四條金吾許御文(八幡抄)
392 四條金吾許御文
白小袖一・緜十両、慥に給候畢。歳もかたぶ(傾)き候。又処は山中風はげしく、庵室はかご(篭)の目の如し。うちしく物は草の葉、きたる物はかみぎぬ(紙衣)、身のひゆ(冷)る事は石の如し。食物は冰の如に候へば、此御小袖給候て頓て身をあたゝまらんとをもへども、明年の一日とかかれて候へば、迦葉尊者の鶏足山にこもりて、慈尊の出世五十六億七千万歳をまたるゝもかくやひさし(久)かるらん。
これはさてをき候ぬ。しゐぢ(椎地)の四郎がかたり申候御前の御法門の事、うけ給候こそよにすずしく覚え候へ。此御引出物に大事の法門一かき付てまいらせ候。八幡大菩薩をば世間の智者愚者、大体は阿弥陀仏の化身と申候ぞ。其もゆへなきにあらず。中古の義に或は八幡の御託宣とて阿弥陀仏と申ける事少々候。此はをのをの心の念仏者にて候故に、あかき石を金と思、くひせ(株)をうさぎと見が如し。其実には釈迦仏にておはしまし候ぞ。其故は大隅国に石体銘と申事あり。一の石われて二になる。一の石には八幡と申二字あり。一の石の銘には昔於霊鷲山説法華経今在正宮中示現大菩薩云云。是釈迦仏と申第一の証文也。此よりもことにまさしき事候。
此八幡大菩薩は日本国人王第十四代仲哀天皇は父也。第十五代神功皇后は母也。第十六代応神天皇は今の八幡大菩薩是也。父の仲哀天皇は天照太神の仰にて、新羅国を責んが為に渡給が、新羅の大王に調伏せられ給て、仲哀天皇ははかた(博多)にて崩御ありしかば、きさきの神功皇后は此太子を御懐妊ありながらわたらせ給しが、王の敵をうたんとて数万騎のせい(勢)をあい具して新羅国へ渡給に、浪の上船の内にて王子御誕生の気いでき見え給。其時神功皇后ははら(腹)の内の王子にかたり給ふ。汝は王子か女子か。王子ならばたしかに聞給へ。我は君の父仲哀天皇の敵を打んが為に新羅国へ渡る也。我身は女の身なれば汝を大将とたのむべし。君、日本国の主となり給べきならば、今度生れ給はずして軍の間、腹の内にて数万騎の大将となりて、父の敵を打せ給へ。是を用ひ給はずして、只今生れ給ほどならば、海へ入奉らんずる也。我を恨に思給なと有ければ、王子本の如く胎内にをさまり給けり。其時石のをび(帯)を以て胎をひやし、新羅国へ渡り給て新羅国を打したがへて、還て豊前国うさ(宇佐)の宮につき給、こゝにて王子誕生あり。懐妊の後三年六月三日と申甲寅の年四月八日に生させ給。是を応神天皇と号し奉る。御年八十と申壬申の年二月十五日にかくれ(崩御)させ給ふ。男山の主、我朝の守護神、正体めづらしからずして霊験新たにおはします。今の八幡大菩薩是也。
又釈迦如来は住劫第九の減、人寿百歳の時、浄飯王を父とし摩耶夫人を母として、中天竺迦毘羅衛国らんびに(蘭毘尼)薗と申処にて甲寅年四月八日に生させ給ぬ。八十年を経て、東天竺倶尸那城跋提河の辺にて、二月十五日壬申にかくれ(入滅)させ給ぬ。今の八幡大菩薩も又如是。月氏と日本と父母はかわれども、四月八日と甲寅と二月十五日と壬申とはかわる事なし。仏滅度の後二千二百二十余年が間、月氏・漢土・日本・一閻浮提の内に聖人賢人と生るゝ人をば、皆釈迦如来の化身とこそ申せども、かゝる不思議は未見聞。
かゝる不思議の候上、八幡大菩薩の御誓は、月氏にては法華経を説て正直捨方便となのらせ給、日本国にしては正直の頂にやどらんと誓給ふ。而に去十一月十四日の子の時に、御宝殿をやい(焼)て天にのぼらせ給ぬる故をかんがへ候に、此神は正直の人の頂にやどらんと誓へるに、正直の人の頂の候はねば居処なき故に、栖なくして天にのぼり給ける也。日本国の第一の不思議には、釈迦如来の国に生て此仏をすてて一切衆生皆一同に阿弥陀仏につけり。有縁の釈迦をばすて奉り、無縁の阿弥陀仏をあをぎたてまつりぬ。其上、親父釈迦仏の入滅の日をば阿弥陀仏につけ、又誕生の日をば薬師になしぬ。八幡大菩薩をば崇るやうなれども、又本地を阿弥陀仏になしぬ。本地垂迹を捨る上に、此事を申人をばかたきとする故に、力及ばせ給はずして此神は天にのぼり給ぬる歟。但し月は影を水にうかぶる。濁れる水には栖ことなし。木の上草の葉なれども澄める露には移事なれば、かならず国主ならずとも正直の人のかうべにはやどり給なるべし。然れば百王の頂にやどらんと誓給しかども、人王八十一代安徳天皇・二代隠岐法皇・三代阿波・四代佐渡・五代東一條等の五人の国王の頂にはすみ給はず。諂曲の人の頂なる故也。頼朝と義時とは臣下なれども其頂にはやどり給ふ。正直なる故歟。
此を以て思に、法華経の人々は正直の法につき給ふ故に、釈迦仏猶是をまほり給ふ。況や垂迹の八幡大菩薩争か是をまほり給はざるべき。浄き水なれども、濁ぬれば月やどる事なし。糞水なれども、すめば影を惜み給はず。濁水は清けれども月やどらず。糞水はきたなけれどもすめば影ををしまず。濁水は智者学匠の持戒なるが、法華経に背が如し。糞水は愚人の無戒なるが、貪欲ふかく瞋恚強盛なれども、法華経計を無二無三に信じまいらせて有が如し。涅槃経と申経には、法華経の得道の者を列て候に、蜣蜋蝮蠍と申て糞虫を拳させ給ふ。龍樹菩薩は法華経の不思議を書給に、蜫虫と申て糞虫を仏になす等[云云]。又涅槃経に法華経にして仏になるまじき人をあげられて候には、一闡提人如阿羅漢如大菩薩等[云云]。此等は濁水は浄けれども、月の影を移す事なしと見えて候。されば八幡大菩薩は不正直をにくみて天にのぼり給とも、法華経の行者を見ては争か其影をばをしみ給べき。我一門は深く此心を信ぜさせ給べし。八幡大菩薩は此にわたらせ給也。疑給事なかれ、疑給事なかれ。恐恐謹言。 十二月十六日 日蓮 [花押] 四條金吾殿女房 [御返事]