、物部大連・守屋等がすゝめに依りて宣旨を下して、金銅の釈尊を焼き奉り、堂に火を放ち、僧尼をせめしかば、天より火下て内裏をやく。その上、日本国の万民とがなくして悪瘡をやみ、死ぬること大半に過ぎぬ。結句三代の大王・二人の大臣、その外多くの王子・公卿等、或は悪瘡、或は合戦にほろび給ひしがごとし。その時、日本国の百八十の神の栖み給ひし宝殿皆焼け失せぬ。釈迦仏に敵する者を守護し給ひし大科なり。
[12]また園城寺は叡山已前の寺なれども、智証大師の真言を伝へて今に長吏とがうす。叡山の末寺たる事疑ひなし。しかるに山門の得分たる大乗戒壇を奪ひ取りて、園城寺に立て叡山に随はじと云云。譬へば小臣が大王に敵し、子が親に不孝なるがごとし。かゝる悪逆の寺を新羅大明神みだれがわしく守護するゆへに、度々山門に宝殿を焼るる、かくのごとし。今八幡大菩薩は法華経の大怨敵を守護して天火に焼かれ給ひぬるか。例せば秦の始皇の先祖襄王と申せし王、神となりて始皇等を守護し給ひし程に、秦の始皇大慢をなして三皇五帝の墳典をやき、三聖の孝経等を失ひしかば、沛公と申す人、剣をもて大蛇を切り死ぬ。秦皇の氏神これなり。その後秦の代ほどなくほろび候ひぬ。これもまたかくのごとし。安芸の国いつく島の大明神は平家の氏神なり。平家ををごらせし失に、伊勢大神宮・八幡等に神うちに打ち失なはれて、その後平家ほどなくほろび候ひぬ。これまたかくのごとし。
[13]法華経の第四に云く、〔「仏滅度の後、能くその義を解せんは、これ諸の天人、世間の眼なり」〕等と云云。日蓮が法華経の肝心たる題目を日本国に弘通し候は、諸天・世間の眼にあらずや。眼には五あり。いわゆる肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼なり。この五眼は法華経より出生せさせ給ふ。故に〔普賢経に云く、「この方等経はこれ諸仏の眼なり。諸仏これによつて五眼を具することを得たまえり」〕等と云云。この方等経と申すは法華経を申すなり。またこの経に云く、〔「人天の福田、応供の中の最なり」〕等と云云。これらの経文のごとくば、妙法蓮華経は人・天の眼、二乗・菩薩の眼、諸仏の御眼なり。しかるに法華経の行者を怨む人は人・天の眼をくじる者なり。その人を罰せざる守護神は、一切の人天の眼をくじる者を結構し給ふ神なり。しかるに弘法・慈覚・智証等は正しく書を作りて、法華経を〔「無明の辺域にして、明の分位にあらず」。「後に望むれば戯論と作る」〕。「力者に及ばず」「履者とりにたらず」とかきつけて四百余年。日本国の上一人より下万民にいたるまで法華経をあなづらせ、一切衆生の眼をくじる者を守護し給ふは、あに八幡大菩薩の結構にあらずや。
[14]去ぬる弘長とまた去ぬる文永八年九月の十二日に日蓮一分の失なくして、南無妙法蓮華経と申す大科に、国主のはからいとして八幡大菩薩の御前にひきはらせて、一国の謗法の者どもにわらわせ給ひしは、あに八幡大菩薩の大科にあらずや。そのいましめとをぼしきは、ただどしうちばかりなり。日本国の賢王たりし上、第一、第二の御神なれば、八幡に勝れたる神はよもをはせじ。また偏頗はよもあらじとはをもへども、一切経並に法華経のをきてのごときんば、この神は大科の神なり。
[15]日本六十六箇国、二つの島、一万一千三十七の寺々の仏は皆、或は画像、或は木像、或は真言已前の寺もあり、或は已後の寺もあり。これらの仏は皆法華経より出生せり。法華経をもつて眼とすべし。いわゆる、〔「この方等経はこれ諸仏の眼なり」〕等と云云。妙楽云く、〔「しかもこの経は常住仏性をもつて咽喉となし、一乗の妙行をもつて眼目となし、再生敗種をもつて心腑となし、顕本遠寿をもつてその命となす」〕等と云云。しかるを日本国の習ひ、真言師にもかぎらず、諸宗一同に仏眼の印をもつて開眼し、大日の真言をもつて五智を具足すと云云。これらは法華経にして仏になれる衆生を、真言の権経にて供養すれば、還りて仏を死し、眼をくじり、寿命を断ち、喉をさきなんどする人々なり。提婆が教主釈尊の身より血を出し、阿闍世王の彼の人を師として現罰に値ひしに、いかでかをとり候べき。八幡大菩薩は応神天皇、小国の王なり。阿闍世王は摩竭大国の大主なり。天と人と、王と民との勝劣なり。しかれども阿闍世王、なお釈迦仏に敵をなして悪瘡身に付き給ひぬ。八幡大菩薩いかでかその科を脱るべき。
[16]去ぬる文永十一年に大蒙古国よりよせて、日本国の兵を多くほろぼすのみならず、八幡の宮殿すでにやかれぬ。その時、何ぞ彼の国の兵を罰し給はざるや。まさに知るべし。彼の国の大王は此の国の神に勝れたる事あきらけし。襄王と申せし神は漢土の第一の神なれども、沛公が利剣に切られ給ひぬ。
[17]これをもつてをもうべし。道鏡法師、称徳天皇の心よせと成りて国王と成らんとせし時、清丸、八幡大菩薩に祈請せし時、〔八幡の御託宣に云く、夫れ神に大小・好悪あり、乃至、彼は衆く我は寡し。邪は強く正は弱し。すなわちまさに仏力の加護を仰ぎて、ために皇緒を紹隆すべし〕等と云云。まさに知るべし、八幡大菩薩は正法を力として王法をも守護し給ひけるなり。叡山・東寺等の真言の邪法をもつて権大夫殿を調伏せし程に、権大夫殿はかたせ給ひ、隠岐法皇はまけさせ給ひぬ。「還著於本人」とはこれなり。
[18]今又日本国一万一千三十七の寺並に三千一百三十二社の神は、国家安穏のためにあがめられて候。しかるにその寺々の別当等、その社々の神主等は、みな〳〵あがむるところの本尊と神との御心に相違せり。彼々の仏と神とは、その身異体なれども、その心同心に法華経の守護神なり。別当と社主等は、或は真言師、或は念仏者、或は禅僧、或は律僧なり。皆一同に八幡等の御かたきなり。謗法不孝の者を守護し給ひて、正法の者を、或は流罪、或は死罪等に行はするゆへに、天のせめを被り給ひぬるなり。我弟子等の内、謗法の余慶ある者の思ひていわく、この御房は八幡をかたきとすと云云。これいまだ道理ありて法の成就せぬには、本尊をせむるということを存知せざる者の思ひなり。
[19]付法蔵経と申す経に大迦葉尊者の因縁を説ひて云く、〔「時に摩竭国に波羅門あり。尼倶律陀と名づく。過去の世において、久しく勝業を修し○財宝多く饒にして巨富無量なり○摩竭王に比するに千倍勝れりとなす○財宝饒なりといえども、子息あることなし。自ら念わく、老い朽ちて死の時まさに至らんとす。庫蔵の諸物委付するところなし。その舎の側において樹林神あり。彼の婆羅門子を求むるがための故に、すなわち往きて祈請す。年歳を経歴すれども微応だになし。時に尼倶律陀大いに瞋忿を生じて、樹神に語つて曰く、我れ汝に事てより来、すでに年歳を経れども、すべてために一の福応を垂るるを見ず。今まさに七日至心に汝に事うべし。もしまた験なくんば、必ず相焼剪せんと。明かに樹神聞き已りて甚だ愁怖を懐き、四天王に向ひて具にこの事を宣ぶ。ここにおいて四王往いて帝釈に白す。帝釈閻浮提の内を観察するに、福徳の人の彼の子となるに堪うるなし。すなわち梵王に詣で広く上の事を宣ぶ。その時に梵王天眼をもつて観見するに、梵天のまさに命終に臨むべきあり。しかしてこれに告げて曰く、汝もし神を降さばよろしくまさに彼の閻浮提界の婆羅門の家に生ずべし。梵天対えて曰く、婆羅門の法悪邪見多し。我れ今その子となること能わざるなりと。梵王また言く、彼の婆羅門大威徳あり。閻浮提の人往きて生ずるに堪うるなし。汝必ず彼に生ぜば吾相護りて終に汝をして邪見に入らしめざらん。梵天曰く、諾、敬で聖教を承けんと。ここにおいて、帝釈すなわち樹神に向いてかくのごとき事を説く。樹神歓喜して尋でその家に詣りて婆羅門に語らく、汝今また恨を我に起すことなかれ。却つて後七日まさに卿が願を満すべし。七日に至ってすでに婦始て身むことあるを覚え、十月を満足して一りの男児を生めり。乃至、今の迦葉これなり」と云云。「時に応じて尼倶律陀大いに瞋忿を生ず」〕等と云云。常のごときんば、氏神に向ひて大瞋恚を生ぜん者は、今生には身をほろぼし、後生には悪道に堕つべし。しかりといえども、尼倶律陀長者、氏神に向いて大悪口・大瞋恚を生じて、大願を成就し、賢子をまうけ給ひぬ。まさに知るべし、瞋恚は善悪に通ずるものなり。
