十王讃歎鈔
6 十王讃歎鈔
夫十王と云事は、本地は皆是久成の如来、深位の薩埵にてありといへども、流転生死の凡夫を悲んで、且く柔和忍辱の形を隠し仮に極悪忿怒の姿を顕して衆生の冥途に趣く時、中有冥闇の道に坐して初七日より百箇日、一周忌、終り第三年に至まで、次第に是を請取て、其罪業の軽重を勘へて未来の生処を定め給ふ。是を奉名十王。凡菩提薩埵の利生区にして、互に勝劣なしといへども、此御方便殊に以神妙也。其故は如此糾明在さずんば、誰人か罪業を恐るべき。不畏豈生死解脱の道有んや。
初七日は秦広王本地不動明王也。此王へ詣る道の間に種種の苦患あり。先人一期の命尽て死門に趣んとする時、断末磨の苦とて八万四千の塵労門より色色の病起て、競ひ責る事、百千の鉾剣を以て其身を切割が如し。依之眼闇く成て見たき者をも不見得。舌の根すくんで云たき事をも不云得也。又荘厳論に命尽終時見大黒闇如堕深岸独逝広野無有伴侶と云て、正く魂の去時は目に黒闇を見て、高き処より底へ落入るが如して終。
さて死してゆく時、唯独渺渺たる広き野原に迷ふ。此を中有の旅と名也。されば路にゆかんとすれども求むべき資糧もなく、中間に住して止らんとすれども止るべき処もなし。前に行んとすれども資糧なく、中に止らんとすれば立寄べき処もなし。又闇き事闇夜の星の如しと云。只星の光を見て行程の闇さなれば、前後左右明かならず。一人としてもそはず、是非を訪人もなし。其時の有様思ひ遣こそ心細く悲しけれ。娑婆恋しく妻子見たけれども、立帰るべき道ならねば弥路遠くなる。行方覚えねば思分たる道もなし。彼に付、此に付、見にそふ物とては悲の泪也。如此何くを指とも無して行程に、途中にして獄卒の迎を見る人もあり、又初七日の王の前にして初て見る人もあり。此等は罪業の浅深と見たり。此外又極悪極善には中有なし。極善の人は直に成仏す。極悪の者は直に悪趣に堕。此善悪に中有無之。只尋常の体にて若は仏道修行に趣くといへども、其法成就する程の行業もなさずして暮せる人に中有あり。今如此人の相也。
さても罪人冥冥として足に任せて行程に、我のみ此道に来歟と覚るに、目にはさだかに見ねども、罪人いたみ叫ぶ声時時耳に聞ゆ。其時胸さわぎ怖ろしきに又獄卒の声と覚しきも聞ゆ。こは如何せんと思ふ処に、程もなく羅刹の形を見る。今までは僅かに名をこそ聞つるに、今親り此を見る怖しさ云計なし。其後は前後に付そひ、息をもくれず責かくれば、心ならず行程に死出の山にいたる。此山高して又嶮し。いかがして越行べしとも覚えねども、獄卒どもに駈催されて泣泣山路にかゝる。岩のかど剣の如くなれば、歩んとすれども歩まれず。其時獄卒鉄棒を以て打さく、息もつゞかず絶入ぬ。さらば其まゝ消もせで、面かはりせずやがて活。依之此山を死出の山とは云なり。足のふみどころも覚えねば、嶮き坂に杖を求れども与ふる人もなく、路の石に履を願へども、はかする人もなし。此山の遠き事、八百里。嶮しき事、壁に向へるが如し。嶺より下す嵐はげしく吹て膚を徹し、骨髄に入事剣の如し。如此種種の苦を受て泣泣死出の山路を越過て、始て秦広王の御前に参る。
見れば無量の罪人等、種種に禁められて御前に並居たり。其時大王罪人を御覧じて宣く、抑汝等無始より已来幾度此処に来るぞ、其数恒沙も譬にあらず。汝知ずや、度ごとに地獄の業尽て娑婆に還る時、鉄の棒を以て獄卒三杖後を打、人間に還りなば速かに仏道修行して成仏すべし、重て此悪趣に来る事なかれと、懃ろに云含めしに、其験もなく恣に罪業を造て、片時の間に又来るなさけなさよ。而も娑婆世界は仏法流布の国也。何ぞ仏道修行をなさずして、徒らに過て又来るやとのたまふ。其時罪人申様、仰はさにて候へども、此身もとより果報拙して一文不通の身と生れ候上、又在家の身にて候し間、左様の修行覚道は思もよらずしてまかり過て候。唯拙き果報こそうらめしく候へ。身の過は候はぬと覚候と申。其時大王大に怒て宣く、鳴呼汝が理こそ更に立まじけれ。其故は在家の身なればとて、仏になるべき道を願ふに何の相違あるべきや。成仏に何の智慧才覚入べきや。汝は後世と云事を忘れて不当不善の心のみなるに依て、又かゝる処には来也。若猶子細あらば速かに申上よとて睨み給へば、罪人理につめられて音もせず。時に大王汝今まではばかるところもなく道理だてを申つるに、などてや今返事をば申さぬとせめ給へば、敕定肝に銘じて泣より外の事はなし。此時我心を恨み、千度百度悔れども後悔先にたゝず。故に後世を心に懸べき事肝要也。徒らに多くの月日を送り居て剰へ罪業を犯し、又三途の古郷に還て、重て苦をうけん事更に誰をか恨んや。哀哀信心強盛に取、即身成仏の開悟を成就せしめ給へ。さて此王の御前にて善悪の軽重未定時は、二七日の王へ遣はさるゝ也。
