治部房御返事
410 治部房御返事
白米一斗、名荷の子、はじかみ一つと(苞)、送給候畢。仏には春の花、秋の紅葉、夏の清水、冬の雪を進せて候人々皆仏に成せ給ふ。況や上一人は寿命を持せ給ひ、下万民は珠よりも重し候稲米を、法華経にまいらせ給人、争か仏に成ざるべき。
其上世間に人の大事とする事は、主君と父母との仰なり。父母の仰を背けば、不孝の罪に堕て天に捨られ、国主の仰を用ざれば、違勅の者と成て命をめさる。されば我等は過去遠々劫より菩提をねがひしに、或は国をすて、或は妻子をすて、或は身をすてなんどして、後生菩提をねがひし程に、すでに仏になり近づきし時は、一乗妙法蓮華経と申御経に値まいらせ候し時は、第六天の魔王と申三界の主をはします。すでに此もの仏にならんとするに二の失あり。一には此もの三界を出るならば、我所従の義をはなれなん。二には此もの仏になるならば、此ものが父母兄弟等も又娑婆世界を引越しなん。いかゞせんとて身を種々に分て、或は父母につき、或は国主につき、或は貴き僧となり、或は悪を勧め、或はおどし、或はすかし、或は高僧、或は大僧、或は智者、或は持斉等に成て、或は華厳、或は阿含、或は念仏、或は真言等を以て法華経にすゝめかへて、仏になさじとたばかり候なり。法華経第五の巻には、末法に入ては大鬼神、第一には国王・大臣・万民の身に入て、法華経の行者を或は罵、或は打切て、それに叶はずんば、無量無辺の僧と現じて、一切経を引てすかすべし。それに叶はずんば、二百五十戒三千の威儀を備へたる大僧と成て、国主をすかし、国母をたぼらかして、或はながし、或はころしなんどすべしと説れて候。又七の巻の不軽品、又四の巻の法師品、或は又二の巻の譬喩品、或は涅槃経四十巻、或は守護経等に委細に見へて候が、当時の世間に少しもたがひ候はぬ上、駿河国賀島荘は、殊に目前に身にあたらせ給て覚へさせ給候らん。他事には似候はず。父母国主等の法華経を御制止候を用候はねば、還て父母孝養となり、国主の祈りとなり候ぞ。
其上、日本国はいみじき国にて候。神を敬ひ仏を崇る国なり。而ども日蓮が法華経を弘通し候を、上一人より下万民に至まで、御あだみ候故に、一切の神を敬ひ、一切の仏を御供養候へども、其功徳還て大悪となり、やいと(灸治)の還て悪瘡となるが如く、薬の還て毒となるが如し。一切の仏神等に祈給ふ御祈は、還て科と成て此国既に他国の財と成候。又大なる人々皆平家の亡びしが様に、百千万億すぎての御歎たるべきよし、兼てより人々に申聞せ候畢。
又法華経をあだむ人の科にあたる分斉をもて、還て功徳となる分斉をも知せ給べし。例せば、父母を殺す人は何なる大善根をなせども、天是を受給事なし。又法華経のかたきとなる人をば、父母なれども殺しぬれば、大罪還て大善根となり候。設十方三世の諸仏の怨敵なれども、法華経の一句を信じぬれば、諸仏捨給事なし。是を以て推せさせ給へ。御使いそぎ候へば委くは申さず候。又々申べく候。恐恐謹言。 八月二十二日 日蓮 花押 治部房 御返事