[20]今日蓮は去ぬる建長五年〈癸丑〉四月二十八日より、今弘安三年〈太歳庚辰〉十二月にいたるまで二十八年が間、また他事なし。ただ妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり。これすなわち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり。これまた時の当らざるにあらず。すでに仏記の五々百歳に当れり。天台・伝教の御時は時いまだ来らざりしかども、一分の機ある故、少分流布せり。いかにいわんや、今はすでに時いたりぬ。たとい機なくして水火をなすとも、いかでか弘通せざらむ。ただ不軽のごとく大難には値ふとも、流布せん事疑ひなかるべきに、真言・禅・念仏者等の讒奏に依りて、無智の国主等留難をなす。これを対治すべき氏神八幡大菩薩、彼等の大科を治せざるゆへに、日蓮の氏神を諫暁するは道理に背くべしや。尼倶律陀長者が樹神をいさむるに異ならず。〔蘇悉地経に云く、「本尊を治罰すること、鬼魅を治するがごとし」〕等と云云。文の心は、経文のごとく所願を成ぜんがために、数年が間、法を修行するに成就せざれば、本尊を或はしばり、或は打ちなんどせよととかれて候。相応和尚の不動明王をしばりけるはこの経文を見たりけるか。これは他事にはにるべからず。日本国の一切の善人が、或は戒を持ち、或は布施を行ひ、或は父母等の孝養のために寺塔を建立し、或は成仏得道のために妻子をやしなうべき財を止めて諸僧に供養をなし候に、諸僧謗法者たるゆへに、謀反の者を知らずしてやどしたるがごとく、不孝の者に契りなせるがごとく、今生には災難を招き、後生も悪道に堕ち候べきを扶けんとする身なり。しかるを日本国の守護の善神等、彼等に与して正法の敵となるゆへに、此をせむるは経文のごとし。道理に任せたり。
[21]我弟子等が愚案にをもわく、我が師は法華経を弘通し給ふとてひろまらざる上、大難の来れるは、真言は国をほろぼす・念仏は無間地獄・禅は天魔の所為・律僧は国賊との給ふゆへなり。例せば道理ある問注に悪口のまじわれるがごとしと云云。日蓮我弟子に反詰して云く、汝もししからば我が問を答へよ。一切の真言師・一切の念仏者・一切の禅宗等に向ひて南無妙法蓮華経と唱へ給へと勧進せば、彼等の云く、我が弘法大師は法華経と釈迦仏とを戯論・無明の辺域・力者・はき物とりに及ばずとかゝせ給ひて候。物の用にあわぬ法華経を読誦せんよりも、その口に我が小呪を一返もみつべし。一切の在家の者の云く、善導和尚は法華経をば「千中無一」、法然上人は「捨閉閣抛」、道綽禅師は「未有一人得者」と定めさせ給へり。汝がすゝむる南無妙法蓮華経は我が念仏の障なり。我等たとひ悪をつくるともよも唱へじ。一切の禅宗云く、我宗は教外別伝と申して、一切経の外に伝へたる最上の法門なり。一切経は指のごとし。禅は月のごとし。天台等の愚人は指をまほて月を亡たり。法華経は指なり。禅は月なり。月を見て後は、指は何のせんかあるべきなんど申す。かくのごとく申さん時は、いかにとしてか南無妙法蓮華経の良薬をば彼等が口には入るべき。仏はしばらく阿含経を説き給ひて後、彼の行者を法華経へ入れんとたばかり給ひしに、一切の声聞等、阿含経に著して法華経へ入らざりしをば、いかやうにかたばからせ給ひし。これをば仏説いて云く、「たとひ五逆罪は造るとも、五逆の者をば供養すとも、罪は仏の種とはなるとも、彼等が善根は仏種とならじ」とこそ説かせ給ひしか。
[22]小乗・大乗はかわれども同じく仏説なり。大が小を破して小を大となすと、大を破して法華経に入ると、大小は異なれども、法華経へ入れんと思ふ志はこれ一なり。されば無量義経に大を破して云く、「未顕真実」と。法華経に云く、〔「此の事はさだめて不可なり」〕等と云云。仏自ら云く、「我れ世に出て華厳・般若等を説きて法華経をとかずして入涅槃せば、愛子に財ををしみ、病者に良薬をあたへずして死したるがごとし」。仏自ら記して云く、「地獄に堕つべし」と云云。不可と申すは地獄の名なり。いわんや法華経の後、爾前の経に著して法華経へうつらざる者は、大王に民の従がはざるがごとし。親に子の見へざるがごとし。
[23]たとひ法華経を破せざれども、爾前の経々をほむるは法華経をそしるに当れり。〔妙楽云く、「もし昔を称歎せば、あに今を毀るにあらずや」と〈文〉。又云く、「発心せんと欲すといえども、偏円を簡ばず、誓の境を解らざれば、未来に法を聞くとも、何ぞよく謗を免れん」〕等と云云。真言の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等は、たとひ法華経を大日経に相対して勝劣を論ぜずして、大日経を弘通すとも、滅後に生まれたる三蔵・人師なれば謗法はよも免れ候はじ。いかにいわんや善無畏等の三三蔵は、法華経は略説、大日経は広説と同じて、しかも法華経の行者を大日経えすかし入れ、弘法等の三大師は法華経の名をかきあげて戯論なんどかゝれて候を大科を明らめずして、この四百余年、一切衆生を皆謗法の者となりぬ。例せば、大荘厳仏の末の四比丘が六百万億那由佗の人を皆無間地獄に堕とせると、師子音王仏の末の勝意比丘が無量無辺の持戒の比丘・比丘尼・うばそく・うばいを皆阿鼻大城に導きしと、今の三大師の教化に随ひて、日本国四十九億九万四千八百二十八人の一切衆生、また四十九億等の人々、四百余年に死して無間地獄に堕ちぬれば、その後他方世界よりは生れてまた死して無間地獄に堕ちぬ。かくのごとく堕つる者は大地微塵よりも多し。これ皆三大師の科ぞかし。これを日蓮ここに大に見ながらいつわりをろかにして申さずば、倶に堕地獄の者となて、一分の科なき身が十方の大阿鼻地獄を経めぐるべし。いかでか身命をすてざるべき。〔涅槃経に云く、「一切衆生の異の苦を受くるは、悉くこれ如来一人の苦なり」等と云云。日蓮云く、「一切衆生の同一の苦は、悉くこれ日蓮一人の苦なり」〕と申すべし。
[24]平城天皇の御宇に八幡の御託宣に云く、〔「我はこれ日本の鎮守八幡大菩薩なり。百王を守護せん誓願あり」〕等と云云。今云く、人王八十一・二代隠岐法皇、三・四・五の諸皇すでに破られ畢んぬ。残る二十余代今捨て畢んぬ。すでにこの願破るるがごとし。日蓮料簡して云く、百王を守護せんと云ふは、正直の王百人を守護せんと誓ひ給ふ。〔八幡の御誓願に云く、「正直の人の頂をもつて栖となし、諂曲の人の心をもつて亭らず」〕等と云云。それ月は清水に影をやどす、濁水にすむ事なし。王と申すは不妄語の人、右大将家・権大夫殿は不妄語の人、正直の頂、八幡大菩薩の栖む百王の内なり。
[25]正直に二あり。一には世間の正直。王と申すは天人地の三を串を王と名づく。天人地の三は横なり。たつてん(立点)は縦なり。王と申すは黄帝中央の名なり。天の主・人の主・地の主を王と申す。隠岐の法皇は名は国王、身は妄語の人、横人なり。権大夫殿は名は臣下、身は大王、不妄語の人、八幡大菩薩の願ひ給ふ頂なり。二には出世の正直と申すは、爾前七宗等の経・論・釈は妄語、法華経・天台宗は正直の経・釈なり。本地は不妄語の経の釈迦仏、迹には不妄語の八幡大菩薩なり。八葉は八幡、中台は教主釈尊なり。四月八日寅の日に生れ、八十年を経て二月十五日申の日に隠れさせ給ふ。あに教主の日本国に生れ給ふにあらずや。〔大隅の正八幡宮の石の文に云く、「昔霊鷲山にありて妙法華経を説き、今正宮の中にありて大菩薩と示現す」等と云云。法華経に云く、「今此の三界」等と云云。また「常に霊鷲山にあり」〕等と云云。遠くは三千大千世界の一切衆生は釈迦如来の子なり。近くは日本国四十九億九万四千八百二十八人は八幡大菩薩の子なり。今日本国の一切衆生は八幡をたのみ奉るやうにもてなし、釈迦仏をすて奉るは、影をうやまつて体をあなづる、子に向ひて親をのる(詈)がごとし。本地は釈迦如来にして月氏国に出でては、「正直捨方便」の法華経を説き給ひ、垂迹は日本国に生れては正直の頂にすみ給ふ。