二七日初江王本地釈迦如来。此王へ詣る道に一の大河あり、是を三途河と名く。此河の広さ四十由旬也。実には奈河と云べし。此河に三の渡有之。故に三途河と云也。上にある渡をば浅水瀬と名く。此は浅して水膝を不過、罪浅き者此を渡也。中にある渡をば橋渡と名く。此金銀七宝の橋也。善人のみ此を渡也。下にある渡をば強深瀬と名く。此をば悪人のみ渡也。此渡、流れ早き事矢を射が如く、浪の高き事大山の如し。波の中に衆の毒蛇有て罪人を責食。又上より大磐石流れ来て、罪人の五体を打摧く事微塵の如し。死すれば活かへり、活かへれば又摧く。水の底に沈んとすれば、大蛇口を開て飲んとす。浮んとすれば又鬼王夜叉弓を以て射る。如此大苦を受て七日七夜を経て向の岸に著。されば十王経には二七日は亡人奈河を渡るとあり。又引路牛頭は肩摻棒、催行鬼は率手擎刀。引路牛頭は後より追立て棒を以て打叩けば、催行鬼は岸の上に待受て引上。於人間絵にだにもかゝじとこそ沙汰せしに、今前後に鬼どもの怖しさ、目もあてがたしと見ゆ。
又岸の上に大なる木あり、此は衣領樹と名く。此上に一の鬼あり、懸衣翁と名く。又樹の下に一の鬼あり、懸衣嫗と名く。此鬼罪人の衣裳を剥取て上なる鬼に渡せば、即請取て木の枝に此を懸る。されば一切の罪人此木の本に至れば、此鬼睨んて衣裳ぬげと責。其時罪人但一重の衣也。定て十王の御前に参るべし、争か此を脱ぎ裸にて恥を曝すべき。願くはゆるし給へとて手を合す。其時彼の鬼怒て云、汝愚也。此にて惜みたりとも只今猛火に焦すべし、早早脱べしと責れば、無力ぬいで泣泣三途河の嫗に与ふ。
哀哉、さても娑婆にありし時は七珍万宝を庫に積、色色の衣裳四季に衣替、花やかに重ね著て、所従眷属に愛れ明し暮してこそ過にしが、冥途中有の旅に出て苦を受る身の習とて、一衣をだにも身にそへず。所従一人もつかずして迷ひ行こそ悲しけれ。されば後一條院崩御の後、或人の夢に見給ふ。古郷にゆく人もがな告やらんしらぬ山路に独り迷ふとと詠じ在す。又皇極天皇と申帝は、冥途にして信州の善佐に逢給て、わくらはに問人あらば闇き道に泣泣独り行とこたへよと告させ給ひけるとかや。此等は一天の君、万乗の主にておはしければ、仮染の御幸にも百官前後に随ひ、雑色前を払てこそ御幸ありしに、黄泉の旅に出給へば、御供一人もなかりけるこそ悲しけれ。さてもげにはかなかりける兼言かな。天にあらば比翼の鳥、地に栖ば連理の枝。火にも水にももろともにと浅からずこそ契りしに、生を隔つる習とて、かゝる重苦に沈む時も夢にだにもえもしらず。鴛鴦の衾をかさねしも、亀鶴の契りを致せしも、只露の命のあるほどぞかし。
さて初江王の庁庭に蹉つく。爾時に大王罪人に向てのたまはく、汝在世の時何なる善根をか修し、何なる功徳をか作たるぞ、速かに申上よと宣ふ。時に罪人於娑婆げにげにしく造りたる善根なければ、只口を閉て申上ず。時に取て悲しさ数限りもなし。いかにいかにと責給へば、もしものがるゝ事かあるべきと思ひ、廃忘して不覚候と申す。其時大王然らば双幢の巻物と仰あり。彼巻物と申は此大王の左右に幢あり、壇荼幢と名く。其上に人頭有り、左をば大山府君幢と名け、右をば黒闇天女幢と名く。左に在す神は一切の小罪までをも不捨記し給ふ。右に在す神は一切小善までも不残。総じて是を双幢と名く。彼人頭人間の事を見る事、掌の中を見るが如し。亡人の一期の善悪を委く注す故に此巻物を奉る。大王是を読給へば、罪人此を承て我身の振舞の恨めしさ、身を切さく計ぞかし。其時大王獄卒を召て、此罪人早早地獄へ遣すべしと宣へば、罪人余りの悲しさに泣泣申上る様は、御定の如く我身には助かるべき功徳なけれども、娑婆に妻子眷属も候へば、我為に追善を致すべく候。願くは其善根を待受申さんほどに、大王の御前に召をかれ候へと申せば、大王汝さ思ふらん、我慈悲を以て且く相待べしと宣ふ。
