妙一女御返事
383 妙一女御返事
去七月中旬之比、真言法華即身成仏法門大体註進候し。其後は一定法華経の即身成仏を御用候らん。さなく候ては当世の人々の得意候無得道の即身成仏なるべし。不審也。先日書て進らせ候し法門、能心を留て御覧あるべし。其上即身成仏と申法門は、世流布の学者は皆一大事とたしなみ申事にて候ぞ。就中、予が門弟は万事をさしをきて此一事に可留心也。建長五年より今弘安三年に至るまで二十七年の間、在々処々にして申宣たる法門繁多なりといへども、所詮は只此の一途也。
世間の学者の中に、真言家に立たる即身成仏は釈尊所説の四味三教に説入したる大日経等の三部経に、別教の菩薩の授職潅頂を至極の即身成仏等と思。是は七位の中の十回向の菩薩歓喜地を証得せる為体也。全く円教の即身成仏の法門にあらず。仮令経文にあるよしを・とも、歓喜行証得の上に得たるところの功徳を沙汰する分斉にてあるなり。是十地の菩薩の因分の所行にして、十地等覚は不知果分。円教の心を以て奪ていへば、六即の中の名字観行の一念に同じ。与て云時は観行即の事理和融にして理慧相応の観行に及ばず。或は菩提心論の文により、或は大日経の三部の文によれども、即身成仏にこそあらざらめ。生身得忍にだにも云よせざる法門也。されば世間の人々菩提心論の唯真言法中の文に落されて、即身成仏は真言宗に限ると思へり。依之正く即身成仏を説給たる法華経をば戯論等[云云]。止観五云設厭世者翫下劣乗攀附枝葉。狗狎作務敬・猴為帝釈崇瓦礫是明珠。此黒闇人豈可論道等[云云]。此意なるべし。歎しき哉。華厳・真言・法相の学者、徒にいとまをついやし即身成仏の法門をたつる事よ。
夫先法華経の即身成仏の法門は龍女を証拠とすべし。提婆品云於須臾頃便成正覚等[云云]。乃至変成男子。又云即往南方無垢世界[云云]。伝教大師云能化龍女無歴劫行所化衆生亦無歴劫能化所化倶無歴劫妙法経力即身成仏等[云云]。又法華経の即身成仏二種あり。迹門は理具の即身成仏、本門は事の即身成仏也。今本門の即身成仏は当位即妙、本有不改と断ずるなれば、肉身を其まゝ本有無作の三身如来と云る是也。此法門は一代聖教の中に無之。文句云於諸経中秘之不伝等[云云]。
又法華経の弘まらせ給べき時有二度。所謂在世与末法也。修行又有二意。仏世は純円一実、滅後末法の今の時は一向本門の弘らせ給べき時也。迹門の弘らせ給べき時は已に過て二百余年になり、天台伝教こそ其能弘の人にてましまし候しかども、それもはや入滅し給ぬ。日蓮は今、時を得たり。豈此所嘱の本門を弘めざらんや。本迹二門は機も法も時も遥に各別也。問云日蓮計知此事乎。答云天親龍樹内鑑冷然等[云云]。天台大師云後五百歳遠沾妙道。伝教大師云正像稍過已末法太有近法華一乗機今正是其時。何以得知安楽行品云末世法滅時[云云]。此等論師人師末法闘諍堅固時地涌出現し給て本門の肝心南無妙法蓮華経の弘らせ給べき時を知て、恋させ給て如是釈を設させ給ぬ。尚尚即身成仏者迹門は能入の門、本門は即身成仏の所詮の実義也。迹門にして得道せる人々、種類種 相対種の成仏、何れも其実義は本門寿量品に限れば常にかく観念し給へ。正観なるべし。
然るにさばかりの上代の人々だにも即身成仏には取煩はせ給しに、女人の身として度度如此法門を尋させ給事は偏に只事にあらず。教主釈尊御身に入替らせ給にや。龍女が跡を継給歟。又・曇弥女二度来れる歟。不知、御身は忽に五障の雲晴て、寂光の覚月を詠給べし。委細は又々可申候。 弘安三年十月五日 日蓮 花押 妙一女 御返事