[26]諸の権化の人々の本地は法華経の一実相なれども、垂迹の門は無量なり。いわゆる髪倶羅尊者は三世に不殺生戒を示し、鴦崛摩羅は生々に殺生を示す。舎利弗は外道となり、〔かくのごとく〕門々不同なる事は、本凡夫にしてありし時の初発得道の始を、成仏の後化他門に出で給ふ時、我が得道の門を示すなり。〔妙楽大師云く、「もし本に従ひて説かばまたかくのごとし。昔殺等の悪の中においてよく出離す。故にこの故に迹の中にまた殺をもつて利他の法門となす」〕等と云云。今の八幡大菩薩は本地は月氏の不妄語の法華経を、迹に日本国にして正直の二字となして、賢人の頂にやどらむと云云。もししからば、この大菩薩は宝殿をやきて天にのぼり給ふとも、法華経の行者日本国にあるならば、その所に栖み給ふべし。
[27]〔法華経の第五に云く、「諸天、昼夜に常に法のための故に、しかもこれを衛護す」〕と〈文〉。経文のごとくば、南無妙法蓮華経と申す人をば、大梵天・帝釈・日月・四天等昼夜に守護すべしと見えたり。〔また第六の巻に云く、「或は己身を説き、或は他身を説き、或は己身を示し、或は他身を示し、或は己事を示し、或は他事を示す」〕と〈文〉。観音なお三十三身を現じ、妙音また三十四身を現じ給ふ。教主釈尊何ぞ八幡大菩薩と現じ給はざらんや。〔天台云く、「すなわちこれ形を十界に垂れて種々の像をなす」〕等と云云。
[28]天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給ふべき名なり。扶桑国をば日本国と申す、あに聖人出で給はざらむ。月は西より東に向へり。月氏の仏法の東へ流るべき相なり。日は東より出づ。日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり。月は光あきらかならず。在世はただ八年なり。日は光明月に勝れり。五々百歳の長き闇を照すべき瑞相なり。仏は法華経謗法の者を治し給はず、在世にはなきゆへに。末法には一乗の強敵充満すべし、不軽菩薩の利益これなり。各々我弟子等はげませ給へ〳〵。
[29]<日>弘安三年〈太歳庚辰〉十二月 日日>
[30]<人>日蓮<花押>花押花押>人>
現代語訳
諫暁八幡抄
弘安三年(一二八〇)一二月、五九歳、於身延、和文、定一八三一—一八五〇頁。
諸天と神の威力
[1]馬というものは一、二歳の時は、たとえ関節がのびて円い脛で、脛が細長く腕が伸びていても、病気があるようには見えない。しかし、七、八歳になって身体も肥え、血管が太くなり、上体が大きくなり下体が細い時は、ちょうど小さな船に大きな石を積み、小さな木に大きな果実がなったように、いろいろの病気が出てきて、人の役にも立たず、力も弱く、寿命も短くなるものである。諸天や神々などもそのようなものである。この世界ができたばかりの成劫の時代のはじめには、前世の果報がすぐれた衆生が生まれかわってくる上に、人間も悪いことをする者がいないから、神々の身も輝き、心も清らかで、日月のように鮮かで、師子や象のように勇ましかったけれども、成劫もすぎて住劫の時代になると、前代からの諸天や神々も年をとって、ちょうど下旬の月のように衰えてくるのである。今度あらたに生まれてくる諸天や神々たちは、だいたいは果報の劣った衆生である。そのようなわけで、この世界中に火災・水災・風災の三災や七難が現われてきて、すべての人びとは初めて苦しみと楽しみ安らぎとを思い知るのである。この時、仏がこの世に出現して、仏教という良薬を調合して、諸天と人間と神々とに与えられたので、ちょうど灯に油を加え、老人に杖を持たせたように、諸天や神々は仏教の力によってふたたび威力を増し、勢力を増して、成劫の時代のようになったのである。
仏法と利益
[2]仏の説かれたお経には、乳・酪・生蘇・熟蘇・醍醐の五種の味がある。仏ご在世の衆生は、成劫の時代ほどではないけれども、それほど果報が衰えていない衆生であるから、五味の中のいずれのお経の法味を食しても威光勢力を増したのである。しかし、仏が御入滅されてのち、正法・像法の二千年を過ぎて末法の時代になると、前代の諸天も神々も阿修羅も大竜なども、次第に年老いて身体も疲れ、心も弱くなり、また今新しく生まれてきた天・人・修羅なども、小さな果報の者であるか、あるいは悪い天・人などである。これらの天・人・阿修羅などが、小乗や権大乗などの乳味や酪味や生蘇味や熟蘇味を服用しても、ちょうど老人に粗末な食事を与え、身分の高い人に麦飯などをさしあげたようなもので、少しも滋養にならず効果はないのである。ところがこのことをまったく知らない今の世の学者たちは、ただ昔からの習わしで、日本国の一切の神々の前で、阿含経や方等部の経や般若経や華厳経や大日経などを法楽のために読誦し、またこれらの経々を依りどころとする倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗・浄土宗・禅宗などの僧たちを、護持僧といって神々に奉仕する役目をさせているのは、老人に粗末な食事を与え、子供に固いご飯を食べさせるようなものである。そのうえ、今の小乗経と小乗宗、大乗経と大乗宗とは、昔のままの小乗や大乗の経・宗ではなく、それよりずっと劣ったものである。もともとインドから中国へ仏法が伝えられた時、小乗や大乗の諸経には、釈尊の説かれたお言葉に翻訳者の私言が混じったのである。大・小乗の諸宗もまた同じように、インドや中国の論師や人師たちが、小乗を大乗といったり、また大乗を小乗といったり、小乗の中へ大乗を書き加えたり、大乗の中へ小乗を挿し入れたり、先に説かれた経を後に説いた経としたり、後の経を先に置いたり、先の経を後の経に付け加えたり、顕経を密経といったり、密経を顕経といったりしている。これを譬えていえば、ちょうど乳の中に水を加え、薬に毒を混じえたようなもので、不純なものとなっているから、これらの諸経を信じ読んでも何の効果もないのである。涅槃経の巻三の寿命品に仏が未来のことを予言して「その時にもろもろの賊(悪僧)たちが、醍醐味の中に水を加えたところが、水が多すぎて乳味でも酪味でも醍醐味でもなくなってしまった」と説かれている。阿含小乗経は乳味のようなものであり、方等部の大集経や阿弥陀経や解深密経や楞伽経や大日経などは酪味のようなものである。般若経などは生蘇味のようなもので、華厳経などは熟蘇味のようなもので、法華経・涅槃経などは醍醐味のようなものである。たとえ小乗経が乳味のようなものであったとしても、仏説の通りであるならば一分の薬効はあるはずである。まして酪味以上の諸大乗経や、最高の醍醐味である法華経がすぐれた薬効をもつことはいうまでもないことである。ところがインドから中国へ仏法を伝えた翻訳者百八十七人のうち、羅什三蔵一人を除いた前後の百八十六人は、純粋な乳に水を加え、薬に毒を入れたような人びとである。この道理を知らないすべての人師や学者たちは、たとえ一切経を読誦し、十二分経を諳んじて胸に浮かべるほどであっても、生死の迷いを離れることはできない。またたとえわずかの効験があるようにみえても、天地を動かすほどの祈りとはならない。魔王や魔民などの守護があって、一時は法の効験があるようでも、悪魔のために欺かれたのであるから、結局は祈りを修した人もその信者も安穏であることはできないのである。たとえていえば、邪法の旧医が薬に毒を混ぜておいたのを、その弟子たちが知って盗み取ったり、あるいは知らずに取り出して、病人に与えて治そうとするようなものであって、どうして安穏でいられようか。
[3]今の世の日本国の真言などの七宗、ならびに浄土宗・禅宗などの学者たちは、弘法や慈覚や智証などが法華経最第一の醍醐味の中に、法華第二とか法華第三とかの自分勝手な意見の水を加えたのを知らないのである。これらは前に引いた涅槃経に「醍醐でもなく水でもないものにしてしまった」と仏の説かれた大きな過ちを脱れることはできない。そもそも大日経は法華経より七重も劣る経である。それにもかかわらず弘法たちが反対に大日経最第一と判定して日本国に弘めたのは、法華経という乳一分の中に、大日経という水七分を加えたのである。そのようなものは水でもなければ乳でもなく、大日経でもなければ法華経でもないのである。しかも法華経にも似ていれば大日経にも似ているという、あいまいなものになってしまったのである。教主釈尊はこのことを涅槃経巻九の如来性品に「わが滅後に(中略)正法がまさに滅びようとする時に、多くの悪僧が現われるであろう。(中略)牛飼いの女が乳を売って多くの利益を得ようとして、乳の中に二分の水を加える。(中略)この乳は水気が多い。(中略)その時に、この経が広くこの世界に弘まるであろう。そこで多くの悪僧たちがこの経をかすめ取って、多くの部分に寸断して、正法の本来の色や香りや味わいを失くしてしまうであろう。この悪人たちは、たとえこの経典を読誦したとしても、仏の深い覚りの教えの要点を滅ぼしてしまうであろう。(中略)また前の文章を抜き出して後につけたり、後の文章を抜き出して前につけたり、前後の文章を中間に置いたり、中間の文章を前後に置いたりする。このような悪僧たちは、まさしく悪魔の仲間と知るべきである」と誡められている。