げに中にも此王御慈悲深く在すらん。故は本地釈迦如来にて在せば一子平等の御慈悲なれば助けたくこそ思食らめ。譬ば父母の病子を思ふが如くこそ思食らめども、衆生の業力仏力に勝といへば、業因感果の道理必然たれば、仏の御慈悲も難叶故に、忝くも大悲の御胸を焦し奉る。我等不信無志の不孝の身となる事、悲んでも有余。されば懃ろに種種の法門を説て万差の機を調へ、終に出世の本懐の法華経を説給て、化一切衆生皆令入仏道なし給き。構構此理を思ひ、成仏得道を期せんと思はば、時国相応の妙法の唱へをなし、以信得入し給べし。而るに信心疎かにして、三途に堕して重苦を受ん時悔るとも益なかるべし。譬ば網にかゝる鳥の高く飛ざる事を悔るが如くなるべし。さても罪人、妻子の追善今や今やと待処に、追善をこそせざらめ。還て其子共跡の財宝を論じて種種の罪業を致せば、罪人弥苦をうく。哀れ娑婆にありし時は、妻子の為にこそ罪業を造て、今かゝるうきめを見るに、少しの苦を軽する程の善根をも送らざること、恨み限りなし。貯へ置し財宝一だにも今の用にはたゝざりけりと、一方ならぬ悲さに泣さけぶこそ哀れなれ。大王是を御覧じて、汝が子共不孝の者也。今は力及ばずとて地獄に堕さる。又追善をなし、逆謗救助の妙法を唱へ懸れば成仏する也。然れば大王も歓喜し給ひ、罪人も喜ぶ事無限。或は又指たるとぶらひもなく、跡にて罪業をもなさず、断罪不定時は次の王へ被送也。
三七日宗帝王本地文殊師利菩薩也。此王の内裏に詣る道に一の関あり。此を業関と名くる也。関守の鬼あり、其形譬を取に物なし。頭に十六の角あり、面に十二の眼あり。此眼を動す時、光り出る事如電、口より炎をふき出也。罪人此鬼を見て忽に神を失也。此時鬼且く目を閉て罪人を静めて云、汝不知耶、此処に関あり、早早関役を可成。其時罪人云、娑婆に候し財宝をば息絶眼閉し時、皆悉捨はてゝ一として身にそへず。但一重著て候衣は三途河にて剥とられて候。今は見給如く裸にて候へば何物を関役には出すべき、然者只通し給へと申。其時此鬼目を開き大に怒て云、此関に来る程の罪人は物の命を殺し、人の物を盗み、或は押取類也。如此等の罪業をば皆手足を以て作る也。汝が手足関役に出すべしといひもあへず、罪人の手足をつぶつぶと切取て鉄の板の上に並べ置。罪人此時肝神消ぬ。又暫く有て心出きぬ。業の悲しさは影の如なる手足出来。自ら歩むともなく業風に吹れ、兎角して宗帝王の御前に参り畏り、泣泣我身の罪なき由を奏す。
其時大王宣く、汝奸曲の者也。罪業なくば此道に来るべからず。来ながら過なき由申すとも、争か其隠れ有べきや。所詮汝一期の間の造りし罪業をば倶生神悉記之。具さに読て聞すべしとて大王自読上給。御音大に高して雷の鳴懸るが如し。罪人聞之肝神も失ぬ。然るに娑婆にて作りし罪業、殺・盗・婬・妄等の四重八重の重悪罪又人にもしらせず、心中に埋み置処の悪業等、一一に毛さき程も隠れなく委細に読聞せ給へば、罪人是を承て兎角の言なくして只泪に咽びけるが、今如何してかのがるべきと思て申上る様は、身の罪業は御札の面に隠れなく顕れて候上は、争ひ申すべきにあらず。去ながら娑婆に子共もあまた候間、其中若も孝子有て定て善根を可送候。偏に大王の御慈悲にて且く御待候へと歎き申せば、大王面には瞋り給へども内には御慈悲深き故に、汝が罪業一一に無隠上は、地獄に堕すべけれども先先待べしと宣ふ。然れば罪人の喜無限。如此待給に孝子善根をなせば、亡者罪人なれども地獄をまぬがるゝ也。されば大王も追善を随喜し給て、汝には似ざる子共とて、褒美讃歎し給也。或は又断罪決定せざれば次の王に被送也。
