宿屋入道再御状
書下し
宿屋入道再御状
[1]去ぬる八月の比、愚札を進せしむるの後、今月に至るも是非に付けて返報を給わらず。鬱念を散じ難し。忽々の故に想亡せしむるか。軽略せらるるの故に、□一行を慳むか。本文に云く、「師子は少兎を蔑らず、大象を畏れず」等と云云。もしまた万が一、他国の兵、この国を襲うの事出来せば、知りて奏せざるの失、偏に貴辺に懸るべし。仏法を学ぶの法は、身命を捨てて国恩を報ぜんがためなり。全く自身のためにあらず。本文に云く、「雨を見て竜を知り、蓮を見て池を知る」等と云云。災難急を見るの故に度々これを驚かす。用いざるにしかもこれを諫む。強(後欠)現代語訳
宿屋入道再御状
文永五年(一二六八)九月、四七歳、於鎌倉、宿屋左衛門入道最信宛、原漢文、定四二五頁。
[1]去る八月に書状をお送りしましたが、今日にいたってもその可否についてのご返事をいただいておりません。私の気持ちがはればれとしません。あるいはご多忙のためにお忘れになったのでしょうか。それとも私を軽視されてわずか一行の手紙をも惜しまれているのでしょうか。ことわざに「師子は小さな兎といえどもあなどらず全力をむけて立ち向かい、また大きな象をも恐れない」というように、身分の賤しい僧侶の身だからといって、軽んずべきではありません。もし万が一にも他国から日本国へ攻めよせるようなことが起こったならば、知っていながら奏上しなかった罪は、すべて貴殿に及ぶでしょう。仏法を学ぶということは、命を捨てて国の恩に報いんがためであって、まったく自己のためではありません。天台大師の法華文句に「雨の大きさを見て、それを降らす竜の大きさを知り、また蓮華の花を見て、その生ずる池の深さを知る」というように、前兆の異常によって生ずる大事を知るべきでしょう。災難の生じることの急を知るからこそ、たびたび書状を奉るのであり、用いられなくてもあえて諫言するのです。(後欠)