謗法を守護する神の治罰について
[4]今、日本国のことをよく考えてみると、国が始まってからすでに永い年月を経ている。したがって古い守護の善神は、きっとその福も尽き、寿命も減り、威光勢力も衰えたことであろう。正法の味をなめさえすれば神々の威光勢力も増すのであるが、その正法は失われて邪法がはびこり、神々の年齢も老いてしまった。これではどうして国の災難を払い、氏子を守護することができようか。そればかりでなく、日本国が謗法の国であるのに、氏神であるからといって氏子の犯した謗法の大罪を懲らしめることもせず、かえって守護されるならば、仏の御前で正法の行者を守護するという誓いを立てられたその約束を破る神と言わなければならない。しかし、氏子のことであるから、愛する子が罪を犯しても親がこれを捨てないように守護されているために、法華経の行者を怨み憎む国主や国民に処罰を加えないで、これを守護した過ちによって、八幡大菩薩などの神々は梵天・帝釈天などに罰せられ、その宮殿を焼かれたのであろう。このことは一大事であるから秘密にしなくてはならない。
[5]ある経の中に「仏がこの娑婆世界と他の世界との梵天や帝釈天や日天・月天・四天王・竜神たちを集めて、わが滅後の正法・像法・末法の三時代の持戒・破戒・無戒の弟子たちを、第六天の魔王や悪鬼神などが国王や人民の身に入って悩ますのを、見たり聞いたりしながら、これを罰しないですごすならば、必ず梵天・帝釈天が使者を遣わして、四天王に命じて処罰を加えるであろう。もし氏神が処罰を加えないならば、梵天や帝釈天や四天王などがその氏神に処罰を加えるであろう。梵天や帝釈天もまたこの通りで、他方の世界の梵天や帝釈天などが、この世界の梵天・帝釈天・日天・月天・四天王などの治罰を怠っている者を必ず処罰するであろう。もしこれに背くならば、三世の諸仏の出世にも出会えず、永く梵天・帝釈天の位をも失って、ついには無間地獄に堕ちるであろう」と、釈迦・多宝・十方の諸仏の御前で起請文を書かれたことが記されている。
八幡大菩薩は正法の守護神
[6]今これを考えると、そもそも日本国の国王や神となるのは、小乗では三賢の位といって五停心観・別相念住・総相念住の位にある聖人であり、大乗では五十二の菩薩の階位の中で十信の位の菩薩であり、法華経では六即の中の名字即といって法華経の名を聞いて信心を起こす位、随喜品・読誦品・説法品・兼行六度品・正行六度品の五品の観行即の位の菩薩である。それであるからどのような氏神があって無量の功徳を積んでも、法華経の名を聞いて信心を起こさず、一念三千の観法を修行しようともしなかったならば、退位の菩薩といって、みずから菩薩の位を退いた者となって、無間地獄に堕ちて永久に浮かびあがることはできないだろう。それゆえ、扶桑略記の中に「伝教大師が八幡大菩薩の御ために、宇佐の神宮寺で法華経を講ぜられたところが、八幡大菩薩がその講を聞きおわってから託宣されるには、自分は多年の間経文の声を聞くことができなかったが、いま幸いにも和尚に会って如来の正教である法華経の教えを聞くことができた。そればかりでなく自分のために種々の功徳を積んでくれたことは、言葉に尽くすことのできないほどの喜びである。何をもってこの功徳に報謝することができようか。幸い秘蔵の法衣があるから御礼に供養する、とのことであった。そこで託宣を受けた神主が、みずから宝殿を開いて紫の袈裟と紫の法衣とを捧げて、和尚にたてまつって、どうぞ大慈悲をもってこれを納受して下さいといった。この時に禰宜や祝などの神官たちが一同に不思議なことと驚いて、このような不思議なことはこれまでに見たことも聞いたこともないと称歎したのであった。この大菩薩が布施された法衣は今も比叡山の山王院にある」と記されている。
[7]今このことから思うには、八幡大菩薩は人王第十六代の応神天皇である。その時にはまだ仏教がなかったから、袈裟や衣があるはずがない。人王第三十代の欽明天皇の第三十二年に神となって顕われ、それより弘仁五年(<暦>八一四暦>)の伝教大師の講経までの間は、禰宜や祝などの神官たちが引き続いて八幡大菩薩の御宝殿を守っていたのである。いったいどの天皇の時にこの袈裟と法衣とが納められたのであろうか。しかも禰宜たちは「いまだかつて見たことも聞いたこともない」といっている。では八幡大菩薩はどうしてこの袈裟と法衣とを所持されていたのであろうか。まことに不思議なことである。また欽明天皇の御代から嵯峨天皇の弘仁五年にいたるまでには二十二代の天皇の御代を経ており、仏法が日本に伝わってからは二百六十余年を経ているのである。その間に三論宗・成実宗・法相宗・倶舎宗・華厳宗・律宗・禅宗などの六宗や七宗が日本に伝来していたから、八幡大菩薩の御宝前で経を講じた人びとも数えきれぬほど多くある。また法華経を読誦した人も必ずいたことであろう。また八幡大菩薩の御宝殿のかたわらには、神宮寺といって法華経をはじめ一切経を講ずるための寺院が、伝教大師よりも以前からあったのである。その時以来、きっと仏の教えを聴聞されたことであろう。それにもかかわらず、どうして今はじめて「自分は久しい間お経の声を聞くことがなかった」などと託宣されたのであろうか。また多くの人びとが法華経や一切経を講じられたのに、どうしてこの袈裟や法衣を供養されなかったのであろうか。それは、伝教大師以前は法華経の文字だけは読んだけれども、真実の意義は顕われなかったからであることを知らなければならない。その証拠に、去る延暦二十年(<暦>八〇一暦>)十一月中旬の頃、伝教大師が南都七大寺の六宗の学徳すぐれた高僧十余人を比叡山に請待して法華経を講ぜられた時、和気弘世と真綱という兄弟二人がこの講義を聞いて、「この法華真実の一仏乗の妙義が弘まらずにいたことはまことに残念であり、空仮中三締円融の真理が顕われなかったことは悲しいことである」と歎かれ、また「この世間の人びとは長幼ともに迷いの世界の絆を切るのに、法華以前の方便権教の廻り遠い修行の形式を離れることができないのは悲しいことである」ともいわれた。その後、延暦二十一年正月十九日には、桓武天皇が高雄寺に行幸せられて、南都六宗の高僧と伝教大師とを召し合わせられて、おのおのの宗旨の勝劣についての問答を聞かれた時に、南都の十四人の学者たちは誰一人として答えることができず、口を開く者もなかった。その後に改めてたてまつった帰伏状には「聖徳太子の仏法興隆以来二百余年の間に講じられた経文や論書は非常に多くあるが、互いに理屈を立てて勝劣を争って、いずれがすぐれているか、その疑いはいまだに解けない。しかもこの最もすぐれた天台法華宗の教えはいまだ弘められていない」といっている。これらのことから考えてみると、伝教大師以前には法華経の実義はまだ顕われなかったのである。それゆえ、八幡大菩薩が「見たことも聞いたこともない」と託宣されたことは、このことを指すのであって、いかにも明白である。
[8]法華経の第四の巻の法師品には、「わが滅度の後に、よくひそかに一人のためにでも法華経を説く者があるならば、その人はまさしく如来の使である。(中略)如来は衣をもってその人を覆い、守護せられるであろう」と説かれている。このことから考えると、未来の世に出世される弥勒仏は、必ず法華経を説かれるはずであるから、釈迦仏は大迦葉尊者を使者として衣を送られたのである。それと同じく、伝教大師は仏の御使として法華経を説かれるはずであるから、仏は八幡大菩薩を使者として衣を送られたのであろう。