四七日五官王本地普賢菩薩也。此王へ参る道に大なる江あり、此を業江と名く。広さ五百里也。其水波静かにして熱き事熱湯の如し。臭き事四十里の伊蘭も譬とするに不足。罪人此江を渡らじとすまへ(争へ)ば、獄卒棒を以て推入。力及ばずして渡れば、身体忽に乱れて苦み限なし。又鉄のくちばしある毒虫、多く集て罪人の身に付て吸食也。如此七日七夜の大苦悩を受て五官王の御前に参る。罪人大王を奉拝歎き申様、是まで参る道すがらの大苦悩身心消はて候。娑婆にての罪業此程までとは不覚候と申。時に大王怒て宣く、汝不知耶、自元小因大果の習ひをば。汝心には小罪と思へども、苦果を感ずる時は必ず大也。而るを汝冥官を疑ひ恨る條、甚無謂。所詮汝一期生の間の悪業、一不失汝が身の中に埋みをく。それをしる秤あり、是を業秤と名る也。早く秤に懸て見べしと御定あり。其時鬼共請取て秤にかけて見る。秤石は五十丈の大磐石也。罪人の身は僅に五尺也。此を懸合するに石の軽き事兎の毛の如し。業道は秤石のごとし。重者先牽とて秤は必重方へ傾ぶける也。
此時牛頭馬頭面面に指さして、口口にそれ如何如何と恥しむれば、いとど為方なく覚えけるに、即秤の台より取下して云、汝憚なく悪業を作りながら、憲法の裁断をあざむき疑ひ諍ひ申條、罪科これ重とて、鉄の棒を以て百度千度五体を打に、身体手足破れ摧る事、微塵の如くにして死す。業報なれば又活かへる。活かへれば又打摧也。さて暫く息を続せて大王宣く、汝能聞、娑婆にある妻子懃ろに訪ならば、先先の王の前にて善処の生に転ぜらるべきに、汝死して後は我身のさはぐり(詮議)世を過べき嗜み計にて、汝が事をば打忘れてとぶらふ事もなし。依之此まで迷ひ来る。仏説置給ふ妻子は後世の怨なりとは此謂也。今此苦に代れりや否。然るに恨むべき我身をば恨みずして、冥官を恨る事愚癡の至極也。去ながら聊仏法の結縁あればこそ、地獄にも不堕此までは来るらめ。此罪人次の王へ渡せと宣ふ。かくのごとくあて次の王へ被送也。
五七日閻魔王本地地蔵菩薩也。閻魔とは天竺の言也。唐土には息諍王と翻ず。此王の前にては諍を息れば也。此王宮は人間の地を去事五百踰繕那の地下也。豎広の量も亦然也。此王坐す処は縦横六十由旬也。其城七重にして、又大城の四面に鉄の牆を囲へり。四方に各鉄の門を開く。門の左右に又壇荼幢あり、幢の上に同人頭あり、能人間の振舞を見事明か也。亡人の善悪悉く記して大王に奏す。此札を大王ことはり給。次に別院あり、光明院と名く。此院内に九面の鏡あり、八方に各一の鏡を懸たり。中台の鏡を浄頗梨鏡と名る也。凡此王御顔に猛悪忿怒の相在す。罪人是を拝し奉るに先肝魂も失ぬ。其故は御眼大にして光あり如日月。面赤くして瞋給ふ威勢に、罪人目もくれ、肝も消ゆ。又罪人を恥しめ瞋給ふ御音大に高して、百千の雷の同時に鳴懸るが如し。即罪人に宣く、汝此に来る事昔より已来幾千万と云事其数をしらず。娑婆世界にして仏道修行を成じ、再び此悪処へ来るべからずと、毎度云含しに、其験しもなく又来れる不当さよ。難受爪上の人身をうけ、幸に仏法流布の国に生れ、人人仏道修行するをば余所に見なし、心のまゝに振舞て又此悪処に来る。誠に宝山に入て手を空うすとは汝が類也。汝娑婆にありし時、放逸無慚にして慈悲なく、慳貪にして惜み置ける財宝、冥途の資糧となれりや否や。又いたはり囲ひ置たる子ども、汝が今の苦に代れりや否や、と恥しめ給へば、道理に責られて口を閉て泪に咽び泣居たり。
大王重て宣く、汝一期生の間の罪業をば露程も不誤倶生神鉄札に記之。一一に読て聞すべしとて自身読之。其御音大山の崩れ懸るが如し。さて是如何に汝娑婆にての振舞にあらずや。如是悪業のみ造り居て、一念懺悔の意も無して、今爰に来り、後悔して泣とも更に甲斐こそ有まじけれ、とて地獄へ堕すべしと定め給ふ。罪人余りの悲さに若も遁るゝ事もやと思ひ、泣泣申上る様は、只今読聞せ給ひたる罪業の中に、少少さる事候なん、多分は不覚候。若倶生神の御筆の誤りにや候らん。又少少の罪をば御慈悲にて御免し候へと、ふるひふるひ申す。其時大王忽に御顔色変じて瞋り給事無限。やゝ有て宣く、汝能聞。己が娑婆にてこそ左様に冥の知見をも不憚、但現前の欲境にのみほだされて、唯今憂目を見んずる事をば忘れはてゝ、妄語悪口をも心のまゝに致せしが、其癖が尚うせずして正直断罪の庭にて、但憲法の冥衆を掠め疑ひ、既に顕れたる罪業を、尚兎角申事、弥重苦の基也。我全く悪む心を以て汝を呵責するに非ず。又一罪としても今我加るに非ず。自業自得の報なれば、己が心を恨むべしとて、獄卒を召てこれなる罪人は倶生神の札を疑ひ兎角云計なし。夫倶生神と云は汝と同時に生れて、影の身にそふ如くに付そひて、須臾の間も身を離れず注し置たる札なれば、毛のさき程も違ふべからず。それに尚面の墨を諍はば、よしよし浄頗梨の鏡にて汝が諍を止べしと仰あり。
