上野殿後家尼御前御書
379 上野殿後家尼御前御書
南條七郎五郎殿の御死去の御事。人は生て死するならいとは、智者も愚者も上下一同に知て候へば、始てなげくべしをどろくべしとわをぼへぬよし、我も存、人にもをしへ候へども、時にあたりてゆめかまぼろしか、いまだわきまへがたく候。まして母のいかんがなげかれ候らむ。父母にも兄弟にもをくれはてゝ、いとをしきをとこ(夫)にすぎわかれたりしかども、子どもあまたをはしませば、心なぐさみてこそをはし候らむ。いとをしきてこご(子)、しかもをのこご、みめかたちも人にすぐれ、心もかいがいしくみへしかば、よその人々もすずしくこそみ候しに、あやなくつぼめる花の風にしぼみ、満月のにわかに失たるがごとくこそをぼすらめ。まことともをぼへ候はねば、かきつくるそらもをぼへ候はず。又々申べし。恐々謹言。 九月六日 日蓮 [花押] 上野殿 [御返事]
追申。此六月十五日に見奉り候しに、あはれ肝ある者哉、男也男也と見候しに、又見候はざらん事こそかなしくは候へ。さは候へども釈迦仏・法華経に身を入て候しかば臨終目出候けり。心は父君と一所に霊山浄土に参りて、手をとり頭を合せてこそ悦ばれ候らめ。あはれなり、あはれなり。