謗法を治罰しないことを責める
[9]またこの八幡大菩薩は、伝教大師以前には、乳に水を加えたような法華経の法味を食しておられたが、前生の善根功徳によって応神天皇と生まれかわり、その善根のお蔭によって八幡という神とも顕われて、この日本国を守護してこられたのであるが、今は前世の善根功徳による福も尽きてしまい、正法の教えの味もなくなってしまった。そればかりでなく、謗法の者が国中に充ち満ちてすでに長い年月を経ているので、久しい間日本国中の衆生に神と仰がれてきたから、その氏子が謗法の大罪を犯していても、ちょうど年老いた親が不孝の子を可愛がって捨てることができないように、これを捨てずにかばわれたから、諸天の責めを受けられて宝殿を焼くようなことになったのであろう。
[10]またこの袈裟は「法華経最第一」と説き弘める人だけがかけることのできるものであるが、伝教大師の後は第一の座主の義真和尚は「法華最第一」と説かれた人であったから、この袈裟をかける資格があるといえる。しかし第二の座主円澄大師は、伝教大師のお弟子であるけれでも、また弘法大師の弟子でもあって、少し謗法の者に似ているから、この袈裟をかける資格はない。第三の座主慈覚大師円仁は、名は伝教大師のお弟子であるが、心は弘法大師の弟子であって、「大日経第一、法華経第二」といった人であるから、絶対にこの袈裟をかける資格はないのである。たとえかけたとしても法華経の行者ではない。その上、今の天台宗の座主は、大日経第一という慈覚の流れをくむ人びとであるから、みなすべて真言の座主である。また今の八幡宮の別当も、大日経第一という智証大師や弘法大師の流れをくむ園城寺の長吏や東寺の末流であって、これらの人びとは遠くは釈迦・多宝・十方の諸仏の怨敵であり、近くは伝教大師の敵である。たとえば提婆達多が釈尊のお袈裟を掛けたようなものであり、また猟師が法衣を着て師子の皮を剥ぐようなものである。今の世の天台座主は、伝教大師が八幡大菩薩からたまわったお袈裟をかけながら、法華経の領分を奪い取って真言の領分としてしまった大謗法の人びとである。たとえば阿闍世王が仏の怨敵である提婆達多を師匠としたようなものである。それにもかかわらず、八幡大菩薩がこれらの人びとから袈裟を剥ぎとってしまわないのは、これ第一の大罪といわなくてはならない。
[11]この八幡大菩薩は、仏が霊鷲山で法華経を説かれた座に列なって、仏の滅後に必ず法華経の行者を守護するとの起請文を書きながら、この数年の間、日蓮を迫害する法華経の大怨敵を処罰されないのは、まことに不思議に思われるうえに、たまたま法華経の行者が出現したのを見て、たとえ現われ来たって守護をしないまでも、自分の眼の前で国主北条氏などが法華経の行者に迫害を加えることは、ちょうど犬が猿をかみ、蛇が蛙を呑み、鷹が雉を殺し、獅子が兎を殺すようであるのを眼前に見ながら、一度も懲らしめようとしないのは遺憾である。たとえ懲らしめたようであっても、わざと手ぬるい処罰をしたから、梵天・帝釈天・日天・月天・四天王などの責めを、八幡大菩薩が受けられたのであろう。たとえば、欽明天皇・敏達天皇・用明天皇の三代の帝王が、物部大連と守屋などの勧めによって、宣旨を下して金銅の釈尊像を焼き、それを安置した御堂に火をつけたり、僧尼を責め殺したりしたから、天から火が降って内裏を焼き、その上に日本国中の万民が何の罪もないのに悪性のできものにかかり、そのために死ぬ者が大半を超えたのである。そして結局は、右の三代の帝王と二人の大臣と、その他多くの王子や公卿などが、あるいは悪瘡のため、あるいは合戦のために滅びたのである。また日本国の百八十の神々が栖んでいた宝殿もすべて焼けてしまった。これは釈尊に敵する者を守護された大きな過失によるものである。
[12]また園城寺は比叡山より以前からの寺であったが、智証大師円珍が真言を伝えてからは、その寺主を長吏と呼んでいるが、比叡山の末寺であることは疑いないことである。それにもかかわらず、比叡山の特色であった大乗戒壇を奪いとって、園城寺に建立して比叡山には随わないといっている。たとえていえば身分の低い臣下が大王に敵対したり、子供が親に背いて不孝をするようなものである。このような悪逆の寺を三井の守護神である新羅大明神がおきてに背いてみだりに守護されるから、たびたび山門の攻撃を受けて宝殿を焼かれたのである。それと同じように今、八幡大菩薩は法華経の大怨敵である謗法者を守護されたために、天の火に宝殿を焼かれたのである。例をあげると、中国の秦の始皇帝の先祖の襄王が、後に蛇神となって始皇帝を守護されたのであるが、始皇帝が大いに慢心を起こして、中国古代の聖人である三皇五帝の書である三墳五典などを焼いたり、孔子・老子・顔回の三聖の孝経などを灰にしてしまったので、漢の高祖沛公という人が現われて、剣をもって始皇の氏神であった大蛇を切り殺したのである。それから間もなく秦の世は滅びたのである。わが国もこれと同じである。安芸の国の厳島大明神は平家の氏神であるが、あまりに平家を憍らせた過失によって、伊勢大神宮や八幡大菩薩のために神打に打たれて、それから間もなく平家が滅びたのである。今の八幡宮の宝殿が焼けたのもまたこれと同じ理由によるのである。
法華経の行者を守護しないことを責める
[13]法華経の第四の巻宝塔品には、「仏の滅後に、よくこの法華経の義理を解る者があれば、その人はもろもろの天・人・世間の眼である」と説かれている。今、日蓮が法華経の肝心である妙法蓮華経の御題目を日本国に弘通するのは、すなわち「もろもろの天・人・世間の眼」ではないか。そもそも眼には肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼の五種がある。この五種の眼はいずれも法華経から生まれたものである。それゆえ観普賢経には「この方等大乗経は諸仏の眼であって、諸仏はこれによって五眼を具えることができた」と説かれている。この経文に「この方等経」というのは、広大にして平等な実相の真理を説いた大乗経という意味で、法華経のことである。また同じ観普賢経の中に「人・天が善根の種をまくべき良い田であり、この経の行者を供養するのが最上の供養である」と説かれている。これらの経文によれば、妙法蓮華経は人・天の眼であり、声聞・縁覚の二乗や菩薩の眼であり、十方三世の諸仏の眼である。それゆえに法華経の行者を怨み憎む人びとは、人・天の眼を抉る者である。それにもかかわらず、その人びとを処罰しようとしない守護神は、一切の人・天の眼を抉る者を保護される神である。弘法や慈覚や智証らは確かに書物を作って、「法華経の教主釈尊は迷いの分斉で、悟りの領域には入らない」。「法華経は後の大日経などのすぐれた経に比べれば戯論である」。「法華経の教主釈尊は駕籠を担ぐ人にも及ばず、草覆取りにも足りない」などと書いて、法華経を貶して四百余年にもなる。その間、日本国の上は天皇から下は万民にいたるまで一同に法華経を侮るままにさせておき、一切衆生の眼を抉る者を守護してきたのは、八幡大菩薩のあまりにも偏ったお計らいであるといわねばならない。
[14]また日蓮の身についていえば、去る弘長元年(<暦>一二六一暦>)五月十二日伊豆の国に流され、文永八年(<暦>一二七一暦>)九月十二日の竜口法難の時には、日蓮には何の罪もないのに、ただ南無妙法蓮華経と唱え弘めるのを大きな罪として、国主たる執権の処置として、八幡大菩薩の御前を引き廻して、国じゅうの謗法の者どもに日蓮を嘲り笑わせたのは、八幡大菩薩の大きな過失ではないか。それでもまったく謗法の者どもを誡めないというのではなく、わずかに誡められたと思うことは、北条一門に同士打ちをさせただけである。もとより八幡大菩薩は応神天皇という日本国の賢王であったうえ、伊勢神宮と第一第二を争うほどの神であって、八幡大菩薩にまさる神はないのである。また正直の神であるから、不公平なことは決してあるはずがないと思うけれども、一切経と法華経のおきてによってみると、八幡大菩薩は謗法の者どもを守護して、法華経の行者を守護しないところの、きわめて不公平な神であるから、大きな過失を犯した神といわねばならない。