鬼共敕定を蒙て罪人の左右の手を取提げ、光明院の宮殿を開き九面の鏡の中に此罪人を置に、一一の鏡の面に一期の間作りたる罪業無残。又人にしらせず心一に思ひし念念の悪業まで、一も残らず浮びうつりて隈もなし。其時倶生神を初として衆の獄卒共、面面に指をさし、口口にそれみよ罪人、是は倶生神の誤歟。冥官三宝は汝が朝夕のふるまひ、明かに照覧し給を、己が眼の闇きままに隠れたりと思ふか。全く隠れなきぞ、速かに地獄に堕すべしと宣へば、獄卒共大に瞋恚を発し、眼を闊と見開き、口より炎を吹出して鉄の棒を取直し、罪人の後ろに立よれば、罪人余りの悲しさに、紅の如くなる泪をはらはらとこぼして覆し臥ぬ。獄卒又髪をつかんで頭を引上、鏡にさしつけ、それ見よそれ見よと責るのみに非ず、棒を以て打叩けば、始は音を挙て叫べとも、後には息も絶はてて微塵の如く打摧かる。又活活と云てなでさすれば、又人と成て受苦。
其後罪人思ふ様、実に倶生神の誤に非ず。加様の事と知ならば何しに罪を造るべき。夢幻の如くなる一旦の身の為に、万劫の重苦を受る事よと悔れども、為方なければ尽せぬ物は泪なりけり。心に願ふ事とては、哀れ娑婆の妻子眷属が、我菩提を訪へかしと、思ふより外には更に余の思ひもなし。げにもさこそは思らめ。只目に見ねばこそあれ、静かに思ひやる時は身も痛む程の理也。然るに父母の事は申に不及。其外朝夕面を並し朋友、明暮言を交へし所従等の中にも先立し者幾ぞや。其中には唯今も三途の重苦に沈ぬる人多かるべし。それを思ひやらずしてとぶらはずは、情なき事なるべし。されば古人の語にも、一死一生知交情と云へり。げにも生たる時の情は、互の事なれば還て我為なり。只なき跡のとぶらひこそ実の志なれ。然るに生たる時は親しみ眤びて、死にはつれば思ひも出さず。ましてとぶらふ事なからんは、更に人倫と云べき様無之。構へて構へて亡魂の菩提をとぶらひ給ふべし。又化功帰己の道理なれば、亡者をとぶらふも我身の為なり。所詮亡者の浮沈は追善の有無に依也。此等の理を思て自身も信心を催し、六親をも回向あるべし。中にも閻魔大王の御前にして大苦を受る故、三十五日の追善肝心也。此砌に善根をなせば、悉く鏡の面にうつる時、大王を始として諸の冥官等も随喜し給也。又罪人もとぶらひを受て喜事無限。如此作善の多少功徳の浅深を分別し、或は成仏、或は人間、或は天上に送り、或は又次の王へ被遣也。
六七日変成王本地弥勒菩薩也。此王へ詣る道に一の難処あり、鉄丸所と名くる也。遠き事八百里の河原也。此河原大にして丸き石充満せり。一処にたまらずして互にころびまはり、打合音雷の如し。毎石光を出す電に似たり。罪人是に恐れてゆかじとすれば、獄卒後より追立る間、力及ばず走り入れば、此石に当て五体を打くだかれて死す。死すれば又活かへる。活かへれば又打摧く。如此七日七夜を経て其後変成王の御前に参る。其時罪人こりず我身の罪なき由を申上、其上此間の大苦悩には何なる罪業なりとも報じ尽し候はざらんや。よしそれは兎角諍ひ申べきに非ず。偏に大王の御慈悲を以て別儀に此度計御ゆるし候て、今一度娑婆へ御帰し候へ。身に堪意の及ばん程、功徳善根をも仕べく候。若それにさなく候はば、其時如何様になりとも罪過に預るべく候。只今ばかり御助け候へと歎き申す。大王つくづくと聞しめして宣く、此後に功徳を作事はさこそあらめ。それは其時の沙汰なるべし。今は過にし方の善悪を勘ふる事なれば、汝既に犯したる罪業あらんにをいては遁るべからず。別儀計とは誰かいはざる者あらんや。其上汝が自業の責るところなれば可許事に非ず。汝が罪業未可尽、何ぞ如此諍ひ申すぞとて、獄卒を召て、此罪人が罪の有無を見せよ、彼双木の本に三の道あり、此道を何れにても己が心に任せて行べし、汝善人ならば悪道へ行べからずと敕定あり。其時鬼共罪人をとらへて行、三の辻に引向て早早行べしと責れば、罪人思ひ煩ひて、三の中に何れか善道なるらんとたゝずむ処に、獄卒棒を以て遅し遅しと責かくれば、余りの悲しさに目をふさぎ、足に任せて行程に業果の悲しさは悪道をさして走り入ぬ。善道と思へば俄に銅の湯出て罪人の身をやく。
其時大王さればこそ汝善人ならば此道にはゆくべからず。然るを冥衆を軽しめて無罪由を偽り申條奇怪也、不当也、とて瞋り給へば、罪人兎角申しやる方もなし。只口を閉身を促て恐れ居る処に、孝子の善根忽に顕るれば大王是を御覧じて、此罪人には娑婆に追善あるぞや、早早ゆるすべしと獄卒共に下知し給へば、即縛縄を解て生処を善処に定めらる。時に取て喜び譬へん方なし。余りのうれしさに是を子共に知せばやと又泪をぞ浮べける。或は又其子悪事をなす時は、其親弥苦を増てそれを地獄へ被遣也。故に能能亡者をとぶらふべき事也。凡身体髪膚を父母にうけ、撫育慈愛を厚く蒙る身の、親の菩提をば祈らず、剰へ種種の悪業を造て亡者に苦を添ん事、返返浅間敷事なるべし。是豈酉夢が父を打、婔妽が母を詈し罪に劣らんや。必しも天雷其身を割、霊蛇其命を吸に非ずとも後報何ぞ免れんや。されば孝行を先として追善を致すべし。唐に叔雄と云者は身を投て孝養を致しき。それまでこそなくとも信心の歩をはこび、何ぞ彼菩提を祈らざらんや。孟宗が雪の中の笋、王祥が冰の上の魚、是は孝の志を感ずるところなり。況や孝養を致す家には梵天・帝釈・四大天王住し給ふと云へり。是は正しく如来の金言也。誰か是を疑んや。然れば如此輩は皆諸天の擁護を蒙る者也。但し孝養に三種あり。衣食を施すを下品とし、父母の意に違はざるを中品とし、功徳を回向するを上品とす。存生の父母にだに尚功徳を回向するを上品とす。況や亡親にをいてをや。雪中の笋何かせん、法喜禅悦食の味にはしかじ。叔雄身を投ても、更に出離生死の便りにはならず。只善根を修して父母の得脱を祈るべし。仍罪人の生処定らざれば七七日の王へ被遣也。
七七日泰山王本地薬師也。此王へ詣る道に一の悪処あり、是を闇鉄所と名くる也。遠き事五百里、闇き事譬へん方なし。但夜昼のさかひもなし。又其道細くして左右の岸皆鉄の巌也。罪人身を細めて通るに、巌の楞剣の如くして、少しもさはれば身のしゝむら(肉)続きがたし。先へ進んとすれば俄に巌閉合て通られず、立留んとすれば巌又開く。如此苦を受て七日七夜を経て泰山王の御前へ参る。又如何なる事をか承はらんとをづをづ御前に畏まる。則大王罪人を御覧じて、さても汝後生をば余処の事とのみ思ふあはれさ、我身を思はぬ者かな。人間に生を受る事は、盲亀の浮木に値るが如しとこそ仏は説給へ。恒沙の宿善を具して希に受たりし人間に、尚又難得仏法に値事を得たりしに、仏道修行をばなさず、夢幻の如くなる一旦の身を思ふて、生涯空く暮して今かゝる憂目を見ることの愚さよ。汝さても仏法結縁をば何計なしたりけん。説法なんどの聴聞をもせざりしや。ありのままに申すべしとのたまへば、罪人申様、如仰娑婆に候し時は、はかなく浮世を過さんとていとまを惜み、仏道修行をもなさず、又説法なんどの近き所に候しかども、或は世務に無隙、又は見苦敷候つる間、参らざる故に一度も聴聞申さず候。
大王又言く、汝見る如く此庭には天竺・震旦・日本、無量の大国小国の罪人もあり、十方無辺の冥衆冥官集り給処也。汝物を恥べくは此庭をこそ恥べきに、つゐに恥とけずして今面をさらす身に、見苦しきとて説法の聴聞をもせずして空く還来り、此諸方群集の処にて獄卒に打れて泣居たるは、よく見苦しくこそ覚ゆれ。是に過たる恥あるべきやと宣へば、此御言肝に銘じてはづかしさに身に余る物は泪也。仍此王の御前に於て一切の罪人生処を被定也。此故に泰山王の御前に六の鳥居あり。即地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道に趣く門也。此王委く罪人の生処を定め給へば、諸の罪人等面面の生処に趣くなり。此鳥居を出れば、地獄に入べきは即地獄におち、餓鬼は餓鬼の城に至る、余の道も又如此。是断罪の庭、一切の罪人の浮ぶ境也。若跡の追善懃ろなれば、悪処の果転じて善処に生をうく。是故に四十九日のとぶらひ懃ろに営むべし。而るになお生処定らざるをば百箇日の王へ被送也。