[15]行基菩薩によれば、日本六十六か国に壱岐・対馬を加えた六十八か国の中にある寺院一万一千三十七か寺に安置されている仏は、画像や木像の区別があり、また真言宗伝来以前の古い寺もあり、それ以後の寺もあるが、これらの仏はみな、法華経を悟られて仏になったのであるから、法華経をこそ眼とすべきであることは、前に引いた観普賢経に「この方等大乗経は諸仏の眼である」と説かれている通りである。また妙楽大師は法華文句記に「この法華経は仏性の常住を咽喉とし、一乗の妙行を眼目とし、仏種の腐敗した二乗を再生成仏させるのを心臓とし、仏の久遠実成の本地を顕わすのを生命としている」と言われている。それであるのに、日本国の風習として、真言宗にかぎらず諸宗の者が一同に、真言宗の大日仏眼の印を結んで仏像を開眼し、大日如来の真言を唱えて五智を備えさせる、などといっている。これらは法華経によって仏となった者を、方便権教の真言経で供養するのであるから、開眼するどころか、かえって仏を殺し、眼を抉り、生命を断ち、咽喉を裂く人びとというべきである。これはちょうど提婆達多が教主釈尊の御身から血を出し、阿闍世王が提婆達多を師匠として悪瘡を病んで現罰を受けたのにまさるとも劣ることはない。八幡大菩薩は応神天皇で小国日本の王、阿闍世王はインドの摩竭陀国という大国の王である。その勝劣は天と人と、王と民とのようなものである。しかしながら、その大国の王である阿闍世王でさえ、教主釈尊に敵対をして謗法の罪を犯したために、全身に悪瘡を病むという罰を受けられたのであるから、まして小国日本の八幡大菩薩が、釈尊と法華経の行者を軽んずるのを見て処罰しないその罪をどうして脱れることができようか。
[16]現に、去る文永十一年(<日>一二七四日>)に大蒙古国の軍勢が筑紫へ攻め寄せてきた時、日本国の兵を多数殺傷したばかりでなく、八幡大菩薩の宝殿である筑紫の宇佐八幡宮も焼かれてしまったではないか。その時どうして、かの大蒙古国の兵士たちを罰せられなかったのであろうか。これは、かの大蒙古国の大王の力が、この日本国の神よりもすぐれていたからであることは明らかである。それは襄王の蛇神は中国第一の神であったけれども、漢の沛公の利剣によって切り殺されたことから見ても考えられることである。
[17]これと同じように、弓削の道鏡が称徳天皇の寵愛を受けて、国王となろうとした時、和気清麿が勅命を受けて宇佐八幡宮に祈願を捧げた時に八幡大菩薩の御託宣に「そもそも、神には大神と小神、善神と悪神との区別がある。(中略)彼は多く我は少なく、邪神の勢力は強く、善神の勢力は弱い。そこで仏力の御加護によって皇位の継承を正しく隆盛にしなければならない」とあった。これによって八幡大菩薩は法華の正法を力として王法を守護されたことを知らなければならない。それであるのに、承久の変において、朝廷方では叡山や東寺や園城寺などの真言の邪法をもって、権大夫北条義時を調伏したために、かえって北条義時が勝って鎌倉方の世となり、隠岐の法皇(後鳥羽上皇)が負けたのである。法華経普門品に「祈った者がかえって罰を蒙る」とあるのはこのことをいわれたものである。
[18]また日本国の一万一千三十七の寺々と三千一百三十二社の神々は、国家安穏のために祀られ崇められているのである。ところが、その寺々の別当や社々の神主らは、すべて彼らが崇めているところの御本尊や神々の御心に相違している。それらの仏と神々とは、体は異なっていてもその心は同じで、法華経の守護神である。それなのに別当や神主らは、真言師や念仏者や禅僧や律僧であったりして、みなすべて八幡大菩薩の敵である。これらの謗法の者や仏・神に対して不孝の者を守護されて、正法の法華経を弘める行者日
蓮
を守護せずに、流罪や死罪に値わせたから、諸天の責めを受けて宝殿を焼かれたのである。日
蓮
の弟子たちの中で、謗法のなごりがまだ残っている者たちは、この御房(日
蓮
)は八幡大菩薩を敵とするから守護がないのだと思っている。これは祈願した方に祈願が成就すべき正しい道理があるにもかかわらず、祈願が成就しない場合には、その祈願の対象である本尊を責めるということを知らない者の考えることである。
八幡諫暁の必然の理由
[19]付法蔵経の巻一の中に大迦葉尊者の因縁を説いて「ある時、摩竭陀国に尼倶律陀という婆羅門があった。過去の世において長い間多くの善根を積んだ功徳によって(中略)現世に豊かな財宝を有し、巨万の富を蔵していた(中略)その富は摩竭陀国王より千倍もすぐれていた(中略)財宝は豊かであったけれども、子供が一人もなかった。そこでその婆羅門が思うには、自分は年老いて死が近づいてきたが、蔵に満ちている財宝を譲るべき者もいない、何としても子供が欲しいものだと。そこで婆羅門はその家のそばの樹林神に、一人の子を授けたまえと祈請をささげたのである。しかし幾年を経ても、いっこうに効験がなかった。そこで尼倶律陀は大いに怒って、樹林神に向かっていうには、自分は祈請をささげてすでに数年を経ているのに、いまだに何の福報もない。これからさらに七日の間一心に祈請をこらすが、それでも何の福報もなければ、ただちに祠を焼き払うであろう、と。樹神はこれを聞いて大いに心を痛め、四天王に向かってこのことを告げた。四天王はさらにこれを帝釈天に言上したのである。そこで帝釈天は広く世界中をご覧になったけれども、尼倶律陀の子とするに足るような福徳をもった者がいなかった。そこで帝釈天は梵天王にこのことを告げられたのであった。梵天王が天眼をもって広く世界中をご覧になると、ちょうど一人の梵天がまさに臨終を迎え死せんとしているのが見えた。そこで梵天王は彼に向かって、汝もし天から下界に生まれ変わるならば、閻浮提の尼倶律陀婆羅門の家に生まれよといった。その梵天が答えていうには、婆羅門の法には悪見や邪見が多いから、自分はそのような者の子となることはできない、と。梵天王が重ねていわれるには、尼倶律陀婆羅門は大威徳があって、世界中に彼の子となって生まれるほどの者がないから、もし汝がかの婆羅門の家に生まれるならば、自分が汝を護って邪見に陥らないようにしてやろう、と。そこで梵天は、それならば仰せの通りにしましょう、と答えた。この答えを得た梵天王は帝釈天にこれを伝え、帝釈天は樹神にこのことを伝えたのである。樹神はこれを聞いて大いに喜び、婆羅門の家へ行っていうには、汝はもはや我を恨んではならない。これより七日の後に必ず汝の願いはかなうであろうと。はたして七日を経て婆羅門の妻が懐妊し、十か月を満ちて一人の男児を生んだ。(中略)それが今の大迦葉尊者である」と記されている。この経文の中に「少しの効験もなかったので、尼倶律陀は大いに怒って」と記してある。普通の場合ならば、いやしくも氏神に向かって怒りを生じたならば、現世では身を亡ぼし、後生には悪道に堕ちねばならない。しかしながら、尼倶律陀長者は、氏神に向かって怒りを起こし、悪しざまにののしったことによって、かえって大願を成就し、迦葉のような賢い子を得たのである。これによって、怒りというものは、善にも悪にも通ずるものであることを知らねばならない。今、日蓮が八幡大菩薩を諫暁するのは、善の場合である。