百箇日平等王本地観世音菩薩也。此王へ参る道に一の河原あり、是を鉄冰山と名く。此河原広さ五百里也。常の冰に非ず、悉く厚き鉄の冰也。罪人渡りに趣くに身のさむき事、五体をしじめよするが如し。いまだ冰にふれざるに、肉分分にきれて血ながるるなり。又さむき嵐冰を吹摧く音、如雷。罪人冰に入ん事を悲んで立留まれば、獄卒後ろより呵責して云、悪業を造て冥途に趣く者はかかる苦患を受とは、やはかしらで有べき。然るに恣に罪業を造り、此道に来りながら何ぞ事新しく歎くべき。何ぞ渡らざるやと責れば、罪人声を挙て叫び冰の中に入ぬ。冰の厚き事四百里也。罪人入るを待て冰即破れぬ。入已れば閉塞がる。但塞がるのみに非ず、冰身を破る事剣の如し。加様の大苦難を経歴して平等王の御前に参る。
則大王罪人に宣く、此処に来る事人の導くには非ず己が心がら也。其故は汝娑婆にありし時、風の前の灯、水の上の泡の如くなる身を持ながら、眼前の無常をも但人の上に見なして、老少不定の境前後相違の別にも不驚。千年万年もたもつべき様にこゝろえしに、殺鬼の到来するは時を嫌はざる理りをば思ひよらず。徒に狂言綺語に戯れて、高笑して思事なげに過にし報ぞかし。されば楽は苦の因、苦は楽の因と云事をばしらずや。先先の王にても定て聞つらん。今云も甲斐なき事なれども、何ぞ不成仏道耶、汝愚なる者哉、と恥しめ給へば、後悔の泪のみなり。今頼む方とては娑婆の追善計也。相構て相構て追善を営み、亡者の重苦を助くべし。凡一樹の陰に宿り、一河の流をくむ事だにも多生の縁とこそ云ぬるに、ましていはんや親となり子となるをや。彼丁蘭が木をきざみしも、張敷が扇を身にそへしも、孝行の深き故ぞかし。就中外典にも父のみ尊親の義を兼たりと云て、父の恩を重くせり。又母の恩不浅、其故は先母の胎内に処、最初柯羅邏より出胎の後に至るまで、三十八転の間、坐臥不安、母を苦しめし事幾くぞや。日を数ふれば二百六十日、月を計れば九月の程ぞかし。況や胎外に生じては、咽苦吐甘廻乾就湿、かゝる厚恩を蒙れば身の徒らに月日を送り居て、三途の重苦に沈みたる親の菩提を弔はざらんは、浅間敷事也。争か諸天悪み給はざらんや。其上多くは子を思ふ故に、地獄の重苦を受る事あり。構へて弔ても弔べきは二親の後生菩提也。さればこそ大覚世尊も忉利天に登り給て安居九十日。報恩経を説給ひて、摩耶の十月懐胎の恩をば報じましましけれ。大聖尚爾也。況や凡夫をや。仍此王の前にて生処定らざれば、次の一周忌の王へ被渡也。
一周忌都弔王本地大勢至菩薩也。罪人此王の御前に参て泪を流して申様、是まで参つる道すがらの苦み堪忍びがたく覚え候き。今にをいては身の罪業はて候らん。若尚残り候ともひたすら御慈悲を以て御閣き候へと歎き申。其時罪業尽る者ならば、此までは来るべからず、来るを以て知ぬ未尽と云事を。所詮業の尽ると不尽とは分明に被知箱あり。若罪業無ば彼光明箱を開くべしとて、あまた取出し、罪人の前に双べ置給へり。汝が罪業の有無明かに顕るべしと責給ふに、怖ろしさ無限、何れを開ていかが有んと恐れけれども、なくなく一の箱をあけたれば、中より猛火燃出て罪人の身にかゝる。其時鬼共声声に、それはいかにそれはいかにと云もあへず、打たゝく事無限。此時王宣く、先先の王の処よりも地獄に堕さるべけれども、娑婆の追善あるに依て是まで来るなり。汝は我身を思はぬ不当の者なれども、妻子孝養の善人也。此一周忌の営みに依て第三年の王へ被送。第三年の旅に趣く道の間の苦みも忍びがたしと見たり。同くは諸王の砌を経ずして、即身成仏する様に自身も信心を取り、亡者をも回向あるべし。
第三年の王をば五道輪転王と云本地釈迦如来也。罪人申様、偏へに大王の御慈悲にて召人になしをき給へ。処処の王の御前に召人多く見え候。誠にうらやましく候。道すがらの苦しみ量りがたし。又如何なる道にか趣き申すべく候と申す。其時大王誠に不便には思へども、無理には行はざる断罪なれば、彼等は皆其王預るべき結縁ある故也。汝は左様の縁もなければ召人の義は叶ふべからず。然れば但娑婆の追善もあらば善処に遣すべし。若又弔ふ事も無れば、今より渡すべき方もなき間地獄へ遣すべし。不便なれども自業自得の理りなれば力不及。凡今までの苦みは地獄の苦に並ぶれば大海の一滴の如し。汝彼地獄の苦を受ん時は如何すべきや。地獄の有様あらあら語て聞すべし。