[20]今、日蓮は去る建長五年(<暦>一二五三暦>)四月二十八日から、今年弘安三年(<暦>一二八〇暦>)十二月にいたるまでの二十八年の間、ただひたすらに妙法蓮華経の五字七字を日本国の一切衆生の口に唱えさせようと努めてきたのであって、それ以外の何もなかった。これはちょうど母親が赤子に乳を飲ませようと一生懸命に励むのと同じ慈悲の心である。このような法華経の弘通は、まさしく法華経を説くべき時が来たからであって、仏が自分の滅後第五の五百歳末法のはじめに大白法の法華経を弘めよと予言された、その末法の時代に当たっているからである。天台大師や伝教大師の時代は、まだ像法の時代であったから、法華経流布の時に当たっていなかったのであるが、少しは法華経の機根もあったから、少々は法華経が流布したのである。いうまでもなく今はまさしく末法の時代、仏の予言された後五百歳広宣流布の時である。すでに時期が到来したのであるから、たとえ法華経の機根が少なく、水と火とのように敵対をなす機根ばかりであっても、どうしても法華経を弘通しなければならないのである。不軽菩薩のように折伏弘通のために大難に値うようなことがあっても、ただひたすら法華経を弘通すれば、必ず流布することは疑いないのである。それにもかかわらず、真言宗や禅宗や念仏宗の者たちの讒奏によって、無智の国主が日蓮を迫害し難を加えて、法華経の弘通を妨げるのである。これら無智謗法の者たちを治罰すべきはずの氏神の八幡大菩薩が、少しも彼らの謗法の大罪を治罰しないから、日蓮が氏神を諫暁するのであって、これは決して道理に背くものではない。ちょうど尼倶律陀長者が樹神を諫暁したのと少しも違いはないのである。蘇悉地経の成就具支法品には「本尊が祈りを成就せしめない時には、その本尊を治罰せよ、本尊を治罰するには、鬼魅を退治するようにせよ」と説かれている。この経文の心は、経文の通りに所願を成就するため、多年の間修法を行なっても成就しない時には、本尊を縛ったり、打ったりなどして責めよ、というのである。比叡山東塔無動寺の開山・相応和尚が不動明王を縛りあげて祈ったというのは、この経文を見たからであろう。今、日蓮が八幡大菩薩を諫暁するのは、尼倶律陀長者や相応和尚の場合とはまったく異なっている。なぜならば、日本国の一切の善人が、戒律を持ったり、布施をしたり、父母先祖などの孝養のために寺塔を建立したり、成仏得脱のために妻子を養うべき財物を止めて僧たちに供養をしたりしているが、その供養や布施を受ける僧たちが謗法の者であるから、ちょうど謀叛の人と知らずに宿を貸したような、また親不孝の者と知らずに夫婦の契りを結んだようなものであって、現世では種々の災難に値い、後生には必ず悪道に堕ちて苦しまなければならないのは必定である。それを、不憫と思い助けてやろうと努めているにもかからず、日本国の守護の善神たちは、かえって彼ら謗法の僧たちに味方して正法の敵となり、正法の行者を迫害するから、これを責めるのであって、これは経文の通りに行なっていることであり、道理にも契っているのである。
折伏の必要を説く
[21]わが弟子たちの愚かな考えでは、わが師(日蓮)が法華経を弘通しながらいっこうに弘まらないばかりか、かえってしばしば大難に値うのは、「真言は国を亡ぼす悪法である、念仏は無間地獄に堕ちる悪業である、禅は天魔のすることである、律僧は国を賊する者である」と、四箇の格言をもって折伏するからである。たとえば、裁判において道理ある申し立てをしながら悪口を混じえるようなものである、などと思っている。そこでこのような弟子に対しては逆に問い返して、試みに汝らに問うが、すべての真言師・念仏者・禅宗の者どもに向かって、南無妙法蓮華経と唱えよと勧めてみよ。その時、かの真言師らは、「わが師弘法大師は法華経を戯論の法、釈尊を迷いの分斉である、駕籠かきや草履取りにも及ばない、などと書かれている。そのような物の役にも立たない法華経を読むよりも、その口で真言の短い呪文を一回でも誦した方がましである」などというであろう。またすべての在家の者、すなわち念仏者らは、「わが善導和尚は『法華経によって成仏する者は千人の中に一人もない』といい、法然上人は『念仏の他のすべての仏や経々を捨てよ閉じよ閣けよ抛てよ』といわれ、道綽禅師は『念仏以外の教えで得道した者はまだ一人もいない』と定められている。汝の勧める南無妙法蓮華経は、わが念仏の妨げであるから、たとえ悪業を造ることがあっても、決して題目などは唱えない」というであろう。また一切の禅宗の者は、「わが宗は教外別伝といって、一切経のほかに、別に心から心へ伝えたところの法門である。たとえていえば、禅は天の月、一切経はその月をさす指のようなものである。ところが天台大師などの愚かな人師は方便としての指を大切に思って肝心の月を忘れている。法華経は指で、禅は月である。月を見てしまった後は、指は何の用もない」などというであろう。このように他宗の者どもが法華経を謗っていう時に、どうしたら南無妙法蓮華経の良薬を彼らの口に飲ませることができるか、彼らの迷いをさますことができるか、よくよく考えてみるがよい、と。教主釈尊はしばらくの間小乗阿含経を説かれてから後に、徐々に彼ら二乗の徒を法華経へ導き入れようと思し召されたのであった。ところが一切の声聞たちは阿含経に執著して法華経へ入らなかったのを、釈尊はどのように御処置されたのであろうか。このことを仏は維摩経の仏道品に「たとえ父・母・阿羅漢を殺し、仏身から血を出し、和合僧を破るという五逆罪を犯そうとも、また五逆罪を犯した者を供養するとも、また罪悪が成仏の種子となることがあろうとも、彼ら二乗の善根は決して成仏の種子とはならない」と説かれている。
[22]教法は小乗と大乗と異なっていても、同じ仏の説かれた経である。大乗が小乗を破斥して小乗を大乗にしようとするのと、その大乗の中でも権大乗を破斥して実大乗の法華経に入れるのと、破斥の対象に大小の相異はあるけれども、法華経へ導き入れようと思う心は一つである。そこで法華経の序分である無量義経には、法華経以前に説かれたもろもろの大乗経を破斥して「仏の真実の意はまだ説き顕わさない」と説かれ、また法華経方便品には「余経を説いて法華経を説かないのは、法を惜しんだことになるから、このことは疑いもなくよくないことである」と説かれた。すなわち仏はみずから「われ、もしこの世に出でて、華厳経や般若経などの諸経を説いて、法華経を説かずに入滅したならば、それはたとえば愛する子に財産を譲ることを惜しみ、病人に良薬を与えずに死に至らしめるようなものである」といわれ、さらに仏は「法華経を説かない慳貪の罪によって地獄に堕ちるであろう」といわれている。法華経の文に「此の事はさだめて不可なり」といわれた「不可」というのは地獄の異名であって、地獄に堕ちるということをいわれたものとみるべきである。まして法華経を説かれた後に、なお未顕真実の法華経以前の経々に執著して、法華経へ移ってこない者は、ちょうど人民が大王の命令に従わないようなものであり、子供が親に仕えないようなものである。
[23]たとえ直接法華経を謗らなくとも、法華経以前の経々を讃めるならば、それは法華経を謗るのと同じである。ゆえに妙楽大師は法華文句記の巻三に、「もし法華経以前の経々を讃めるならば、それは法華経を毀ることになる」とも、また巻四には「たとえ発心して仏道修行を志しても、不完全な教えか完全な教えかの区別を知らず、また、仏の誓いの境地、すなわち一切衆生を救うという根本目的を解らなければ、未来に法を聞いて修行しても謗法の科を免れることはできない」ともいわれている。真言宗の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証などの人びとは、たとえ法華経と大日経とを比較して、大日経がすぐれているなどと言わないで、ただ大日経だけを弘めたとしてもそれは妙楽大師のいう昔の称歎であり、仏が法華経を説かれて入滅された後に生まれた三蔵人師たちであるから、偏円を簡ばず仏の出世の根本目的を解らないので、とうてい謗法の科を免れることはできない。まして善無畏・金剛智・不空の三人は、「法華経は略説であり、大日経は広説である」などと二経を同じものとして、法華経の行者を大日経へだまして誘い入れ、弘法・慈覚・智証の三人は、法華経に「第三戯論」などという名をつけた大謗法の者であるのに、彼らの謗法の大罪を誰も明らかにする者がいなかったから、この四百余年の間に一切衆生はみな謗法の者となってしまったのである。例をあげていえば、昔、大荘厳仏の時代の末に、苦岸・薩和多・将去・跋難陀という四人の僧が出て、六百万億那由他という無数の人びとをことごとく無間地獄に堕としたのと、また師子音王仏の末の世に出た勝意比丘が、喜根比丘をはじめ戒律を持っていた多くの僧や尼や信男・信女たちを迷わせてすべて阿鼻地獄に導いたのと同じように、今の弘法・慈覚・智証の三大師の教えに随って、日本国の四十九億九万四千八百二十八人の一切衆生や、また四十九億と数えられるような多数の人びとが、この四百余年の間に死んで無間地獄に堕ちてしまい、またその後、他方の世界からこの国に生まれかわってきた者も同じように死んでから無間地獄に堕ちてしまったのである。このようにくり返し無間地獄に堕ちた者の数は実に大地微塵の数よりも多いのである。これらはみな、三大師の罪である。このような悲惨なありさまをみながら、知らぬふりをしていわなかったならば、日蓮もともに地獄に堕ちて、わが身には一分の罪もない身が、十方の大阿鼻地獄を経廻らなくてはならないであろう。こう考えてみれば今生の身命を惜しんでどうして黙って見ていられようか、身命を捨てて法華経の弘通に努めなくてはならない。涅槃経の第三十八の迦葉品に、仏は「一切衆生がそれぞれの業因によって受けるさまざまな苦しみは、ことごとくこれ如来一人の苦しみである」と述べて一切衆生の多様な苦を仏が代わって受けようと説かれたが、それと同じく、いま日蓮は「一切衆生が受ける同一の堕地獄の苦しみは、みな日蓮一人の苦しみである」といわねばならない。