先地獄は八大地獄とて八の地獄あり。所謂一等活、二黒縄、三衆合、四叫喚、五大叫喚、六焦熱、七大焦熱、八無間地獄也。此一一の地獄に各十六の別所あり、合て一百三十六の地獄也。此八大地獄は初等活地獄よりして次第に下にかさなれり。然れば無間は最下にあり。
初の等活地獄は人間の下一千由旬にあり、縦広一万由旬也。其中の罪人互に害心を懐いて、若たまたま相見ては猟者の鹿に値るが如し。各鉄の爪を以てつかみさく、血肉既に尽て只残んの骨のみあり。或は鉄の臼に入れて鉄の杵を以て擣之。或は沸る銅の湯の中に入て煮事豆の如し。其中に身の沈める事重き石の如し。又浮び上て手を挙て天に向てさけびなく。或は大きなる鉄の串を以て下より貫き頭に徹し、うちかへしうちかへし是をあぶる。或は常に猛火の中に有てこがる。其外の苦の相不能宣。此地獄の火を人間の火に並ぶるに、人間の火は如雪。此地獄の火を下の地獄より見れば、又雪の如く見たり。此地獄の寿命五百歳也。此地獄の一日一夜は人間の九百万年に当れり。然れば五百歳は人間にては無量歳と云べし。其次次の地獄の苦次第に増事、各十倍重く受く。寿命も又然也。一一の苦の相、宣るに及ばず思遣べし。
次に無間地獄の有様あらあら語て聞すべし。先無間地獄は大焦熱地獄の下にあり。此地を去事二万五千由旬也。中有にて先彼地獄の罪人の叫ぶ声を聞て、即悶絶して頭面は下にあり、足は上に有て矢を射るが如く、二千年を経て下に向て行、彼阿鼻城は縦広正等にして八万由旬也。七重の鉄城に七重の鉄網をはり、下に十八の隔あり。四角に四の銅の狗あり。身の長四十由旬、眼は電の如く、牙は剣の如く、歯は刀山の如く、舌は鉄の荊の如し。一切の毛孔より猛火を出す、其煙りの臭き事世間に譬ん物なし。又十八の獄卒あり、頭如羅刹、口如夜叉、六十四の眼あり。鉤牙上様に出たる事、高さ四由旬也。牙の端より火出て阿鼻城にみつ。頭の上に十八の牛頭あり、一一の角のはしより皆猛火を出す。又四門の閫の上に十八の釜あり、銅の湯沸出て又城の中にみつ。一一の隔の間に八万四千の鉄の蠎大蛇有て、毒をはき火を吐て城の中にみつ。其蛇ほゆる時百千の雷の如し。又黒くして肥たる蛇有之。罪人を繞ふて、足の甲より初て漸漸に齧食ふ。或は熱鉄の銛を以て口をはさみ、開かしめて沸る銅の湯を其口にいるゝに、喉及口焼て臓腑を徹して下より出。或は炎の刀を以て一切の身の皮を剥、涌る鉄の湯を其身に潅ぐ。或は猛く熾なる火有て炎をあげて来り、皮を穿ち、肉に入り、骨を焦し、髄を通して頭に燃出る事、脂燭の如し。罪人の身の中に火燃ざる処針のあなほどもなし。故に無間地獄と云也。其一一の苦の相難宣。
先の七大地獄並に別処の一切の苦を以て一分となして、阿鼻地獄は一千倍勝れたり。如此無間の苦を受ること一大劫を尽す。凡そ無間地獄の一日一夜は人間の六十小劫に当る。又一切の罪人己が一身悉く阿鼻城に満て間なしと思へり。依之又無間地獄と云とも見たり。此地獄の人、大焦熱地獄の罪人を見事、他化自在天を見るが如し。又阿鼻地獄の苦は千分が中に一分をも不説。其故は譬んにたとへ尽すべからず、説んもとき尽すべからず。若人有て説事有んを聞ん者は、血を吐て忽に死すべしと云り。此一の地獄に堕なば、即一百三十六の地獄を悉く経歴すべし。汝其時の苦患をば如何すべきと語り給へば、罪人聞ておぢおそるゝ事限りなし。其時大王、汝今地獄の相を聞てさへ如此おぢおそる。況や地獄の火にもえん事、乾たる薪をやく如くならんをや。是火のやくに非ず。悪業のやくなり。火の焼はけしつべし、悪業の焼はけすべからず。如此重苦を受ん事、只汝が心一つより起れり。頼んとても頼み少きは妻子の善根也。其上、没後の追善は七分が一こそ受れ。縦待得たりともうかぶほどはとぶらはじ。存命の中に悔ずして今に至て後悔すとも、何の及ぶところかあらんとて、即地獄へ被遣也。若又追善をなし、菩提を能能祈れば令成仏、或は又人天等に被遣也。