八幡の守護を期待する
[24]昔、第五十一代平城天皇の御代に、八幡大菩薩が託宣されて「われは日本国守護の八幡大菩薩である。日本国の百王を守護するという誓願を持っている」といわれた。しかし今よく考えてみると、人王第八十一代安徳天皇・八十二代後鳥羽天皇・八十三代土御門天皇・八十四代順徳天皇・八十五代仲恭天皇の諸王が、すでに臣下である源頼朝や北条義時のために打ち破られ、残りの二十余代の諸王は、八幡大菩薩が宝殿を焼いて天に上られたのであるから、見捨てられてしまったのである。そうとすれば、百王守護の誓願はもはや破れてしまったのではないだろうか。日蓮の考えでは、百王守護というのは、順番に百代までの王を守護するというのではなく、とくに正直の王百人を守護すると誓われたものであろう。それは八幡大菩薩の御誓願に「正直の人の頂を栖とし、邪な人の心には住まない」とあるからである。月というものは清んだ水には影を写すが、濁った水には影を写さないものである。それと同じく、八幡大菩薩も清く正直な人の頂には住まれるが、濁った不正直な人の心には住まないのである。元来、王というのは嘘をつかない正直な人をいうのである。この点からみれば、右大将源頼朝や権大夫北条義時は不妄語の人であり正直の人であって、八幡大菩薩の住まれる百王の内に入っているのである。それゆえに彼らは八幡大菩薩の守護を受けて勝利することができたのである。
[25]正直にも二種あって、一には一般世間の正直であり、二には出世間仏法の正直である。はじめに一般世間の正直についていえば、王という字は、天と人と地とを貫くという意であって、天人地の三は横で、貫いているのは縦の一本である。すなわち天人地の三を一貫する正直の道を行なう人を王というのである。また王というのは黄色のことで、古代中国において五色を五方に配する時、黄色は中央に配され中央を主宰するから黄帝といわれるように、中心となるもののことである。天の主・人の主・地の主をすべて王というのである。ところが隠岐の法皇は名は国王であったが、身は妄語の人であり、よこしまな考えの人、不正直の人であった。これに対し権大夫北条義時は名は臣下であったが、身は大王というべき人であり、不妄語の人、正直の人であったから、八幡大菩薩が守護すると誓願された頭頂の持ち主であったのである。二に出世間仏法の正直というのは、法華経以前の諸経やそれにもとづいて立てられた七宗などの経論釈はみな妄語であり、法華経とこれにもとづく天台宗とは正直の経釈である。八幡大菩薩は、その本地を尋ねると不妄語の経を説かれた釈迦仏で垂迹の身と現われては不妄語の八幡大菩薩である。八葉の蓮華は八幡大菩薩であり、その中台は教主釈尊である。釈尊は四月八日寅の日の御誕生で、八十年を過ぎた二月十五日申の日の御入滅である。こうしてみると教主釈尊が日本国に八幡大菩薩と生まれかわられたものではないだろうか。その証拠には、大隅の正八幡宮の石の銘文に「昔は霊鷲山にあって妙法蓮華経を説き、今は正宮の中にあって大菩薩の姿を現わす」と書いてある。法華経譬喩品には「今この三界は、みなこれわがものであり、その中の衆生はすべてわが子である」と説かれており、また寿量品には「われは常に娑婆世界の霊鷲山にあって説法教化す」とも説かれている。それゆえに、遠くは三千大千世界の一切衆生はすべて釈迦如来の御子であり、また近くは日本国四十九億九万四千八百二十八人は八幡大菩薩の子である。それにもかかわらず今の日本国の一切衆生が、垂迹応現の八幡大菩薩を崇めたてまつって、本地の釈迦仏を捨ててしまったのは、ちょうど影を大切にして本体を侮り、子供に向かって親を罵るようなものである。八幡大菩薩の本地は釈迦如来であって、月氏インドに生まれては正直に方便経を捨ててただ真実の法華経を説かれ、垂迹は日本国に生まれて正直の人の頂に住まわれるのである。
[26]もろもろの仏や菩薩が衆生救済のため種々に身をかえて現われた人びとの本地を尋ねると、法華経の実相の一理であるけれども、垂迹の応現には限りがないのである。たとえば、薄倶羅尊者が過去・現在・未来の三世にわたって不殺生戒の手本を示し、また鴦崛摩羅が生まれかわり死にかわり殺生の悪業を行ない、舎利弗尊者が外道の家に生まれたように、それぞれ垂迹の姿が異なっていることは、もと凡夫であった時のことを、発心して仏道に入り、修行を積んで仏となって衆生を教化する場合に、最初に自分が得道した法門として見せるがためである。ゆえに妙楽大師は摩訶止観弘決の巻二に「もし本地に従って説くならば、はじめ殺生などの悪を犯してその因縁によって悟りを得たのであるから、垂迹の中でもまた殺生を方便として衆生を教え導くのである」といわれている。今の八幡大菩薩は本地身としては月氏インドで唯一真実の法華経を説かれたが、今、日本国に八幡大菩薩として垂迹されては、かの法華経を正直の二字に収めて、賢人の頂に住むであろうと誓われたのである。もしそうであるならば、この八幡大菩薩はたとえ宝殿を焼いて天に上られようとも、法華経の行者が日本国にあるならば、必ず降ってその行者の住処を栖とされ守護されるに違いない。
[27]ゆえに法華経の第五巻の安楽行品には「諸天は昼夜に常に法のために行者を守護される」と説かれている。この経文の通りならば、南無妙法蓮華経と唱える人をば、大梵天王・帝釈天・日天・月天・四天王などが昼夜に必ず守護されるはずである。また第六の巻の如来寿量品には、「仏身を説いたり、九界の身を説いたり、仏界の身を現わしたり、九界の身を現わしたり、仏界のさまざまなことがらを見せたり、九界の衆生の業をみせたりする」とも説かれている。観世音菩薩でさえ三十三身を現じ、妙音菩薩もまた三十四身を現じて、衆生を救わんとするのであるから、教主釈尊がどうして八幡大菩薩と示現しないということがあろうか、必ず示現されるはずである。天台大師が法華玄義の巻七に「すなわちこれ形を十界に示して種々の姿を現ずる」といわれているのはこのことである。
日本の仏法が末法の闇を照らすこと
[28]インドの国を月氏国というのは、月は明らかなものであるから、仏の出現したまうという名である。扶桑国をば日本国と呼ぶからには、どうして太陽のように明らかな聖人が出現されないはずがあろうか。月は西から東へ向かうが、これは月氏インドの仏法が東方へ流布するという相である。太陽は東から西へ向かうものであるが、これは日本の仏法が月氏インドへ還るという瑞相である。月の光は太陽ほどに明らかではない。それゆえ仏の御在世は法華経はただ八か年に過ぎなかった。太陽の光は月よりもすぐれている。これは第五の五百歳という末法の長い闇を照らす瑞相である。仏が法華経を謗る謗法の者を救済されなかったのは、仏の在世には謗法の者がなかったからである。末法には必ず一乗法華経の強敵がいたる処に充ち満ちるであろう。この時、不軽菩薩の折伏逆化の利益が得られるのである。末法の弘通はきわめて困難であるから、おのおのわが弟子たちは、一生懸命に不惜身命の弘通に励み精進しなくてはならない。
[29] 弘安三年〈太歳庚辰〉<日>十二月 日日>
[30]<人>日蓮<花押>花押花押>人>